plants doll
男の観用人形は三毛猫の雄ほどに珍しい───── 猥雑な街だ。雨が降った後の、蒸籠の中のような不快感。生塵の饐えた臭いがしそうだと思うのは、自分がそうした場所しか歩いたことが無いからだ。眼前を埋める夥しい光の群れ。原色の電光看板。舗の前面を硝子で覆い、そこから溢れてくる電燈。 そして人の群れ。誰もが蔑んでいる。漣めく嘲笑が聞こえてくる。 眩しく、煩わしい。 勤めていた仕事場から解雇され、躰の調子が優れず病院に行ってみれば 「はは、」 口からでた笑い声は乾いていた。 足許は蹌踉け続け、終に膝を尽いた。 此処は何処なのか。 絡んでくる酔っ払いから蹴られ殴られ、逃げたのは憶えている。頭が未だ揺れているようだ。 朦朧とする頭で、あたりを見回そうと、頭を上げる。 琥珀色───── 不適に笑ったような気がした。 「せきぐちくん、」 高い船底天井。その格子の間は円く、故事に由来する鮮やかな絵がはめ込まれている。 ─────今、誰かに呼ばれただろうか。 目線を少し動かすと、さては世界が滅亡三日前の憂き目を見たか、と思った。凶服たる黒色を身に纏った男が傍らにいたのだ。酷く不機嫌そうに見える。 「店の前で行き倒れるなんて、商売の邪魔だよ」 だから店に引き込んだというのだろうか。 「此処は?」 起きられるか問われ、腕を掴まれて引き上げられた。 卍崩しのような欄干。艶やかな赤い牡丹。龍が柱を上下に這う。福の文字が逆様に飾られ、黄色い大きな鉢には睡蓮が咲いている。 馨しい。 白檀だろうか。 差し出される磁器を取ると、薄緑色をした液体が矢張り香しかった。 「あの…」 「観用人形と言う名を聞いたことは?」 「え、」 顔を上げると、関口の対角線に人がいた。 錦を張った黒檀の椅子に豪そうに座っている。この店の者なのだろうか。 正面に見る。 眼が真直ぐと此方を向いている。 淡い色彩の頭髪、そしてそれと似た眸子。琥珀色をして 思わず見蕩れた。 「あ、」 「貴種なんだ」 と主人は語った。名前を問えば中禅寺だと応えた。 「貴種?」 「人間のように血筋が好い訳じゃない。珍奇の方の貴重と言う意味だ」 「珍奇?」 「性別が男、」 中禅寺が何を話しているのかまるで見えず、先刻から関口は主人の言葉を復唱するばかりだ。 「観用人形は主として少女の姿をしている。しかし、あれは少年の姿でね」 男の観用人形は三毛猫の雄ほどに珍しい。 先ず有り得ないのだ。 中禅寺は黒檀の椅子に座った少年を指して云った。 少年は関口を真直ぐに見たまま、烟るように─────不適に笑った。 「え、」 関口の眉が寄った。 「まいったな、」 中禅寺は息を吐いた。 「彼は、君を気に入ったようだね。君に着いて行きたがっている」 瞠目した。 目の前で少年は微笑んでいる。 いつのまに、彼は立ち上がっていたのか。それ程大きくは無い。関口の胸ほどにしか。 細い腕を伸ばして、関口の胴を抱き締めた。 「え、えええっ」 業とらしい、溜息が聞こえた。 「あの、でも…僕極貧で…!」 「解っているよ。関口くん、」 「何で名前…知っているんだい?」 「倒れたとき、財布の中を確認指せて貰ったのでね」 中禅寺は腕を組んで自分の顎を思案気に抓んだ。 「それに僕は…」 「なんだい?」 虎のように鋭い目線が投げかけられた。 「否、ただ…金はないし、到底買えない…」 「困ったね。観用人形と言うものは我儘でね、気に入った客がいると、他の客には眼もくれないんだ」 「え、」 「君が買わない限り、何処へも売れないんだよ」中禅寺は滔滔と観用人形の取り扱いについて並べ上げ始めた。食事は一日に三回ミルク、週に一度の砂糖菓子。入浴剤やら基礎化粧品やら。その何れもが高級品に聞こえた。 「でも、無理なんだ!」 「困ったね。…ああ、そういえば昔盗まれたことがあってね。保険を掛けたんだ。観用人形を攫うことは酷く簡単だからね」 客さえ人形が気に入れば着いて行ってしまうのだから。 そういって、奥で仕事があると中禅寺は引っ込んでいった。その、「エノキヅと遊んで行けばいい」と。 「エノキヅ?」 「『彼』の名前だよ」 それはまるで盗めと云われているようで───── エノキヅは頭を関口の薄い胸に擦り付けて、莞爾と笑った。 彼の品書きを観れば、血の気が引くような値段である。貴種だといった。三毛猫の雄ほどに珍しいと。 関口はそっとエノキヅの頬に触れる。 「街を出ようか。なんだってやるよ」 君の為なら。 エノキヅが、初めて関口を必要としてくれたのだから。 「だからよ、その関口って野郎が署に通報してきてな。此奴を此処に連れて行ってやってくれとか云ってたんだよ」 彼の身の丈は既に平均的な男性を上回っていた。細い肢体。淡い頭髪と眸子。 あの日莞爾と笑っていたその美麗な相貌は、今はただ不貞腐れたように外方を向いている。 「こんな巫山戯た野郎をなんで俺が」 刑事は憤慨していた。此処までの道中何があったのか察するに忍びある。 「この店の奴なんだってな。関口は、少年だった彼奴を誘拐したっていってたが…。そんな通報記録何処にも無ぇじゃねえか」 憤りに声を荒げた。 「─────駆け落ち、だったんですよ」 「はあ?」 「店に着てお互い一目惚れで」 おいおい、と刑事、木場と名乗った、は云う。 亡骸で見た関口と言う男は酷く貧相な様子だったからだ。 「まあ、俺が、病み疲れていたから、か?」 元気な頃はもっと魅力的だったのかもしれない。想像もできないことを木場は云い、凝った肩を解すように廻しながら辞去していった。 「セキはもういないんだな」 刑事が去り、二人だけになると徐にエノキヅは口を開いた。青年期を過ぎた男の低く、けれど玲とした声色だった。 「喋れるのか?」 頷くエノキヅは口を利き、美しく成長していた。 幾ら人と似ていても、観用人形が成長することは有り得ない。況して話すことも。 彼らはただ観賞するためだけに作られているのだ。 「喋れるよぅ」 エノキヅは人を喰ったような笑顔を見せたが、すぐにその表情は曇った。 「関口は、もう─────いないんだな…」 関口を抱き締めるために『育った』のだ。 関口へ睦言を囁くために『口を利いた』。 けれどもうその凡てが───── 「育ったのに、荒れていないとはね」 「愛されたからな」 不遜に言い放ち、エノキヅは眼を伏せる。つと、空色の飛礫が滴り、転がった。 そしてゆっくりと枯れていった─────。 「魂、一つ」 2009/03/07 |