アニマル

かんかんと照らし出す真夏の太陽の下、黒髪を肩の長さまで持っている男が、小さな町の外れにある大きな洋館の前に立っていた。

じりじりと肌を焦がすような日差しの中、男は汗もかかずに古びた洋館を見上げていた。

時折吹く風は心地よく、濃い緑の色をした大量に茂った葉を涼しく揺らし、夏独特の土の匂いを運んでいく。

子供にとっては嬉しい、その親にとっては少々忙しい、夏休みに入ったのだ。

男は、目の前にある、古びた洋館を眺めながらポツリと言った。

「これも先生の仕事の一つ、ですね・・・」

子供達にとって危険な場所は確認して置かないと。そう言い、町の住民なら誰もが知っている幽霊屋敷に、男は躊躇いもせず入っていった。

 

「神」が「来」る「島」と書いて、神来島。この、本土から離れた小さな島は、小さな港に寄り添うようにして、小さい町がある。人口は100人いるかいないかの、町だ。

港以外の島の周りは、切立った崖が続いており、町以外の島は、深い緑に覆われている。

町には小学校はあるが、中学校は無い。消防署は町民のボランティアで成り立っている、警官はいるが、町に二人だけだ、医者など一人しかいない。

大抵の者は、漁をして生活しているが、殆ど自給自足と言ってもいい。

2ヶ月に一回、本土からの船が来るのだが、その日に海が荒れれば、更に2ヶ月、待たなければならなくなる。

古ぼけた小学校には2クラスしかなく、全校で9人の小学生が、元気に毎日通っている。

教師も、校長を抜かせば、4人だけで毎日授業を行っている。

その教師の中で一番若いであろうと思われる、この彼が、子供達が夏休み中に怪我をしないよう、危険な場所を見回っていたのだ。

港や川、人気の無い森の中、島中を回って歩いた。

この洋館で見回りは最期なのだが、一番危険だと思われる場所だ。

何しろ、ここ数年誰も中に入ったことが無いと言うのだ。

中はどんなにか荒れ果てているだろう。

 

彼は屋敷の中に足を踏み入れ、辺りをグルッと見回してみたが、普通の家と何ら変わりが無かった。

分厚いカーテンは引かれ、窓は閉められ、じめじめとした気だるい暑さが、屋敷中に充満しているのだが、入ってすぐの広間には絨毯が皺なく引かれ、埃が無い。二階へと続く階段の下には、大きな振り時計が狂い無く動いている。

「おかしいですね?」

この家に誰かが住んでいるとは、聞いた事が無い。

だが、この家には明らかに、誰かが住んでいる気配がする。しかも、ひっそりと。

カーテンのせいで薄暗い広間を通り、大きな屋敷の中を探索して歩きながら、彼は色々と考えてみた。

この、使われていない屋敷の所有者は、確かこの町唯一の、年老いた医者のはず。

何年かぶりに中に入らせて貰う為、許可は取った。

誰かが住んでいる事はないから、自由に見て貰って構わない、と言われたのだ。

その時に、たまたま先生の養子と言われる、歳若い男に会ったのだが・・・。

「あの人も、色々あってここに来たんでしょうね。」

やけに無口な、先生の養子を思い出し、

「まあ、私には関係ありませんけど。」

そう言って、忘れ去った。

屋敷の一階を全て見回り、二階へと階段に足を掛ける、と、その時。

コトリ、と階段の真上から音が聞こえた。

「誰かいるんですか?」

何処からか逃げてきた犯罪者だろうか?だが、最近事件が起こったとは聞いていないし、

もし、本土から来たとしたって、船に乗らなければこの島へは上がれない。船の名簿に、人の名前が書いてあった様子も無い。

もっと昔から誰かが住んでいた?

