燐寸擦る ─────出港前 深く抉られた入り江には石組みの突堤と混凝土で固められた岸に艦船が二隻着いていた。沖を小型の船が巡回している。その先には小島があり風が徐に入り込むことを防いでいた。湾内の波は酷く穏やかだ。青灰色をした鳥の羽が風を孕み大きく弧を描いて飛んでいる。時折水着して一瞬で再び跳躍する。 入り江を囲んだ丘からは港湾のほぼその全貌を見渡せた。 不図吐息した。 飛ぶ鳥が鴎であるのか海猫であるのか生物への乏しい知識では解る筈も無かった。 甲種幹部候補生に受かり図らずも将校となってしまってから能く解らない焦燥…があった。どうして自分のような人間が人を率いることなど出来るのか。 関口の気分は暗澹として沈む。だのに、港から見える海は空と碧く繋がってその先に戦場が広がっているとは思えないほどに麗らかだった。 人を殺すことを是とは出来ない。 それだけが関口の認識だった。 何よりも己が卑怯だと自覚しているからだ。関口は自分の身と其処に部下となった人間の身があれば、彼を庇うことなく己が身を助くだろう。それを是としてしまうから。 その現実を知っているから出来る限りその究極の際には行きたくなかった。 突堤から鳥が飛翔し猫のように鳴いた。 手前勝手な理屈によって人を殺傷することは怖かったし、ましてそれを正義と看做すことは出来なかった。だから他に救いを求めればと特別高等警察に見付かればどうなるか知れない共産党宣言を、友人に無理を言って出征前に借り出し読んだのだが其処にも関口の欲しいものは無かった。 手元に舞い込んだ淡紅色の薄様一枚で誰かの意思の儘に動かされるのだ。それが現在の体制だ。 「関口隊長」 見れば茶褐雲斎の下士官用冬衣がゆっくりとした足取りで此方に向かっていた。幾ら人の口に上るほど健忘の激しい関口でもそれが自分の部下であることは直ぐに解った。四角い魁偉な躰形と容貌。 否。魁偉は失礼だろう。 …人に妙な徒名を着けることが得意だった人物が此の部下を見れば何と名付くのか、耳にしてみたかった。 「あんた酔狂な人だな」 「え、」 「こんな寒いのに港見てるのか。どうせ明後日には出港だってのによ」 此の師団へ来てどう云う訳か軍曹は関口を頼り無いと思いと判断したのか、はたまた戦地に赴く前からの小隊がばらばらであってはならないと言う配慮からなのかは解らないのだが、何呉れと気遣いまた助けてくれる。そもそも兵科での関口が役に立つことといったら砲撃の飛距離や観測班の位置、敵の位置を早く導き出せることくらいだった。 体力と言うよりも持久力や忍耐力に自信は無く、予備士官学校では重営倉に入ったことがある程なのだ。 年齢が近いということも何よりも相手が相手なので、此の軍曹殿は関口と一対一で居る時には口調も砕けていた。実際、隊内を纏めているのは関口ではなく此の軍曹である。 「木場軍曹」 小さな目を細めて莞爾と笑うと木場は形ばかりの敬礼をした。 「隣良いですか?」 関口の腰を下ろす其処は未だ春も早く土が露出していた。季節が巡れば丘全体が緑色になるだろう。 「あ、うん」 職業軍人であると本人の口から聞いた。下士官での軍曹の昇進は余程優秀でなければ果たし得ない。 「あんたの能く経歴を聞いていなかったが…」 「経歴?」 それがどうしたと云うのだろう。 人の目を真直ぐに見ることが出来ない関口は木場の赤地に黄色の帯が横に入った双星の襟章を見た。 「あんたに面会だ」 「僕に?」 襟章から木場のその小さな目へ視線が平行した。 そして慌てて逸らした。 その時、背後から息の長い、高い笑い声が聞こえた。実に長いジャックマイヨールのようである。 