<3>心の病気・精神障害(うつ・神経症など)のホリスティック栄養療法について

1.当研究所の心の病気に対する見解(病因論・治療観)

「心の影響力」をめぐる現代医学と心身医学の対立

科学を導入し、科学の権威を盾にして大発展した西洋医学

西洋の主流医学(西洋医学)は、ニュートン物理学が最盛期にあった19世紀の末から20世紀にかけて、科学の一員として新たな道を歩み出すことになりました。自らをニュートン理論モデルにそわせ、「科学としての医学」を確立しようとしたのです。医学の中に、物理学・化学・生物学の知識を導入して理論武装をし、実験による再現性を重視した科学的手法を取り入れました。またX線などの最新の科学技術を検査法の中に採用し、診断技術を飛躍的に向上させました。それと同時に、次々と新薬を開発していきました。

一方、当時高まりつつあった一般大衆の科学信仰が、こうした科学的装いをした西洋医学を後押しすることになりました。やがて20世紀前半には、西洋医学は主流医学として、世界中を席巻(せっけん)することになりました。

こうして近代科学を盾にした現代西洋医学は、「科学医学」として現在に至っています。医者は、自らを科学者の一員として考え、医学は科学の一分野であると確信しています。そして科学がそうであるように、医学は、肉体という物質のみをその対象と考えます。このような科学医学(西洋医学)の本質を一言で言うならば“唯物医学”ということになります。人体を複雑な機械として見なし、意識や心の影響を認めず、心理的要因を厳しく排除しようとする医学と言えます。

現代西洋医学の特徴は、心(意識)と肉体を二分化すること、そして肉体だけを医学の対象として取り扱うということです。これは現代西洋医学が、デカルトやニュートンの宇宙モデルに立脚する近代科学を土台としているからです。“唯物医学”としての西洋医学は当然、心を軽視し、心(意識)が身体(肉体)に影響を与えることを認めようとしません。

20世紀は現代医学が世界を支配した時代ですが、同時に別の方向から西洋医学とは全く異なる医学が登場しました。それが「心身医学」です。心身医学は、心と肉体の相関関係を主張し、従来の医学と真正面から対立することになりました。心身医学は心の存在を医学の中心に位置づけし、唯物的な現代医学に大きな挑戦状を突きつけました。やがて心身医学によって、心が肉体に影響を及ぼす事実が明らかになるにともない、唯物医学はその理論的前提を崩されることになりました。

「心身医学」の登場

1939年にフランツ・アレキサンダー(※シカゴの精神科医)は、慢性疾患の多くが、日常生活の“ストレス”によるものであるとの画期的な見解を示しました。これが後に「心身医学」という新しい学問に発展していきます。「心は肉体の健康を左右する重要な要素である」という古くからの考え方が、現代医学の中で復活することになりました。東洋医学をはじめとする伝統医学では、心が病気の原因となることはよく知られていました。「病は気から」という言葉はそれを端的に表していますが、そうした伝統的な心身相関関係が、近代科学が支配力を増す中で抹殺されてしまいました。それが20世紀に至り、「心身医学」の登場によって再び、心と身体の相関性がクローズアップされるようになったのです。

1950年代には、心身医学の研究者は、7つの疾患を“心身症”と指定しました。消化器潰瘍・潰瘍性大腸炎・高血圧・甲状腺機能亢進・慢性関節リウマチ・神経皮膚炎・気管支喘息で、これらの疾患には心理的要因の可能性があるとされました。

それとほぼ同じ時期に、ハンス・セリエはストレスの研究を通じて、ストレスと病気発生のメカニズムを発見しました。このストレス研究が、その後の心身医学の研究に大きな影響をもたらすことになります。さらにパブロフの条件反射理論の登場によって、心と身体の結びつきを理論的に解明する1つの手がかりが得られるようになりました。

1960年以降、心が体に影響を及ぼす証拠が、次々と明らかにされていきます。ストレスと高血圧に関する研究、ヨーガ行者の瞑想の研究を通じてのリラクゼーション技術の開発、ガンと心理状態の関係の研究、過去の精神的ストレスがその後の身体状態に影響を与える研究などが次々と発表されました。そこでは生活の中で試練やストレスを上手に処理できない人は、できる人より4倍も病気にかかりやすいという報告もなされています。

こうして従来の人間の経験や伝統医学で言われてきた、心と体の密接な関係、心身相関関係が医学の中で徐々に明らかにされるようになりました。当然のこととして、その過程の中で「心身医学」は主流医学からの激しい反対と攻撃にさらされ、これとの闘いを余儀なくされました。心身医学は1980年代の「精神神経免疫学」の誕生によって、さらなる飛躍のときを迎えることになります。

「精神神経免疫学」の誕生

人間の心理状態が体に影響することが、数々の研究を通じて明らかにされるようになりましたが、それだけでは主流の医学を納得させることはできません。納得させるためには、心が免疫系に明らかな影響を与えるという科学的証拠が示される必要がありました。従来、免疫系は自律神経系とは違って、完全に独立して作動し、他の系からの影響は受けないものと考えられてきました。

しかし免疫系がストレスに敏感に反応するという証拠が,NASA(米国航空宇宙局)の医療班から提出されることになりました。宇宙飛行士のストレスと白血球数の変化の関係が報告されたのです。これを機に、ストレス実験によって、心(精神)と免疫系の結びつきの研究が始まりました。そして「精神神経免疫学(PNI)」という独立した学問が誕生することになりました。

精神神経免疫学は、「精神(心・感情)」と「神経(脳・中枢神経)」と「免疫系」をひとつにまとめようとする学問研究です。これは心と体の間には複雑な相互作用があること、心と病気の間に密接な関係があることを証明しようというものです。主としてストレスという精神状態と免疫の関係のメカニズムを明らかにして、心身の相互作用を立証しようという研究なのです。

※ストレスと免疫機能に関する古典的研究としては、ハンス・セリエの「ストレス説」がよく知られています。セリエは、ストレスが免疫機能を弱化させる経路を、次のように説明しています。慢性的ストレスは、視床下部(副腎刺激ホルモンACTHの分泌)→脳下垂体(ACTH放出)→副腎(コルチゾンやステロイドなどの副腎皮質ホルモン放出)というプロセスを通じて、最終的に免疫が抑制され病気が発生するようになるとしました。

「精神神経免疫学」では、中枢神経(脳)と免疫系が、さまざまな神経伝達物質(アドレナリン・ヒスタミン・ドーパミン)やホルモン、神経ペプチド、サイトカインの分子が情報伝達をしている仕組みを発見しました。こうして神経系と免疫系の間のコミュニケーションの存在が立証され、心身関係の一部が学問的に明らかにされました。

精神神経免疫学は1990年になり、1つの独立した学際的研究分野として公に認められるようになりました。十分とは言えないながらも「心身医学」は、精神神経免疫学の公認によって、心と体の関係を否定する主流医学(現代西洋医学)に対して勝利を勝ち取ったのです。

とは言っても現在の「精神神経免疫学」には、まだまだ多くの克服すべき課題があります。その1つが、“意図的に免疫反応を変化させたりコントロールするにはどうしたらよいのか”ということです。現在、催眠・瞑想などの行動医学的技法を用いて、免疫反応を変化させることができることは分かっていますが、しかしそれはどこまでも部分的なものにすぎません。もし免疫の働きを確実にコントロールできる方法が分かるようになるとしたなら、生活習慣病・慢性疾患に対する強力な治療法・予防医学が確立されることになります。免疫の働きを計画的に活発化させて、すでに進行している病気を治したり、予防医学として病気の発症を防ぐことができるようになるのです。

「心身医学」の課題

現在、心と身体の間に密接な関係があることは、ほぼ科学的な定説になろうとしています。「精神神経免疫学」による最近の目覚しい研究成果によって、複雑な心身の相互作用の一部分が解明されるようになりました。これまで別々に働いていると考えられてきた精神(心)と神経系・内分泌系・免疫系が、密接なネットワークを形成していることが明らかにされました。ストレスを受けると、3つの系が連係プレーを取って、ホメオスタシスを保持しようとすることが分かったのです。

とは言っても現在は、心と肉体の関係のほんの一部分を知ったということにすぎません。心身医学は駆け出しの新しい学問分野なのです。今後は、まだ発見されていない心身関係のメカニズムが次々と発見され、無作為臨床試験によってその1つ1つが確認されることになるでしょう。心身医学は、さらに新しい世界を切り開いて発展し、間違いなく21世紀の最前線の研究分野になるでしょう。

その一方で、現在の心身医学には、本質的な未解決の問題点が残されています。それは心身医学には、いまだに明確な「心の定義」が確立されていないということです。現在の心身医学の最大の問題は―「心とは、そもそも何なのかが解明されていない」ということなのです。心と体の間に相互関係があることははっきりしつつありますが、肝心な「心」とは一体何であるのかが、不明なままにされているのです。その探求が、心身医学の今後の大きな課題となるでしょう。

※新たなる精神医学へのアプローチ

心身医学の発展によって、ストレスが肉体の病気を引き起こす大きな要因であることが明らかにされました。また肉体次元での、ストレスと病気発生のメカニズムも徐々に明らかにされるようになっています。

一方、脳科学の発展は、脳の仕組みや機能について、以前とは比較ならないほど多くの知見をもたらしています。コンピューター技術を用いた画像解析技術(MRI・MRS・MEGなど)の革新によって、脳科学は大きく進歩しました。最近ではゲノム科学によって、別方向からの精神医学へのアプローチもなされようとしています。

しかし、こうした科学技術の発展によっても、心のほんの一部分が解明されるようになったにすぎません。また心と肉体の関連性にしても、全貌が明らかにされたわけではありません。

「心の存在」をめぐる2つの立場(脳の産物か? 霊魂か?)