そうすると食料は?いくらこの島が自給自足に近い生活をしていても、買い物をしなければ、食べ物は手に入らない。

それとも、町の子供が面白半分で入り込んでいるだけなのか。

だが、それなら、さっきの声に何か反応を返してくれる筈なのだが。

何かがおかしい。

明らかに動揺している気配が幾つか、階段の上にある。

どちらかと言えば、まだ幼い年頃の部類に入る気配だ。それが三つ。

男は息を殺して、音のした方、三つの気配がする方に、足を向けた。

どうやら、屋敷の一番奥の部屋にいるようだ。

薄暗く、湿った重い空気が立ち込めている廊下の中、左右にある扉は一切無視して、男は足音を立てずに、だが、素早くその扉の前に立った。 

いきなり扉を開けることはせず。聞き耳を立てて、中の様子を窺う。

何やら、ぼそぼそと、小さな話し声が聞こえてくる。

「・・・どうする?すぐそこまで来ている。」

「どうするも、こうするも・・・、とりあえず隠れてようよ、僕たちのこと、ばれないかもしれないし。」

話をしているのは2人だが、確かに、この扉の向こうには3つの気配がする。

男は、まだ話し合っている部屋の扉を素早く開け放った。隠れる余裕など与えないように。

「!!?」

案の定、3つの気配の持ち主は、驚いたようにこちらを向いた。

「・・・動物・・?」

こちらを向いているのは、3匹の動物。

ばさり、と大きく羽ばたき、棚の上へ舞い上がる灰色の鳥に、そっぽを向いた、大きな耳を持った小型犬のような動物。そして、犬のような動物とは逆に、こちらをじっと見つめてくる、ふさふさとした、背に可愛らしいたてがみを持ったオレンジ色の子猫。

この部屋から人の声が聞こえたのは確かなのに、いるのは3匹の動物だけ。

しかも、この3匹。

「隼とジャッカルとチーター?何でこんな田舎に?動物園なんて、この島には無いはずなんですが。」

このような場所にいないはずの動物だった。隼に関しては、偶然発見された、でもおかしくは無いのだろうが、問題は、小型犬のようなジャッカルと子猫のようなチーター。

この2匹は動物園でないと、見ることが出来ない動物だ。生息している場が、こことは全く違うのだ。

男は、頭をかしげた。

厚いカーテンから零れる光は、男と動物達を遮るように真横に伸びている。やはり閉められている窓のせいで、この部屋の空気もじっとりとしていて、むっとした熱気が、逃げ場が無いように漂っている。

「・・・・・」

男が次の行動を決めかねていた時、じっと、こちらを興味深そうに見ていたチーターが、歩み寄ってきた。

男が何もせず立ち尽くしたまま、目だけでその行動を追っていると、チーターは男の側により、匂いを嗅ぎだした。

棚の上に止まっている隼とそっぽを向いていたジャッカルは、チーターの行動を目で追っている。

どこか心配そうに、真剣な眼差しで小さいチーターを見守っているようだ。

足元で、鼻をひきつかせていたチーターは、また、じっと男を見上げた。

「・・・・・・不思議な子ですね。」

男はそう呟くと、何かを思いついたかのように、ポンッと手を打った。

「連れて帰って、ペットにしましょう。」

そう、少し離れた所にいる2匹にわざと届くように言い。

足元にいる、小さいチーターを拾い上げた。

きょとん、としているチーターの子供を胸に、男は隼とジャッカルが呆然としている間に部屋を抜け出し、古い洋館を後にした。

 

 

「は?この猫が俺たちと同じ?」

「はい、そうなんですよ、ランド。それにそれは猫ではなく、チーターですよ。」

小学生でも分かりますよ、と、黒髪のまだ若い小学校の先生は、にっこりと笑った。

「なあフェイ。つーことは、だ。こいつも・・・」

男にランドと呼ばれ、男をフェイと呼んだこの男は、短い燃えるような赤い髪を、わしわしっと乱暴にかき回した。

ここはフェイと言う名の、まだ歳若い小学校教師が暮らしている家だ。

玄関から入り、裏口から抜けていく心地良い風を感じながら、黒髪のフェイと赤い髪のランドは、畳の敷いてある居間に座り込んで、目の前に座っている小さなチーターを眺めていた。

「スイカでも切りましょうか?きっと、これからお客さんも来るでしょうし。」

「客?」

「この子の友達ですよ。」

そう言い、フェイが見やるのはちゃぶ台の上に行儀良く座っている、チーターの子供だった。

「こいつの他にまだいんのか?」

「ええ、後2匹ほど。」

よくもまぁそんなに・・・。と呟くランドを横目に、フェイは台所にある裏口へと足を向けた。

帰ってきた時の為にと、井戸の水で冷やしておいたスイカを抱え、まな板の上へと下ろす。ペキペキと言う心地良い音を聞きながら、暖かいながらにも気持ちの良い風を肌に感じ、フェイがスイカを切っている時、

