ぺリドット群光




雨が酷く降頻っていた。硝子を打つ飛礫は細かくて外界は煙ったようだった。室内に七つの屍躰が己を中心に放射状に並べられていた。彼らの頭は中心に向けられて。その屍骸を見ることも無く背徳感と安堵感の狭間で揺蕩い只管窓の外に広がる鈍色の海と白い波頭を眺めていた。

昼過ぎに仮眠から目覚め、朦朧とする頭の儘、顔を洗うべく廊下へ出ると関口がいた。疲れているようだったがそれでも少し表情は柔らかかった。
「青木くん」
関口の腰掛ける長椅子の横へ緩慢に座った。
「夢────見てました」
窓の外は日が照っている。
雨の気配は何処にも無いし、海も此処からでは見えない。鳥が大きな弧を描いて旋回していた。
あれはいつか見た夢の続きだ。
けれども何故そんな夢を視たのか。記憶の頁を繰るとすぐに理由へ至る。
大磯平塚連続毒殺事件合同捜査本部は昨日解散した。
アルマイトの灰皿に紙巻は山となり、刑事部屋と捜査本部は靄に包まれて、薄暗い色をした背広を着た男たちが集った毎日はもう過去のものだ。
けれどもその名残の大きな金色をした薬缶は既に冷え切って仮眠室の枕元に置かれていた。
「どんな夢?」
問われて答えるべく口を開こうとしたが、不意に言葉は萎えて青木は首を振った。
「余り好い夢じゃないので」
勘弁と言う意味で右手を上げた。
「君もそういう夢を視るんだな」
関口が正面を向いて苦笑した。
「なんでですか?」
「だって…僕と違って君はとても健全で」
「関口さんは」
青木は臨席する小説家の言葉を遮った。
「僕を買い被り過ぎです」
「買い被り?」
「そんな健全な男じゃない。嗟、でも先刻視た夢は、貴方の影響かも」
「ん?」
関口が青木を見る。一重瞼が少しだけ腫れぼったかった。
「────そんな夢、だったの?」
ええ
嘗て戦場で木場にしたように、関口は視た奇妙な夢を時々青木に伝えていた。興味深く聞くこともあれば、少し迷惑そうにしていることもある。
能く似ている、と関口は予てより思っている。
此の刑事の先輩後輩は。

青木はあの公安の刑事の眼鏡越しの切れ長な眼を思い出し、酷く苦い顔をした。
返り間際、公安四係は青木に肩に自分の肩を当てその拍子に耳打ちした。
「小説家の男との逢引も程ほどにするんだな」
それだけを告げて身を離した。
恐らく誰も気付きはしないだろう。偶然肩が接触し、郷嶋が小さく謝っただけだと思うだろう。

その一言に、呆然と背筋が凍った────。

あの男は…否、公安は知っているのだ。青木と関口のことを────。

青木は郷嶋の背が壁の向うに消えるのを眦を裂いて見送っていた。否躰が動かなかったのだ。
郷嶋は何故最後の最後に知っているということを告げていったのか。

己の唾液が嚥下する音を聞く。

郷嶋は忠告したのだ。知っているのは己だけではないと言うことを。
捜査の最中に郷嶋は「あの坊やを所轄に埋めるのは勿体ないぞ」と云った。それは青木にしてみれば最大の賛辞で、正直に嬉しかった。勿論その時は嬉しがってなどいられなかったが。

もし所轄を出て本庁へ行き、刑事として生きたければ────

郷嶋はそう云ったのだ。青木にそう忠告したのだ。
慄然とする。
刑事として生きたければ、切れろと云うのか。関口と────

脳裏が、白くなる。

「青木くん?」
「…あ…ええ、関口さん」
殊更快活に青木は関口を呼んだ。益田は未だねているのだろう。
「なんだい?」
「本庁に『坊や』と呼ばれてしまいましたよ。もうそんな年齢じゃないのに」
童顔なのは自覚している。
木場にも学生だと幾度と無く言われている。
「君は童顔だからなぁ」
はにかんで関口は云った。そして何処かを見詰めて立ち上がった。関口の目線を辿ると其処には益田がいて伸びをしていた。
彼も眼が覚めたらしい。
「青木くん、魚食べに行こうと思うんだけれど、君もどうかな?」
関口の腹はいつになく薄い。空腹なのだろう。
「すみませんが、一応未だ職務中だから」
そう、と残念そうに関口は笑んで益田に向かって歩み出した。
関口の背を見送って青木も椅子を立った。

洗面所で蛇口を捻り放水させた。白い飛沫。郷嶋の呪いが脳裏を谺していた。
殆ど偶然で始まった仲だのに、青木には意中の女性がいて、関口には妻があるのに、離れたくないと思っている自分の心根。
自分を中心に頭を向けて並ぶ七つの屍。
それを犯したと云う事実に暗澹とする心理。
流れ続ける水の音が何処か空虚に聞こえる。
「七つ?」
青木は不意に夢を想起する。
在る筈の無い七つ目の屍骸。
あれは────関口だ。
差し込む陽光に洗面所は麗らかで、窓の外では鳶が旋回して、長く鳴いていた。













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邪魅570頁で青関
そのうち邪魅頁を作る予定。
タイトルはオペラアリスさまからお借りしました。