テディベアル 




 火影が揺れていた。
壁の天井間際に設置された電燈の前に人がいるのだ。階段を上り切ると廊下の真中で子供たちの言い争いが繰り広げられていた。
「榎さん、返してよ」
「関くんが其処の階段手摺を滑り降りて素晴らしい悲鳴を上げたら返してあげよう」
「厭だよ!そんなの、」
「じゃあ此れは僕のだな」
「でも…それは総一郎さんが買って呉れたんだよ」
「あの人はいつもセキに甘い」
くつくつと背後から忍ぶ笑いが聞こえて、関口は恐恐と振り返った。長身の背広姿の紳士が其処にいた。
「礼二郎、余り関口くんを虐めないでくれ」
そう云って青年は屈み込み、小さな関口を腕に抱えた。
「ただいま、関口くん」
右腕に乗せた関口にそう云うと、関口は少しはにかんだような泣き出しそうな顔を見せて、榎木津総一郎の頸に両腕を回した。外から戻った許りの総一郎の背広は外気の冷たさを含んでいた。
未だ帽子も外していない。
「ほら、礼二郎もそれを関口くんに返して上げて」
左手を総一郎は歳の離れた弟へ伸ばした。
渋々と礼二郎が総一郎に渡したものはふかふかの独逸製熊のぬいぐるみである。先の渡独の土産に総一郎が関口に買ってきたものだった。
「もう子供は寝る時分だよ、部屋に戻ろうか」
関口を頸から離させるとその腕に熊のぬいぐるみを抱かせた。殆どぬいぐるみと関口の丈は変わらない。
そして左手で礼二郎の手を取る。
「余り意地悪をしないでおくれよ、礼二郎」
「兄さんがぬいぐるみなんか買って来るのが悪いんだ!」
「君は木場くんと遊ぶから拳銃二丁欲しいと云っていただろう?」
礼二郎への土産は本物の銃だった。勿論弾までは与えていない。
「でもそのぬいぐるみが居る所為で兄さんが居ない時に一緒に寝てやるからと言ってもセキは頷かないんだっ」
脣を尖らせる礼二郎と見てついで総一郎は腕に抱く関口を見た。
熊を抱きながら項垂れている。
「関口くんは僕のだからね。僕がそう云い付けて有るんだよ」
総一郎は項垂れる関口の蟀谷に軽く脣を触れた。
「独り占めしないで欲しいな」
「ふふふ」
笑った処で礼二郎の部屋の前へ着いた。総一郎は幼い弟の為にその重い扉を開けてやった。
「お休み、礼二郎」
「榎さん、お休みなさい」
総一郎と関口が就寝の挨拶を告げると、ふんと鼻を鳴らして礼二郎は自室へ入っていった。
廊下を右に折れて突き当たった先の部屋が総一郎の広い自室だった。
関口は其処で寝起きしていた。
総一郎が賛助員に名を連ねていた孤児院から関口巽を引き取ったのは、二年ほど前の話である。それ迄実家を離れ他所で暮らしていたのだが、自分が留守勝ちなこともあって此の屋敷に戻って来たのだった。
幸い屋敷には関口と一歳年嵩の弟も居て、お互いに良い遊び相手になっているようだった。


 部屋を入ってすぐは書斎でその奥の扉の向こうが寝室だった。
大きな寝台に総一郎は関口を下ろした。
「お帰りなさい、総一郎さん」
「ただいま」
総一郎は帽子を取って屈み寝台に座る関口の蟀谷に音を発てて脣を落とした。そして背広を脱ぎ、ベストと襯衣姿になって寝台の端に腰掛けた。
関口を敷布の中へ入れる。
「明日の予定は?」
「午后からだね」
「じゃあ遅くまで寝ていられますね」
「そうだね」
「良かった。僕、総一郎さんと遅くまで寝ているのが好きです」
子供はそういってはにかんで笑った。
「さあ、もう寝なさい。僕は鳥渡温まってくるから」
頬を撫ぜると、関口は素直に眼を閉じた。
「はい…」
部屋の照明を少しだけ落とす。
総一郎は不図顔に笑みを刻んで、部屋を出て行った。









ぺドフィリア総一郎二十七歳。
礼二郎六歳。
関口五歳。
子供の寝巻きはAラインの、よく外国の児童書に見るネグリジェみたいな奴。
部屋を出て行ったのは風呂に入るためです。