雨の心象 enokidu/sekiguchi 余りの豪雨に鉄道の機能が麻痺を来たした。 暫く動かないらしい。 そんな放送をラヂヲで聴きながら関口は生まれたままの姿で窓辺へ行く。 躰がべとべとする。 何処か怠く、躰の底を鈍い痛痒が渦巻いている。 ただ何もかもが億劫なだけだ。 雨が窓硝子を鈍らせている。 打ち付ける飛礫は視界を不明瞭にして、関口は額に手の甲を宛がった。 「暑い」 呟いて、長椅子に寝そべる長身の男を見る。 薄茶色い髪がその項に張り付いている。小さな汗の珠が背に浮かんでいるのを見て関口は少しだけ気を晴らした。 上肢は流石に脱いでいたが、下肢はベルトと釦を外したきりだった。 時間が無くてズボンを脱ぐのも面倒だったのだ。 けれど一吠の雷鳴の下、雨が烈しい音を轟かせると、散々執拗だった男は糸が切れたように眼を閉じて睡ってしまった。 ─────此の雨では帰れないことを悟ったのだろう。 「風呂を借りるよ榎さん」 訊ねると、唸るような譫言に似た返事をするばかりだった。 関口は顎の下を拭って吐息する。暑さの中だと自分が呼吸を正しくしているのかどうかさえ解らなくなる。 ラジヲが奇妙な音を上げだすと、関口は電源を切る。 雨音が周囲を埋める。 耳の中を犯して増幅して、窓を通して鈍色の空を見上げた。 そして 「雨が已まないといいな」 無理なことではあるけれど、願わずには居られない。 関口は呟く。 榎関〜 降り止まない雨は無い。 でも、でもね、本当はずっと降っていて欲しいんだよ。 逃げ出したくなる歌 kiba/sekiguchi 地取りの最中に関口と思しき男を見た。朦りと街の喧騒の中に立ち、数分も措かず再び其処へ赴いた時には既に姿が無かった。不図頬に冷たいものが触れ、見上げれば雨が下ってきていた。 「木場さん、何処か入りましょう」 後輩が声を掛けた。 「そういや、暫く逢ってねえな…」 関口の居なくなった人込みに目を向けた儘、呟いた。 「え?木場さん?」 「…何でもねえよ。行くぞ」 身を翻し、歩を進める。 「あ、はいっ」 どれだけ我慢しようと、声が漏れる。咽喉が鳴る。 いっそのこと声帯など潰してしまえたら、といつも羞恥に駆られる。 躰を二つに折られて、関口は両肢で表情を覆い隠す。 悦樂に彩られた苦悶の顔を見られることへの羞恥もあるが、同時に相手の顔を見なくても済むのだ。 されることも、太さも、堅さも、熱さも、指の形も、掌も、臭いも、まるで違う。 違うが、それでも─────其処に彼を見る。 想像する。 摩り替える。 話し好きな相手に廻り逢わなければ、行為の最中ずっとそれが彼である幻想を抱いて居れる。 咽喉が鳴る。 あれから何年が過ぎているのか。 隠し続けた欲望。 先日逢った時の煙草に火を着ける為に少し眼を伏せた姿を思い出した。 昂ぶり、喘いだ。 幾度もそんなことを繰り返した。 餓えたものを少しでも満たしてくれるなら、他に何もいらなかった。 だが大抵の男は金との交換で漸うと安堵するようで、関口は饒舌に差し出されるそれを受け取るようにしていた。それでも彼らに言わせると破格であるらしい。 一度伝手を作ってしまえば、後は芋蔓式だった。 同好の者たちが次々と関口の上を行き過ぎた。 その日も同じように仕舞屋の貸座敷へ裏道から入ろうとすると、表通りに彼の姿を見た。不図思い返せば、此処は彼の領域だった。 見付かるわけがない。 彼は制服を着た交番勤務ではない。 地域の安全取締りがその職種ではない。だから彼が外に出るということは、つまり目的有ってのことだ。仮令何処かで関口を見かけようと気にしている閑さえないだろう。 