その日はとても冷たく、暗い日だった。
風が吹き荒れ雨が強く地面を叩く、そんな日に、その運命は訪れた。
つよい風に負けぬようにと強く叩かれた扉を、その城の主が怪訝そうに開けた。
扉の外にはずぶ濡れになった人物が、雨が止むまで体を休ませてくれないだろうか、と城の主に頼んだ。
城の主は、怪しげなその人を中へは入れず、外へと無情にも追い返した。
その仕打ちに怒ったずぶ濡れの人は、城の主に魔法を掛けた。
人を愛さぬ城の主に、人を心から愛し、また愛されなければ解けない魔法を。
それは、人間の世界に下りた神からの戒め、試練だった・・・。
 
 
 「・・・おい。」
短くそう呼ばれ振りかえったのは、長く静かな光を放つ、銀の髪を持った者でした。
 「・・・人を呼ぶときは名前を使えと、言っているだろう?」
アメジストで作られたような瞳を細め、呆れたように言う銀髪の彼に、
 「リーヴァ。金を手に入れてくる。留守番していろ。」
彼の父親にあたる男は、にべもなくそう言いました。
黒い髪に黒い瞳、不思議な空気を持つリーヴァの父親です。
 「・・・いつも思うのだが、どうやって金を作っているんだ?」
首をかしげるリーヴァに、父親のクガイは小さく唇を上げただけでした。
ふつふつと湧き上がる嫌な予感を無理やり押し殺し、リーヴァは扉の外へと足を進める父親に、いってらっしゃい、と声を掛けました。
まるで読めない不思議な男ですが、一応父親なのです。血が繋がっているのか物凄く怪しいですけど、唯一の家族なのです、
たった一人の家族をやすやすと見放すほど、リーヴァは彼が嫌いではないのです。
小さなため息を一つ溢すと、リーヴァは家事に勤しむのでした。
 
 
 何時もの如く、山賊や追いはぎをプチッと潰し、その有り金を頂いていたリーヴァの父親、クガイは、
来た事もない不気味な道に迷いこみ、日も当たらない、濃い霧が辺りを包む森の道を楽しげに歩いていました。
この男に常識が通用しない事を、始めに言っておいたほうが良いでしょう。
何せこの彼、突然目の前に現われた朽ち果てた不気味な城に、躊躇いもせず入っていくほどなのだから。
不気味な鳥の声が響き、辺りは夜でもないのに夜のように暗く、
木々は生きる事を止めたかのように朽ち果て、生きているもの全てを吸いこんでしまうかのようです。
クガイは歩むスピードすら変えぬまま、そんな森に溶け込んでいる朽ちた城の扉を開けました。
カタカタ、と風もないのに、入り口近くの時計が動いたような気がしたが、クガイは気にせず奥へと進みました。
コーン、コーン、と目の前を陶器のポットが横切りましたが、クガイは気にせずさらに奥へと進みました。
どん!どん!と入り口にあった時計が目立つようにわざと、力強く地面を踏みしめていようが、
何度も何度も目の前を、まるで気ずいて下さい、と言わんばかりに通るポットがいようが、
クガイは、ちらり、と視線をくれてやるだけで、後は振りかえりもせず奥へと進みました。
ついに一番奥の部屋へとたどり着いたクガイが、足を止め、扉の取っ手に手を掛けた、その瞬間。
力強い風が吹き、思わず目を庇ったクガイが次ぎに顔を上げたとき、何故か牢屋に入れられていました。
 