いまだに分からない心の存在

心身関係が明らかになることによって、古い科学モデルは大きく修正を迫られることになりましたが、実は「心」とは何かを追求することは、それ以上に従来の科学・医学に根本的な打撃を与えることになるのです。なぜなら“唯物論”そのものを、完全に否定することになる可能性があるからです。そして同時に、医学が宗教や哲学との関わりを持たざるをえない状況が、否応なく発生するようになるからです。

近年、「心とは何か?」をめぐって、激しい意見の対立が見られました。唯物論の立場からの心の解釈と、それに反対する解釈がぶつかってきたのです。心とは何かを問うことは、心(意識)と脳の関係を問うことに通じます。ここでは、心の存在や定義をめぐるこれまでの見解の対立点を概観し、心身問題の本質を整理します。

近代科学の心の定義―心は脳の産物にすぎない

唯物主義に立脚する近代科学は、心を「脳という物質の産物」と定義します。心とは脳内にある百兆もの神経の電気回路から生じる随伴現象であると考えます。これは、脳が先で心は後、心は副次的な存在であり、脳を離れては存在し得ないということを意味します。

近代科学では、こうした自分たちの見解の正当性を主張するために、脳に損傷を受けると精神に異常をきたしたり記憶が失われるといった症例を挙げます。また薬物や物理的刺激によって精神状態が変化したりさまざまな精神症状が生じること、さらには脳の一部を刺激することによって幻想や幻聴がつくり出されるといった事実を取り上げます。

意識(心)が脳に依存していることは事実ですが、そのことをもって意識が脳活動の随伴現象であるという理由にはなりません。こうした事例は、心が脳の産物であるとの証拠にはなりません。なぜなら脳から独立した霊魂のような意識があり、そこから発せられた情報が、脳という受信器によって受信され、脳から再発信されるという可能性も考えられるからです。こうした想定が正しいならば、脳の障害がさまざまな精神障害を引き起こしたとしても何の矛盾もありません。現に多くの宗教やスピリチュアリズム、一部の哲学者や脳科学者たちは、そのように考えているのです。

心は脳の機能・産物にすぎないとする考え方は、現在では臓器移植の際の“脳死判定”をめぐって、複雑な問題を引き起こしています。唯物科学は究極的には、人間性・自我も脳によってつくり出されるという考えにまで至ります。脳によって理性ある人格が形成され、それが働いている間だけが人間らしいとの主張につながっていきます。それは“脳死”という脳の機能が止まったときをもって、人格性や尊厳性そのものが消滅することを意味します。多くの宗教やスピリチュアリズムのように、死後の生命の存続を認めない以上、脳の死(機能停止)は、人間性と人格の終焉(しゅうえん)ということになります。

※当研究所では、心の問題・霊の問題に関して、スピリチュアリズムの見解に立っています。そこに最も正確で信憑性のある情報があると考えています。スピリチュアリズムでは、たとえ脳の機能が停止しても、人間の物質次元の構成要素の1つが不全になったにすぎないと考えます。霊的次元では知的生命活動が変わりなく続けられています。脳が機能停止したとしても、人間を構成する霊的部分には何の変化もなく、しかもその霊的部分は依然、肉体部分と「一体関係を継続」しています。霊体と肉体を結ぶシルバーコードが切れて、すべての肉体機能が完全に停止しないかぎり、人間としての霊肉の一体性は失われません。脳死状態になったとしても、人間としての尊厳性・価値は消滅しないのです。

スピリチュアリズムの見解に従うならば、“脳死”をその人間の終わりとする考え方は間違っていることになります。

脳から独立した心の存在

唯物科学は、人間の意識を“脳”という物質に還元して考えます。たしかに人間の意識は、脳の電気的な性質と機能にともなっていますが、意識(心)はこれらにすべて限定されるものではありません。“唯物科学”の心の理解とは、全く逆の考え方があります。それが「脳という物質から独立した心(意識)が存在する」というものです。「脳から離れて存在する意識」ということになると、従来言われてきた「霊魂」が真っ先に思い出されます。死後の自我の存続を認める宗教では、こうした考え方をするのが普通ですし、プラトンなどの哲学も同様の見解に立っています。近年に至って唯物科学が霊魂の存在を否定するようになり、脳から独立した心を認める宗教と科学が鋭く対立してきました。そして、その議論は決着することなく現代まで続いています。

脳科学者が提示した、脳から独立した意識の存在

20世紀の脳科学における1つの大きな出来事は、脳から独立した心の存在を認めるような見解が、内部から提示されるようになったことです。ペンフィールドやエクルスがそうした代表的な科学者です。両者とも現代脳科学における権威でしたが、その現代科学の権威が、独立した意識の存在を認めるという驚くような行為に出たのです。

ペンフィールドは、治療と実験の一線で活躍していたときは、心は脳の仕組みですべて説明できると確信していました。ところが晩年の著書『脳と心の正体』の中では、「心の働きは、脳の仕組みで説明できるものではない」という全く反対の結論を述べています。心は身体を離れても存続し得るのではないかという考えに至り、霊魂の死後存続を認めるような見解に近づいていきました。ペンフィールドという脳科学の権威の晩年の思想的転向は、他の脳科学者たちに大きな衝撃を与えました。同僚たちの中には、ペンフィールドは老衰したためか、あるいは死の恐怖から頭が異常になったのだとさえ非難する者もいました。

エクルスも、脳から独立した心・意識の存在を認めるばかりでなく、その心と脳との間に、ある種の相互作用があることを認めました。ペンフィールドとエクルスが科学者でありながら、脳から独立した心(意識)の存在を認めたことは重大です。しかし彼らの見解は、いまだに現代脳科学において受け入れられることはありません。現代科学の根本原則に抵触することになるからです。

科学者の中からこうした画期的な動きが生じたのと同じく、現代哲学者の中にも、脳から独立した意識の存在を主張するベルグソンのような者も現れています。ベルグソンは、記憶の問題を手がかりに「純粋記憶」という概念を主張しました。これは心が脳から独立した実体であることを意味しています。ベルグソンは、脳は記憶を保存する器官ではなく、単に選別する器官にすぎないとし、従来の宗教が主張してきた霊魂の実在にきわめて近い見解を示しています。

現代の精神医学の2つの流れ

心をめぐるこうした対立する2つの考え方(人間観)は、現在の精神医学にもそのまま反映しています。すなわち現在の精神医学は、唯物的一元論に立って「心は脳の産物であり、脳を理解すれば心の病気は治せる」という方向性をとるものと、心身2元論の見解に立って、心と脳(物質)を同質のものとは見なさず、「心の病気は心として治療すべきである」との方向性をとるものとに分かれます。前者は「脳精神医学」、後者は「心理学的精神医学」と呼ばれています。こうした対立した精神医学の流れは、19世紀後半、ほぼ同時期に発生しています。

「脳精神医学」は、科学性・学問性を重視し、徹底して唯物医学(科学医学)の立場に立とうとします。そして精神障害(心の病気)を“脳の異常”として考えます。近年の脳科学の進歩が、その立場を強めることになっています。日本の大学(医学部)では、脳精神医学が主流となっています。現在の脳精神医学の治療法は、薬物療法が中心です。しかしあまりにも薬物療法に頼りすぎ、心理療法による心の治療を無視したり軽視する傾向があります。その結果、精神医療=薬物療法というイメージを生むことになっています。

一方、「心理学的精神医学」は、フロイトに始まると言われます。学問性よりも臨床と治療を優先します。そうした姿勢がこれまで、精神分析や暗示療法に代表される多くの精神療法(心理療法)を生み出してきました。脳精神医学が理論重視に走り、原因究明にエネルギーを傾けるのに対し、心理学的精神医学は治療を優先してきました。しかし脳精神医学からすれば、心理学的精神医学は、科学的実証性(エビデンス)が乏しく科学とは言えない、単なる仮説にすぎないということになります。さらに心理学的精神医学での心理療法には、あまりにも時間がかかり過ぎるという弱点があります。先に述べた「心身医学」は、心理学的精神医学の延長上にあります。

現在の精神医学における実際の治療は、薬物療法がメインとなっています。医者によっては、それに心理療法を加えるという形で進めてられています。しかし実際には、心理療法は時間がかかり過ぎることが理由となって、あまり実施されていません。

心とは何?――スピリチュアル・ヒーリングにおける「心」と「霊」の見解

心身医学に突きつけられる選択

心身医学は、臨床的にも実験的にも「心」が身体に対する影響力を持っていることを証明したものの、「心」それ自体が何であるのかが分かっていません。これが現在の心身医学の最大の課題です。もし心身医学が、「心」は脳から独立したものというペンフィールドやエクルスのような見解に立つならば、それは従来の科学に対して明確な一線を引くことになります。科学医学の立場を自ら飛び出して宗教的立場に近づくことになります。医学の中に純粋な宗教的考え方である「霊魂説」が導入されるようなことになるならば、これまで全くなかったような「医学と宗教の連携」の可能性も出てきます。