そう思い込もうとしたが、それでも男と一緒に貸座敷へ上がることは出来なくなっていた。 裏口を目の前に、拒むと─────殴られた。 押し問答となった。すると、騒ぎを聞きつけて、 彼は警察で、揉め事があればそれに対処することが使命なのだから───── 現れてしまった。 「おい手前、何やってんだ!」 表通りから路地を走ってくる姿に、奈落へ突き落とされた。 男は走って逃げて行く。 木場が─────其処に居た。 「関口っ大丈夫か」 「………」 口の中が切れて血の味がしていた。 足許が悖ってよろ付くと、木場の腕が関口の背を支えた。 痙攣するように関口が反応を示す。 木場は仕舞屋と関口を幾度と無く見比べ、次第次第にその貌を強張らせた。 「おい、」 木場の背後にいた後輩を呼んだ。 「すまねえが、あっちはお前一人でいってくれ」 「木場さん?」 「行けって云ってんだよ」 声が荒かった。 顔を顰めて、若い木場の後輩は早足で去っていった。きっと追っている事件も切羽詰っているのだろう。 「あ…旦那」 「─────お前、」 呼び掛けて、木場は言葉を継がない。 こんな時だのに、胸が高鳴った。 そして木場は散々逡巡して「関口…」と声を搾り出すように呟いた。 きっと木場は解っている。 「旦那、木場修、…木場…」 関口は木場の腕に縋り、縋り落ちて、腰が地に着くと、少しだけ瞑目した。 「誰でも良かったんだ、僕を滅茶苦茶にしてくれるなら、誰でも」 再び瞼を開いた関口は、凄絶な眼をしていた。 あの雨の中見た、あの密林の中で見た───── 「…」 また眼を反らす。 「時々……思い出すんだ。強い腕とか」 垢に塗れた皮膚とか饐えた体臭とか。雨の中の人の熱とか。 「あの時、君は…気の迷いだったと…ずっとずっとそう思おうとしていたんだ」 でも、無理だったのだ。 「気持ち、悪い…だろう?」 密林を逃げ回る状況下で、此れが最期かもしれないと言う切迫した状態に有りながら、剰え行為に酔い痴れ溺れきっていただなど。 「時々――――堪らなく、なるんだ…。どうしても、堪えきれない」 関口は微笑んだ。 「君に電話をしながら布地越しに触れたことも有ったよ」 浅ましい。 あの手が欲しい。 浅ましい。 あの呼吸が欲しい。 浅ましい。 あの人が欲しい。 「莫迦…野郎…女房泣かすなって…云っただろ…」 関口の妻を泣かすのは他でもない木場自身の存在である。 「木場…」 好きなんだ、と一言なりとも伝えたかった。それで互いの復員後此れまで築いてきた関係が壊れようとも。 けれど、それは封じられた。他ならぬ、木場の脣によって。 ホントに落書。 鬼雨の関口Verかな。木場関好きです。 時間があったらもっとねっとり書き換えたい。 bedships manner aoki/sekiguchi 青木は酷くベッドマナーの良い青年だった。 凡そ関口の嫌がると推定されることはしない。いっそもどかしいまでに躰を慣らす。正確には彼を受け入れる排泄器官を。痕はつけない、中には出さない。慎ましいまでだ。関口などは青木の腹や胸に吐き出してそれを始末することさえないのに。 行為が終われば、関口は彼の扱う事件を聴くことを好む。陰惨な事件ほど耳に心地よいので、青木は彼の頭のアーカイブからそれを選んでくれる。その会話の中に知った名前は一個だに出無い。 ああ、けれど。 関口と言う男は、殆ど無神経の塊で、噛むし口ではしないし口を開けば「中禅寺だったら」「木場だったら」「そういえば敦ちゃんは」…枚挙に暇が無い。 不図、青木はうつ伏せになった関口の髪を梳きながら思い立った。 