他郷頻夜夢 03 





外の景色が流れ行く。信号機は青色から黄色、黄色から赤色、赤色から青色へと言うプログラムを繰り返す。風は吹いて枝は揺れ、冬の支度をした人々がある者は歩き、バスの乗り、店へ入り─────
何もかも日常は続いている。
一片だに途絶えない。
仮令目の前で人が死んでも、己が生きている限り日常は途絶えない。
タクシーの後部座席で西村は目を瞑った。
到着した所は、丘の上のマンションだった。長い坂道を登っていると思ったが。
学校から遥かに見えていた別世界である。日常の自分には関わり合いの無い処だからだ。周囲の様子を見てもまるで利便性が無いマンションである。私鉄が日常の主な交通機関だが、駅も遠い。
「此処の三十階が伊能家」
匡が指差した。
「豪華なマンションだな。親何やってるんだ?」
料金を払った綾が並んだ匡と西村を追い越す。財布から取り出したカードを入り口のカードリーダーに差込み開錠した。
「颯々と入る!」
マンションへ入ると、とても明るい。目の前に背の高い植物があって、宛ら温室のようだった。三十階丸々拭きぬけになっていて、空から陽が注いでいるのだ。雲の流れている蒼穹が望めた。
管理人室と書かれた部屋が脇に在る。然し窓にはブラインドが下がっていて内部にも灯はなかった。
人の気配がしなかった。
「エレベーターは向こう」
進行方向を綾が指差した。
三十階の南西角の木製の扉にの横に表札があった。
 玄関を開けると、いきなり白い流砂が飛んで来た。否投げつけられてきた。
「っってええ─────っっ」
声を上げたのは匡と西村である。
顔面に洗礼を浴びて、両手で顔を覆い、屈み込んだ。不穏を察知した綾が咄嗟に一人扉の影に身を隠したのは当然である。
「芽哉、後で掃除しなよ」
目に入ったと声を上げる二人を横目で笑いながら玄関内部へ顔を覗かせると、頭へ一握の白い砂が撒かれた。洗礼を逃れたと思っていた綾の目が見開かれた。
「はい、綾もね。ちゃんと外から帰ってきたらお清めしてって言っているでしょう?」
黄緑色のワンピース姿の髪の長い少女がにこやかに笑って其処に立っていた。その笑みの中に怒りが見て取れる。一緒に暮らし始めてから面倒なことを全て自分からすることの無い綾を、芽哉は静かに怒っているのだ。
「あ、妹!」
涙を流しながら西村が指差した。
「誰?此の無礼な男は。人を指差すな」
芽哉のにこやかに笑った顔が一瞬にして苦いものに変わり差した指を握って反らせた。
「ああ、それは西村。西村。私の組の奴」
綾は酷く完結に西村と言う級友の説明をした。そしてそれだけで芽哉も納得したようである。指を離した。
「俺なんかぞんざいじゃないか?扱いが」横で未だ「目があ」と痛がっている匡に訊いた。
「で─────そのその人は?」
芽哉は西村の背後を指差した。
「え…?」
西村が右隣の匡をみて左隣を見る。数メートル後ろに欄があり、その向こうは吹き抜けである。角を挟んで南側の通路が見え、タイルを張った壁が巡っているのが見える。人の影は何処にもない。『その人』とは何だ─────。少し困惑した。
「芽哉芽哉芽哉それ違うよ」
末っ子に指摘され、芽哉はもう一度西村の向こうを凝視した。
「あ、本当だわ。実体じゃないのねえ。あらあらまあまあ」
にこやかに笑う伊能妹に西村は鳥肌立った。
玄関の御影石の敷石、段差の低い上がり框。白木の廊下の左側の襖が開いていて、其処には高い格天井と足元には畳が敷き詰められ、シノワ風の長椅子と卓子があった。右手奥の間には床があり、左手には天井から大きな換気扇が備え付けられてコンロが四つ並んで見えた。
「此処が居間。鳥渡待ってて。すぐにお茶でも用意するから」
制服を脱いで、いそいそと白いシャツの袖を腕まくりをしたのは匡だった。右腕に巻いた腕時計を外す。
「西村と綾は手を洗って咽喉を嗽ぐこと。風邪流行ってんだからね。留意すること」
匡は左奥の台所に立ち、其処にある洗剤で手を洗い、硝子碗で嗽をした。薬缶を火にかけると換気扇を入れ戸棚から四角い赤い缶を取り出す。