現在の心身医学は、意識(心)と身体の関係の問題だけに終始し、宗教との接近を極力避けようとしているかに見えます。しかし結論を言うならば心身医学は、ペンフィールド的な見解に立って自らを理論化しないかぎり、単なる臨床的な手段として、何の魅力もない唯物主義医学の領域に自らを押しとどめることになってしまいます。それではホリスティック医学界をリードすることなど到底できませんし、ホリスティック医学の盟主としての地位を自ら放棄することになります。

「心」をどのように考え、定義するのかという最も困難な選択が、今、心身医学に突きつけられています。“唯物主義医学”との決別を果たし、「真のホリスティック医学」のリード役となっていくのかどうかを、自ら選択しなければなりません。それはホリスティック医学全体にとっても、将来の方向性に関わる重大な局面を迎えているということなのです。

心身医学の関係者に望まれる真の勇気

これまで心や霊魂といった問題は、純粋な信仰の世界のものであり、科学や医学とは無関係とされてきました。いわゆる「宗教と科学の住み分け」という原則です。

科学はどこまでも再現性のともなう物的証拠をもって物質世界の法則を認定する1つの方法論にすぎないのであって、心や霊魂など物質でないものに対して、あれこれ口出しする資格はありません。科学者や医者が、「自分は霊魂の存在を信じられない」と言うことは自由ですが、「霊魂などは存在しない」と断言することは許されません。科学者は、科学の対象外である世界について、口をはさんではならないのです。

ところがいつの間にか、科学で証明されたことだけが事実であって、そうでないもの(宗教などで信仰の対象となってきたもの)は事実ではないと考えるようになってしまいました。これは明らかに「宗教と科学の住み分けの原則」からの逸脱です。もし、そうしたことを口にする科学者がいるなら、それは傲慢さと無知を示していることに他なりません。

20世紀に至ってニュートン理論に立脚する従来の科学モデルが崩され、物質は人間の意識とは切り離すことができない関係にあることが立証されました。これは「心身医学」にとっては好条件で、心や霊魂について論じる環境が整いつつあるということなのです。心身医学は、唯物的で時代遅れにある現代医学に対して、堂々と異議を唱えるべきなのです。しかも心身医学は、意識と身体の関係・心が身体に及ぼす影響を明らかにした以上、唯物医学の間違いを正さなければなりません。そして医学が従来、宗教的として避けてきた心や霊魂の問題を、医学の中にもう一度復活させるべきなのです。

スピリチュアリズムの「心」と「霊」についての見解

心の定義をめぐる2つの対立する立場を見てきました。ホリスティック栄養学研究所の「心」についての見解は、スピリチュアル・ヒーリングによって示された知見に立脚しています。当研究所は、スピリチュアル・ヒーリングの理論に基づいて、心の問題の解決を図ります。スピリチュアル・ヒーリングの理論と見解は、ホリスティック医学全体を統合し得る可能性を持っています。

そのスピリチュアル・ヒーリング理論は、脳から独立した意識・心の存在を大前提としています。ではスピリチュアル・ヒーリングでは、そうした脳から独立した心(意識)を、多くの宗教のように霊魂と見なしているのでしょうか。スピリチュアリズムでは、「心」と「霊」をどのように考えているのでしょうか。これらを同一のものとして考えているのか、あるいは全く別の存在として考えているのでしょうか。

日本語の心(kokoro)は、英語では mind・heart・soul・spiritで表されます。一方、英語では、mind と soul・spirit の間には、はっきりとした線引きがなされています。これを見ると日本語は英語と比べ、心と霊の境界が明確でないことが分かります。とは言っても英語でも、soulとspiritの区別は明瞭ではなく、正式な定義が確立しているとは言えません。心・精神・霊・魂については、曖昧なままであると言えます。こうした状況は日本語や英語だけでなく、他の言語にも共通しています。

その最大の理由は、これまで人類が、人間の構成についての明瞭な知識(人間観)を持っていなかったということです。スピリチュアリズムは、そうした地球人類がいまだに解決しえないできた問題に対して、明確な答えを示しています。ここでは、そのスピリチュアリズムの「心(意識)」と「霊」についての見解を紹介することにします。

人間の身体構成と2つの心

スピリチュアリズムの身体観によれば、人間は霊体と肉体という2つの身体から成り立っています。さらに人間を構成する要素として、無形な要素(形態を持たないもの)を挙げています。それが「心」であり「霊」なのです。さらにスピリチュアリズムでは、霊体と肉体にそれぞれ「心」があるとします。

人間は死後、肉体を脱いで霊体としての存在で、新たな生活を始めるようになります。そこでは地上時代と変わらない高度の意識や知性が保たれています。ということは、霊体に「心」が存在しているということになります。スピリチュアリズムでは、これを「霊の心」と呼びます。

それに対し、肉体にも心のような部分が存在します。脳から発生する低次元の意識、「本能」です。「肉の心」、すなわち本能は、動物にも等しく見られるものであり、肉体維持と種の繁殖を目的として必要な行為を促します。このように地上人は、「霊の心」と「肉の心」という2つの心を同時に持って意識活動をしています。

以上の内容を整理すると次のようになります。

人間の身体構成1
人間の身体構成2

地上人の自覚する「心」とは?

さて、ここで重要な点は、地上人が「心」と自覚するのは「霊の心」の内容(霊的意識)と、「肉の心」の内容(本能的意識)の2つを一緒にしたものであるということです。私たちの心は、「霊の心」と「肉の心」という両方の心(意識)を合わせたものなのです。

2つの異なる心から発せられた別々の意識が、私たちには1つの意識として自覚されることになります。地上人には、2つの別々の心から発せられた意識は、混然一体となって感じられるようになっています。そのため大半の地上人は、今自分の抱いている意識が、どちらのソース(心)からのものかを区別することができません。

霊の心と肉の心(本能)

「潜在意識」と「顕在意識」――自覚される意識と自覚されない意識)

スピリチュアリズムでは、さらに次のような重大な事実を明らかにしています。それは「霊の心」の内容(霊的意識)が、地上人にすべて自覚されるようにはなっていないということです。霊的意識のほんの一部分だけが顕在意識化し、地上人に自覚されるようになっているのです。

※ベルグソンは、“脳は独立意識からの情報の選別器官”と言っています。脳は「霊の心」からの情報(霊的意識)の受信器としての役割を持つということで、これはスピリチュアリズムに近い考え方です。脳を通じて自覚できる意識(顕在意識)は、霊的意識の一部分にすぎません。脳は霊からの情報の受信器として、高次意識(※「霊の心」の意識のこと)の一部分を伝達するという役割を果たしています。

近年盛んになった深層心理学では、人間の意識は、通常では意識されない「潜在意識」と、日常的に自覚できる「顕在意識」の2つの部分に分けられることを明らかにしています。スピリチュアリズムもそれと同じく、人間の意識は、潜在意識と顕在意識から成り立っているとします。

※スピリチュアリズムの「潜在意識」についての見解は、フロイトやユングとは異なります。ユング心理学は、現代思想やニューエイジに大きな影響を与えましたが、スピリチュアリズムはユングの見解をそのままは認めません。ユングは霊体の存在を否定したところで潜在意識を論じていますが、スピリチュアリズムは「霊体」と「霊の心」の存在を前提としたうえで(霊魂観に立ったうえで)、潜在意識の実在を主張しています。

霊的意識の顕在化と、霊性の発達

脳が高次の霊的意識の受信器としての役割を果たすことによって、人間は肉体を持ちつつも、高次意識を認識し、それによって自らの人生を導くことができるようになります。「霊の心」に由来する高次意識(霊的意識)が、どの程度まで顕在意識になるかということは、1人1人で異なります。

霊的意識をより多く顕在意識化するためには、「霊の心」から脳に向けて多くの霊的エネルギー(マインド・エネルギー)を送ることが必要になります。催眠術やドラッグによって、このエネルギーの通路を一時的に広げることができますが、それはきわめて不自然な方法で、その後さまざまな支障(※精神異常など)が生じることになります。最近では音響効果を利用した“ヘミシング“と呼ばれる方法が注目されていますが、これも同様です。 

「霊」に十分なエネルギーが蓄えられ、それがステップダウンして「霊の心」を満たすというプロセスを踏むことこそが、徐々にではあっても自然にエネルギーの通路を開かせることになるのです。これは言い換えれば、「霊的成長」とともに、より多く潜在意識が顕在意識化するようになるということなのです。

潜在意識を多く顕在意識化できる人間とは、霊性の発達した人間のことです。そのような人間は、必然的に精神的に崇高な人生を送るようになります。反対に霊的意識を全く顕在意識化できない者は、肉の心(動物本能)だけに支配された人生を歩むようになります。

※霊体エネルギー(サイキック・エネルギー)が多く肉体に流されることによって、霊体の能力(サイキック能力)が肉体次元に顕在化するようになり、超能力を発揮できるようになります。

それと同じことが、「霊の心」と「脳」の間にも言えるということなのです。「霊の心」から多くのエネルギー(マインド・エネルギー)が脳に流されると、それに比例して「霊の心」の内容(潜在意識)が、脳を通じて顕在化されるようになります。

人間の「霊」とは何?――霊の定義

ところでスピリチュアリズムでは、人間の「霊」をどのように定義しているのでしょうか。言語の領域を超えた「霊」という存在を、言語を用いて定義することには非常な困難がともないます。ましてそれを説明することは至難の技です。必然的に従来の宗教がしてきたように、比喩的・象徴的な用語を用いて表現せざるをえなくなります。