彼は己の細君の名前は口にしない、と。 果たしてそれはどちらに誠実なのか。 溜息が出るところを押し留めて、薄い皮膜の下に覗く背骨をずっと項から臀部の割れ目に至るまで舐め上げた。 unrealeased outrageous britney aoki/sekiguchi 「生きることも死ぬことも然して違うような気がしないんだ」 夏の陽光が降り注ぐ窓辺で此方を見る事無く、関口は口にした。 「きっと僕は何処ででも同じように自分の居場所を決めてしまうだろう」 それは苦しみも快楽も内包していて、甘く痺れるような感覚に思えた。関口はずっと生まれてからずっとそんな感覚に居る。 「生まれてからですって?」 聞き返すと頷いた。 彼の輪郭はその夏の強く眩い陽光に融解している。 「生まれてから同じような感覚の中に居る。否、生まれたときから人なんて決まりきっているんだ。ただ言葉を覚えたり、少しだけ物を考えたり、そんなことが積み重なって人として生きる技術を装備しただけで、あの頃から何も変わらない」 「人は変化しない、と?」 「しないよ、たぶんね。ホモサピエンスと言う生物上の定義のなかで進化することはあるだろうけど、それは最早僕ら個々人の意思ではなく、ゲノムの作用にしかほかならない」 意思が無いのなら「人を愛することなんて」有り得ないと云っているかのようだった。 「嘘っぱちだよ、何もかも。ああ、でも嘘っぱちだからこそ、なのかな?」 関口は下穿きを着けた青木に手を伸ばした。耳の下辺りに指の先を這わせて、その儘顎の下を撫上げた。 そして窓辺から腰を上げる。 薄い腹には臍の窪みがあって股間には黒い下生えの中から今はもう柔らかい雄芯がぶらさがった関口は青木の前で屈んだ。 そして顎を差し出して、脣を押し付けた。 口先で青木の脣を啄ばむと、青木の脣が薄く開いて、舌が関口の口内に侵入した。関口は青木の頸に腕を絡めると口付けは深くなった。 唾液と粘膜が絡み合う水音がする。 青木は自分の脣を窄め、関口の脣を最後に吸って離すと、その背を抱いた。互いの頸が交差する。顔は見えなくなった。 「悪いけど、もう結構躰が辛いんだけど…」 「別に発情しているわけじゃないですよ」 「直裁だね」 「今サラでしょう?ただ、親しみを籠めて抱き合うのもいいかな、と」 「親しみ?」 何とも異形な単語が耳に届いたような気がした。 「僕らのこれは親しみの結果じゃないんですか?」 関口は諾とも否とも言い淀む。白地に。すると青木の笑う声が胴の中に響いた。 「あなたらしい」 なにが、とは聞けなかった。 「でも良いでしょう?不安なんです」 「不安?」 そんなことがこの健全な青年にあるのか、と思う。彼にあるとすればある女性への思慕ではないのか。それこそ健全な青年の持ち得る健全な恋愛感情だ。 「起きたら隣に貴方はいない。僕はこの暑い部屋の中で素っ裸で一人寝ている」暑さに上掛けも無い。「滑稽な状態で目が覚めたんです」 「酷いな、其処に居たじゃないか」 窓辺に座っていた。 日頃存在感が薄いと散々揶揄と罵倒の中にいる関口は、此の青年にまでそんなことをいわれるのかと少しだけ拗ねた気分になった。 「眠る前はしっかり腕に抱いていたのに。逃げられたと思ったんです」 青木の指が関口の背を這い、その臀部を撫で廻した。 「鳥渡…青木くんっ」 「貴方がいることに安堵したと思ったら、良く判らない禅問答。僕が不安になるのも当然でしょう?」 「それは悪かったけど…何処を触っているんだ!」 「あなたの青白いお尻ですよ。