他郷頻夜夢 06 





四海の上を貴人が白馬あおうまを馳せる。





滂沱ざんざと音がする。


街灯が消えた道を歩む。
飛礫は塊も砕くような勢いだが、此の街では道も舗装され、穿つことも無かった。
学校の周囲一qに報道各社が陣取ることは流石に許されなかった。報道機関は遠巻きに学校を窺う様子になり、街を占拠したかのようだった。道の端へワゴン車が幾台も列を連ね、乱立する脚立とカメラ。マンションやビル、個人邸宅の二階を借りる処まで様々だ。
その数は目算で凡そ百人もいるだろうか。
洋傘を回した。
雨飛礫が四方へ飛んで行く。
少しだけ嘆息した。
彼らの目と鼻の先で起こっていた未曾有の惨事に、既に臨界を迎えていた彼らは堰を切ったかのように動き出している。
こんな雨の中であるのに。
四辺は暗い。
停電は中々復旧しないでいた。
「レオンの所為だな」
と輪は酷く詰まらなそうに言った。彼女の鉄面皮と言うか、北魏の様式にみるような怜悧な無表情はいつものことだった。
「此方に向かう間も雨が酷かった」
電車を停めたと云っていた。
「何でかな?」
レオンは日頃そんな無謀なことはしないのだ。
「威嚇しているのさ、彼方を」
鼻で笑った。
綾は自分の黒い外套の内側に隠された鉈を布越しに触る。
此の鉈が意思を持っていると感じる時はこうした時だ。
酷く冷たい─────
良い刀は人を斬る前に露を生む。と聞いたことがあった。レオンを身近に置く身には、それが何故なのか解るような気がする。
露は武者震いだ。
報道陣や警察の居ない道を選んで近づく。何処にでも死角はあるものだ。特に綾は此の一ヵ月半、学校周辺を隈なく探索していたのだ。
「─────学校は如何だった?」
「輪?」
傘を斜めにして、横に居る輪を雨越しに見上げた。
白磁の置物のような横顔。
「輪は─────学校行った?」
「中学の二年の時、一ヶ月だけ」
「へえ…」
行けたんだ、とは口に出来なかった。
「凄く猥雑としてて、人間は酷く喧しかくて、馴染めなかったんだ」
「だから行かなかったの?」
「勉強もついて行け無かったし」
「今、大学に行ってるじゃん」
「それは自分に必要だから。でも綾は学校に順応出来てるみたいだ」
「結構楽しいよ。こんな時じゃなければもっと楽しかったと思う。本当にあんなに沢山人が死ぬなんて…思わなかった…から」
極最近知った顔では中原と言う数学教師が死んだ。酷い死に方だったことが診断書をみて解った。
他に転入仕立ての時に三年生が三人死んだ。
みんな酷い顔をしていた。
そうした人々は学校へもでてくることが少なくなり、匡も間に合わなかったのだ。
「そういえば、三年生に凄く綺麗な人がいたな」
「綺麗?女?」
「違う。男だよ。顔が整ってて、最初一年生かと思ったのに上履きみたら三年のカラーだったの」
廊下で幾度か擦れ違ったことがあった。
何人かの集団の中へ埋もれていて人の話を聞いていない様子だった。
「上履きで解るの?」
「輪も本当に世間知らずだよね。上履きで学年分けがされているんだよ。三年が緑色なの。うちの学年は黄色。一年生は赤」
「上履きって個別に用意するんでしょ?靴屋に行けば何処でも売っているのかな?色分け上履き」
「さあ?どうだろ。うちの学校は購買で売ってるよ。あの人は─────死んでないみたい、」
「へえ」
名簿リストの中に無かったから。…良かった…」
それを確認しては、少しだけ安堵していたのだ。此の一ヵ月半。
高い壁が敷地を巡ったその向こうに、四角い建物が雨の闇の中に佇んでいた。