神は、霊界・宇宙のすべてを包含する大霊であり、私たち人間はその分霊です。神を霊の大海に譬えるならば、人間の霊は、ちょうどその大海から取り出された一滴の水に相当します。この神の分霊こそが、私たち個性体の一番の本体なのです。スピリチュアリズムでは人間の「霊」を、「大霊(神)の分霊」「人間に内在するミニチュアの神」「神と同質の霊的要素を持つモナド」「霊的本我」と定義します。

※霊は言うまでもなく、3次元空間に存在するものではありません。一定の空間を占めることはありません。ここでは「霊の心」の中に「霊」を図示していますが、これはあくまで理解しやすいように便宜的に表現したものです。「霊」も「霊の心」も空間を占めていない以上、そもそも図示すること自体に無理があります。実際には、「霊」は「霊の心」の全体を包むような存在であると考えるべきです。霊的な上下関係において「霊」は「霊の心」の上位に位置することを表すために、あえて「霊の心」の中に「霊」を図示しています。

心の病気の発生

「心の病」発生の前段階とストレスの形成

心が本能的意識に支配され、霊的意識の働きが阻害されるようになる(※これを「肉主霊従」の状態と言います)と、「霊の心」からのエネルギーの流入は極端に減少します。そして「心(顕在意識)全体」がエネルギーの枯渇状態に陥ることになります。現代人の多くがこうした状況にあります。心の「肉主霊従」の状態は、すでに“心を病んでいる”ということです。この段階ではまだ決定的な破滅・破綻レベルには至っていませんが、こうした状態が長引き、エネルギー欠乏状態が深刻化すると、ちょっとしたストレスが引き金となって一気に破綻状態に至ります。

「肉主霊従」という心の状態は、「慢性的な軽度の精神障害」なのです。本能的意識が中心となっている心では、“自己中心性・自己愛”が支配的になります。霊的成長を別の言葉で言い表すならば“利他愛の拡大”ということになりますが、「肉主霊従」という自己中心的な状態では、いつまでたっても心は成長することができません。未熟な段階にとどまることになります。未熟な心、霊的エネルギーが枯渇した心は、外部からの刺激(ストレッサー)によって、容易に心の中に精神的ストレスをつくり出すことになります。

精神的ストレスとは、絶望・恐れ・怒り・悲しみ・孤独といったマイナスの感情であり、心の痛みです。成熟した心・利他性が支配的な心では、外部の刺激に対して広い視野から対処し、それをストレスとして溜め込むことはありません。同じ刺激やトラブル・困難に遭遇しても、それをストレスにする人とそうでない人がいるのはこうした理由によります。

ストレスによる一撃

ストレスの一撃が、心全体のバランスを大きく崩し、決定的に破綻させることになります。スピリチュアル・ヒーリングでは、精神的ストレス(※恐れ・心配・悲しみ・怒り・絶望など)を心と肉体の病気の大きな原因と見なしています。ストレスは、もともとエネルギーの乏しくなっていた心に強烈な打撃を与え、これを一気に破綻させてしまいます。 またストレスは、顕在意識につながる「霊の心」をも乱すことによって、上位の「霊」にまで影響を及ぼし、「魂の窓」を閉ざし、霊的エネルギーの摂取を制限してしまいます。同時に霊的エネルギーの中継ポンプとしての「霊の心」の役割を果たせなくさせ、霊体・肉体のエネルギーレベルを低下させます。このようにしてストレスは、身体全体の異常を引き起こします。まさにストレスは“万病の原因”なのです。

ただし、ここで忘れてならないことは、ストレスの大半は−「本人自身の心の未熟さと性格がつくり出しているものである」という点です。生真面目・気が弱い・人目を気にしすぎる・繊細すぎるといった性格の人は、そうでない人と比べ、ストレス(マイナスの感情)をさらに大きくすることになります。

心の病気・精神障害

心の病気・精神障害とは、心のエネルギーレベルが極端に低下して大きくバランスを崩し、心そのものが最低限の機能を維持できなくなった状態と言えます。こうした心の破綻状態は、ダムが決壊して溜めていた水が一気に流出し、その後も水を溜められなくなった状況に譬えることができます。患者は、エネルギー循環システムの破綻によって急激にエネルギーを失い、すぐに回復できずに深刻なエネルギー枯渇状態が続くことになります。

こうした異常は、脳にもそのまま影響し、脳内物質の変化となって現れます。この場合は、脳内物質の異常が先にあって精神障害が引き起こされるのではなく、「心の破綻」という異常が脳に反映して、物質次元の異常が引き起こされると見るべきです。(※純粋な肉体次元・物質次元の原因、例えばアルコールやドラッグ・低血糖症といったものによる精神障害の場合は、物質によって脳がダメージを受け、直接的な脳内物質の異常が引き起こされると考えられます。)

さて「心の破綻」は、いつまでもそのままの状態に置かれるわけではありません。肉体の損傷に対しては自然治癒力が働いて修復に向かうように、心の損傷に対しても「心の自然治癒力」が働き、時間とともに徐々に回復に向かうようになります。壊れたダムは修復され、少しずつエネルギーが蓄えられていくようになります。

心の病気(精神障害)という深刻なエネルギー枯渇状態は、本人には無気力感・孤独感・虚(むな)しさ・絶望感などの苦しみの感情を引き起こすことになります。また極端なマイナス指向・自己中心指向・逃避指向を引き起こします。エネルギーの枯渇と心全体の破綻は、1人1人の内容・条件によって、さまざまな症状となって現れます。

トラウマ論の暴走

最近、精神医学や心理学の中で、心の病気は“トラウマ(心的外傷体験)”によって引き起こされるという考え方が流行しています。青少年犯罪が起こると、決まってその事件の背後に過去のトラウマが原因となっているかのような説明がされます。心の病気(精神障害)の原因としてのトラウマ論は、今や世の中一般にまで行きわたっています。トラウマとしてよく取り上げられるのが、家庭環境や幼児期の虐待・母親の溺愛などです。

トラウマ論は、1つの過去の出来事が原因となって心の障害が引き起こされるという病因論です。しかし心の病気は、たった1つの過去の体験や要因によって起こされるものではありません。多くの要因のトータル的な結果として発症するものなのです。その中で最も大きな要因は、その人間自身の「未熟性・未成熟性」なのです。大半の人間は、幼少時に外部から与えられたショックを、いつまでもストレスとして溜め込むようなことはありません。同じ辛い体験をしながら、それをトラウマとしていない人間の方が多いことを考えれば、トラウマ説の矛盾は明らかです。トラウマ論は、まるで感染症の病原説のようです。人間サイドに抵抗力があれば、細菌がうようよしているような環境の中にいても病気にはなりません。病気の主な原因は、免疫機能を低下させている人間の側にあるからです。

もちろんトラウマ論のすべてを否定するわけではありませんが、それが当てはまるのは、ごく一部であるということです。それなのにまるで何もかもトラウマこそが原因であるかのように決めつけることは間違っています。トラウマ論は、病因論上の仮説の1つにすぎません。過去の出来事が、本当にトラウマになっているかどうかも定かではありません。トラウマについての言及は、大半が推測の域を出ないものです。確たる根拠もないのに、それをさも最大の原因であるかのごとく取り上げ決めつけることによって、無用な苦しみを周りの人々に与えることになります。こうした推測のみの判断で、社会や家族・親に責任を負わせることは、大きな間違いを犯すことになります。

問題の多いトラウマ論の中で、最も悪質というべきものが、“前世療法”と言われているものです。催眠術で過去の記憶を蘇らせることによって、前世でつくり上げたトラウマ(※これを前世のカルマと言っています)が明らかになると言うのです。これは一般のトラウマ論の推測性をさらに加速させたもので、ほとんど空想と言っていいものです。前世療法の問題点は、催眠術を過信するところにあります。催眠術によって前世のカルマが明らかにされることはありません。

※スピリチュアリズムでは、人間には前世の間違った行為(神の摂理に反した行為)が「カルマ」となって、次の再生地上人生において、さまざまな苦しみがもたらされるとします。しかし前世のカルマは、前世療法の退行催眠によって明らかにされるようなものではありません。

前世のカルマとは強いて言うなら、前世での利己的行為の総体であり、霊的成長を疎外することになっている「マイナスの霊的原因」のことなのです。特定の1つの出来事・行為を意味するものではありません。

心への、3つのエネルギー補充法

 心の病気(精神障害)は、精神的ストレスによって引き起こされる「心」の極端なエネルギー枯渇状態・アンバランス・不調和状態ということになります。したがって精神障害の治療は、「心」へのエネルギー補充がその中心になります。心の病気(精神障害)に対する治療の原則は−「心にエネルギーを補給する」ということなのです。そのエネルギー補給には、次のような3つの方法があります。

<方法(1)―上位からのエネルギー補給>

最も理想的なエネルギー補充法とは、「霊」を充電する霊的エネルギーがステップダウンして「心」を満たすことです。その際問題となるのは、「霊」が十分に充電・活性化されているかどうかということです。これまで何度も述べてきたように、現実には大部分の地上人の「霊」は、霊的エネルギーの枯渇状態に陥っています。

