ただ一言、
携帯がテーブルの上で震えている。 妻は勝手で洗物の最中だ。携帯を開くと、通信者の名前が表示されている。 ──────『aoki』。 逢ったのは未だ一昨日の話だ。 集合住宅の一室の露台に出る。流石に寒い。しかし凍て付く空気は透徹と何処か心地よかった。煙草を吸う振りをしながら電話に出た。 騒めいている。 「じゃあおかかで?」 「諾、頼む─────」 知らない声の後に能く知った声がした。受話器から僅かに離れた距離感の声だと関口は耳を澄ませた。 「あ、関口さん?」 不意に声が近くなった。 「やあ、仕事中?」 「今張り込み中なんですよ」 「いいのかい?電話なんかして」 「その方が不自然じゃないですよ、」 苦く笑う声が聞こえた。そしてお互い、少しだけ沈黙する。 「どうしたの?」 「え?」 「仕事中に電話なんかしてさ」 「ああ…まあ…なんて言うか…」 しどろもどろではきとしない青木の口調は少しだけ怪訝しい。 「…寒いなあ…と」 露台に出ている関口はその言葉に身を震わせた。颯々と屋内に入りたい。 「それだけ?」 「…ええ…」 また青木が口を噤んだ。 「…じゃあもう、切りますね」 「ああ、うん。仕事頑張って」 「ありがとうございます」 名残を惜しむこともなく、互いに携帯を切った。所要時間は7分29秒だった。 関口は煙草を呑む。 紫煙が冬風に夜の闇に流れる。闇とは申せ街の灯は眼下に、到底真の闇は現代では望めない。 「タツさーん、お風呂沸きましたから入ちゃってください」 屋内から声が聞こえ、関口は煙草を潰して街に背を向ける。 「他のお家に洗濯物がある時は露台でも吸わないで下さいね」 軽やかに言われる小言を聞きながら関口は硝子戸を閉めた。 携帯を灰鼠色の外套に仕舞う。そして息を吐くと、助手席のシートに深く身を沈めた。雪でも降りそうな寒さだった。車のデジタル時計と腕時計を見比べる。午后九時である。 此の時間まで二人で居たのは一年以上前のことである。 刑事と妻帯者だ。早々遅くまで一緒には居られない。あの時も冬で、雪がもよいそうな寒さだった。そして寒さに打ち勝つように抱き合った。 だから何となく、 「寒いですね」 って云いたかっただけなのだ。関口は青木の心中なぞ察することは無いだろう。また息を吐く。 時計から目を転じるが対象者は未だ動きを見せない。 「青木さん買ってきましたよ、」 後輩が張り込み中とは思えない暢気さで運転席に入ってきた。 冬風が競り込んだ。 空気は凍て付き透徹と心地よかった。 現代パラレルでした。 ほだされろよ!関口、お前。 取り敢えず ただその一言が伝えたいだけなんだ、とかいうそれが余りにも木場の言う「学生みたいな物云い」みたいに感じたのです。 |