この世に生れ落ちて、17になった年の春。

木々の葉が、柔らかい色を添えて芽吹き始めた季節。

まだまだ日が落ちれば寒さに震えてしまうが、さんさんと降り注ぐ日差しは次第に暖かみを帯びていく。

そんな光の中。

年の頃は17、茶色の短い髪を汗で湿らせながらも、一心不乱に目の前の男をその藍色の瞳で睨みあげては切りかかる一人の少年がいた。

名前をギル・ファールスと言う。

一体、どれほどの重さがあるのかと思う大剣を振り回し、対じしている赤い髪の男に何度も剣を振り下ろす。

赤い髪の男はその一つ一つの攻撃を、いともたやすく同じ武器で弾き返しては、不敵に笑う。

時折、赤い髪の男がバスターソードと呼ばれる大剣を、茶色い髪の少年ギルに振りかざせば、ギルは振り下ろされる重みに耐え切れずバランスを崩す。

すかさず男は、バランスをなくしたギルの片足を自分の足で弾いた。

受身を取ろうとして出した片手さえも、男は足で弾き返し、見事に地面に体を打ちつけた己の弟子に冷たい視線を送る。

すぐに上体を起こしたギルだが、ずっと動かしていた体は思った以上に自分の意に反してスムーズに動かず、荒れた呼吸は少しも収まる様子を見せずに、ただ新しい酸素を求めて胸を上下に動かすだけだ。

見上げる赤い髪の男。自分の師と仰ぐ者は、呼吸一つ乱さずにこちらを見下ろしている。

そのことに気が付くと、ギルはいっそうにその蒼い瞳で睨みあげる。

ギルの師匠である赤い髪の男、名を天命・紅炎と言う。

彼は睨みあげる弟子の目を見て、楽しそうに笑い、己の武器を下ろした。

 

「さて、まあお前自身気が付いてねぇだろうけど、お前の弱い部分は腰だな。腕の力だけじゃあそれ以上の力は受けきれねぇ。腰を使って、足を使え。」

 

腕と足だけは問題ねぇんだけど、両方を繋ぐ部分が駄目なんじゃ話にならねぇな。

言い聞かせているのか、単なる呟きか。

しっかりと聞こえた最後の言葉に、ギルは先程から座り込んだままの姿勢で、むすっとした態度を見せる。

己の弱点を指摘され、礼を言うどころか、ますます機嫌が悪くなったようだ。

 

「お前、師匠に対して礼の一つも言えねぇのかよ。」

 

そう言えば、ますます口を尖らすようだ。

先程までは感じなかった心地よい風で頭を冷やすかのように、ギルは自分の頭をがしがしとかき回し、一呼吸置いてから、「有難う御座いました」と低く呟いた。

地面に胡坐をかき、自分と目を逸らしたままの小さな礼に、天命は少々納得がいかなかったが、珍しい弟子からの修行の願いに、まあ、良いか。と肩を竦ませた。

 

 

 

師匠、天命との手合わせの帰り、幾分か軽くなった足を動かし、ギルは自宅へと続く森の中を歩いていた。

穏やかな風がそよぎ、暖かな日差しは木漏れ日から眩い光を放っている。そんな道を歩いていたギルは、ふと立ち止まると左右に視線を巡らし、木々の間、道無き道へ徒歩を進めていった。

 

(高い所から何度か飛び降りてみろよ。あれだって衝撃を他へ回すのに足以外を使うだろ?ま、猿のように木に登れ。登りすぎて頭まで猿になるなよ?)

 

にやにやと笑っていた己の師匠の帰り際の言葉を思い出し、ギルは一人こぶしを握り締めた。

 

(何だってあのジジィは一言多いんだ。ボケジジィ!)