誰が、と訊く前に背後から手が伸びてきてするりと関口の顎を抓んだ。 白い手袋に包まれた長い指。その繊細さには心辺りがあった。 まさか、と思う。 指は関口の顎を天へ押し上げた。そして日輪の中にその尊顔を拝むこととなった。 「やあ久方ぶりだね、関くん」 あの秀麗な顔を縁取っていた長髪が無かった。 黒い海軍の冬衣を来た榎木津礼二郎だった。 「え…え…榎さん!髪どうしたんだ!」 榎木津の哄笑が轟いた。木場は項垂れていた。 「隊長よぅ、あんた…此の莫迦野郎に会うの久しぶりなんだろうよぅ。それなのに何だそりゃ」 「え、あ?木場…軍曹…?」 木場がすっくと立ち上がった。初めて榎木津と比肩し得る程の身長を持つ人物を見た気持ちがした。 「此の莫迦野郎とは、ほらあれだ…昔馴染みなんだよ」 「木場と榎さんが?」 「そのとーっり!と云う訳で修ちゃん鳥渡関くんを借りるぞ」 「あ?」 寛がれ拡げられたその茶褐雲斎の詰襟を榎木津は摘み上げた。頸を絞められる形になり、関口は足許をもたつかせながら慌てて立ち上がった。 「く…苦しいぃ」 「一応俺たちの隊長なんだぞ」 「煩瑣い真四角の下駄男が」 「士気に関わるんだ。ちったあ解れ!分別しろよ此の馬鹿が」 「解ってたまるものか、分別など塵の時にすればいいものだ!」 「相変わらず話が通じねえなてめえは」 木場は関口に向き直った。 「隊長、あんたも厭だったら付き合うんじゃねえぞ。学校時代如何だったかなんて俺は知らねえが今はあんたは少なくとも帝国陸軍師団小隊長なんだからよ」 捲し立てて木場は関口の襟首を掴んだ儘の榎木津の手を振り払った。 「き、木場、済まないが外出の手続きをして置いてくれないか。榎さんとは…僕も鳥渡話がしたいし」 莞爾と微笑する榎木津と相変わらず困ったような表情の儘の凸凹を見比べて木場は何か釈然としないまでも鷹揚に首肯き、 「おお、いいぜ。関口隊長」 腰に両手を当てて鼻息を吐き出した。 関口所属する小隊とその師団が輸送される丙型艦船は明後日出港予定である。此の港湾には四日前に到着したばかりだった。海軍とは違い出港間際間の滞在は兵隊宿である。所謂旅館ではなく民家に分宿していた。旅館には大概陸軍の中でもより高官が滞在しているのだ。 榎木津は久闊の為に飯屋でも選ぶかと思ったが暗に反して其処は場末の宿屋だった。 それも宿の離れである。 蚤でも居るのではないかと思わせるその部屋だったが榎木津は関口の背を押して部屋へ両跫を着地させると部屋の立て付けの悪い襖、二枚が上手く合わさらない、を閉めた。 関口を抱く。 左腕を胴に右手を関口の短髪を撫でながら、関口の耳の上弧をしゃぶり下脣を擦る着けた。 「榎さん。突然何を」 「何をって、何をしに来たんだよ」 「え、」 耳朶を舐めながら頸の筋を脣でなぞる。ぢゅと榎木津の脣が音を上げる。 陸軍九八式袴の腰間の樹脂製の釦を外し項を舐めながら袴前の四つ並びの釦を解いた。そして背の袴調節を外すと、その下は洋下着ではなく支給された白い褌である。 「榎さん、だから…!」 指で扱きながらそれを脱がせると、関口の下肢が曝された。 榎木津は手袋を嵌めたまま、関口の茂みへ指を忍ばせた。臍の下の沫い産毛から下肢へ至るに濃くなる茂み。関口の肩越しに榎木津は薄らと笑んだ。 「榎さんっ」 「顔が熱い」 そういって榎木津は関口の頬へ頬を幾度も擦り合せた。関口の足許では膝の辺りで軍服袴は落下することも無く丸まっていた。 「少し硬くなってる」 「ううう…煩瑣いな…」 もう一度大きく頬を擦り合わせると榎木津は密着から離れた。 「布団を布こう。