「私の城に何のようだ?」
牢屋に響く低い声に、クガイは鉄格子の向こうを見ました。
「許されざる事をしたこと、分かっているのか?」
今にも崩れそうな壁にある蝋燭が灯す、暗闇と明るい場所との境から、茶色い毛に覆われた大きな獣が、ゆっくり、ゆっくりと現われたのです。
手入れのされてないゴワゴワの茶色の毛並みに、鋭い牙と爪。
大きな体の割に細い四本の足は、俊敏そうな感じを受けます。
毛の色と同じ、茶色い瞳には野生の動物の強さが見て取れました。
「もう一度聞く、私の城に何のようだ。」
「金目のもん荒しに。」
間髪いれず正直に答えたクガイに、大きな獣は言葉に詰まったようでした。困ったように押し黙ってしまったのです。
「家に帰らないといけねーんだが。一応子供がいる身だからな。」
その言葉に、ピクリと獣の耳が反応しました。
「お前、子供がいるのか?なら、お前をここから出してやるのと交換条件だ。お前を逃がしてやる変わりに、お前の子供をこちらへよこせ。」
親が聞いたら失神ものの言葉に、しかしクガイは顔色一つ変えません。
もしかして彼は、自分の子供のことが嫌いなのでしょうか?
「聞こえたか?お前の子供をこちらへ渡せ。」
確実に聞こえているはずなのに、クガイは動きません。
本人の了解を聞かず、クガイを閉じこめていた牢屋の扉が独りでに開きました。
「さあ、家に帰れ。」
どこか楽しそうに聞こえる獣の声を聞きつつ、クガイは牢屋の外へと足を運び始めます。
ゆっくりと歩みを進め城の外へと向かうクガイを、獣は動かずに見送った後、また光の届かぬ闇へとその大きな体を隠しました。
 
 
「嫁に行って来い。」
「寝言は寝てから言え。私は男だ。」
家に帰ってくるなりただいまも言わず、わけの分からない事を父親に言われ、リーヴァが即答しました。
「てめーの性別など、俺の知った事か、本人が欲しいと言ってるんだ、行って来い。」
「先にちゃんと説明をしてくれ!」
突然の事に何が何だか分からないリーヴァは、思わずクガイに大声を上げました。
クガイの唐突の言動はいつもの事なのですが、今回ばかりは内用が内用なだけに、簡単に受け流す事が出来ません。
詳しく説明を聞き、どうしてそんな事になったのか納得しなければなりません。
もし、相手にクガイが失礼な事をしてそんな事になったのなら、自分は男だからときちんと伝え、無礼を詫びなければなりません。
深く、本当に深く、リーヴァはため息をつきました。
「まあ、いい。私がそこへ行って、きちんと詫びをしてくるから、場所を教えてくれ。」
「幸せになれよ。」
クガイがちっともそうは思っていない声で、リーヴァに告げました。
「・・・・・・・ちゃんと帰ってくるからな、私は。」
ぐっと、こぶしを握り締めて、リーヴァはきっぱりとクガイに告げました。
それと同時にリーヴァは思いました。 この男をどうにかしてくれ、と。
 
 
不気味な鳥の声が、霧の立ち込める暗い森に響き渡ります。
生気のない木々が風にあおられ、まるで甲高い女性の叫び声のような音を立てます。
生ぬるい風は、肌を舐めるように通りすぎ、寒くもないのに鳥肌が立つ、そんな森を、
リーヴァは平然と歩いていました。
さすがクガイの子供と言うべきでしょうか? その瞳には、呆れと怒りしか映っていません。
たいした説明も受けなかったリーヴァですが、程無くして、問題の寂れた城へたどり着きました。
思わずリーヴァは顔を顰めました。
こんな寂れた城に、果たして誰かが住んでいるのでしょうか?
もしかしたら父親に担がれたのかも知れないと、リーヴァは思いました。
しかし、父親が自分をだます必要がないと考えると、やはり誰かがこの城に住んでいるのでしょう。
リーヴァは錆びた鉄の門を開け、中へと入って行きました。
 
「すまない、誰かいないか?」
城の中へと声を掛けながら、リーヴァは暗い城の中を歩いていました。
明かりを作りだす唯一の蝋燭も、弱い風に吹き消されそうに頼りなく、しかし大きな影を作り出しています。
先ほどから声を出しているのに、城の中は静まりかえり人が住んでいるような気配がしません。
ただの廃墟としか思えない城の様子に、リーヴァは顔をしかめます。
やはり騙されたのか、とリーヴァが思ったとき、蝋燭の明りよりも明るい光がとある扉から細く漏れていました。
誰かいるのだろうか、とリーヴァがそっと中を覗うと、部屋の中に人の気配は無く暖かな炎が燃える暖炉が優しくリーヴァを迎えました。
「・・・誰かがここに住んでいるのか。」
ぽつりと呟きながら、リーヴァはその部屋の中に入りこみました。
オレンジの火を力強く揺らしている暖炉に近づくと、その暖かさに、リーヴァは自分の体が冷えていたことに気がつきました。
知らず知らずのうちに緊張をしていたのでしょう。 リーヴァは暖かな暖炉の前から動けなくなってしまいました。
辺りを覗い、誰もいない事をいいことに、リーヴァは暖炉の目の前にある大きな椅子に座りこみ、少し休む事にしました。
椅子に座り体を背もたれに預けると、急激に眠気が襲ってきました。
こんな所で眠ってはいけないと、頭の片隅で声がするのですが、暖かな暖炉の温もりと柔らかい大きな椅子に包まれ、リーヴァは重たい瞼をゆっくりと閉じてしまいました。
 