 

自分自身、その師匠の性格を引き継ぎいつも一言多いことには気が付いていないようだ。

そんなことよりも…。ギルはイライラする元凶を無理やりに頭の隅に追いやると、一本の大きな木の前で立ち止まった。

 

(・・・猿じゃねぇけど・・・。)

 

一応自分の中で言い訳がましいことを呟きながら、もとより高いところへ登ることが好きなギルは、背負っていた武器を木の根元に突き立てると、よっ、と言う掛け声と共に木に登り始めた。

幼い頃から、手近な遊びとして木に登っていた。

むき出しの腕や足に擦り傷を作りながらも、何処まで上れるのかが楽しくて、色々な木に登っては親に怒られもした。

身長が伸びるにしたがって、登れる範囲や木の種類が多くなり、次第に木に登るそのことよりも、高い木々の上にあるものを求めて登ることが増えた。

今回もあっさりと天辺にたどり着き、ギルは落ちないよう気をつけながら空を仰ぎ見た。

夏の空とも冬の空とも違う水色をした空に、柔らかそうな白い雲が流れている。

真っ直ぐに視線を戻せば、芽吹き始めた緑の色があちらこちらと、眼下に見える。

そして、時折体当たりしてくるかのような、道を歩いていたときとは明らかに強さの違う風。

その風の強さの所為か、体に受ける風の心地よさの所為か、ギルは目を細める。

一時、高い所に登るという行為が好きなのは、自分が他のものを見下ろしたい、悪く言えば見下したいと心の奥で思っている願望の表れじゃないかと、思ったりもしたが、今では違うと言い切れるものがある。

単純だが、この自由気ままに吹き荒れる強い風が好きなだけだと感じた。

地面の表面を吹く穏やかな風でなく、自分の意思で流れる空に近い風が。

ギルは一度、溜まっていたものを吐き出すように大きく息を吐くと、どっかりと木の枝に腰を下ろした。

せっかくここまで上ってきたのだし、良い風も吹いている。簡単に下に降りては勿体無いと思ったのだ。

ただ、この場所で寝るような無謀さは流石に持ち合わせてはいない。

こんな高さから落ちたら、普通の人間は死んでしまう。

そんな場所まで上ってきたのだ。

ぼんやりと、ただ時を過ぎるのを見ているのも、たまには良いんじゃねぇか。とギルは独り愚痴た。

 

 

 

あれは、一足早い雪解け水が小川となり始めた頃のことだった。

ちゃんとした防寒と、手入れを怠ったことのない自分の武器を担ぎ、ギルは師匠である天命の後ろを歩いていた。

家から遠く離れた、初めて来た小さな村に入ると、その村の村長と思われる老人が二人を迎えた。

 

「良く来てくださいました。お待ち申しておりました。」

 

明らかに自分より年下の天命とギルに頭を下げ、村長は二人を暖かな場所へと招きいれた。

何処にでもいるような、小柄で白髪な男。

そんな村長よりも、ギルはこの村からの仕事の内容の方が気にかかる。

初めて現場と呼ばれる場所に赴き、最初から最後までを見届ける。

この村の被害や恐怖など、正直気にもならないが、敵を知る大切な情報だと知るから、村長の話を天命の後ろで聞いた。

 

遠く離れたと言っても、同じ大陸内の場所。

建物や風習に自分の村と変りの無いことをみて、何となく拍子抜けする。

村長の話を聞き終え、建物から出たときに吹いた風が妙に寒かったことを覚えている。

冬も終わりだと言うのに、冬独特の灰色の空が村を覆っていた。

下手をすれば雪でも降るんじゃねぇかと、真剣にギルはそのとき思った。

村長から聞いた言葉を頼りに村外れへと足を向ける天命の後を追いながら、ギルは、そういや、村長以外の村人見ねぇな、と今更ながらに、小さくなる村を振り返った。

 

 

「今回の仕事は、この洞窟に住む魔物の全滅だ。わかってんな?」

 

村からそう離れていない、人が2人並んで入れそうな洞窟の前で、天命は足を止め、後ろのギルを振り返った。

自分の弟子がきちんと頷くのを確認すると、天命は目の前の洞窟を指差し、

 

「お前一人で駆除してみろ。」

 

と、意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「は?」とギルが師匠を仰げば、天命は笑いを引っ込め、中に住まう魔物についての説明を始めた。

 

土焔蜂 ― 性格はいたって凶暴。洞窟内に巣をつくり、      団体行動をとる。一匹の大きさは大人の胴体      ほどの大きさがあり、肉食の彼らは、小さな      人間の子供なら、難無く連れ去り自らの子供      の餌とする。冬の間は繭を作り冬眠するが、      春が訪れると、越冬してなくなった栄養を補      充するかのように、狩りに走る。
      ちなみにこの繭は頑丈で、越冬している間は      どんな攻撃も受けつけない。