瞑想や祈りは、大気から霊的エネルギーを取り入れ、「霊」を充電させるためのよい方法です。しかし祈りや瞑想をしたからといって、霊的エネルギーが現実的に取り入れられるわけではありません。霊的エネルギーが大気中から取り入れられるには、「魂の窓」が開いていなければならないのです。この「魂の窓」の開閉状態は、各人の霊性とカルマという霊的条件によって、おおよそ決まっています。したがって祈りや瞑想によって直ちに霊的エネルギーを取り入れ、それを「心」にまでステップダウンさせることは難しいということになります。

ストレス症対策としてよく祈りや瞑想が取り入れられますが、実際にはそれほど大きな効果をもたらすことができないのは、こうした事情があるからなのです。

上位からのエネルギー補給

<方法(2)―水平レベルからのエネルギー補給>

心身医学でストレス症対策としてよく行われている心理療法(イメージ法・暗示法・リラックス法など)は、心の状態・精神状態を静め、正常化することにその目的が置かれています。これは水平レベルから「心」にエネルギーを補充して、心のバランスを取り戻そうとするものです。

言うまでもなくこの方法では、「心」に十分なエネルギーを取り入れることはできません。何よりもまず「霊レベル」におけるエネルギー不足の問題を解決しなければなりません。もし仮に「心」の表面だけを整えることができたとしても、一時的に効果が見られるだけで長続きせず、すぐ元に戻ってしまいます。これでは根本的な精神障害(心の病気)対策にはなりません。

心のレベルを十分に充電・活性化するには、上位の「霊」からのエネルギーのステップダウンがなされなければなりません。もちろん暗示法やイメージ法・リラックス法などのさまざまな心理療法は、病気治療にプラスの効果をもたらしますが、それはどこまでも一部分に限られるということです。

水平レベルからのエネルギー補給

<方法(3)―肉体レベルからのエネルギー補給>

現在の心身医学では、ヨーガや大極拳などの運動法が、心の病気治療としてたびたび用いられます。これは先に述べた「肉体→霊体→心」という方向でエネルギーを上昇させ、心のエネルギーをアップさせる方法です。しかし部分的には運動が心をリフレッシュさせ、明るくすることはありますが、その効果は一時的です。

肉体レベルからのエネルギー補給

スピリチュアル・ヒーリングは最高のエネルギー補充法

心身医学の心理療法は、わずかですが心のレベルに霊的エネルギーを取り込みますが、「心」を活性化させるだけの十分なエネルギーがもたらされることはありません。それに対し「スピリチュアル・ヒーリング」では、霊的エネルギーが患者の「霊」レベルにまで至り、そこを充電・活性化することになります。スピリチュアル・ヒーリングが、他の生体エネルギー療法や心身医学と根本的に異なるのは、患者の「霊」を充電できる可能性を持っているという点なのです。

スピリチュアル・ヒーリングは「心」を充電することによって、心に備わっている自然治癒力を最大限に引き出します。この意味で、スピリチュアル・ヒーリングは「最高の霊的エネルギーの補充法」であり、最も効果的な心の病気対策の1つと言えます。「心の自然治癒力」を効果的に高める方法なのです。

とは言っても、スピリチュアル・ヒーリングの効果は、患者サイドの受け入れ条件によって決められます。患者サイドにエネルギーを取り入れるだけの条件が整っていなければ、最高の治療も十分な効果を発揮できず、部分的にとどまってしまいます。

心の自然治癒力

肉体に自然治癒力が働くように、心にも自然治癒力が働き、異常に陥った状態を正常に戻そうとします。この「心の自然治癒力」は、ストレスによって破綻をきたした心の傷を癒し、少しずつ霊的エネルギーを蓄積する方向に働きます。このため発病してもしばらくすると、徐々に回復していくようになります。

※とは言っても、大半の患者は少し回復した段階で、同じようなストレスを受けると、また新たに心の傷をつくり病気を再発させてしまいます。いったん病気を発症させると、容易に病気がぶり返すことになり、結果的に回復と再発を繰り返すことになります。 

どのような患者でも、病気の発生時には、ひたすら休養をとることが必要となります。休養がそのまま治療になっています。それが心にエネルギーを蓄え、「心の自然治癒力」を促すことになるからです。スピリチュアル・ヒーリングが霊的エネルギーをすばやく補給し、自然治癒力の働きを強化して、回復のプロセスを早めるのに対し、心の自然治癒力の場合は、徐々にエネルギーを蓄えるという違いがあります。

心の病気に対するホリスティック(トータル的)な治療の必要性

心の治療の複雑さと難しさ

心の病気(精神障害)の患者に対して、現実の治療はどのように進めていったらよいのでしょうか。心の病気の治療には、さまざまな次元の治療手段を繰り出して、トータル的に対処していかなければなりません。心の病気の治療は、肉体の病気と違って治療の反応が確認しにくいことが多く、ある面では試行錯誤で進めていくことになります。

心の病気は、すでに述べたように霊的エネルギー不足から生じる「心全体」の不調和・アンバランスのことです。心の深刻な霊的エネルギー枯渇状態のことなのです。したがって心の病気に対する治療法は−「不足している心のエネルギー(マインド・エネルギー)を外部から直接補充する」ということになります。スピリチュアル・ヒーリングや、心身医学・精神医学での心理療法は、そうしたエネルギー補充の方法となっています。

ただし心理療法のような水平レベルでのアプローチ(治療法)では、「心」の表面だけを改善し症状を緩和する単なる対症療法にとどまり、それほど効果を上げることはできません。上位の「霊」からのアプローチができないかぎり、心の正常化を図ることはできないのです。ここに「心の治療」の難しさ・複雑さがあります。

まずは休息を与える

心の病気では、どのようなケースでも、発病後一定期間は「徹底した休息」を与えることが必要です。休息によって心に少しずつエネルギーが蓄えられるようになり、心の自然治癒力が働くようになります。心の病気にとって、休息は効果的な治療法なのです。

精神科の助けを借りる

病気発症時には、徹底して休息を与えると同時に、精神科に行って「薬物治療」を始めることが必要です。薬物治療はどこまでも“対症療法”ですが、現在では副作用の少ないかなり良い薬が開発されています。それなりの効き目(※心の苦しみを緩和すること)を期待することができます。

また少し落ち着いてきた時点で、「心理療法」を並行して進めるようにします。心理療法は、精神科の医者やカウンセラーによって行われることになりますが、現時点では本当に優れた医者やカウンセラーに出会うことは難しいのが実情です。

スピリチュアル・ヒーリングを受けてみる

こうした現代の精神医学による治療を受ける一方で、スピリチュアル・ヒーリングを受け、霊的エネルギーを注入して心の傷を癒すようにします。それがスピリチュアル・ヒーリングの役割です。人によってはスピリチュアル・ヒーリングによって、著しい回復を見せることもあります。

周りからのサポート

心の病気は普通“自然治癒力”の働きによって、時間の経過とともに少しずつ回復していきます。言うまでもないことですが、回復過程では周りの人々の上手な対応やサポートが、きわめて大切です。

そして重要なことは、表面上はいったん回復したかに見えても、同様のストレスやトラブルによって、病気を再発させる可能性が高いということです。いったん傷をつくってしまうと、その傷が癒えても、少しの圧力で簡単に破れてしまうのです。そこで患者自身が防衛力をつける必要性が出てくるのです。再発を防ぐためには、本人の心が変わるということが一番重要な要素となってきます。

患者自身が心を変える努力をする

心の病気の再発を防ぐためには、患者本人が心を強くし、ストレスをつくらないようにしなければなりません。そのためにはこれまでの考え方、判断の仕方を変えることが必要となります。「考え方を変えさせる」という方向に向けての治療は、心理療法の1つである認知療法などでも行われています。

しかし考え方を根本的に変化させるためには、人生観・価値観というレベルにまで掘り下げてアプローチしなければなりません。そうでないかぎり“心の変革”は徹底できません。信仰をするようになって、それまでの心の病気を克服したという患者の話をたびたび耳にしますが、それは信仰によって、より積極的に自分の考え方を変えることができるようになったからです。(※もっとも何を信仰するのか、どのように信仰するのかによって、後になって別の問題を生むこともありますが・・・・・・)

心の病気の治療は、「自分自身の努力で自らの心・考え方を変える」という段階にまで至らなければ根本的なものとはなりません。心の病気の治療は、最終的にはこうした自己努力を中心としたレベルにまで行き着かなければなりません。本人自身がこれまでの考え方を変え、心の病気を治そうと決心しなければ、外部からどのような対策を講じても根本的には解決しません。

本来、カウンセリングはそのためにあります。カウンセリングによって本人の心に自己努力の決意が目覚めたとき、初めて本質的な心の病気治療がスタートします。また次に述べるような利他愛の実践・無償の奉仕活動は、心を深いところから変化させ、純粋な喜びをもたらします。利他愛の実践は、最高の心の病気の治療法なのです。

ストレスを生み出す根本原因は心の未熟さ

心の病気(精神障害)を引き起こす一番の原因は、その人間の「心の未熟さ」にあります。心の成長した人間は、心全体を霊主肉従の状態に保ち、物質的で自己中心的な考え方をしません。物質にとらわれない広い考え方をするため、世俗的な価値観に振り回されたり、余分な競争に巻き込まれることなく、疲れることもありません。欲に翻弄(ほんろう)されないということ、そして自分中心の生き方・自己愛に縛られた生き方をしないということは、ストレスという心の異常を引き起こさないための最善の方法なのです。このように考えると、人間の「心の未熟さ」こそが、ストレスを生み出す元凶であることが分かります。