「なぁなぁ、やっぱりこいつだよな?さっきの人間の子供ってさ!」
「だと思います。ここへ来る人間は滅多にいませんから。」
「じゃあ、やっとか!?」
「それは分かりません。もしこの人が、あの方を・・・」
誰かの話し声でリーヴァの目が覚めました。
ぼんやりしたまま重い瞼を持ち上げると、自分の足元に時計と陶器のポットが転がっているのが見えました。
「・・・ん・・」
目を覚まさせる為に、リーヴァが瞼を擦り体を伸ばし椅子から立ち上がりました。
「?」
そしてもう一度自分の足元を見たのですが、そこにはさっきまであった時計とポットがありませんでした。
身間違いか?とリーヴァが何気なく後ろを振り向いた次ぎの瞬間。
リーヴァの目の前に、大きく恐ろしい茶色の獣が牙をむいて立っていました。
「なっ!!?」
「この城に何のようだ!」
驚きに固まるリーヴァに、その獣は吼えるようにそう言いました。
「今すぐ出て行け!」
さらに茶色の大きな獣はリーヴァを追い詰めるように、ゆっくりとこちらに近づいて来ます。
突然現われた恐ろしい獣に、リーヴァは驚いたまま動く事が出来ません。
「聞こえているのか?」
リーヴァのすぐ側まで来た獣が、囁くようにそう言いました。
その声にはっとしたリーヴァは、アメジストの瞳を真っ直ぐに獣に向け、きっぱりとした声で言いました。
「私はここへ、迷惑を掛けた父の代わりに謝りに来ただけだ、用が済めばすぐに帰る。」
「・・・・・」
茶色の獣はリーヴァの瞳を不思議な思いで見つめました。
神秘的な光を放つ銀の髪に、綺麗な顔立ち、宝石のような瞳は光の加減によって色の濃さが変わるようです。
「・・・・・」
またリーヴァも不思議な気持ちで獣の瞳を見つめました。
恐ろしい外見や低い声とは裏腹に、その濡れた樹木のような瞳に言い知れぬ寂しさと優しさを見たのです。
二人、その瞳を見つめたまま動かずにいると、扉の外から賑やかで慌てたような声が近づいて来ました。
「王子!!その人を帰しちゃだめだー!」
「お願いですから、ここにいて下さいー!」
その二つの声の主たちは、少しだけ開いていた扉から滑りこむように現われました。
コロコロと転がりながら現われた、その二つの影にリーヴァはまたしても驚いて、瞳を大きくしました。
そんなリーヴァを見て、獣は、紫の瞳の色がわずかながら変わったことに不思議な感動を覚えました。
驚いているリーヴァの目の前に現われた、置時計と陶器のポットは必死になってリーヴァに訴えかけています。
帰らないでくれ。ここにいてくれ。あまりの必死さに、リーヴァは思わず。
「わかった、しばらくここにいるから。そんなに暴れないでくれ、壊れてしまうぞ?」
その返事を聞き、時計とポットはリーヴァの忠告も聞かず、今度は喜びのあまりに大きく飛び跳ねました。
 
