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お題:  

ベニバナトチノキ [紅花栃木]
分類 トチノキ科 トチノキ属
マロニエ(セイヨウトチノキ)とアカバナトチノキ(アメリカアカバナトチノキ)との交配し、更に結実した種から実生で出した花に、もう一度マロニエの花粉と交配させた品種で、1820年頃に作出されました。
冬芽にはトチノキのような粘り気はなく、この複雑な手法により花の形はマロニエそっくりに、色だけは赤いトチノキとなりました。
複雑な交配種なため希にしか結実しないので、苗はトチノキを台木にして接ぎ木で作られるので、台芽が伸びて先祖帰りをすることがあるようです。
街路樹やシンボル樹として普及してきました。
名前の由来 紅色をした花のトチノキの近縁種なのでトチノキの名前を借用した。
<トチノキ>
和名抄(932年)では“ドングリの漢名である杼(チョ)”に対して“和名の止知(トチ)”と充てていて誤用しています。
和漢三才図会(寺島良安1712年頃成立)には“ハシバミ類の漢名の橡(ショウ)の字を充て、俗に栃(トチ)を用いる”とあり、ここでも漢名の誤用がみられます。
更に時代が下がって、本草綱目啓蒙(小野蘭山1803年成立)で、トチノキの近縁種で中国の在来種の七葉樹(天師栗の漢字も充てる)の字を充てています。
また、秋山記行(鈴木牧之1828年著)には“平家の落人村の伝説がある、長野県の秋山郷の探訪記に、子供がトチ餅の材料に、この実を採取する”ことを記述していて“栃(とち)”の字を使っています。
“栃(とち)”の字は、日本で作られた国字であると云われていて、平安時代以前に日本で作られた国字の“杤(とち・とちのき)”から作られたと云われています。
漢字の誤用が長く続いたために、トチの意味を適切に表す漢字を充てる前に、意味が忘れられて国字が充てられたようです。
<トチノキ余談>
母の出身地でもあり、私が在職中に転勤で生活した地でもある、栃木県の名前の由来はトチノキに関係有るのかと思い調べてみることにしたのです。
調べて見ると、県の木も“トチノキ”ですので、栃木県の名前の由来はトチノキが沢山あるからと、思いましたが、結果は違いました。
そもそもは、明治維新直後の廃藩置県では、藩単位で県を設定していたので、栃木県(県庁所在地:栃木市)と宇都宮県(県庁所在地:宇都宮市)でしたが、この二県を合併させて県名を栃木県、県庁所在地を宇都宮市として現在の形が出来たのです。
ですから、栃木市の栃木と云う地名の由来を調べる必要が有るわけです
その由来は、昔、現在の栃木市内に“神明宮”と云う神社があって、信仰を集めていました。
神明宮の社殿の屋根には、屋根の両端の所で、交差し高く突き出ている“千木(本来は「ちぐ」だが「ちぎ」とも読める)”が大きく目立っていました。
大きな千木は、伊勢神宮や出雲大社が有名ですが、神明宮のそれは十本もあって大変立派だったそです。
もとも両端以外の八本は鰹木と呼ばれる頭飾りだったのですが、十本とも非常に目立っていたようで、このことから“千木(ちぎ)が十(とう)ある”から“十千木(とうちぎ)”となり、転訛して“とちぎ”となったといわれます。

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