※世間一般では、性格的な要因(まじめ過ぎ・人目を気にし過ぎ・完璧性・融通性の乏しさなど)が心の病気の原因として取り上げられます。たしかに、こうした性格はストレスを生みやすくなります。しかし心の土台となる霊性が一定のレベルにまで達しているならば、性格的な要因によってストレスを溜め込むというようなことはなくなります。性格は主たる要因でなく、補助因と考えるべきです。

霊的成長に向けての自己努力こそ、最高の心の病気の治療法

これは「霊的成長」に向けての努力が、取りも直さず最高の心の病気の治療法になっているということを意味します。霊的成長のための努力とは、具体的には−「従来の考え方を根本から変える」こと、「自己愛を乗り越えて利他愛の実践をする」ということです。人生に対する霊的な考え方(価値観・人生観・世界観)を身につけ、それに従った新しいライフスタイルを確立することです。

心の病気は、最終的には患者本人が意識的に自分の考え方の欠点を克服しようというレベルにまで至らないかぎり癒されることはありません。自分の病気は自分で治すしかないのです。しかし大半の患者は、病気の発症によって、自己愛性や自己中心性が表面化し、我儘になってしまいます。また自分自身の世界に引きこもったり、反対に他人への依頼心が大きくなり、他人の言うことを素直に聞けなくなります。そうした状態では到底、自分自身で自己改革の努力をしようという段階には進んでいきません。

一方、家族や周りの人々は、できるだけ患者を刺激しないようにと、まるで腫れ物に触るように接触します。実際、少しでも説教じみたことを言おうものなら、病気が悪化するようなこともあり、何も手出しできません。病気を根本的に克服するためには、どうしても本人自身の自発的な努力が決め手となりますが、現実にはきわめて難しいのです。結果的に、多くの患者は“少し回復してはまた病気を再発する”というようなことを繰り返したり、だらだらと病気を引きずっていくことになります。家族は、何かの拍子に患者の気持が変わるのを待つことしか手段がなくなります。

霊的価値観・人生観の確立

人生に対する考え方を変えるとは、これまでの物質中心的な価値観を「霊中心の価値観」にし、物にとらわれないようにすることです。質素な生活を送り、最低限の物質で満足し、必要以上に物質追求のためにエネルギーを無駄遣いしないということです。そして物質的な富の代わりに、心の豊かさ・霊的平安を求めることです。これまでの物質中心の考え方・ライフスタイルを、霊的価値観・人生観に基づく霊中心の考え方・生活に切り替えることなのです。

自分の視野が広くなって心が大きくなれば、小さなトラブルや困難に衝撃を受けるようなこともなくなり、精神的ストレスをつくり出さなくなります。心の病気(心身症)を引き起こす精神的ストレスは、もともと本人自身がつくり出す部分が大きいのです。霊的価値観・人生観は、ストレスそのものの発生を防ぐことになるのです。

利他愛の実践は、最高の心の病気の治療法

もう1つの重要な治療法は、「利他愛の実践」です。神によって造られた宇宙と霊的世界を支配しているのは利他性という摂理です。天体の運行からミクロの物質の運行、また地球上のすべての生物は、利他性の摂理の支配を受けています。

地球上の存在の中で、人間にのみ“自由意志”が与えられています。人間は自らの判断で、この利他性の摂理に一致して霊的成長するように造られています。人間が利他的な生き方を選択するとき、その人間は神の摂理と一致し、霊的成長がなされるようになります。人間が利他的な状態になると「魂の窓」は大きく開き、霊的エネルギーがふんだんに取り入れられるようになります。

利他性の反対は利己性であり自己愛です。利己性は外部からエネルギーを奪い取って、自らを満たそうとしますが、そうなると「魂の窓」は自動的に閉じてしまうようになります。「魂の窓」を開けるには、利他性の摂理にそって、まず先に与えようとしなければなりません。そうすれば自然と「魂の窓」は開き、エネルギーが流れ込んでくるようになるのです。

また利他愛は、ストレスに対する最強の解毒剤と言えます。自分のことより先に周りの人々の幸せのために働く人、自分の利益を犠牲にして他人のために尽くす人は、ストレスとは無縁です。愛されることより愛することを優先する人は、ストレスから解放されています。恐れ・心配・悲しみ・怒り・絶望とは無縁となります。「人のため」という純粋な奉仕精神を持って利他愛を実践することは、まさに最高のストレス対策であり、心の病気の治療法になるのです。

心身医学や精神医学では、ペット飼育や園芸が、心の病によい影響をもたらすことを発見しています。それはペット飼育や園芸が、利他愛の努力の一部分になっているからです。利他愛としての次元は低いのですが、ペットや植物のために気を配り、世話をし、犠牲を我慢しなければなりません。その結果、利他性の摂理に一致することになるのです。ペット飼育や園芸がストレスを緩和するのはこのためです。ペット飼育・園芸という利他性の行為は、実際、下手な瞑想や祈り・呼吸法よりも効果があります。

食生活改善などの、肉体の管理をしっかり行う

肉体は心の影響を受けると同時に、反対に心の健康状態に影響を与えます。肉体が疲れ過ぎたり、痛みがあれば、否応無く心は暗くなってしまいます。運動不足が続くと気分がさえなくなります。心と肉体はこうした相互関係を持っています。このことは心の病気に対して、肉体次元からのアプローチが、それなりの効果を発揮するということを意味します。その肉体の管理ですが、具体的には−「しっかり休養をとる」「正しい食生活をする「適度な運動をする」ということになります。これらは心の病気治療としても欠かせない内容なのです。

特に現代のような、間違った食生活は、ドラッグやタバコ・アルコール並みのダメージを“脳”に直接与えることになります。「心(顕在意識)」は高次意識の一部と、脳によってつくり出される本能意識(肉体意識)がひとつになったものです。脳のダメージは、当然「心(顕在意識)」に異常を生じさせることになります。そして、さまざまな精神障害・心の病気を発生させることになります。現代人の間違った食生活は、薬物やアルコールに匹敵する精神障害を引き起こすことになるのです。

正しい食生活や運動は、肉体を健康に保つための努力であり、それはそのまま心の病気治療の一部分になっているのです。当研究所におけるホリスティック栄養療法は、肉体管理のうちの「正しい食生活」の部分を担当します。食事指導を通じて、間違った食事に由来する精神障害・心の病気を治療することを1つの目的としています。

心の病気治療のまとめ

以上の「心の病気」に対する治療法の内容を整理すると、次のようになります。病気発生の初期には、まずは徹底して休息を与え、医者による“薬物療法”を進めます。また時期を見計らって“心理療法”を行います。これらの治療に並行して「スピリチュアル・ヒーリング」を行います。ここまでが治療の第1ステップです。

急性期が過ぎて病状が安定するようになったら、病気治療の第2ステップに入ります。この段階での目的は再発を防ぐことです。そのためにはより根本的な治療に進んでいかなければなりません。しかも、それは医者や治療家まかせではなく、患者自身の徹底した「自己努力」によって進められなければなりません。第2ステップの自己努力による治療とは―「自らの考え方(価値観・人生観)を変える」こと、「利他愛の実践をする」こと、「継続した肉体管理をする」ことです。肉体管理の内容として、十分な休養・正しい食生活・適度な運動が含まれます。このうちの正しい食事による治療を担当するのが、次に述べる「ホリスティック栄養療法」なのです。

「心の病気」に対する治療法の内容
※統合失調症の治療について

これまではうつ病や神経症といった「精神障害(心の病気)」を対象として病因論・治療観について述べてきました。現代の精神医学では普通、“統合失調症”をこれらの精神障害と同じ枠で考えます。しかし当研究所では、うつ病などの精神障害と、統合失調症は発病のメカニズムが全く異なるものと考えます。統合失調症にもうつ病にも、ともに脳の異常がともないますが、それは精神レベルでの異常が脳に反映した結果にすぎません。

発病のメカニズムとしては、うつ病と統合失調症では全く異なります。昔から統合失調症は“狐つき”といった表現で言われてきました。スピリチュアル・ヒーリングでも統合失調症を、霊的存在の憑依によるものと考えます。統合失調症・多重人格症は、エネルギー枯渇にともなう単なる心のアンバランス・不調和にとどまらず、そこからさらに異常な方向に進み、“憑依”という状況(霊障)に至ったものなのです。

統合失調症については、霊とか霊障・憑依・カルマについて言及することが避けられませんが、現代医学ではそれらはすべて宗教領域の対象として考え、医学とは無関係なものと決めつけています。本来、病気の治療と宗教との間に明確な線引きなどは必要ないと思いますが、現状では到底乗り越えがたい一線となっています。ここではそうした一般的な認識状況に配慮して、敢えて宗教的としか取られかねない言及は控えることにしました。そのためうつ病などの精神障害と統合失調症とを区別して取り上げざるをえなくなりました。

あくまでも私たちは“統合失調症”については、スピリチュアル・ヒーリングにおいて明らかにされているように、“霊の憑依現象”としての認識が正しいと考えています。(※詳しくは日本スピリチュアル・ヒーラーグループのホームページをご覧ください)。ただし治療という点では、一般の精神障害も統合失調症も、それほど大きな違いはありません。

