カワズイクサ


 夜に待ち合わせをすることは殆ど日常だ。妻の在る身で他の男に恋をしたのだから、隠れて逢うことは常態で、後ろめたさは拭い得ない。けれど逢うことを辞められないのだから、なんと卑しい身のことか。

 夜半に念仏橋だと云う話だったのに、約束の刻限より幾許にも早く榎木津が仕事部屋の窓を叩いた。
喜色が満ちる。
「出られるか、」 頷かないことなど無いのに、榎木津はいつも問う。その度に関口は身の不実を問われている心持ちになる。否、きっと榎木津にそんな思惑など在りはしないだろう。
彼はいつも明朗だ。
胡乱なのは関口の方なのだから。

窓を開け置いて、関口は土を踏む。
「跣だよ、」
と言えば、宛ら王侯諸侯のように拭ってあげるよ、と返された。
訪った男は薄手の外套を身に纏っていた。対して、屋内の男は襯衣に薄手のセーター一枚だ。

月齢は満に近い。だのに叢雲が掛っている。仄朦りとした月光が殆ど街燈も無い道行を霞めて照らした。

榎木津が関口の手を引いた。
「わっ」
躰が傾いだ。
辛うじて体勢は崩れず身を躍らせた先の何処までも続く黄色の絨毯を見た。
「どーだ!」
「榎さんっ」
「おひたしにしたいだろう」
榎木津は腰辺りまでを菜の花に浸しその頭を月に預けていた。
朧に猶予いざよう月を光背として立つ榎木津は笑んでいた。
菩薩のような曖昧さではなく、苛烈なまでの明朗さで。
手を差し伸ばされる。
その手を取りながら「綺麗ですね」とそんな酷く陳腐なことを言い出そうとした時には榎木津の両腕が関口を攫いその儘背から菜の花の中へ倒れこむ処だった。

土の匂いと茎が背に押し潰される青い匂い。そして互いの精をその匂いに交じり合わせ―――――。




「か、蛙の声が、ぁ、ぅるよ、」
榎さん。
「余裕だな、関くん」
「っぁ、」
関口の膝裏を押し、俄かに臀部が土の上から浮く。前屈する榎木津の挿入は深さを益す。深く、奥を擦られるとたまらなくなる。
膚に土塊がついては零れて行く揺さぶりに、関口は榎木津を窺い見る。
脣が引き締められ、精悍だ。
性感を昂ぶらせているその目の縁が薄らと赤い。
彼の向こうには黄色い花が揺れている。
蛙の声が聞こえる。
かわずいくさだろうか。
ならばそれは己たちと変わらない、まるで。
「っぁぁ」
彼の手の中に爆ぜた。
「ん、」
榎木津の昂ぶりを感じそれが抜けて行く。此の夜を彼の探偵事務所で過ごすのならば、身の内へ彼の凡てを受け入れていた筈だ。そう思うと少しだけ寂しかった。

双人の精にしとどに濡れた手で不意に榎木津が菜の花の葉を毟った。
「えのさん?」
尋ねる声に榎木津は笑った。
「ほら、」
彼の掌の中で葉と精が交じり合っている。
「菜の花の和え物だよ」




「タツさん、お昼ですよ」
妻の声がする。
気怠い躰を起こす。
眠ったのは実際何時間になるのか。惰眠を貪るへきのある関口は常人の倍は欲しい処だ。
味噌の匂いがする。
四角い卓袱台には殆ど一汁一菜と言っても良い食卓が用意されていた。
「え、」
関口は小鉢を見て声を上げた。
「嫌いでした?」
「否、そうじゃないけど」
小さな鉢の中には薄く白濁とした鹿角菜ペースト状が掛った菜の花の白和えが盛られていた。








かえるいくさ【蛙軍】多数の蛙が群れ集まって争うように交尾すること。大辞林第二版

2009/03/24