still love him



己の跫音が甲高く反響している。最初は他に誰か居るのかと怖くなったのだが、自分を襲う閑人も無かろうと其儘くらい階段を進んだ。
暗い。
此処が閉鎖されて幾年経つのか。きっと堆積した埃も己が動くたびに舞い上がっているだろう。今は見えないけれども。窓と云う窓には板が打ち付けられ、混凝土に塗り固められていた。
何処まで行けばいいのか。本当にこの先に彼はいるのか。
怖い。
此の闇も。
彼も。
彼と隔てられた月日も。



戦争が終わって長く会っていなかった。多分、恐らく互いに互いの居場所を知っていた。けれど、会うことができなかった。
出征前に一度だけ、心が通じ合ったと思った時があった。
少なくとも、彼はおかまが好きではないし、男を相手にすることなぞ論外だろう。
だのに、あの時春の宵だっただろうか。
花冷えの暗がりの中で脣を重ね合わせた。
それきり会っていない。
彼が海軍に配属されたことは聞いた。
今まで頑なに会うことが出来なかった。
人の口の端に上る彼の噂だけを聞いていた。
だのに─────
来てしまった。



空襲の災いを免れた工場だった。戦中は勤労奉仕の主に働いていたのは未だ年端ない学徒だと云う。今はただ忌避され存在。窓や戸は塗り固められていた。
饐えたような空気は胸に吸い込むだけで不快感を増す。
階段は未だ続く。
段々勢いは落ちて、腰掛けてしまいたい。
けれど、その先に彼がいるのだと思うと。
自然膝が曲がり、先へ先へと跫がまるで一個の意思を持ったように進む。熱いような痛みが脚と跫のあちこちにあるのに。
汗の浮いた額を拭う。
べったとりと汗が手の甲に付着した。
明るいことに気付いた。

顔を上げる。

眩い光があった。一面を埋め尽くして。
「君は相変わらずそんなに惑うのか、まったく仕方ないサルだな」

噫。

視界が利かない。
眩さが乱反射している。

「会いたかった─────」

そう告げたのはどちらの脣だったのだろう







閉鎖された工場で永らく別っていた榎と関が会う。
神崎さんの位置に関くんを置いてみた。
復員するのに手間取った人たちだといいな。特に榎さんは優秀すぎた故に色々大変だったんじゃないだろうか。
やっぱり二人の再会の言葉は「会いたかった」なんだよ。と邪魅を読むたびに思う。
万感の思いで。