ただ統合失調症の場合、急を要する事態に至ることが多いこと、また現在では薬物療法が進化し、かなり幻聴・幻覚が抑制できるようになっていることを考えると、薬物療法は他の精神障害よりも重要な要素となります。特に急性期には、薬物療法を優先することが大切です。除霊や霊払いといった宗教的手段に頼るより、まず現在の医学の力を借りることが大切です。その上でスピリチュアル・ヒーリングや心理療法を付け加えていきます。もちろん急性期を脱したら、先に述べたような心の修行や肉体管理といった根本治療が重要になります。海外では近年に至って、統合失調症に対する栄養療法が積極的に進められ、大きな成果を上げるようになっています。

2.当研究所における、心の病気へのホリスティック栄養療法

無視できない食事・栄養素と心の病気の関係――心の病気に対するホリスティック栄養療法の必要性

何割かの精神障害は、間違った食事による“栄養素欠乏”で引き起こされている

栄養素の欠乏が、肉体の細胞を弱化させ、身体全体を退化させて病気を引き起こすことは今さら説明するまでもありません。昔からビタミン欠乏症として、夜盲症や脚気・壊血病・くる病などが知られてきました。現在では微量栄養素の研究が進み、必須栄養素の存在が明らかにされています。この“必須栄養素”は、体外からの摂取に頼らざるをえないものであり、不足すると欠乏症を引き起こすことになります。栄養素が肉体の健康に深く関わっていることは今や医学の常識になりつつあります。しかし栄養素が精神障害(心の病気)に深く関係していることはまだ知られていません。一般の医師は言うまでもなく精神科の医師においても、栄養素の重要性を認識している人はほとんどいません。

十分な栄養素あって肉体の細胞の健康が保たれるように、脳の細胞も十分な栄養素があってこそ健康が維持されるようになっています。栄養素が欠乏すると異常をきたすのは、肉体の細胞だけでなく、脳を形成する細胞も同じなのです。脳の機能が異常をきたすと、当然、精神にも異常が発生するようになります。また食生活を通じて脳にダメージを与える物質を取り続ければ、ドラッグと同じように脳の機能低下を招き、精神障害を引き起こすこともあります。不思議なことですが、いまだにこうした常識的な知識が、医学の中で認識されていません。ここに現代の精神医学の大きな盲点があります。

一方、現代栄養学の進歩によって、脳の栄養素について徐々に明らかにされるようになってきました。これまでは脳の機能異常・脳内物質の異常とのみ思われていた精神障害が、実は間違った現代型の食事によって引き起こされている事実が指摘されるようになってきました。間違った食事が心に大きな影響を与え、さまざまな精神障害を生み出していることが明らかにされるようになってきました。

もちろんすべての精神障害が栄養素の疾患によるものではありませんが、何割かの患者は、間違った食事による栄養素欠乏に原因していることがはっきりとしてきたのです。そして食事改善や栄養療法による栄養素補給によって、長年治らなかった精神障害が見事に快癒するケースが次々と報告されるようになっています。

現代では間違った食事という純粋に物質的な原因による心の病気(精神障害)が多発しています。その中で真っ先に挙げられるのが−「低血糖症」「脳アレルギー」「必須栄養素欠乏」による精神障害・「有害金属の脳内蓄積」による精神障害です。次にその1つ1つについて説明していきます。

重要なのに世間にあまり知られていない「低血糖症」

間違った食事が引き起こす精神障害の筆頭が「低血糖症」です。低血糖症とは文字どおり、血中の糖の濃度が低くなり過ぎる症状です。食後、“糖”が吸収されて血中濃度が高まると、すい臓から“インスリン”が分泌されて血中の糖が細胞内に取り込まれ、血中濃度が下がります。こうした一連のシステムによって、健康人の場合は、血糖値は1dl60〜160mgに保たれるようになっています。ところが中には血糖値が50mg以下にまで下がってしまう人がいます。これが「低血糖症」です。(※1時間以内に血糖値が50mg以上急激に変化する場合や、絶食時の本来の血糖値より20mg以上下降する場合も「低血糖症」と診断されます。)

低血糖症は、糖尿病でインスリン注射をしていたり、血糖を下げる薬品を飲んでいる場合にも発生します。血中の糖濃度が下がり過ぎると、ふるえや痙攣(けいれん)・意識障害などの症状が現れます。その場合は、飴や少量の砂糖を摂れば直ちに回復します。

しかし糖尿病患者ではない一般に健康と思われている人間が、日常的に砂糖を大量摂取することによって、常にインスリンが過剰分泌され、その結果、低血糖症を発生させるようなことがあります。これが「食原性の低血糖症」です。なぜ砂糖の大量摂取が「低血糖症」を発症させることになるのかということですが、その理由は次のように説明されます。砂糖は分子構造上、すばやく分解され、あっという間に血中に吸収されます。そのため摂取後すぐに高血糖の状態になります。すると体はそれに対処するために、すい臓から急いでインスリンを分泌しなければなりません。肉体が絶えずこうした急激な対応を強いられるうちに、やがてすい臓が疲弊し、インスリンが過剰に分泌されるようになり、低血糖症を引き起こすことになるのです。

現代人の中にはこのような食原性の低血糖症にかかっている人が多くいます。困ったことに日本では、ほとんどの医師が、低血糖症に関してほとんど認識していません。当然のこととして患者本人を含め一般の人々は、そうしたことに気づいていません。

低血糖症が引き起こす、さまざまな精神障害

問題はこの「食原性の低血糖症」が、実は深刻な精神障害を引き起こす元凶になっているということです。一般の医者だけでなく精神科の医師も、低血糖症の問題の重要性と深刻さに気がついていません。そして表面に現れた異常性だけを“薬物療法”によって取り除こうとします。病気の原因が低血糖症であるならば、低血糖症の治療こそ最優先しなければなりませんが、低血糖症に対する認識不足から結局、薬物療法という的外れな治療が行われることになります。これでは、はかばかしい効果が得られるはずがありません。それどころか“薬漬け”状態が続き、薬の副作用で苦しむという別の問題を発生されることになります。

低血糖症が精神障害を引き起こすメカニズムは、次のように説明されます。低血糖症になると、体は血糖値を上げようとして副腎から“アドレナリン”を放出します。これが肝臓を刺激し、グリコーゲン(単糖)を放出させて、血糖値を上げることになります。ところがこのアドレナリンというホルモンは“攻撃ホルモン”と呼ばれ、危機状況において攻撃性を高めて敵と闘うための体勢を整える働きをします。このために低血糖症が続くと、攻撃性が高まることになるのです。

一方、低血糖症になると、副腎からはアドレナリン以外に“ノルアドレナリン”という別のホルモンも分泌されます。このホルモンが大脳辺縁系を刺激し、怒りや恐れ・不安などの情動変化を起こします。アドレナリンとノルアドレナリンは、大脳前頭野の神経伝達物質であり、これが急激に増加することによって理性的な判断がしにくくなり、突発的な感情に支配されるようになると言われています。“パニック障害”などは、こうした形で引き起こされるのではないかと考えられています。

海外の栄養療法の研究者によれば、神経症患者の85%、統合失調症の20%に低血糖症が関係しているということです。恐ろしいことに現代の犯罪にも、この低血糖症が深く関わっていると言われます。アメリカの刑務所に服役している人間の80%以上に、低血糖症が見られたことが報告されています。近年、急激に社会問題化している「キレる子供」や「家庭内暴力」は、この低血糖症が強く影響していると指摘されています。

低血糖症を引き起こす原因は、一言で言えば現代人の間違った食生活にあります。その中で特に、砂糖の大量摂取・インスタント食品やアルコールの大量摂取が大きな原因です。砂糖たっぷりの清涼飲料水(ソフトドリンク)・缶コーヒー、チョコレート・ケーキなどの菓子類、アイスクリーム、そして大量の砂糖を含む加工食品・インスタント食品、ビールなどのアルコール、こうした飲食物は、現代人にとってはあまりにも日常的で欠かせないものになっています。しかし、それらがまさに「低血糖症」を引き起こす元凶となっているのです。

世の中には、“ストレス解消のためには甘いもの(砂糖)の摂取は欠かせない”とか、“脳の栄養であるブドウ糖を補給するために砂糖を多く摂るべきである”といった全く馬鹿げた主張をする専門家もいます。(※脳の栄養素はブドウ糖であることは事実ですが、だからといって何も砂糖でなくともブドウ糖を供給することができます。分子構造の大きなデンプンなどは、ゆっくり分解吸収されるため、体に負担も少なく優れたブドウ糖補給源となります。分子の小さな砂糖では、消化吸収が早過ぎることが「低血糖症」という問題を引き起こしています。)

食生活が健全であれば、時々の楽しみとして甘いものを摂ることは、何の問題もありません。また野菜や果物のジュースに含まれる糖は、砂糖よりも吸収が早いのですが、多くの栄養素を含んでいるため、多量に摂取しないかぎり心配はいりません。現代では、日常的に砂糖が大量に摂取されていることが「低血糖症」という問題を発生させているのです。

低血糖症にかかっている人でも、食生活を改め、かつて「伝統的な日本食」に戻すことによって病気は簡単に治すことができます。低血糖症が原因となっていた精神障害は、たちどころに治るようになります。