あと関くん、勝手に脱いじゃいけないよ」 申し訳程度に設えられた床の間の横の襖を開けると其処は押入れで榎木津は煎餅と言うにも薄い布団を出した。誰の躰液が染み付いているのかも解らない。 「ほら関くん、此処に来て」 布団の端に腰掛けて榎木津は手招きをした、そして関口を布団へ座らせた。 関口が顔を逸らすと、榎木津顎を掴んで正しながら唇を蔽う。口内で萎縮した関口の舌を誘い出す。舌先でそれに触れ、徐々に絡める。絡め合う狭間でつと吐息が色めいた。 午后の強い日差しが、障子越しに拡散されて、柔かい。 「僕の出港も間近だ」 「じゃあ何で此処に来たんですか?榎さんの処からじゃ此処まで一日以上掛かるでしょうに!」 「列車の乗り継ぎとかで双日掛かったな」 「そんな困難をして…こんな。出港の前に何をしているんですっ」 「出港の前だからだ」 榎木津が関口の跫を掴んで膝を伸ばした。そして裾の縦に並んだ五つ釦を下から順に外し始めた。 「君は会いたく無かったかい?」 「え、」 「僕に」 言葉に詰まることを榎木津はいつも易々と言う。 「ん?」 目線で応えを促される。強要させる。 関口は顔を顰めて脣を引き結ぶとゆっくりと頷いた。そして両手を突き出して榎木津へ抱きついた。 「怖かったんです。榎さんにもう、もう…二度と会えなかったら…どうしようって…」 互いに軍服を脱がし合って、熟熟と脣を吸い合って関口の胸を触っていると榎木津は脣を離し、不図笑んだ。 「もう充分充血しているじゃないか」 膝の間から茂みに鼻息を掛けて、雄芯の鈴口へ脣を少し寄せて、関口が震えた。舌でその雄芯を舐めるともうその先端に雫が零れた。 裏筋を舐めて指は陰嚢を揉みしだき再び先端に触れてその鈴口へ舌を捻じ込むように舐め取った。 其儘窄まった其処へ指を宛がうと関口の背がさざめいた。ゆっくりと挿入して中で少し動かし、口を着けた。舌で舐めると「少し苦い」と云った。舐めて唾液を滴らせ頃合を見計らって指の数を増やす。 内壁の一点を突くと白地に関口の反応が違う箇所があった。 榎木津は自分の持ち上がっていたそれをぐっと押入れた。質量の違うそれを嬌声を上げて関口は受け入れた。凡て入ると「動くよ」と関口に囁いた。 腰を縦横に使う。 引き抜いてはもう一度入れると、榎木津の唾液と先走りのそれで熟熟といやらしい音を上げた。 「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」 関口はただ自分のことがいっぱいに呼吸を継いでいる。先端から零れたものが雄芯を伝って双人の結合部にを過ぎて関口の臀部の曲線をなぞって敷布へ落ちていた。 「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」 断続的なそれは次第に早くなり、達した。それを見ると「未だだよ」と囁いて榎木津はもっと時間を掛けて漸うと達した。 時々閑んだり、睡ったりしながらもそれが双晩続いた。 二日目の晩、榎木津は宿の女中に飯を手配させて寝そべって互いの洗うことも無い精液塗れの手で箸も使わず麦飯を貪った。 「榎さんは、」 少し声が掠れたかもしれないと関口は咳をした。 「ん?」 「遅漏の気でもありましたか?」 榎木津はその長い指できつく関口の鼻を抓んだ。 「君が早いだけだろう」 飯を喰い終わって、双人並んで寝転がった。薄い布団では、大の男二人ははみ出している。ささくれだった畳の目が榎木津と関口の膚を差していた。布団は互いの汗と精液だらけであった。 仰向けになっているともう互いに言葉も無かった。