 
リオンと名乗った時計とハクロと名乗ったポットは、リーヴァの前を飛び跳ねながら進んでいきます。
「あの部屋とこの部屋と、ちょっと散らかってっけど好きなように使ってくれ。」
「気に入った部屋を使ってください。好きなように見て回ってもかまいませんから。」
その声と飛び跳ね具合から、二人とも上機嫌であることは一目瞭然です。
リーヴァはそんな二人を見て、よほどお客が来るのが嬉しいのだな、と勝手に解釈をしました。
そしてグルリと辺りを見まわします。
暗い廊下の隅には恐ろしい銅像が飾ってあり、綺麗だったであろう窓辺に掛けられたカーテンは無残にも引き裂かれています。
場所のよっては壊れた家具が散乱し、とてもじゃありませんが人の住めるような場所とは考えられません。
何故このような場所に、彼らは住んでいるのでしょうか?
元は綺麗だったであろうこの城は、ただの廃墟としか思えません。
まあ、数日ほど家に帰らなくても大丈夫だろう、と考えたリーヴァは、この城とここの主、茶色の獣のことを考えていました。
人と接する事を恐れていたような瞳が忘れられません。
人を恋しいと無意識に感じていた茶色の瞳が、その外見の全てを裏切っていました。
「・・・・・・・」
茶色い獣のことを考えているうちに、リーヴァの足はだんだんとスピードを落として行きます。
考えに没頭していて、周りの事が頭に入っていないのです。
ついには立ち止まってしまったリーヴァの前を、時計のリオンとポットのハクロが気づきもせずに先に行ってしまいます。
リーヴァは置いて行かれたことに気付かず、リオンとハクロは、リーヴァを置いていったことに気付いていません。
はっと、我に返ったリーヴァが慌てて辺りを見まわした時には、二人の姿は見当たりませんでした。
 
好きに見まわって良いと言われた事をいい事に、リーヴァは一人あちらこちらと、城の中を見て回っていました。
一日掛かっても見回り切れないほど大きな城の一番奥の部屋。 大きな両開きの扉のある部屋へ、リーヴァはそっと入りこみました。
その部屋は、今までよりもいっそう荒れていました。
家具という家具は全てバラバラに壊され、分厚いカーテンや絨毯も獣の爪によって引き裂かれています。
大きな部屋の大きな窓も所々割れており、冷たい風が入りこんできます。
そんな荒れた部屋に似合わないものを見つけ、リーヴァはそれに近づきました。
それは綺麗な赤いバラでした。
不思議な力に守られているかのように、綺麗な赤いバラはありました。
固い蕾から花開く直前の赤いバラが、不釣合いな部屋にありました。
「何故こんな所に・・・」
魅入られるように、リーヴァがそれに手を伸ばそうとしたときでした。
茶色い風が吹き、バラとリーヴァとの間に茶色い獣が現われたのです。
「この部屋には入るな!!」
リーヴァが驚いている間に、大きな獣は大声を上げていました。
「二度とこの部屋には近づくな!!」
「ちょっと待て、部屋に無断で入った事は謝る。だが・・・」
「煩い!出てゆけ!」
相手の言葉など全く聞かない獣の言葉に、さすがのリーヴァも腹が立ちました。
「・・・・・わかった。今すぐこの城から出ていってやる。」
小さなその言葉が届いたのか、獣がはっとしたように体を震わせました。
どう声を掛けていいのか分からずオロオロする獣に見向きもせず、リーヴァは足早にその部屋を出て、玄関へと向かいました。
「ま、待ってください!!」
玄関のホールに慌てた声が響きました。
「頼むから帰らないでくれ!!」
城の案内をしていた途中で分かれてしまったはずのハクロとリオンでした。
「お願いです、ここに居て下さい!」
「頼むよ!!」
悲痛といってもいいほどの声が、ホールに響き渡ります。
リーヴァもその声に頭が冷えていきました。
こんなに簡単に家に帰ってしまっては、この二人に申し訳がない・・・。
急いでいた足を止め、追い縋って来る二人を振りかえってみたリーヴァは、その上の廊下で悲しそうな顔でこちらを見つめる茶色の獣と目があいました。
ここで獣が、たとえ小さくとも自分が悪かったとそう言えば、リーヴァの怒りも完全に引いた事でしょう。
しかし、茶色の獣はその瞳をリーヴァから逸らしただけでした。
リーヴァも何も言わず踵を返し、扉をくぐり、城の外へ出て行きました。
 