「脳アレルギー」が引き起こす、さまざまな精神障害

食事が引き起こす心の病気として、低血糖症の次に無視できないのが「脳アレルギー」です。牛乳や卵などの食品がアトピーなどのアレルギーを引き起こすことはよく知られています。アレルギーがひどいときにはアナフィラキシー・ショックによって死に至ることもあります。一般的にはアレルギーというと身体に現れる反応にばかり目が向きますが、実は脳でもアレルギー反応は生じているのです。

脳にアレルギーが発生すると、脳の機能に異常が生じ、さまざまな精神障害が引き起こされることになります。身体にアトピーが生じるとかゆみや痛みで苦しむことになりますが、脳アレルギーでも、激しい頭痛や怒り・不安・絶望感・攻撃性といった感情の異常が起きるようになります。これを外見から判断すると、突如、精神障害が発生したということになります。精神障害や統合失調症と診断された患者の中には、こうした「脳アレルギー」が原因となっているケースがかなりあることが指摘されています。

例えばアメリカの研究によれば、統合失調症の10%に脳アレルギーの疑いがあるとの報告があります。また別の研究では、統合失調症の64%に小麦アレルギーが、50%に牛乳アレルギーが、75%にタバコのアレルギーが、30%に石油化学製品に含まれる炭化水素のアレルギーがあると報告されています。また統合失調症の患者の80%に、牛乳と卵のアレルギーが見られたとの報告もなされています。

脳アレルギーの原因として指摘される小麦・牛乳・乳製品は、現代人がひんぱんに口にしている食品です。特に若者や子供たちにとっては、毎日のように摂取している食品です。しかも栄養豊富で健康にいいとされて摂取が勧められています。小麦・牛乳・乳製品以外に脳アレルギーを引き起こしやすい食品としては、そばやオートが挙げられます。

脳アレルギーによって精神障害が発生しているとするなら、何よりもアレルゲンとなる食品を排除することが優先されなければなりません。“アレルゲン除去”こそ、一番先になすべき治療なのです。これを無視して薬品で精神障害の症状だけを抑えようとしても、よい結果が得られないのは言うまでもありません。しかし現実には、そうした的外れな治療がかなり行われているのです。

「必須栄養素の不足」が引き起こす精神障害

肉体の健康維持のためには、ビタミンやミネラルなどの必須栄養素の摂取が欠かせません。もし、そうした栄養素が欠乏するなら細胞が劣化し、身体に異常が発生するようになります。それと同じく、脳の健康維持に必要な栄養素を欠乏させることは、脳の機能低下と異常をもたらし、精神障害を引き起こすことになります。現在の栄養学は脳に必要とされる栄養素について徐々に明らかにしつつあります。(※とは言っても、全貌が解明されるのはまだまだ先になりますが・・・・・・)

脳の健康に必要な栄養素を欠乏させている原因は、やはり現代人の「間違った食事」にあります。偏った食事によって、脳に必要な栄養素が欠乏するようになります。それが、さまざまな心の病気を引き起こすようになっています。たとえばビタミンB1を欠乏させるような食事を続けると、気が短くなりケンカをしやすくなります。また天然の精神安定剤と言われるカルシウムが欠乏すると、神経の異常興奮が続くようになります。マグネシウムが欠乏しても興奮しやすくなります。さらにはインスタント食品や加工食品に多く含まれるリンは、カルシウムやマグネシウムの働きを抑制するため、イライラが起こりやすくなります。

こうしたマイナスの条件が「低血糖症」などと重複するようになれば、ひどい精神障害を引き起こすようになることが十分考えられます。

※「低血糖症」「脳アレルギー」「必須栄養素の欠乏」以外に、もう1つ精神障害と深い関係にあるのが「有害金属の脳内蓄積」です。鉛やカドミウム・水銀・砒素・アルミニウムといった有害金属が、大気中や生活環境から、あるいは薬品・飲食物から体内に取り入れられ、蓄積することがあります。有害金属の異常な蓄積によって、症状が現れるようになります。鉛が脳内に蓄積して知能の発達が遅れたりするようなこともあります。統合失調症の患者には、銅が過剰であったり、反対に極端に不足していたり、亜鉛やビタミンB2が欠乏状態にあることが報告されています。

ホリスティック栄養療法の実際

何よりもまず「根本的な食生活改善」に取りかかる

食事内容や栄養素という物質レベルでの原因が、心の状態を左右することが理解できたと思います。特に問題となるのが−「低血糖症」「脳アレルギー」「脳の必須栄養素欠乏」「有害金属の脳内蓄積」です。これらは明らかな精神障害の状態を引き起こします。これまで精神医学は“薬物療法”によって精神障害に対処してきましたが、かなり的外れな対処をしてきた疑いは拭われません。

今、皆さんは何をすべきか、はっきりと理解できるようになりました。精神障害者に対しては、まず「食事改善」を徹底して進める必要があるということです。伝統的な日本食に戻せば、砂糖の大量摂取は簡単に避けられるようになります。たったこれだけのことで、低血糖症で悩む多くの人々を救うことができるようになるのです。また統合失調症などの精神障害も、どれだけ症状が軽減するようになるか分かりません。

伝統的な日本食(昭和30年以前の日常的な食事)に戻すならば、必然的に砂糖は減少し、加工食品・ジャンクフード・インスタント食品を口にすることもなくなります。またアレルゲンになりがちな牛乳・乳製品・卵・小麦もずっと少ない摂取にとどまるはずです。こうした伝統食にすることによって、免疫力がアップし、腸内環境も改善され、アレルギー反応も軽減するようになります。アレルギーは免疫システムの機能低下であり、全身の体質劣化を物語っています。

また伝統的な日本食にすれば、主食と副食から脳に必要な栄養素をしっかりと摂取することができるようになります。“脳”という重要な器官の栄養疾患という状態は、肉体レベルの健康度が、かなり低下していることを示しています。

必要とされるのは強い決意のみ

こうした「食生活改善」によって、多くの精神障害(※これまで精神病とされてきた)が完治する可能性が出てきます。食生活改善によって何一つマイナスは生じません。プラスのみがもたらされるのです。

しかし問題は、食生活改善は、言うはたやすいけれど実行するのはとてもたいへんであるということです。間違った食生活が身に染みついた大半の現代人にとって、伝統的な日本食に切り替えることは大改革なのです。まさに人生をゼロからやり直すほどの決心をしないかぎり達成できないことなのです。

効果の現れ方は、人によってさまざま

人によっては、食生活を改善することによって、すぐに驚くようなよい結果が出ることもあります。低血糖症のような間違った食生活が原因であった場合など、精神障害が嘘のように消え去ります。しかし食生活以外に原因がある場合は、好転はしても完治するところまではいきません。とは言っても、必ず症状はよくなるはずです。なぜなら肉→心への影響力が、悪いものから良いものへと変わるからです。食事改善は得こそあれ、損は決して生じません。

サプリメントより先に食事改善

食事を変えることによって精神障害が治ったり軽減するというようなことは、残念ながら現在の大半の精神科医は信じることができません。最近では医者の中にも、栄養学に対して関心を持つような人々が増えてきました。しかし、そうした進んだ医師の多くが、サプリメントに対して関心を示すのみで、食事改善にまで向かっていかないのが実情です。

現代栄養学によって、脳の機能に関わる栄養素についての知識は増大しました。ナイアシン(ビタミンB3)、ビタミンB6、ビタミンC、カルシウム、カリウム、亜鉛、マグネシウム、オメガ−3系オイル(EPA、亜麻仁油など)の精神障害への効果が明らかにされています。

しかし栄養素は単独で働くことはなく、常に他の栄養素とチームプレーをする中で効果を発揮します。したがってサプリメントだけに頼ったピンポイント的な補給では、栄養素の効果は著しく減少します。栄養素の補給は、必ずベースとなる食事を土台にしなければなりません。そのうえにサプリメントによる補給の上積みを目指します。こうした意味からも、必ず食事改善を優先させなければなりません。

ホリスティック栄養療法を進めるうえでの原則―複数の治療法と併行して進める

ホリスティック栄養療法を進めるうえでの原則は、いくつかの治療法をトータルして進めるということです。すなわち栄養療法という1つの方法で解決を図ろうとしないということです。初めから他の治療法と連携して、トータル的な治療を進める必要があります。その一部分を“栄養療法”が担当するということです。

精神障害を引き起こす原因はさまざまです。霊的次元での原因、精神次元での原因、肉体次元での原因、環境的原因、社会的原因、あるいは自分自身がつくり出す原因、遺伝的原因などがあります。こうしたいろいろな要因が絡んで、精神障害が発生します。「低血糖症」による精神障害の場合は物質次元での原因が大きく関係していますが、しかし、それだけで精神障害が発生するようになるわけではありません。霊的原因・精神的原因が関係して、間違った食生活をつくり出してきているのです。

したがって精神障害の治療では、常にトータル的アプローチが必要となります。効果の認められたさまざまな治療法を繰り出すことが必要になります。ホリスティック栄養療法は、こうした多種類の治療法を並行して進めるということを前提としています。したがって栄養療法だけによって精神障害を治療するという姿勢はとりません。運動療法も心理療法もスピリチュアル・ヒーリングも、薬物療法も食事療法・栄養療法も、また心の修行やボランティア活動も、精神障害の治療のためには必要と考えます。

食生活改善に必要な食材や治療に必要なサプリメントについては、当研究所併設の健康フレンドのホームページをご覧下さい。


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