そして障子を薄く開けその向こうの窓硝子からは夜空が覗いていた。 星が瞬いている。 こんな風に空を眺めたのは何時振りだったか。 暁は間近だった。 旭を迎えれば別れらねばならない。そして戦場へ向かうのだ。誰のものとも知れぬ生死をただただ生きなくてはならない。そして死んで来なくてはならないのだ。 「鳥渡桶に水を貰ってこよう、」 榎木津は裸形の儘に自分の軍服を羽織った。 「桶?」 「関くんはその儘でいいよ」 数分後に榎木津は木桶に水を七分目ほどに湛えて帰って来た。上肢を起こして座りなおすと榎木津は再び自分も裸形になる。互いの汗でも拭うのかと思ったが榎木津の口から聞かれたものは関口の暗に反していた。 「膝を開いて」 「何を─────」 榎木津は両手で関口の膝を押し開いた。 そして軍服の内側から小刀を取り出した。それを水に浸すと関口を熟視した。 「これを、膚守に欲しい」 「はだ…もり…ですか?」 「諾」 「榎さんが?そんなものを」 「何処ぞの神さまのものだったら欲しいなんて思わないよ。君のものだから欲しいんだ」 その鳶色の眸で凝乎っと熟視められては関口は否と云えた例が無いのだ。 「全部は…已めてくれよ、僕は此れでも小隊長で」 榎木津はまるで外国映画のように関口の蟀谷に軽く口付けをした。 「充分だよ」 精液に塗れた茂みへ水へ浸した刃を宛がった。 「動くな。此処で阿部定騒ぎは御免だからね」 じょり、と音がしているような気がする。刃が膚をそっと撫ぜる。関口は自分が震えることを自覚した。 「関くん……未だ、元気だな」 少し持ち上がっていたのだ。榎木津の声は笑っていた。 「煩いなっ!つ次は榎さんの番だからね」 「勿論」 和紙など持ち合わせていなかったから宿の黄ばんだ障子を破り其処へ互いの毛を包んだ。そして軍服へ忍ばせた。これがあれば仮令異郷の地で互いが居なくても正気を保っていられるだろうと思えた。 宿を出ると霧が深かった。 未だ外界は明けていなかった。一寸先も解らぬほどの霧である。関口と榎木津は互いの手を握り合った。陸軍と海軍の将校が肩を並べていて尚且つ、手を握り合っているなど人には見せられない。 その儘港湾を見下ろす丘の上へ行った。 一昨日逢った場処だった。 「榎さん、僕はね─────米国や英国や欧州諸国、亜細亜諸国に恨みはないし、実際戦い事への意義は見出せないんだ。彼らを殺すことを赤紙がくるまで考えたことは無かったし、僕や榎さんの身を危うくするほどの此の国って何だろう──────」 燐寸が擦られた。 「煙草喫うかい?」 榎木津の口の先で蛍が燈った。 「うん」 関口は榎木津から煙草を貰ってその先端を突きつけあって火を貰った。 互いにその儘立ち尽くしていた。もう尽くす言葉も無かった。 一本が吸い終わるころに榎木津は跫を踏み直した。 「さて、米さんを驚かせに往こうか─────関くん、」 「はい?」 「死ぬなよ─────」 「榎さんも」 霧が深い。 すぐに榎木津の姿は見えなくなった。 今日出港だと云うことを思い出し関口は自分の兵隊宿へ急いだ。躰も洗わず此の儘榎木津ごと南方へ持っていこうと。 31/12/06 31600hit ふきさまありがとうございました。 本当に本年ぎりぎりで申し訳ありませんでした! でも楽しかったです。 ではでは。 リクエスト御題は 燐寸擦る つかの間海に霧深し 身捨つる程の故郷はありや でした。 寺山修司でしたっけ? 関口巽の陰毛を肌守りにしようと、出港前の貴重な時間を費やす榎木津礼二郎。 respect:kahori ONODUKA 小野塚カホリのパロです。 つかぱくり。 |