海棠の睡り 参


不意にその揺れに気付いて後ろを振り返り手を伸ばすと、吊縄に手を掛けた儘その下部を流れる濃蒼の水面を眺めていた。宿は丁度二つの川の合流地点にあるのだ。
夜来の雨に流れは轟音を上げていた。
その疲れたような横顔を見ていると視線に気がついたのか、横顔が正面を向いた。
「飛び込むとでも思ったかい?」
常日頃通りの悪い声であり、度々彼の友人等には聞き取りにくいとか揶揄されるが、少なくとも青木に彼の声が聞き取りにくいと思ったことは無かった。
…何よりも一等先に聞こえてくる。
「何故、ですか。関口さん」
関口の顔が笑みに歪んだ。
「その手だよ」
腕は未だ手を差し伸べた儘になっていたのだ。
青木は自分の腕から手を見遣って、その手を緩慢に結んだり開いたりを繰り返した。
「そんなんじゃないですよ」
「じゃあ、何?」
「ただ、貴方の手を取りたかっただけです」
顔を笑みの形ではなく、関口は歪める。
「随分と大胆だね」
関口巽と言う男は酷く残酷なことを平気で云う。青木は自分の今の心根が落胆以外の何物でもないことを知っている。
何もかもを棚上げにして此処にいるのではないのか。
青木は少し寂しく自嘲したが、既にその時関口は視線を水面に戻し、青木のことなぞ見ても居なかった。


山の落合にある壮麗な宿だった。
金の採掘は室町時代から行われていたらしい。そして明治には金採掘ゴールドラッシュで榮え、当時様々な人間が訪れたと聞いた。主に金を目当てにした事業家である。
その為に此の当たりの地主が此の宿の許となる大きな迎賓館を作ったのだ。
玄関棟、本館、客室棟、宴会場と階段棟の計五つの棟で成り立っている。
その場所は、いつかの伊豆の事件の個々箇所に酷く近いところでもあった。
関口は当初実に渋ったのだ。
青木だとて様々な打撃を受けた事件であり、その現場だった。
だけれど、関口と其処を訪れたいと思ったのは自らの新たな記憶の摩り替え…克服に他ならない。
関口とならば、と思ったのだ。そして彼も同様に感じているものだと思っていた。
敷地内には川が流れ、吊橋が掛っていた。
青木は昨夜あれ程関口と睦み合ったというのに、酷く夢見が悪かった。其処に朦朧と関口の白い背があることに酷く安堵したのだ。
悪夢だった。…否、夢が取りも直さず自分の願望に酷く近いものだったからよりそれが恐ろしかったのだ。
だから未だ眠る関口を放置して、風呂を浴びに行ったのだった。

吊橋を渉ると山の中へ分け入ることが出来た。
冬の山は黒一色のような色合いをしている。散策が出来るように僅かな手入れだけがされている。
いつ人が来るとも知れなかった。
けれど、青木は関口の浴衣の裾を割り、その腿に手を這わせた。
「あ青木…」
敬称は青木の口の中へ吸い込まれた。その躰を撫で回しながら、脣を幾度と合わせた。
「此処人が来る────」
「黙って」
青木は背後から関口の腹部に腕を廻し、その股間を弄った。そしてもう片方の手は裾を持ち上げた臀部に触れていた。
「すぐに済みますから」
と左手の指に唾液を含ませると、その後孔にすっとしのばせた。
「待って…待って青木く…」
青木の手の中で関口自身がその熱さと質量を増している。
指だけでもどかしくなり、青木は屈みこみ、右手で関口を弄るまま、突き出させた臀部にたっぷりの唾液を注入し、指で揉みしだいた。

夢見が悪かったのだ。
昨夜此処に訪れた時、当たりは既に暗く、周囲など綾目も尽かなかった。
だのに、夢の中で青木はあの吊橋から関口と飛び降りたのだ。

ずくずくになった其処へ青木は自らを押し込んだ。
「なんだかんだ云っても、貴方は人の見ていないところなら、何時でも簡単に受け入れる」
関口は青木の言を聞いているのか居ないのか、眼前の椚にしがみついていた。
浴衣の裾をからげあらわになった臀部に自分の腰が密着している。その現実に青木は僅かな安堵を得て、だのに興奮は更に更に昂ぶり、無茶苦茶な衝突を繰り返した。

貧弱な背を抱くように重なり、低く呻くいて達すると、漸うと見た。樹の根許の土の上に、昨夜の雨と関口の滴り落ちた蜜とで、泥濘みが出来ていた。



14/07/07



………話を間違えた。 久々に書くとこれだから…
で未だ続く

宿のモデルは伊豆の『落合楼村上』さんです。