滂沱ざんざと音がする。


「何処かに報道の人がいるかも知れない。早く入ろう」
夜の学校は異様である。
綾は輪の袖を引いた。
隣家の四壁林と学校の境界のブロックを越えればいいのだ。
率先したのは綾であるのに、その横で輪は畳んだ傘を片手に事も無くブロックの上部に手を掛け、躰を持ち上げ、壁を右足で蹴って軽々と乗り越えて学校の敷地に侵入してしまった。
「鳥渡。輪っ。待ってよ、」
「解ってる。早くしろ。あ、傘貸せ」
綾は傘を壁向こうに投げ入れた。ブロックを掴むと、腰に隙が生まれる。外套の腰から入ったスリットが捲れ、其処にホルダーが覗いた。なめした革が綾の腰に巻きついている。
「慥か学校は校舎のセキュリティ強化したとか言ってなかった?」
ブロックを飛び降る綾に言った。
着地すると輪が足を校舎に向けた。
「あれは、たぶん破損が起こった場合に警備会社に通告されるんじゃなかったかな?でも大丈夫。ちゃんと許可は得てるから」
外套からカードを取り出し、綾は輪に見せた。
整備会社の名前が入ったそれはセキュリティ解除の鍵だった。
「暗証番号も知ってるし」
「盗ってきたのか?」
冗談なのだろうが、冗談の口調で言わないのが輪である。
「盗って無いてば。私が此処にいるのは合法なんだから」
と言って少し眉間を顰める。
「否、合法ってのも変か、」
カードは『上』から渡されたものなのだ。
「─────非道い死臭だな…」
輪が黒く巨大に佇む眼前の校舎を見上げて呟いた。雨の為に街の臭いは掻き消されていたが、至近距離まで来ると流石に非道い『臭い』がした。
芽哉が居ればきっと頷くだろう。そして倒れてしまうかもしれない。しかし鈍感な綾には何も感じることが出来なかった。
「とりあえず…学校の中の現場に行こう。輪が見れば、何か解るかもしれないし」
学生用の昇降口とは反対の教職員用の玄関の横を入る。
入ってするの柱の影にガードを解除する機器が設置されていた。カードを通し、暗所番号を入力しようとすると綾は頸を傾げた。
「どうした?」
背後から輪の声が掛かる。
「もしかして─────ヤバイかも…」
綾が声を潜めて振り返った。
手は知らず腰を触っている。
「なんで?」
「誰か中にいる─────」
「犯人?」
質問に頸を振った。雀斑の顔が薄闇に蒼褪めて見えた。
「解らない。でも、ガードが解除されている…」
水を打ったように静まり返る校内に、耳を済ました。伽藍洞とした黒い淵を見ている気分に陥る。
雨の音がする。
冬の雨はただただ寒い。
口を開くたびに視界に煙幕が張られる。
その向こうは漆黒の隧道か。
はたまた紅蓮の阿鼻叫喚地獄か。
「鬼が出るか蛇がでるか、」
綾は正面の階段を睨みつける輪のその横顔を見上げた。
「どちらも…怖いに越したことは無いな」
此の従姉と言う触れ込みに成っている伊能輪のことを能く知らなかった。
母に兄弟はいなかったし、実際には輪は酷く遠い血縁に当たるらしいということを大叔父から聞いたことはあった。然し輪は大抵の総領家の人間と同じで、外に出ることなく、働きもせず、全面的な総領家の支援によって暮らしている。
輪は─────鵺の被害から唯一難を逃れた生存者だった。
生贄のように輪は山中の嶋に鵺と共に閉じ込められていたのだ。
五年間、其処にいたと聞いていた。
鵺は輪を喰わなかった─────。
それが綾の知っている全てだった。
「……血の臭いがする…」
輪が小声で呟いた。少し声は震えていて、常にはとても気丈な人なのにと俄かに不安になる。
「血?」
「臭う」
「前から聞きたかったんだけど、」
「ん?」
「輪のそれは霊感なの?」
妹も霊感の持ち主だが、輪とは様子がまるで違う。
「たぶん違うんじゃないかな?私は勘が良いだけ。あんな処に長い間居たから、人の気配とか、そういうのに…敏感に成っただけ」
輪の顔が怜悧と成り透徹さを増す。
漆麗の瞳の中の焔が瞠く。
「上だ、」
躰が前のめりになる。そして倒れかけるように見えて、脚がそれを支える。否─────駆け出したのだ。
階段の段差がもどかしいのか一段抜いてとても速く。
「輪!危ないっ」
叫ぼうとして、音声を下げた。
従姉は丸腰なのだ。もし其処にいるのが殺人者であったならば、手向かうことは不可能に近い。彼女が駆け上がってゆくのを気づかせてはならない。
綾は後を追った。
「だからっ一人出来たかったんだっ」
外套を翻しながら階段を駆け上り、綾は一人ごちた。咽喉が熱く感じた。


階段を上りきると、厭な感覚があった。


輪でなくても嗅覚で感じることのできる─────血の臭い─────。
「鵺じゃなかった…?」
呟いて濃い臭いのする馬手みぎへ行く。
その先に闇の中に立つ輪の黒い後姿があったからだ。
「輪────」
小声で呼び掛けて近づく。
冴え冴えとした冷徹な空気の中へ、臭気が濃く熱く立ち込めている。
三年四組の教室の前で彼女は立ち止まっていた。
其処は十一月の上旬に十八番目の死者が出た教室で綾が転入してきた時には既に使われていなかった。あの時死んだ先輩の名前をなんと言っただろうか。綾は瞬座には思い出せなかった。
その教室から立ち込める血の─────


滂沱ざんざと音がする。


停電は未だ復旧しない。外界の明かりも見えない。
腿が凍えるように冷たかった。此の儘では凍傷に遭うかもしれない。
レオンが─────猛っているのだ。
雨の闇の中覗き込んだ教室では、机と椅子は前方へ押しやられていた。
常には白い教室の床が、今は黒い。
何故なのか瞭然である。
その強烈な臭気が。
机上に乗る脚からは淋漓と滴る。
肘までが沈んでいた。
腑物が白く湯気を上げ、床から目が此方を見詰めていた。


「屍躰……」


言葉が続かなかった。








02/03/06
現場百篇と言う意味で犯行現場廻りをさせたかったのに入れる隙が見当たらない。
入れるにはも一度分解して組み立てなおさなくちゃいけなくて、至極面倒。
(だから駄目なんだ私は)
と言うわけで死体死体書いてきましたが、漸く一人その描写ができました(?)
たぶん、あと一回ですな。量も無く、凄く安易な話なのに、なぜこれほど時間がかかるのか。
自分がわかりません。