「相変わらず口煩い末っ子だこと。西村洗面所はコッチ」
綾が手を招きした。
そして居間では芽哉は長椅子に座り膝を抱え書類を手にして黙々と読み始めた。


 実際居間は酷く散らかっていた。乱雑に積み上げられた紙の束。綴られたものもあれば、積み上げられて悲しくも倒壊した成れの果て、皺皺になったものもある。
綾は芽哉が座る長椅子と卓子を挟んだ長椅子の上の書類の束を移動させ、自分が移動する範囲と西村が座る場所を確保した。綾織の背凭れの目には埃が詰まって見えた。
「御免ね散らかってて」
謝りながら紅茶を振舞ってくれたのは匡である。人の良さそうな顔を少しはにかませていた。
「なんかお前が一番楚楚としてるよな、」
碗を置く匡に真向かいに座りながら、西村は言った。
しかし西村の言う言葉の意味の解らない匡は曖昧に笑っただけだった。ラグビー部などに所属していたから周りは中々好戦的な者たちが多かった分、伊能家の末っ子は些か新鮮だった。こんな事態にでもならなければ西村は匡のような同級生と関わることも、興味を示すことも無かっただろう。
「これ、何?」
西村は花柄の茶碗を手に取り芳香を嗅ぎながら、紙の束の山のことを訊いた。
「死亡診断書と鑑定書」
花のように笑って匡は酷く軽く答えた。
「は?」
余りにも意外な答えが返ってきた。
「見て余り気持ちのいいものじゃないけど、興味があれば見るといいよ」
芽哉は迎えに出てから一向に顔を上げず、綾も書類に目を通しだし、匡だけが微笑んで西村の相手をしていた。
「────あのさ…お前たちの親って何やっているんだ?医者?刑事?」
「否、違う。母親は現在行方不明で消息不明。父親はいる…けどちょっと事情があって一緒には住んでない」
「は?」
あっさりと匡は言ってのけたが途轍もなく重い事柄を聞いた気がする。
それに事情とは何だろう。
言葉の儘に取って良いのだろうか?
それとも婚外に出来た子供だとでも……。
下世話過ぎて口には出来なかった。
「えっと…」
音を発てて少し気拙く紅茶を啜った。
「なんか訊いちゃいけなかったみたい…だな。すまん」
素直に頭を下げた。
「別に謝られることでもないよ。今は三人一緒に暮らせているわけだし。第一君だって今一人で暮らしているんだろう。一緒じゃないか?」
「俺はただ家族が転勤しただけで」
それは極々普通のことである。
「我が家だって両親がいないだけだ。大差無いでしょ?」
匡はにっこりと笑った。
他意も悪意も此の人物には存在しないような、笑みである。西村は少し赤面して目を外した。
 伊能姉弟は実際良く解らない転校生だった。三つ子と言う話も目立つ要素である。十一月の下旬に転校して来たばかりだった。
先刻の匡の話を聞く限り、親の仕事の都合で転校してきたわけではないようだ。
「前、何処にいたんだ?」
西村はどう切り出してよいものか解らなかったが、無難な辺りを口にしてみた。
「せっ…」
「関西」
匡が言い掛けたのを芽哉が遮るようにいった。
「関西?」
「そう」
書類越しに目が西村を射る。
「へえ、そうなんだ。それにしちゃあ向こうのイントネーション無いな」
「お父さんがこっちの人なのよ」
綾が冷淡に言った。聞いては成らない事項だったのかもしれない。
気拙くまた西村は紅茶をすすった。
異常に苦いように感じた。
「私立橘高等学校の生徒数九百二十四人。十月からの死亡者数五十八名。一年生が十二名。二年生十八名。三年生二十五名。教師三人。一般的にみて此の死亡率の高さは異常よね、明らかに。激戦地の学校でも無いんだから。西村くん────あの学校内で何が起こっているの?」
芽哉が滔滔と捲し立てる。
「────やっぱりそれが訊きたいわけだ」
西村は息を吐く。
「お前たちの親って何なの?警察?」
「違うって先刻匡が言ったでしょう。訊いてなかったの?お父さんは警察じゃないわよ」