 
真っ暗な闇がリーヴァを包んでいます。
昼でさえも暗い森の道は、夜となった今では何も見えないまでになっていました。
まるで、周りを囲まれているかのように響く枯れ木の音や、鳥の声。
森全体が、リーヴァを拒絶しているかのようです。
しかし、なんと言ってもクガイに育てられたリーヴァです。
もともとの性格なのかどうかは分かりませんが、この恐ろしい森を、恐ろしい、などと思った事はないようです。
今も、暗闇のせいで多少歩くスピードが遅くても、リーヴァは普通に森の中を歩いていきます。
リーヴァは今、茶色い獣への怒りでいっぱいです。
獣があの城の王子だとしても、あの性格は頂けません。
逆に王子だからこそ、誰からも誉められるような性格や態度を取らなければいけないのじゃないのかと、
リーヴァはそう思いました。
結局、父の事を謝りもせず出てきてしまいましたが、いまさら戻る気にもなりません。
一瞬。 ほんの一瞬。
頭を掠めるように、茶色の瞳が浮かびました。
とても寂しそうな瞳でした。
リーヴァの歩くスピードが、だんだんと遅くなって行きます。
そう言えば、茶色の獣の名前を聞いていない。
そう思いだしたリーヴァの足は、完全に止まってしまいました。
「・・・戻ろうか・・・・・。」
今更戻れない。
と、この間にに挟まれ葛藤しているリーヴァは、自分の背後に近づく気配にちっとも気がつきません。
低い動物のうめき声にリーヴァが気がついた時にはすでに、周りは腹を空かせている狼に囲まれていました。
「しまっ・・・」
リーヴァが身構えるより早く、狼はいっせいにリーヴァに飛び掛りました。
リーヴァは次ぎに来るであろう衝撃に耐えるため、強く目を閉じました。
しかし、いくら待っても狼がリーヴァに襲ってくる様子はありませんでした。
そっとリーヴァが目を開けると、なんと、目の前であの茶色い獣がリーヴァを守るため、狼に立ち向かっていたのでした。
「・・・・・・」
呆然とするリーヴァの前で、だんだんと狼の数が減っていきます。
狼の鋭い牙や爪が、茶色の獣の皮膚をどんなに引き裂いても、茶色の獣が怯む様子はちっともありません。
とうとう最後の狼がその場から逃げ去ると、深く傷ついた茶色の獣がリーヴァに近づき、
「・・怪我は、ないか・・・?」
と、浅い息の下でそう言いました。
「あ、あ。大丈夫、だ。」
驚きが抜けないままリーヴァが答えると、茶色の獣は、とても優しく微笑み、「よかった・・・」と呟きました。
「それより、怪我が・・。」
「大丈夫だ、城へ帰れる事は出来る。お前も早く、家へ帰った方がいい。この森は危険だ。」
優しい笑みのままで獣にそう言われ、一瞬、リーヴァは悲しい気持ちになりました。
「そう言うわけにもいかない。怪我人をこのままほおっておくことなど出来ない。」
リーヴァは獣の顔を見ないように俯きながらそう言うと、今来た道を引き返して行きます。
「・・・家に、帰らないのか?」
不安そうに聞く獣に、リーヴァは振りかえらず前を向いたまま言いました。
「怪我の手当てぐらい、やらしてくれないのか?」
不思議な沈黙が二人の間を流れます。
リーヴァは今は見えない、寂れた城がある方の空を見上げ、茶色の獣はそんなリーヴァの背を見ていました。
「・・・帰ろう」
リーヴァが振りかえり、今度は真っ直ぐに獣の瞳を見つめ言った言葉に、獣は、「ああ。」と、嬉しそうに答えました。
 
 
「少ししみるからな。」
「――っ!!」
ぽかぽかと暖かい暖炉の前で、リーヴァは獣の傷の手当てをしていました。
最初は、舐めておけば治る、と言い張っていた茶色の獣でしたが、リーヴァが
「そんな事で治るか!きちんと手当てぐらいしろ!!」
と怒ったところ、今にいたるのでした。
「・・・少し、消毒液を付け過ぎじゃないか?」
「傷口に雑菌が入らないようにしているだから、仕方がない。我慢しろ。」
そのリーヴァの言葉に、茶色の獣は怒鳴る事はせず、ただ不満そうに尻尾を揺らしました。
そんな獣を見て、リーヴァは楽しそうに微笑みました。
暖炉の光が静かに二人をオレンジ色に染めている様子を、リオンとハクロは離れた場所から、とても嬉しそうにそっと覗いていました。
二人の邪魔をしないよう、そっと。
 