…石鹸の匂いがする、」 「風呂に行ってきたんだよ」 起き上がって、不意にどろりと青木の痕跡が身のうちで動いた感覚を思い出す。 「じゃあもう出したんですね」 青木の両手が臀部をすぎて関口の腿を掴んだ。そして左右へ拡げる。 「青木君!」 「中にしたのは僕ですから、今度は僕に掻きださせて下さい」 巫山戯るな!と云おうとした脣を塞がれた。 嘘っぱちでも生きてても死んでてもこうしていたい。青木は萌してきた己自身を関口の下腹部に擦り付けた。 ずっと忘れられない人 enokidu/sekiguchi 関口はもう永い間、榎木津に会っていなかった。彼が大学に行ってから、もうずっと。榎木津は巫山戯た為人だが、それでもとても優秀だったからきっと素晴らしい学者になるだろう。 …学者とは関口の勝手な想像である。華族の次男とはそれこそ華やかな立場だが嫡子ではないし、平民に混じっての仕事も眉を顰められるだろう。きっと彼は商いなども上手くやるだろうが、それに満足しているような人間ではない。 法制学を学びに国を出る話を誰から聞いたのか憶えていない。 多分、色んな人間が口にしていた筈だ。 同級が集まれば一学年先輩である彼の話題が出ないことはない。 それほど、嘗ての学び舎の中で榎木津の存在は大きかったのだ。 関口は彼らのする榎木津の話を朦りと遠くオスマンの話を聞くような現実味の無さを以て聞く。 もうずっと会っていない。 約束は、どちらかが負けるまで続けられる。 それが規約だった。 あの頃の。 きっと誰も気付いていないだろう。あの中禅寺でさえ気付いていない筈だ。 関口と榎木津の繋がりなど。 本当にあの一室で按摩などしていたと思うのだろうか。 若い姿態と性を持った男双人が一つの匣に居て。 扉を閉めて脣を求めあう。すぐに舌を深く貪り、咽喉の奥の方まで。「あ…ふ…ぅあ…」口から漏れる呼吸は荒くて角度を変えて唾液を啜りあった。頸の根に喰い付かれて吸われる。彼の長い指が襯衣の隙間から指を突っ込んで胸の尖りを指で抓んで捻る。そうして其処に感覚があることを関口は知った。 「…あ…あ…ん…」 声が色を帯びて、かっと恥ずかしさが沸く。榎木津が目線だけ関口に向ける。 性質の悪い、甘い顔だ。 舌を見せて、べろりと舐めた。 咄嗟に目を逸らす。 あの榎木津が自分の胸に舌を這わすなど。 「ふ…ん…」 其処に感覚があって、其処で感じるようになったのは榎木津がしたのだ。 鳩尾にそして彼の舌がべろべろと膚を行き、胸の尖りをじゅと吸った。舌で押し潰し、吸ってまた転がす。乳輪ごと歯を立てられ、関口の息が上がる。 「…あ…あ…ん…」身を捩ながら声が零れた。 背から盆の窪まで彼の熱い手と腕が撫で回す。耳を障られると少しだけ躰が跳ねて、腰の辺りがむずむずと疼く。臑が寝台の縁に着き、膝が折り曲がると榎木津は脇を掴んで頸を伸ばした。彼は眸を眇めて、口元には笑みがあった。関口はその榎木津の頭を引き上げるように彼の項に腕を伸ばした。そしてどちらがより早かったのか、もう一度舌を絡めあった。 それだけで下肢を捩りたくなっていた。 榎木津が傍に居れば約束を破ることなんて甚も易かった。 けれど、もう何年も会っていない。 約束はもう何年も破られていない。もしかしたら、もう二度と会うこともないのかもしれない。 榎木津の卒業式のあの日。約束を取り決めあったあの時。 約束は破られた時から始まるのだ。 「次まで会わない」 関口は今、そう約束したことを後悔していた。酷く──────後悔していた。 榎関〜 たぶん『世界で一番不運で幸せな私』とかが頭にあったような気がする…。 