では此の死亡診断書や、矢鱈と学校の死亡原因を聞きたがるのは何故だろう。
「これが最後ラスト、」
綾は読んでいた用紙を卓子上に重なっていた書類の上に置いた。双山に分かれた書類は、周囲の紙の山から厳選されたもののようである。扱いが明らかに他のものと違った。
「西村にもこれを確認して欲しい」
「確認?」
それが此処に連れて来られた理由のようだった。
「うん。これは先刻匡が言ったけど死亡診断書とその鑑定書。希望があれば殺された状況の写真と解剖時の写真もある」
「誰の?」
厭な予感がした。
「橘高校の死んだ人たちの」
そして綾があっさりと言う。
「お前たち何なんだよ?」
西村の声に苛立ちが─────怒りが滲んだ。
「人が死んでんだぞ。なんでそんな平然とっ…解ってんのか!?」
声が激した。
「……西村くん……その人…『ワタベ』…かな?渡るに部って書くの。知ってる?」
西村の眼前で目を眇めて凝視していた芽哉が口を開いた。
「たぶん。渡部って言う人。文字が浮かんだから。坊主頭で一重だけど目が大きくて角度によっては三白眼気味。受け口。笑うと可愛い感じ。普段は鋭いって言うか強面」
「それ─────」
「誰だか解る?」
「渡部先輩…?」
西村の顔が凍りついた。芽哉の目が細まる。慥か読んだ学校の資料の中で渡部と言う苗字の人間は四人いるはずだ。その内先輩と呼べる三年生には一人である。その人物だろうか。
「諾、うん。それだね。たぶん」
「渡部先輩が…何?」
「西村くんの後ろにいるから」
助けを求めるように西村は真向かいに座る見る。
「芽哉は霊感が強くてさ、学校行けなくなっちゃったんだよねえ。厄介だよねえ」
太平楽な、緊張感の無い暢気な声で匡が言った。
「『霊…感少女』?」
「それも超強力」
綾が苦笑して紅茶を啜った。
「此の子ねほら初日に学校いったら、学校中が死人の巣窟で空気淀んでたらしくて、家帰るなり吐き捲くったの。熱は出すし。お父さんからお手伝いに秘書さん借り出して大騒ぎになっちゃって。それ以来学校に行かせないことにしたんだ。とりあえず鈍感な私と匡だけ学校に行ってるわけよ」
「渡部さん「ごめん」て言ってるみたい。心当たりあるかな?」
強張った表情のまま頷く。
芽哉が真剣な表情で虚空を見詰める。
其の儘数分置いて、息を吐いた。
「良かった。うん。じゃあもう大丈夫。そのうち居なくなるから」
芽哉がにっこりと笑った。
「─────学校、どうなるのかな?」
西村が呟くように言った。
「俺すげえ学校好きだったかって言われれば、まあそんな愛校心とかあるわけじゃねえけど。…正直言って学校行くの怖い。何が起こってるのか考えるだけで…怖い。それ、五十八人分、全部揃ってんの?」
目の前の紙の束を指差した。
「たった今揃った」
「じゃあその中に渡部さんも、いるよ」
四人の目線が目の前の紙の束に集中する。
「最初は三年ばかりが死んだんだ。噂じゃ呪いだって話だった。そのうち、他校でも人が死んで。否、他校生の場合はうちの生徒と一緒に死んでたんだけど。で、一年二年てどんどん増えていって。たった二ヶ月で、五十八人。すげえ怖いのに、テレビとかマスコミとかも全然来ないし。なんか離れ小島にいるみたいで、怖くって」
此れだけ人が死んでいるのは、異常な事態でしかない。
都心から電車でたった三十分の処である。だのにまるで無視されているのは何故なのか。
「テレビとかマスコミには規制を掛けてあるらしい」
「何か知ってんのか?」
「詳しいことまでは解らない。私たちも自分が何処でどんな位置で動いているのか正確には解らないから。でも事態が大きくなり過ぎた。もう封じていることは出来ない」
西村の顔が訝しんで、気色ばむ。
「お前たち─────何なの?」
「なんて言うか。簡単に言うと探し物をしてるの」
芽哉が肘を突きつつ言った。
「探し物?」
それは説明として簡素すぎる。

「この事態に関わりがありそうなの。アレは人を好むから」

「お茶入れ替えようか」
匡は立ち上がった。