その日から、城の中の空気が変わりました。
 
「王子。リーヴァさんの前での身だしなみぐらい、キチンとして下さい!」
「王子!リーヴァが、廊下が暗すぎて困ってたぞ!」
「王子!部屋を散らかさないで下さい!」
「おうじ〜!リーヴァが暇してるぞー!」
「キュアン。」
ハクロとリオンの小言に、今まで寝ていた獣の耳がその一言でピンッと立ちました。
「どうした?」
キュアンと呼ばれた茶色の獣は静かに、獣の名を呼んだリーヴァの元へ近づきました。
「この城は不思議だな。向こうの庭には雪が降り積もっているのに、向こうの庭は花が咲き乱れている。」
「ああ、それは、呪いが城全体に掛かっているせいだ。」
「呪い?」
聞き返すリーヴァに、キュアンはただ優しく笑っただけで、何も答えませんでした。
何時の間にか、ハクロとリオンも黙ってしまっていました。
「それよりリーヴァ。案内したい場所がある。 きっと驚く。」
優しく、楽しげに言う茶色い獣の後を、リーヴァは頭を傾げつつ、ついて行きます。
リーヴァがここに住み始めてから、この広い城には暗く荒れ果てた場所が殆どと言って良いほど減りました。
全体的な暗さは取り除けませんが、あちらこちらに蝋燭の光が暖かく揺れています。
二人はそんな広間を抜け、大きな扉の前で止まりました。
「良いというまで、目を瞑っていてくれないか?」
楽しそうなキュアンの声に、リーヴァは大人しく目を瞑りました。
キュアンは、リ―ヴァが本当に目が見えていない事を確かめた後、そっと、扉の中へリーヴァを導きました。
「もう少しの間、我慢していてくれ。」
そう言うと、キュアンはリーヴァから離れ、部屋のカーテンを開け放ちました。
明るい日差しが目を瞑ったままのリーヴァの上に降り注ぎます。
「まだ、か?」
「じゃあ、そっと、目を開けて。」
リーヴァがキュアンに言われ、そっと目を開けると、なんと大きな部屋には数え切れないほどの本が埋まっていました。
「・・・すごい。」
今まで見たことないような本の多さに、リーヴァは圧倒され、声が出ません。
「ここにある全ての本を君にあげよう。」
「いいのか!?」
本好きのリーヴァにとっては思ってもみないような幸運です。
嬉しそうなリーヴァを見て、キュアンもまた、嬉しそうに微笑んでいました。
暖炉の前で暖かな獣に寄りかかり、本を読むのがこの時からのリーヴァの日課になりました。
 
そんな穏やかな日々が過ぎたある日の事。
いつものように一緒にいたリーヴァと獣のキュアンは、
あの、一度入った事のある、赤いバラの置いてあった部屋へと入りました。
リーヴァは入る時に少し躊躇しましたが、キュアンに連れられ、そっと中に入ってきました。
前よりも花開いたバラが、リーヴァを迎えました。
バラを眺めるリーヴァの目に、見た事もない手鏡が入りました。
「・・・これは?」
銀で加工された手鏡を手に取り、キュアンを降りかえると、キュアンは少し寂しそうな瞳で答えました。
「それは、外の世界を覗く唯一の方法。」
「外の世界?」
「見てみるか?」
頷くリーヴァの後ろに回りこみ、キュアンはリーヴァに使い方を教えます。
「手鏡を握り、見たいものを強く念じるんだ。」
「・・・見たいもの。」
その時、ふっとリーヴァの頭をよぎったのは、自分の父親でした。
家に帰ると強く告げたのに、結局戻ってこない息子を、父親は心配しているのでしょうか?
・・・して無いかもしれません。
それでも、リーヴァは父親の様子が気に掛かり、手鏡を握り、念じてみました。
すると、どうでしょう。
鏡が光り輝き、家にいるクガイがそこに現われたのです。
ただし、家のテーブルに倒れこんだ姿で。
「!!?」
まさか・・・。
リーヴァの頭を不安が掠めます。
自分のいない間に何かがあったのかも知れません。
「お前の父親か?」
鏡を覗いたまま固まってしまったままのリーヴァに、キュアンが声を掛けました。
「ああ、そうだ。」
リーヴァは答えますが、視線は鏡の中です。
「心配か?」
「・・・・・。」
答えないリーヴァに、キュアンは静かに微笑みました。
「帰りなさい。」
「!!」
降りかえるリーヴァに、キュアンは優しい笑みのまま言いました。
「父親の事が心配なのだろう?家に、帰りなさい。」
「けれど・・・」
「親の元に帰りなさい。」
優しい笑みを崩さないままのキュアンを見つめていたリーヴァは、静かに目を伏せ
「すまない」
と、言い、身を翻しました。
「リーヴァ!」
部屋の扉の所で、キュアンがリーヴァを呼び止めました。
立ち止まり、振り返るリーヴァに、キュアンは魔法の手鏡を握らせました。
「これを持って行きなさい」
「だが・・・」
「私にはもう、必要が無い。」
行きなさい、と言う優しい声に押され、リーヴァは城を出て行きました。
 