stay with you toriguchi/sekiguchi(/enokidu) 「いいかい鳥口くん。忘れるんだよ。今夜だけだ。今だけ」 愁霖の宵に月は無く、外界は静かに濡れぼそっていた。 室内の何処にも燈は無かった。 それを消したのは関口自身だった。 そして手探りの儘関口は鳥口の顔を撫ぜた。額や鼻先、瞼に頬をその両手で確認すると、人差し指で鳥口の下脣をゆっくりと右から左で辿った。 鳥口の脣が薄く開いた。 「先生…」 「黙って」 そして柔らかいそれが鳥口の脣に触れ、互いの歯が当たって幽かな音を上げた。 闇の中で鳥口が前方に手を伸ばすと、其処に触れたのは温かい、滑らかな、人間の皮膚だった。 そしてその背へ腕を回す。 肩甲骨が指先に触れた。関口の腕が鳥口の頸へ絡まり、後頭部から関口の指が鳥口の髪を掻き分け頭皮を撫ぜて、髪をかき回した。 深く交じり合った。 関口の其処をじっくりと解し、中へ挿入った時には直ぐにもいきそうになった。 自分に情けなさを感じていると、「いいよ、」と囁かれる。夜は長いのだ。僕のことは気遣うな、と。幾度か腰を使うと、関口の奥に弾けさせた。 優しく笑う関口を見ると直ぐにも自己は硬さを益した。全く簡単過ぎる。今度こそ、と関口を気持ち良くさせることに専念した。一度果てて見れば、自尊心も相俟って酷く緩慢にじっくりと関口触れていたと思う。 夜が明ける前に関口は居なくなった。 「触れなければ良かった」 鳥口は関口の匂いが残る敷布を鼻先に当てた。 忘れることなど出来ない。 もう耐えられない─────。 ずっと鳥口は関口に想いを寄せているし、関口も鳥口は好ましくて決して「否」ではない。 けれども、自分には妻がいて、何よりもうずっと永い事榎木津がいた。 「もしあなたが良いというのなら来て下さい」 そう残して鳥口は宿で関口を待つ。 ただでさえ榎木津と関係することで妻を裏切り、妻と婚姻関係を結んでいることで榎木津を裏切っている。 三度目の裏切りは無い、と思っていた関口だった。 「あなたの答えが欲しいんです。…否だった場合、もうあなたには近付きません」 卑怯な物言いを鳥口はした。 そして鳥口を失いたくなかった関口は、一度だけと決め、鳥口の許へ歩を進めた。 cold shoulder enokidu/sekiguchi 榎木津の屋敷は夜の森の深遠にある。 関口の躰を触っていた。 「世話をしている女性に子供が出来た」 従順に柔らかだった躰が痙攣のように小さく一度震えると、屍のように硬化した。 女性の世話をしているなどと言う話さえ初耳だった。 「家の存続の為だよ。生憎僕の周囲には本当に下らなくてどうでも良いことだがそれが大事だと言う煩瑣い奴らもいるんだ」 そうした人々を黙らせる為だと云うことも解っていた。 けれども。 「榎さんには…お兄さんがいるじゃないか」 「あの莫迦兄は女性が本当に駄目なんだよ。実に嫌がるんだ。あれじゃ子供は望めない」 「………僕、出て行こうか?」 「関くん?」 怪訝な顔をした。否、心外だと云う顔だろうか。 「何で君が出て行くんだ?」 「子供が生まれるのなら、子供の為にもその母親の為にも、榎さんはちゃんとした手続きを取ったほうが好い」 「彼女のことを愛した事は無い。否、君と出会ってから他の人間を欲しいと思ったことは無いよ」 「でも子供を作っただろう?」 「貞淑を気取る心算はない。あんな真似誰とでも出来るさ」 「榎さん、僕の此の御屋敷での存在意義は…あんた一人なんだ。その僕がどれだけ精を注ぎ込まれても決して身籠もることはない」 「当たり前だろう。