こゝろ 贋作




 中禅寺秋彦の許に『彼』が転がり込んできたのは、庭の楓が赤味を帯びてきた頃だった。既に仕舞屋となった町家建築のその家は嘗て京極堂と言う名の和菓子屋を営んでいた。
今は母子が下宿を営み、関口巽と中禅寺秋彦は同居をしていた。

 中禅寺と関口は共に一高の学び舎で出会い、そしてお互いそれと想いを交し合っていた。尤も互いに指すら触れ合ったことは無かったが。互いに専門はまるで違い、関口は理系であったのに対し中禅寺は文系の最たるところにいて、学校での交わりは殆ど無かったのだ。
だからこそ此の下宿で共に暮らすこととなったのだ。
だのに―――――
中禅寺はその男を、文乙の一期先輩で、出自は富裕華族なのだと言った。
舶来製の磁器人形かと思った。欧州の童話宜しく精緻であったが余りに命を持ってしまったのだろうと。
白地に見蕩れている関口に「君は猿に似ているね」とその脣が口を利いた。
初対面にして余りに無礼な物言いだったが、惹かれた。
耐え切れない程に。
それが榎木津礼二郎との出逢いだった。

「関口、」
中禅寺が彼の部屋の前で名を呼んだが、まるで応答は無かった。出かけるとも聞いていなかった。廊下で出くわした大家の寡婦が「関口さんなら中禅寺さんのお部屋ですよ、」と告げてくれた。
嫌な予感がした。
関口は縄張り意識に富んでいて、招き入れられなければ、中禅寺の部屋へ入ることを拒むし、誰かに勝手に自分の部屋へ侵入されることも厭う。 夫人に礼を言い、部屋へ戻ると、二人がいた。
榎木津は此処へ来て未だ一ヶ月だと云うのに、まるで部屋の主のように振舞っている。それは彼の特性でもあった。群集の中にあっても殊更衆目を集め、誰もが彼から眼を離すことが出来ないのだ。天分と言っても良いほどに。
座敷の中で、榎木津が寝転がっていた。非常に不本意だが、しどけなくと言う表現が此れほどまでに似合うのだ。彼は閑さえあればいつも寝ている。不意に水音がして、雨が降っていることに気付いた。
静かに襖を押し開いてゆくと、雨に呉れた日で薄闇となった室内が瞭然として行った。
そして寝転がっているのが、榎木津ではないことに中禅寺は漸うと気付いた。
床を並べた時に気付くのだが、関口巽と言う男は丸まって獣のように眠る。外界への警戒心がそうさせるのだ。
けれど、今そこで寝転がる男は胎児のようではあるけれど、警戒すらないように見えた。
関口の頭に白い手が伸びる。
窓枠に肘を着いて中禅寺の書籍を繰る男があったのだ。
関口の髪を混ぜ返すように撫ぜる。
親密さが其処にあった。
人一人通れる程に襖を開けると、窓に凭れ掛った男がゆっくりと目線を中禅寺にくれた。
「遅かったじゃないか。関くんはむくれてこのザマだ」
そう言って、再び榎木津は関口へ手を伸ばした。今度は頭ではなく、その頬を指の背で触れるように。中禅寺は眼を瞠いた。眠りの淵にいる関口が嫌がるでもなく、寧ろ榎木津の手へ頬を摺り寄せるようにしたのだ。
榎木津の秀麗な脣が緩慢な弧を刷いた。
自覚は無いようだったが、関口は美しいものに眼が無い。あれこれ文句を言い募りつつも、其処から眼が離せないのだ。
関口が榎木津に惹かれるのは解りきったことだった。
そして、榎木津が関口に惹かれるのも。

薄闇の中で何が行われていたのか。

榎木津は眠る関口の鼻を抓んだ。
「関くん、中禅寺が帰ってきたぞ、」
瓏とした声色でなく、ささめくようにそっと穏やかに榎木津は関口へ告げた。
関口の為に求めた本を中禅寺は強く握った。強く強く。

此の燈を落とした薄闇の支配する家屋の中で何かが燃える音を誰しもが聞いていた。





漱石さんの『こゝろ』のパロディで。もっと書きたいので、プロトタイプってことで。
そう書いて数年が過ぎたのであった
(2013/01/19)