「王子。どうです?結構順調じゃないですか?」
「今までで一番だよな!もしかしたらもしかするかも!」
窓の外を眺めていたキュアンにハクロとリオンが話しかけて来たのは、あれからしばらくしてからでした。
「ところで、リーヴァさんは?」
「・・・・帰した。」
「そうですか、帰しましたか・・・・って、ええ!!?何故です!!?」
「王子!時間がもう無い事分かってるんじゃ!?」
「ああ、きっと、もうここへは来ないだろう・・・。」
「王子・・・・。」
窓の外を眺めているキュアンの瞳は、今まで以上の悲しみと寂しさの色に包まれていました。
赤いバラの花びらが一枚、ヒラヒラと散っていきました。
 
「クガイ!!」
父親の事を心配して、慌てて戻ったリーヴァは家の扉を開け放ち、かけ込みました。
「父さんと呼べと、いつも言ってるだろ。」
そこには、案の定と言うか、お約束と言うか、クガイが元気にリーヴァを迎えました。
「・・・倒れたんじゃなかったのか?」
「誰がだ?」
「ただ、寝いていただけなのか?」
「眠ければ寝る。」
「・・・いつも、寝る時はベットで寝ろと言っているだろう!!!!」
久しぶりに、クガイとリーヴァの家からリーヴァの怒鳴り声が響いてきました。
 
「無事が確認出来たのなら、もう帰るからな。」
「帰る、ね。」
意味ありげなクガイの声に、リーヴァは思わず自分の父親を振り返リました。
「お前の家はどこだ?」
「私の家?」
「お前が住みたい場所は?」
淡々と言うクガイの言葉に、リーヴァは茶色い優しい瞳を思い出しました。
「もう、ここへ来るな。お前の家は向こうだろーが。」
「あ・・・」
その時、リーヴァは何かが自分の心に入りこんだような気がしました。
しかもそれは、すんなりとリーヴァの心に溶け込みました。
「ああ、そうだ。帰らないと・・・。」
リーヴァはそう呟きながら、銀の手鏡をしっかりと握り締めました。
あの、茶色い獣の側へ行かないといけない。
いや、私がキュアンの側へ行きたいのだ・・・。
「いってこい。」
始めて向けられる、クガイからの自分への言葉に頷きつつ、リーヴァは生まれ育った家を出ました。
 
暗い森の中、リーヴァは少し急ぐように歩いていました。
この森に入る辺りから、何故だか嫌な予感がしたのです。
生暖かい空気も、悲鳴のような木々の音も、今は気にもなりません。
早く、キュアンの待っている城へとたどり着きたい一心です。
ふと、リーヴァは握り締めていた手鏡に目が行きました。
少し考えた末、この嫌な予感をたんなる思い過ごしにしたく、鏡で茶色い獣を見ることにしました。
銀の鏡を覗きこみ、強く念じます。
鏡が光り輝き、少しづつリーヴァの見たいものをその鏡に映し出してきます。
茶色い影が、ゆっくりと鏡に現われました。
その光景に、思わずリーヴァは息を呑みました。
茶色の獣は、なんとあの赤いバラが置いてある部屋で倒れていたのです。
「・・・ま、さか・・・。」
リーヴァは自分の血が一斉に下がっていく音を聞きました。
何かの冗談であって欲しいと、食い入るように鏡を覗きますが、
キュアンは鏡の向こうで、浅い呼吸を繰り返しているだけで、ピクリとも動きません。
「・・・!!」
リーヴァは全力で、城へと走り出しました。
「間に合ってくれ・・」
思わず出た言葉に、一体何に間に合わせるのかと、唇を噛み締めます。
激しい後悔がリーヴァを責め立てます。
不安が大きくリーヴァに覆い被さります。
それの全てを振りきるように、リーヴァは走り続けました。
 
