6.卒業

仏教徒ではない。帰郷も久しい実家は日蓮宗であるが、それは寧ろ葬式などに発揮される余波のようなものであって、日蓮宗の宗派に共感しただとか、親兄弟が仏を崇め礼拝して過しているとか言うことではない。
寧ろ遥かに昔の江戸辺りの悪習に近いだろう。否、悪習は言葉が過ぎるとしても、遺産とか遺物とかそういうものである。
けれども今の現状を鑑みて、もしも業と言うものが存在していたならば、と仄めに思ってしまう。
「関口さん─────」
「うん、」
「何を考えてます?」
「何も」
「朦りとして」
「…僕らしいと京極堂なんかには言われるよ」
「あの人たちのことを考えていたんですか?」
眼前の青年…青木を関口は見上げた。青木とて然程に背の高い青年ではないが、それでも目線は関口よりも高い。
それは嫉妬だろうか─────
などと烏滸がましいことを思い、すぐに打ち消した。
それこそ業が深いというものだ。
輪廻転生など信じたことは無い。
「裸で向かい合っているのに、相手の考えていることも解らないなんて人間て不便だなと思ったことはありませんか」
腹が少し冷やりとしていた。
掛った自分の精液を拭ったばかりだからだ。
胡坐を掻いた青木の腿の内側には、先まで張り詰めて関口へ穿ち込まれていた性器がぼってりと今は温順しくしていた。
それは関口も同じことである。
「残念ながら思ったことは無いよ。きっと僕が相手の考えていることなど解ってしまったら…生きているのも苦しくなる」
「中禅寺さんのことも?」
「アイツなら猶更だ」
何故其処で中禅寺のことが出てくるのか。
少しだけ胸が疼いた。
期待しているのだ、己は。
関口は己が浅ましいことを知っている。
嫉妬だったら良いのに。
躰中互いの唾液や汗や精液でべとべとだった。
此の誠実そうな青年とこういう状況になっているのは─────
「業なんだろうな」
「業ですか?」
「そう。僕の業だよ。…妻もあるのに、君と寝ていて。輪廻転生なんてちっとも信じてやいないが、これっぽっちもだよ、」関口は右手の親指と人差し指で何かを抓むような仕草をしたが、その指間は数ミリの空間があった。「きっと僕は前世でも誰かとこんな関柄にあったんだ。だから今も」
青木の腕が伸びてきて関口の前髪を梳く様に持ち上げた。
「凝ってますよ。髪の毛」
「うん」
指の通りが悪い。
「関口さん」
「もし此れが業だと云うのなら、それはきっと僕の業でもあるんですよ」
だって─────
と青木は囁いた。
「悪業は悪行によって浄化するらしい。でもそれは…浄化だとかじゃなくて、その業に溺れているだけじゃないのかな」
だって。
だって─────
関口は青木の顎に手を掛けて下唇へ親指を伸ばすと、その舌を出させ、己の舌を擦り合わせた。

だって─────こんなに愛しい─────

「業を卒することなんて出来ない」


7.事情

「文さん、」
武道場の端に背広の儘で胡坐を掻く青木を見留めると、木下は取り組み相手の先輩に一礼をして中断した。そして大股に青木に寄ってきた。
「どうかしたのか?」
「否、」
「どうもしないのなら道着に着替えろよ。相手するぜ」
「圀さんと乱取なんかしたくない。襤褸襤褸になるのが落ちだ」
柔術の達人と態々何故乱取しなくてならないのか。
「下手な奴よりいいと思うけどな」
「いいよ、今日は…鳥渡事情があって、此処で見学だ。何かあったら余所に借り出されることにもなっているし」
不意に木下は青木を眺め回して、不意に不審に思った。
武道場は人の熱気で蒸している。
だのに、青木は襯衣の釦を外す処か、ネクタイを緩めることさえしていない。
思えば、外へ廻りもしないのに、今日の青木は朝に会ったときから今までそのネクタイを緩めた形跡さえない。
「何、事情って」
「…割と身体的なこと」
「怪我でもしたのか?慥か昨日午后地取りだったよな」
「そう。その時に、鳥渡」
我ながら歯切れの悪い返事だと思いつつも、青木は頷いた。
その時木下の名が呼ばれる。
先に中断した先輩の催促だった。
「ま、お大事に」
軽く木下は告げて武道場の畳の上に戻って行った。
幸いに昨日は地取りを共に行く後輩は休みだった。その最中に関口とあった。本来の仕事をしつつの忙しなさで結構乱暴になったのだと思う。
関口の腕が青木の背から後ろの首筋に掛ったとき、爪が立ったのだ。
常日頃動き回る刑事は爪も短く整えるが、どうも始終屋内にいる文筆業は違うらしく、その爪は長くは無いまでも人を傷つけるには充分な鋭利さだった。
「事情たって…陳腐にも過ぎるだろう」
熱を持つ蚯蚓腫れに、青木は少し吐息した。
早く何か大きな事件は起こらないだろうか。颯々と刈り出されて此処から出て行きたくて仕方なかった。


8.名前を呼んで

「男二人で居たら怪訝しいかな?やっぱり」
「怪訝しいでしょう」
それは実に。多分に。果てし無く。夥しく。
例えば青木が捜査に来てこんな処に男二人でいたら矢張り疑って掛る。
「じゃあ…兄弟ってのはどうだろう?」
「兄弟ですか…」
関口は頷いた。
「僕と関口さん、似たとこ一つも無いですよ」
「そうだけど…でも僕と弟は全然似てないよ。小さな頃から。一緒に居て、他人から兄弟だと思われたこと一度も無いし」
「……ですか」
「……うん、」
不意に二人とも沈黙した。
「………青木くん」
「関口さん………」
「なんだい?」
「流石に、それは無いでしょう?」
「それ?」
青木は頷いた。
「兄弟なら、僕を青木と呼ぶのは、違いますよ」
「ああ」
関口は合点した。
「じゃあ」
「名前で呼んでください」
「…ああ……うん………あ…………ぶ…文蔵…くん?」


9.はじめての日

色々関口の身体を弄ってきた身としても其処は初めてだった。
「幼い頃を思い出す」
「なんで?」
「母の此処を能く引っ張っていた」
「ああ…うん。僕にも記憶があるな、そういうの」
「思えば他の人のって引っ張ったこと無いですね」
「そういえばそうかな」
関口にしても妻の其処を引っ張ったことなど無かった。
「でも少し荒れてますね。ざらざらしてますよ。関口さん」
「…そうかな」
「気持ち良いですけど」
青木の揉みしだく其処へ関口も手を伸ばした。
「ね、」
「……うん」
関口は青木がしたように自分の肘の皮を引っ張ってみた。
「ワセリンのお世話になろうかな」


10.生まれる前

「生まれる前、」
「突然何ですか」
「否、別に」
「時々形而上学的なことを考え出しますよね」
「そうなのかな」
自分の思考パターンなど関口は考えたことも無かった。
「もしかして関口さん鳥渡恥ずかしがってますか?」
「…え、否、悪いことはしたなって思うけど…」
関口は青木から目を逸らした。
「…恥ずかしいのかな」
青木は頸を少し傾いで、舌で口端を舐めた。其処には関口の精液が付着していたのだ。