「あいつは此れ見ないの?」西村は親指で匡を指した。
「匡、馬鹿だもん。見たって解らないって言うし。それに死体とか解剖が怖いって泣くし」
台所で薬缶を掛けなおす匡のその姿を見やりながら西村は書類に手を伸ばした。
綴りには司法省と永年保存の印が押されていた。
死亡診断書。
括弧で死亡検案書とあった。その一枚目の書類に氏名は八島滋。男性。生年月日と死亡時刻が記され、死亡したところには橘高等学校と記入されていた。
あの時、校舎が反対側だったから騒動の詳しいことは知らない。すぐにブルーシートが掛けられてしまったため、屍体を見た者も小数だろう。特にあの校舎は美術室や化学実験室といった技術棟であったからだ。
西村は怪訝な顔をした。
二ヶ月前のことを思い出してみる。
慥かに、あの時飛び降た人物はすぐには誰なのか判明しなかった。生徒には知らされなかったのだ。三年の八島だということが伝わったのは丸二日置いてからだった。
当時は然程に不思議には思わなかったが、今なら奇妙だと断言できる。
あの時、すぐに誰なのか解らなかったのだろう。
死亡診断書の死亡の原因(ア)の欄には衰弱死とあったからだ。
「…これ本物だよな?」
「どういうこと?」
隣の綾が顔を向けた。
「此の死亡診断書だよ」
「本物だよ。丁寧に扱えよ」
診断書の一番下段を見てみると「上記の通り診断(検案)する」とされて監察医の名前がサインされ、実印が押されていた。日付も十月八日と成っていた。八島が死んだ二日後である。
「変だ」
「殆ど変死屍体だもん。変で当然でしょう。写真もあるわよ。見る?」
芽哉が綴りを開く。
解剖時のものである。其処に移っていた皮膚は、人のものには見えなかった。その写真には死体の生々しさのような恐怖はなかった。ただただ奇妙だった。死後たった二日でこんな干物のような皮膚になる筈はない。
匡が盆に紅茶とチーズケーキを持って卓子の端四方に置いて、自分も芽哉の横へ座る。
思わず次の人物の死亡診断書を繰った。
三年の朝川剛史。
外因死と成っていた。しかも他殺と。
蟀谷にペンが刺さっていたらしい。
外因死の追加事項には刃物による刺し傷が二十六箇所。打撲が三箇所。両脛部の骨折。
朝川は何かの事件に巻き込まれたと聞いていた。
然しこれほど無残な殺され方をしたなどとは聞いていなかった。
渡部斡利は四人目だった。
ただ渡部の死亡診断書及び鑑定書は他の人に比べれば酷く簡素だった。死亡に到る原因は脳挫傷。頭蓋骨と肩の骨折なども上がっていた。
六人目に級友の梶原春がいた。
十月二十七日の検案となっていた。
「梶原も…八島さんと同じ?」
見た写真には梶原の面影はまるで無い。干物のような黒ずんだバナナのような状態だった。そして彼の発見時の写真はその死体は黒い─────否血の中にあった。
そうだ。
梶原家は全員が死んだのだ。
「おかしい。絶対おかしい。なんだよ、これ!梶原は頓死じゃなかったのかよ?」
「外に漏らすことができないようなことは自然死になってるみたいだな」
「個々の人間関係に繋がりは無い。見えてこないって警察も言ってる。って言うか、学校って言う小さなコミュニティの中なんだから、何処かで繋がりがあってもおかしくないのよね。でも此れの犯人は確実に、まるで関係の無い人たちを選び出しているってことにならないかしら?」
「選び出してる?」
「そう。慥かに同時に三人が死んでるとかもあるんだけど、それ以外では関係性は見当たらないのよ」
「夢─────」
西村が思い出したように呟いた。
「夢を見てるはずだ。悪夢を」
芽哉が綾に説明を求めるように目を向けた。
「生徒の間での噂らしいよ、夢を見るんだって。悪夢」
「え、じゃあ…それがもしかして…?」
三分の二はもう一人の匡を見た。
曖昧に匡は笑い「たぶん」と言った。
「でも気配はしないよ」
「でも夢が共通点てことは…あれが関わっている確立は高いじゃない!犯人がアレだって仮定するなら─────その場合の犯行は二人以上、」