城にたどり着いてもまだ遠い部屋に苛立ちながらも、リーヴァは走りました。
目的の部屋にたどり着き、乱暴に扉を開けたリーヴァを待っていたのは 
静寂でした。
風1つ吹かない部屋に、茶色い獣は横たわっていました。
リーヴァは落ち着かない鼓動をそのままに、静かにキュアンに近づいて行きました。
途中、残り一片になる赤いバラの花が視界に入りましたが、リーヴァはゆっくりとキュアンに近づきました。
「キュ、アン・・?」
囁くように呟き、茶色の獣の横に座りこみ、彼の顔を覗きこみます。
「リー・・ヴァ?・・なぜ・・。」
帰ってきた声に、リーヴァは少しだけ安心しました。
「帰ってきた。」
「・・・そう、か。」
穏やかな茶色の瞳を覗き込んだリーヴァは、彼の命の鼓動が静かになって行くのが分かりました。
「どうして、こんな事に・・・。」
「・・すまない。戻ってきたのに・・、間に合わなかった、ようだ。」
「こんな事になるのが分かっていながら!なぜあの時私を帰した!?あの時、行くなと言われたら、行かなかった・・・。」
お前の側にいた・・・。
と、呟くリーヴァの頬にそっと手を当て、キュアンは優しく微笑みます。
「泣かないでくれ。心残りになる・・・。」
「馬鹿なことを・・!!」
「最後に、お前に合えた事、・・・嬉しく・・思う・・・・・。」
「キュアン?・・・嘘だ・・・待ってくれ・・・・・。キュアン・・・・・。 愛してるんだ・・・・・。」
ハラリ と、赤いバラの最後の一枚が落ちていきました。
泣き崩れるリーヴァから離れた場所で、ハクロとリオンが悲しみに沈んでいました。
ヒラリ、 ヒラリ、 と、空から透明なバラの花びらが一枚、また一枚と振ってきます。
「・・・・・・ ?」
動かないキュアンに縋り付いていたリーヴァも、その不思議な花びらに気が付き、体を起こします。
ヒラリ、ヒラリ、と、透明な花びらがキュアンの上に降ってきます。
透明なバラの花びらが、茶色い獣の上に降り注いだ、その次ぎの瞬間。
透明なバラの花びらが光を放ち、キュアンを包みこみます。
あまりの事に呆然とするリーヴァのすぐ近くで、光に包まれた茶色の獣に変化が現われました。
鋭い爪は、温かみのある人間の5本指に、尖った牙は消え、口のなかへ、長い茶色い毛は、人の髪に。
光に包まれたキュアンは、獣の姿から人間の姿へと変わったのです。
「キュ、アン?」
ピクリ、と動いたその人は、獣の時と同じ穏やかで優しい瞳をしていました。
「リーヴァ・・。ありがとう。」
優しく微笑むその瞳は、獣の時と何一つ変わっていませんでした。
「うわーい!王子ー!!」
「呪いが解けました!!!」
どうやら、キュアンと共に呪いにかかっていた全てのものも、元に戻ったようでした。
荒れ果てていた城は白く輝き、暗く恐ろしい森は小鳥の囀る緑豊な森に。
全ての呪いは、リーヴァは一言によって解けたのでした。
 
 
皆の顔から笑顔が溢れるホールの中央で、リーヴァとキュアンはダンスを踊っていました。
二人とも穏やかな笑顔が溢れています。
その二人を眺め、そっとその場を立ち去るのは、リーヴァの親のクガイでした。
「何処に行くんですか?」
それに気がついたハクロが声を掛けます。
「子供も他所にやったしな、自由になる。」
それだけ言うと、クガイは城から姿を消しました。
ホールからは、穏やかな音楽が流れてきます。
こうして、呪いに掛かった王子は、一人の人を愛し、また愛されることで、その呪いを解くことができ、
呪いを解く力となった者と、これからを共にする事が出来たのでした。
二人の幸せそうな様子を見るように、ホールの外を、一枚の赤いバラの花びらが、風に乗って飛んでいきました。

いや〜な、美女と野獣。

             キャスティング


美女     ・リーヴァ  MIND SPIRITに登場

野獣     ・キュアン  ファールス家・その他登場

美女の父親 ・クガイ   fateに登場

ポット     ・ハクロ   fateに登場

時計     ・リオン   大部屋に登場

さあ!戻りましょう。