「あの村では子供が一人犠牲になった。冬眠から覚め始めたみてぇだな。そして、こいつらの一番の特徴が、炎以外に有効な攻撃が効かないことだ。」

剣で切ればその場で再生が始まり、細切れにしようとすれば、他の蜂に攻撃される。そこら辺の弱い炎では効くはずも無く、岩を溶かすほどの高温の炎がないとこの蜂を殺すことは出来ない。


「・・・それを、炎の魔法を使えない俺にやらすんですか?」


「そうだな。今回は力だけの問題じゃねぇな。お前がどう動くかが問題だ。」


「師匠が炎を放てば早いんじゃないんですか?」


「ああ、そうそう。俺はいないものと考えろ。」

ギルは思いっきり顔を顰めた。

火すら出せない自分が、どうやったら岩をも溶かす炎をこの洞窟に放てるの言うのか。
そっと、洞窟に近寄れば、奥からは聞き覚えのある蜂の羽音が幾つにも重なって聞こえてくる。


「タイムリミットは今日の夕刻ってところか…。」

勢い良く振り返ったギルに天命は、どうした?などとわざとらしい言葉を投げかける。

今の時刻は昼過ぎ。

どう考えても、今ここで何かをしないと羽化に間に合いそうにはない。

岩をも溶かせる高温の炎…。
考えるもの考えるもの、小さな炎かどう考えても時間の掛かりすぎるものばかりで、ギルは小さく舌打ちをすると、この洞窟の回りに何か役立てるものはないかと、その場から駆け出した。

洞窟の周りは森というよりは林に近く、木の一本一本でさえ、どこか細く弱弱しい。
耳を澄ませても小川のせせらぎすら聞こえず、付近に水や岩がないことを示している。
洞窟そのものを塞いでしまうのはどうだろうかと考え付くが、洞窟を塞げるだけの、それも凶暴な魔物を閉じ込めておくだけの扉が付近に無いことに、ギルは今度こそ大きく舌打ちをした。

ギルが焦りながらも洞窟の前に戻ってきたときには、空はオレンジ色に輝き始めていた。
洞窟から聞こえる羽音は、昼に聞いた時よりも大きく、近づいていることが分かる。
チラリと視線をやれば、天命は洞窟の側の木にもたれ、腕を組んでこちらの様子を観察している。

もう一度、一通りの考えを巡らせ、そのどれもが上手く当てはまらないことを確認すると。
ギルは洞窟に向かい武器を構えた。


「どうすんだ?何か良い考えでも浮かんだか?」

のんびりとしていて、どこか怒気をはらんだ天命の声がギルの背後から突き刺さる。


「考えはない。一匹ずつ細切れにする。」


「お前が一匹でも逃せば、その被害はあの村へと行くんだぞ?弱いものから順に。被害を無くすために呼ばれたのに、そんな出来るかどうかも分からねぇ行動で良いのか?」


隠すこともない怒気を含んだ声に、冷たい眼差し。
それが自分の背に突き刺さるのを感じながらも、ギルはただ武器を握るだけだ。


「お前のその考えが、あの村を滅ぼすかも知れねぇんだぞ。」


他に考えが無かった。そう怒鳴り返そうとした時、洞窟から一匹の土焔蜂がゆっくりと姿を現した。

すぐさま飛び掛り、真二つに切り裂いた。
二つにされた位では再生してしまうのか、切られた胴体がピクピクと動いているのを確認すると、ギルはすかざず細切れにするべく大剣を振りかざした。
しかし、一匹目の蜂がちゃんとした死を迎える前に、洞窟からまた一匹、そしてもう一匹現れた。
2匹はすぐに仲間の死骸に気が付き、己の敵である少年に目を向けた。
ギルはその目を真っ向から受け取ると、鋭く息を吐き出し、駆け出した。

天命は木にもたれたまま、自分の弟子の行動を冷めた目で見ていた。

こちらに有利になるものが何もない地形。少々厄介な敵の特性。依頼内容。
どう考えても、出せる答えは一つしかない。
それでいてとても簡単な答えが。
その答えも見つけられず、あまつさえ全てを危険に曝すような行動に出たギルに、天命はふつふつとした怒りが湧き上がるのを自覚する。
自分の失敗が、どれほど大きな被害に結びつくのか、若い彼には分からないのかもしれない。
ここへ来る前に、被害にあった子供の家へと訪ねてみれば良かったかも知れねぇなぁ。と、天命は師匠としての自分の行動を省みて、失敗したか。とため息を付いた。