空気が透徹とする。三つ子が緊迫したことがわかる。
「つまりヌエが誰かの手に落ちてたってことか」
綾の顔が険しさを益す。
「仮定するなら、よ」
芽哉が半畳を入れる。
「待って」
今まで余り会話に加わらなかった匡が声を上げた。
「ヌエは不羈のものだよ。誰かの手に落ちるってことはまず無いよ。有り得ない」
「でも、じゃあ彼がこんなことまで仕出かすの?こんな人を殺して遊んでいるような…そんな…」
「だからさ、違うってこと」
「ヌエじゃないって?」
「そうじゃなくて、たぶんこの犯人は彼なんだ。そして、彼のほかに未だ共犯がいるんだろう。凶悪な愉快犯みたいな…快楽殺人者みたいなのがね。問題は…誰の手にも落ちることのない彼がこんな状態の渦中にいるって言うことだよ」
「─────ヌエがその快楽殺人者を許容しているってことね?」
匡が頷いた。
「余計質が悪いじゃん、それじゃあ!」
綾が悲鳴のような声を上げた。

誰も緘黙として静かだった。

西村には「ヌエ」の意味がわからないが、此の三つ子は何が起こっていることに酷く恐怖した様子だった。その様子を見遣りながら、チーズケーキを掴んで二口で食べた。
「西村は今日から此処に来たほうが良い。一人暮らしなら丁度良い」
何を考えているのか解らないが蒼白な顔をした綾が提案した。
「は?」
「此処には匡が居るから悪夢も見ない。匡は料理上手だし。そのチーズケーキ匡の得意技なの。美味しかっただろ?」
「どういうことだよ?」
「飽くまで仮定の話だけれど、その仮定で辻褄が合っちゃったのよ。匡が否定はするけど、可能性は零じゃない。だから」
綾の説明は矢張り説明になっていなかった。
伊能姉弟は何かを隠したがっているようだ。
「お昼は昨日のシチューが残ってるからそれとパンでいいかな?」
台所で匡が言い、承諾の声が上がった。





うつらうつらしていると、女性の声で放送が入り、暫くして少しだけ揺れた。
それで電車が動き出したのだ、と漸く悟った。
送電線がショートしたと原因を告げていたが、何故ショートしたのかは不明である。
たぶん原因が究明されることはないだろう。
此の降り頻る雨の所為にされるだろう。
少し欠伸をした。
黎明を迎えたのかと思ったがそれは思い違いであったようだ。相変わらず外は嵐である。
窓硝子に飛礫の痕が着く。そして電車の速度に飛礫を振り払い、また次の飛礫を受ける。それが繰り返されていた。
視界を広げれば窓の向こうには畠と所々に家並みが点在している風景が広がっていた。しかしそれも一瞬でしかなく、次々と光景を変えて行く。
それは幸福な日常があるように見えた。
『隣の芝』であろうか─────。
自嘲めいた笑みが浮かんだ。
然しいずれにしても今の自分よりは他人の方が遥かに幸福であるように思えた。
自分はあそこへは辿り着けない。
恐らく─────。
羨望。
違う。
嫉ましさが募る。
外と交わりつつ大切な人の顔を見ながら生活をする。
それは自分の上には訪れない、知ることの無いだろう世界だ。
つと息を着き思考を断ち切った。
では誰彼無く憎悪を募らせそうだった。
横を見れば頭の天辺が禿げ罹った中年男性が寝扱けていた。彼の組んだ腕の中には真ん中が圧し折れた麦酒缶が納まっていた。
背広姿である。仕事の移動中だろうか。
昼間から麦酒とは。
蔑むように男性を見る。酷く下らない人間に思えた。
こんな下らない人間でさえ人間としての摂理の上に生きている。
再び目を閉じた。
目的地にはもう少し掛かる筈である。
「睡ろう、」
呟いた。









26/02/06
一旦書き上げたものを校正しながらアップしているんですが、読めば読むほど余りの文章の幼稚さと表現力の無さに呆れます。
まあそんな愚痴はどうでも良くって。
未だ未だ続きます。自作ってなんかコメント無くなるなあ。
芽哉は東京の大叔父の処に預けられているので、ムスカも知ってます。が綾も匡も知らないでしょうね。
世間知らずですから。