君は男だ」 「そして榎さんも男なんだよ」 「当たり前だろう」 榎木津は関口の蟀谷に口付けた。 「君が嫌がるのなら、金を渡して関係を無かったことにするし、子供も引き取らないよ」 胸が疼くような鈍痛を響かせる。 榎木津の言は、此の屋敷内での関口の存在の許されなさを物語っていた。 子供はね、秋彦さんと言うの。 そして成長した三人で愛憎を繰り広げればよいよ。(有り勝ち) ……榎木津を子持ちにしてしまった…。申し訳ありません。 lizard enokidu/sekiguchi 尾の蒼い蜥蜴を見た。 背後から関口の首筋に鼻先を埋め、足の付け根を散々弄っている榎木津が不図その存在に気付いた。 榎木津の性器は既に関口の臀部に埋められている。 「関くん、ほら蜥蜴だよ。君のを舐めさせて上げようじゃないか」 「…あぁ…っ」 断続的に出て滴る精液が叢を濡らす。その溜りに蜥蜴が寄ってきて舌を伸ばして精液を舐めた。 「君みたいじゃないか」 耳許で囁かれた。 出立 enokidu/sekiguchi 窓罹が風に揺らいだ。その波間を縫って時折一条の白い陽光が関口の背と榎木津の手元へ差し込んでいた。 「関くん、動くな、書き辛いだろう」 「で、でも…」 関口は自分の両腕に額を乗せ我慢して見せるが、背を滑るその感触に自然躰が震えてしまう。 「榎さん、未だ?」 顔を上げて背後を見ると、榎木津の眼が伏し目勝ちに其処に合って、抗議しているはずなのに情けなくもまた見蕩れてしまった。 「何だ、未だ足りないのかい?もう鳥渡待ってくれないか」 「違…あ…」 その脣が緩み、目が細められるのを見ていると同時に関口は思わず背を撓らせることとなった。 榎木津の右手が関口の腿の内側を這い撫でたのだ。 「あーあ、文字が乱れた」 「だって…それは榎さんが触るから……否、そうじゃなくて」 「もう少しだから、動くな」 肩甲骨に柔らかいものが触れた。音を発てて。 「もう少し」 関口は再び両腕に額を乗せて、凝乎っとそれが終わるのを待った。 紙を滑るペンの音が心地よい。 ただ、それが関口の裸の背の上で行われていることを除けば。 しゃ、と云う一際滑らかな音が聞こえて、背の上を這い回る感触が除かれると、大きな手が関口の項から後頭部を鷲、と掴み頭部を170度程動かした。 「出来上がり」 榎木津は関口に口付けた。 「行こうか」 大きな眸が細められた。 「………諾…!」 そうして双人は寝台から起き上がろうとしたが、眼が合うと何故が寝台から離れがたく再び敷布の波へ身を溺れさせた。互い互いを搦めあって───── 手紙はきっとあの男の許に届くだろう。関口と榎木津は『poste』と書かれた赤い壁に掛った箱へそれを投函した。 あの男=中禅寺 南仏の港町のイメージ。 「僕たちしあわせになるよ」みたいな手紙。 破り捨てれば良い。 所有 enokidu/sekiguchi 榎木津の腕が勢いを以てその大きな掌が顔面を覆った。そう認識したと同時に勢いは留まらず、関口の背面───後頭部とか背とか臀部とか───を壁に強かに打ちつけた。 関口は悲鳴を上げた痛覚と同時に鼻が掌で押し潰されたのを感じ、榎木津の指間から彼の秀麗な面を眦を裂いて見ていた。 人が人を痛めつけることで得られる快楽とか如何程のものなのか。 関口は、その恍惚を知っている。身を以て。何故なら関口はそれを数多と受動し、相手の淫らに蕩けるような快楽に浸った表情を幾度とも無く観て来たのだから。 その表情は此の空気中に蔓延していて、榎木津もそれに感染してしまったのだろう。