海棠の睡り 弐




広縁の籐椅子に肘を着いて腰掛けていた。白地に藍色で屋号である桐を描いた浴衣を纏い、朦りと下部を上げた雪見障子越しに庭をみつめている。
浴衣の裾から白い踝と跫が伸び、跫裏は冬の凍えた色をした板床に接していた。
「寒くないのですか?」
声を掛けると緩慢に振り向き、青木を睨め付けた。
朝の寒気に丹前も羽織っていない。だのに、顔は紅かった。不意に風邪かと眉間を寄せて、青木は折り畳まれた儘の丹前を持ち、並べられた二対の膳を巡って、広縁に立った。
風呂から上がったばかりの身には床板の冷たさは心地よい。
同行者の顔は気色ばんでいた。
海棠の睡りは此の同行者には到底そぐわないと思っていたが、こうして睫毛の長い繊細さを見ると時折判らなくなる。
矢張り欲目なのだろうか─────
海棠を云うならば此の男より寧ろ仄かに慕うあの女性にこそ相応しいだろうに。
「青木くん、あのね」
「どうしましたか関口さん」
青木は関口の肩に丹前を掛けるが、それでも関口の憮然とした顔は改まらない。
関口の人差し指が青木の横を掠めて伸ばされた。眼で指先を追うと其処には二つの朝膳が用意されている。
「嫌いなものでも?」
「違う。君、風呂に行くなら…往くと告げてくれないか?」
まさか、と思いつつ青木は訊いてみた。
「寂しかったんですか?」
「違う!」
関口は顔を尚も紅潮させた。
「風呂に入りたかったとか?」
「─────わざと云っているのかい?」
「何が、です?」
「君は刑事だろうに、その察しの悪さは…僕に対する意地悪なのか?」
子供のように関口は言い募った。心外な顔をするのは青木である。
「これでも結構察しは良い方なのですが」
先輩刑事にはお前の物言いは学生だと散々云われるが。寧ろ腹芸が通じなかったり、察しが悪いのは常には此の小説家の方なのである。
「ああ…もうっ」
関口は己の両の掌に顔を埋めた。撫肩が尚も下がっている。
「どうしたんです?」
青木は屈んで関口の目線に合わせた。
「云っておきますが、僕は関口さんに意地悪も悪戯も寝床以外ではしたことありませんよ」
関口が少しだけ顔を上げた。顔は更に紅潮して、口が歪んでいる。
「ぬけぬけと」
此の小説家を取り巻く男たちとは其処が違う処だ、と青木は自覚していた。鳥渡でも手放してしまえば甚も易く終わってしまう間柄だ。どうしてあの探偵やあの古書肆やあの先輩のように振舞えよう。
青木を暫し正視すると、関口はいつも丸めている背を心なしか真直ぐと伸ばして、手を膝の上に置いた。
まるで叱られ坊主だ。
「君が出て行った後で布団上げの人が入ってきたんだ。君は居ないし、勿論僕は眠いってしまえば人の声なんかじゃ起きない。寝汚いのは自覚しているしね。どうやら僕はさ、布団の中に埋まって丸くなっていたみたいなんだな。で布団上げの男性がこう力任せにばっさばっさと」
布団を持ち上げたそうである。
勿論其処から転がり落ちるのは一糸纏わぬ小男で、しかも情事の痕跡があからさまだった。
其処に運悪く、もう布団は上がったか、と仲居が様子を伺いに入ってきたのだ。
「果たして僕は慌てて浴衣を掴んで此の縁側に入って障子を閉めて此れを着たんだよ」
「それは…災難」
「…君が言うな」
「すみません。余りに能く眠っていたから些か起こすのに忍びなくて…。怒ってますか?」
「─────もう、いいよ」
関口は軽く吐息して屈む青木の前に立ち上がった。
「朝餉にしよう。なんだか酷く腹が減っている」
青木も立ち上がると、その脇をすり抜けて関口は食膳の前に着いた。
「海棠の睡り未だ足らず」
唱えると関口が如何にも怪訝な顔をした。
「はあ?」
「関口さんを見て、そう思ったんですよ」。







07/12/06

懲りない己。
青関の心算だけれど、いやはや。
続きます。