もう一度、天命は自分の弟子へと目を向けた。
ギルは、切り落としたはずの一匹に足を深く噛まれ、もう一匹に自らの首を狙われ、自らの動きが取れなくなっているようだ。そうしている間にも、洞窟の入り口にはちらちらと新しい土焔蜂の姿が見え隠れしている。


(・・・ここまでか。)


天命は大きく息を吐き出し、ゆったりとした動作で体を預けていた木から体を離すと、次の瞬間には素早い動きを見せた。
弟子の襟首を後ろからつまみ、後ろに引っ張ると同時にギルの足に噛み付いていた一匹の頭を蹴り飛ばした。乱暴に取り除いた所為か、ギルが呻き声を上げたが、今の天命には同情する気分にはなれなかった。
ギルの首を狙っていたもう一匹は、突然現れた天命に足を掴まれ、そのまま洞窟の中の巣へと放り投げられた。
そして素早く呪文を唱えると、この魔物を殺せる唯一の方法、岩をも溶かす炎を洞窟の中へと放った。
洞窟の中が真っ赤に染まるのを確認すると、天命は後ろで突っ立っているギルを振り返った。一発ぶん殴ってやろうかと思ったが、赤く燃える洞窟を見ながら強く唇を噛み、小さく震えながら、何かを堪える様にして拳を握ったギルを見て、天命はそれを断念した。

悔しい。

そんな言葉を、全身から漂わせている相手を、天命は殴ることが出来なかった。

「さて、今回の正しい答えを教えてやろう。」


ちゃんと洞窟の炎が消えるまで、全滅させたことが確認できるまで、その間に、天命とギルは洞窟から少し離れたところに座り込み、話を始めた。
相変わらずギルは手を握り締め、今度は悔しさからくる苛立ちを自分の中で処理するために必死の様子だが、天命は気にせずに話しを進めた。

「今回の正しい考え方。一番楽な方法。それは俺を使うことだ。」


聞き間違いかと思ったのか、ギルがふと顔を上げ、天命を凝視した。
そんなギルに天命は頷き、もう一度同じ言葉を繰り返した。


「・・・師匠、最初に自分はいないものと思えと・・・。」

納得のいかない声に、天命はそれでもだ。と答えた。


「師匠としての俺がいなくても、この付近で時間内に炎を作ることが出来るのは俺だけだ。なら俺に頼むのが一番だろう?」


「そんなのはっ・・・!」


卑怯だと、言いそうになったギルは、そこで口を結んだ。今回の戦いの向こうにある人の命に、卑怯も何もないことを思った。
例え卑怯だろうと、醜かろうと、炎を操れる人が側に居るのなら、他に方法がないのなら、その人に縋って頼み込めば、一番安全に、そして確実に殲滅すること出来た。
「俺はいないものと考えろ。」の言葉を単純に受け止めた瞬間に、一番安全な方法を考えることを放棄したのだ。

言われなければ判らない。
確かにそうかも知れない、しかし、良く考えれば出てきたことかも知れない。
項垂れるギルの頭を天命は軽く叩くと、「ちゃんといなくなった事を確認してから帰るぞ。」とだけ告げた。





突然乱れた風の音に、ギルは我に返った。
高い木の上でぼうっとしていたら、先日の出来事を思い返していたらしい。
今でも思い返せば、悔しさと自分に向かう怒りで気持ちが荒立つが、何かを得た出来事だったことも事実だ。
あの出来事で自分が何を得たのかは分からないが、今のままの自分ではいけないと、強く思うようになった。
自分の中の変化を口に出すことはなかったが、仕事を終えての家への帰り道、天命が「良い経験をしただろ?」と優しく告げたのを聞き、自分の師匠には何かが伝わっているのだろうかと、不思議に思いながも、頷いた。


「その場にある、使えるものは利用しろってやつか?」


小さな拘りやプライドよりも、優先するべきものがある。

そう呟くと同時に、足元に広がる柔らかい新緑が芽吹いた木々が、まるで緑色の波のごとく風に吹かれた。
それを何ともなしに眺めていたギルだったが、ふいに小さく伸びをすると、「さて、どこら辺から飛び降りるかな」と、登ってきたと同様に器用に降りていく。
人気がなくなり静かになった木の上からは、海の引いては返す波の音に似た風が穏やかに、途切れる事無く吹いていた。緑色の波を背景に。


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