人の子として実に稀有な存在の榎木津であろうとも、そんなものに感染するのかと関口は多大な驚きを以てその表情を見ていた。 今にも舌舐め擦りでもしそうな───── 「そうだ、関くん」 彼の声は珍しくも上擦っていた。 「君には指輪を上げよう」 「指…輪……?」 「そう、君が他に往かないように、そして奪われないように、君が僕から離れないようにする契約の拘束具だ」 そして榎木津は脣を引き結んで、頸を傾いだと思うと蕩けるように艶然と笑んだ。 「否、君には矢張り指輪よりその原型こそ相応しいか」 だらしない笑みにも見えた。 「君は僕に従い、永遠に離れない。僕が望めは望むように殴られることを許容し蹴られることを僕が望むように君も望み、嗚呼それこそ幾度と無く。僕がやりたいと思ったら何処でもいつでも臀を突き出すんだ」 壁に関口を追い遣った榎木津はその顔面を鷲掴んだ儘の手を顎を移動させ、関口の下顎を力任せに掴んで、抉じ開けた。 薄く開いた脣に齧るように脣を合わせた。 舌を擦り合わせ、唾液を混じり合わせて啜った。 風立ちぬ enokidu/sekiguchi 以下の病を侮っている訳でも礼賛しているわけでもないのです。 太古から続いてきた暁と言う儀式にその輪郭を溶かす彼の姿。眩くて目を細めると、すぐに視界が歪んだ。 雲形は東の縁を茜色に染めて、西に消え往く夜闇との狭間で流れていた。 潮の干満が聞こえている。 暁の中で笑った。あれほど不安定な日々を送ってきたことがまるで偽りのようだ。 関口が血を吐いたのは夏も終りの頃だった。 榎木津の前で血を吐き、倒れた。 茅ヶ崎の大きな結核病院に部屋を用意したのはその他ならぬ榎木津だった。目の前で関口が倒れたからなのか、彼の気紛れがそうさせたものなのか、兎も角関口の医療費は榎木津が持つことになっていた。 関口の細君は茅ヶ崎の下宿に住居し夫の看病をしていた。 中禅寺は関口の為に数多の書物を用意して病院を訪れた。木場も何くれと訪れる。それでも片や商売気は無いとは言え自営業者であり、また方や警官である。訪れる回数は月に一二度と知れていた。 その中で榎木津礼二郎その人は週に一度は必ず関口を訪う。 いつも唐突に現れては関口を慰めた。 否、彼自身に関口と慰める意図などはないのだろう。 彼はただ病院に来て関口と院内の木立を歩きながら莫迦話をするだけなのだ。 けれども関口にとって榎木津の訪いこそ慰めに他ならなかった。大概彼は細君のいない時分を見計らうように現れては消えた。 エム・ツベルクローシス…つまりヒト型結核菌が関口を苛むその原因であった。 冬の夜中に目を覚ます。 常に躰には倦怠感が覆い、微熱が続いていた。 厚い布団が掛けられていたがそれを剥ぐと再び布団が掛けられる。そして額に冷たいものが触れた。 目を開けると何処から入ったものか榎木津がいた。 その明眸が関口を凝乎っと熟視していた。 「マスクをして下さい」 「嫌だ」 榎木津の返事は明瞭だった。 「僕は…榎さんには感謝しているんです。だから僕にあんたを殺させないでくれ」 額に宛がわれていた大きな掌はそっと関口の頬を撫ぜた。 「本望だよ」 眦を裂いた。 「……え…榎…さん…?」 「昼間に…もう昨日かな、神保町を引き払ったんだ」 「……そんな……」 「ずっと傍に居る」 榎木津の脣が関口に降りてきた。 「何処までも一緒だよ」 躰が顫えた。 己の病状がほぼ救いようがないことに関口は気付いていた。 それが怖くて堪らなかった。 だから夢視ていたのだ。 誰かが、一緒に、一緒に死のうと云ってくれるその残酷な願望。 関口は榎木津にしがみついた。 朝の浜辺に一対の屍骸が横たわっていた。 |