〜オニゴッコ〜
「なぁ、鬼ごっこしねぇ?」
唐突に告げられた誘いに、読んでいた書物から顔を上げると、カインが悪戯を仕掛ける時の子供のような顔で、私を見下ろしていた。
「鬼ごっこ?」
「そ、鬼ごっこ。この家の中でだけでも出来るだろ。無駄に広いし」
楽しげに細められる深い銀の瞳から、私は視線を外すとため息を吐いた。
子供をとうに過ぎた年齢の男を捕まえて、鬼ごっこ?
「カイン、暇なら何処かへ・・・」
「あんたに、俺を捕まえられる?」
声音は変らずだが、もう一度真っ直ぐに見たその瞳は、さっきよりも強い光を放っていた。
黙っている私を見ながら、静かに目を伏せ、パチリと開けたかと思うと次の瞬間には何時もの如く、楽しそうに私を試す。
「それじゃあこうしよう、アーク。時間内に俺を捕まえたら、俺はあんたの言う事をなんでも聞く。その代わり、あんたが俺を捕まえられなかったら、俺はここを出ていく。」
「何を・・・」
「時間は、そうだな。今から2時間以内。
・・・それじゃあ俺、逃げるから。十数えたら動いて良いぜ。」
相変わらず唐突過ぎる。
そんなに私を不安にさせたいのか。
カインが出ていった扉が閉まるのを見届けると、私は肘を付いた手でこめかみを解し、読みかけていた本を閉じてから立ち上がった。
カインを捕まえるために。
追って、来るんだろうか・・・。
俺は出てきた部屋から伸びる廊下の、突き当たりの壁に寄りかかってその扉を眺めていた。
部屋から、ここまでは距離があり、例えアークが出てきてもすぐには捕まることは無い。
出て来る事が、あるなら・・・。
時折、物凄い不安にかられる。
心臓を直に叩かれるような、息も止まるような衝撃とともに、不安が体中を駆け巡る時が。
大概、俺はその時アークに必要とされていることを望む。
俺が、アークを必要としているのではなく、
アークが俺を、必要としているのだと、優越感を持つ事を望む。
優越感と共に感じる、嬉しさと、心地よさと、愛しさを感じるために、俺は何も告げずにアークを試している。
もし、あいつがあの部屋から出ず、俺を追って来ないなら、その時が来ただけで、
多分、俺は、アークを殺して自分も殺すだろう。
必要とされなくなったら、誰かに取られる前に・・・。
俺は、こんな事すら考えられるほどに、あの男のことを考えているのに、向こうの心は読めない。
俯いていた俺は、その気配に顔を上げた。
見ると、俺の真正面にある部屋から、アークがゆっくりと姿を現した。
一人で考えていた不安が馬鹿のようだ。
追って、来た。
丁度、扉の向こう側に、カインが立っていた。
私が追ってくるのを確認するかのように。
扉を閉め、距離のあるカインに真正面から向かい合うと、クスリと笑って、身を翻し逃げた。
いつもそうだ。
カインはいつも私の手の中から、するりと逃げていく。
手で掬った清らかな水のように、鳥かごに入れた風のように。
私は、それらを閉じ込めておくすべを知らない。
力でねじ伏せる事は容易だろう、しかし、それだとあの瞳が輝きを失うだろう。
本当の自由を私に取られた時に・・・。
心穏やかで、胸を黒く染め、嬉しくて、悲しい。
暖かく、けれども冷たく、自由に羽ばたく姿に焦がれ、その翼をもぎ取ろうと願う。
「カイン」
ある部屋に入り、その名を呼ぶ。
部屋の中には、大きなベットと小さなタンスに、レースのカーテンが揺らめく窓。
窓から逃げたか?
その部屋を見渡し、小さく笑うと私はその窓を静かに閉めた。
パタンという小さな音と、気配の消えた室内。
アークの奴、ちゃんと窓から出てったか?
一応気配は消してるけど、ばれてる可能性の無くはねぇよな。
さて、どうしようか?
取り合えず、もう一度室内の気配を探り、誰もいなさそうなのを感じると、静かに俺はその場から出た。
俺が隠れていたのは、タンスの中。
ありきたりだが、この部屋、家具が少ねぇし。
ベットの下じゃ覗かれれば一発アウトだし、窓から逃げたら、一応家の外になっちまうから、なんとなく嫌だった。
今のうちに、別ん所に移動するか。
そう、扉に手を掛けようとした時だった。
いきなり目の前を長い腕が塞いだ。
「!?」
驚いて、その腕の先を目で追うと、アークが楽しそうで、嬉しそうな、けれど少し怖い小さな笑みを浮かべていた。
「いたのかよ、この部屋に。」
「そうだ。逃げないのか?カイン」
目の前に腕が伸びているだけで、アークは俺に触れていない。
やってる遊びが「鬼ごっこ」だから、鬼に触れられていない俺は、まだ逃げる事が可能、だが・・・。
こんな状況で逃げられるわけねぇだろうが。
「逃げて良いわけ?」
嫌味を込めてそう言ったら、アークの顔が降りてきて、そっと触れるだけのキスをされた。
手すら繋いでいないのに、最初に触れたのが唇。
「これでゲームオーバーだな。」
そう言いつつ離れていくアークに、俺は顔を背けた。
何か、自分から仕掛けたゲームなのに、向こうにしてやられた気がして・・・。
はずいんですけど。
「どうしたカイン。顔が赤いぞ?」
このやろう、分かってて聞いて来やがったな、顔が笑ってるんだよ!
「くっそ。もう鬼ごっこは絶対やらない。」
「何故だ?意外と楽しいと思うが?」
「冗談。一人でやってろよ、俺は嫌だ。」
「一人でどうやってやれと言うんだ、お前は。」
「知ったことか!俺は絶対やらない!」
「今度はお前が鬼になれば良い。」
「・・・・・。」
「どうだ?」
「・・・それなら、やる。」
くっそ〜!またしてやられた!!
楽しげに微笑むアークを睨んでやるが、こいつはますます優しい顔をして、俺に手を伸ばす。
逃がさない為に。