風邪を引くと冷戦勃発




なんでこんなところで林檎と薩摩芋とシナモンと砂糖を煮詰めているのか────。
関口はその甘い臭いに些少の胸焼けを起こしながら頸を捻る。
気を着けないと林檎は煮崩れてしまう。木箆で時々そっと掻き雑ぜながら関口は吐息した。



京極堂が風邪を引いたとは二日前に妻から聞いていた。
あんな外見の割に高校時代から滅法健康で風邪など引いた姿なぞ数えるほどにしかみていない。
そして今朝方、連絡があったらしい。
「主人が風邪で寝込んでいて、終いには関口さんの作ったシナモン煮しか食べたくないとか言い出しましてね」
関口は決して上手ではないが料理をする。
大学時代もそれ以降にも棲んでいた下宿は賄いつきでは無かったので仕方なく自分で作っていたのだ。



…しかし、
「何故中禅寺がこれを知っているんだ?」
作れると云うことを。
「ほら京極堂」
小皿に盛って、匙を着けて、白い寝着姿の京極堂へ手渡した。
「ああ…ありがとう」 思わず関口は哀れに此の同窓生を見遣った。通常の中禅寺であったならば決してそんな眼で眺めさせることなど許さなかっただろう。
匙には金茶色の蜜と乳白色をした林檎がすくわれて、中禅寺の唇へ運ばれた。
そしてゆっくりと咀嚼して、嚥下した。
「嗚呼…旨いな」
「そうかい。そりゃどうも」
「…高校時代を思い出す」
どうやら相当弱っているらしい。常であればこんな感傷的に中禅寺が語ることなぞ無いのに。
弱っている。
関口は哀れみに満ちて中禅寺を見た。
「しかし君なんでまたこんなものを食べたいなんて」
「君が昔作ったことがあっただろう?」
前から慥かに時折作ってはいた。
しかし、中禅寺に食べさせたことは無かった筈だ。そう云い募ると、中禅寺は凝乎っと関口を注視した。 「君は一度だけ高校時代に作ったことがあっただろう」
そう云われても全然心当たりが無い。
「僕にじゃないぜ、榎木津にだ。風邪を引いて食欲が無いとか甘い物じゃないと厭だとか床の上で暴君と成り果てていた榎木津に作ったことがあっただろう」
そう云われてみればおぼろげな記憶にあったようななかったような。
食べる時期を逸した柔らかくなった林檎を仕方なく甘く煮詰めていた。どういうわけかシナモンが手元にあって、それを入れると酷く良い香りがした。これでは腹持ちにはならないと思い周囲を見渡していると、同寮の人間が何処からか拝借してきた薩摩芋があったのだ。
それを一緒に煮たのだ。
慥か薬を飲ませるための作戦だったはずだ。
「あれ…ずっと夢見てきたんだ」
云っていることが怪訝しい…。
関口は眉間を顰め、熱があるのかと中禅寺の長い前髪を跳ねて手を額に触れた。



その時────



「よい匂いだ!千鶴子さん!」
激しい音を響かせて襖が開いた。
長身の男が仁王立ちしていた。
「…襖が痛むだろうに…」
中禅寺の顔が黒ずむ。
「え、榎さん?なんだか顔怖いよ?」
「関くん、千鶴子さんは?」
「それは僕に聞くことじゃないだろう?でも、千鶴子さんだったら今朝雪絵と出掛けたけど」
「じゃあ…これを作ったのは?」
床を挟んで榎木津は関口と向かい合って座り小皿を指差した。
「あ、僕だよ。昔榎さんにもつくったことがあったろう?」
莞爾と笑って云うと榎木津の大きな眼が眇められる。
怖い。
「ふぅん」
そしてその眼はゆっくりと中禅寺へ移動した。
「旨かったろう?京極」
「ええ────」



第二次冷戦勃発。









中禅寺さんを書こうとすると食べ物ばかりになりますね。