「すみませーん!」

と、何処か不機嫌そうな声が玄関から聞こえて来た。

その声の主に心当たりがあるフェイは、思わずクスリと小さな笑みをこぼした。

 

「ソレを返して欲しいんですけど。」

家に入り、単刀直入にそう言ったのは、大黒様のような帽子をかぶった男の子だった。

その男の子の後ろには、心配そうな困っているような顔をした、少年と青年の間ほどの男子がいた。

「まあまあ、そう焦らず。スイカはいかがですか?」

フェイがそう言い、切ったスイカをちゃぶ台へと置くと、「うまそ〜。」と、ランドが一番に手を伸ばした。

「君も、食べていいですよ。」

小さなチーターの子供に笑い掛けると、子猫のような動物は、ちらっとフェイを見てから、始めて目にするものなのか、スイカの匂いを嗅ぎ出した。

「っ!雹牙!!呑気なことしてないでさっさと帰るよ!!」

「おや、雹牙と言うんですか。この小さなチーターは。」

怒鳴ってばかりの小さな男の子に笑いかけると、その男の子はこれでもか!というほどに睨み返してくる。その反応が面白く、思わずフェイは笑ってしまう。

「セフィ、少し落ち着いたら・・・」

「落ち着いてられると思ってんの!?こっんな、ちゃらんぽらんな人間に雹牙は預けらんないね!ただでさえ本人があんななのに!!」

オロオロと灰色の長い髪をした青年が、小さな男の子「セフィ」を落ち着かせようとしているが、逆に言い返されている。

そんな突然のお客を、フェイは面白そうに、ランドはスイカを食べながら興味ありげに眺めていたが、小さなチーターの子供、雹牙はそんな二人を無視して、始めて食べるスイカに夢中になっていた。

それに気付いたランドが、

「お前、スイカが気に入ったのか?まだいっぱい残ってるし、食え食え。」

そう言い、雹牙の前に山のようなスイカを差し出した。

「お?そっか、嬉しいか。」

目の前の大量のスイカに驚き、目を丸くしたままの状態でランドを見上げる雹牙の尻尾の先が、パタンパタンと、小さく揺れている。

そんな雹牙の小さな頭を、ランドはわしゃわしゃと撫で回しながら言った。

「スイカは好きなだけ食っていいけど、ちゃぶ台の上に乗っかって食うのは行儀わりーから降りて食え。」

すると、雹牙は素早くちゃぶ台から飛び降りた。

次ぎの瞬間、雹牙が降りた場所に現われたのは、セフィと変わらない歳の小さな男の子だった。

「あ・・・」

「あーー!!!」

雹牙の変わりのように現われたその男の子は、突然の客の声など聞こえないかのように無視し、ちゃぶ台の上にあるスイカに手を伸ばしていた。

「あ、あれほど人間の前で変身するなって言ったじゃないか!!雹牙!!!」

今まで以上のセフィの叫び声に、雹牙と呼ばれた男の子が顔を上げ、セフィとその連れの顔をきょとんとした顔で眺めた。

「く、詳しい話を聞かせてもらいましょうか・・・。」

声を震わせているフェイの上下に揺れる肩と、お腹を抱え畳を叩いているランドの様子を見る限り、二人はこの展開を楽しんでいるとしか思えない様子で、驚いた様子などは微塵も見えなかった。

 

 

 

小学生高学年から中学生ぐらいに見える、オレンジ色の長いぼさぼさの髪をした男の子に、その子と同じぐらいの年齢の、茶色い髪に少し変わった帽子をかぶって、不機嫌そうにしている男の子。

相変わらず困ったような表情の灰色の長い髪をした、17,8辺りの男の子を見回し、黒い髪の歳若い小学生教師は隣にいる赤い髪をした居候を見た。

燃えるような赤い髪をした居候は、フェイと顔を見合わせた後、3人の男の子を見て言った。

「まあ。簡単に言や、動物が人間になれるって事だろ?」

「ものすごーく簡単な言い方ですと、そう言う事なんでしょうね。」

実際に動物が人間に変わる瞬間を目撃したと言うのに、随分さっぱりしている小学校教師とその居候の2人を、セフィはいぶかしげに眺め、セフィの隣にいる灰色の長い髪の男は戸惑った様子を見せている。

チーターから人間の男の子に変身した雹牙は、今は大人しく茶色の髪の男の子と灰色の髪の男の間に座っている。

「・・・あの・・。」

「はい。何でしょう?」

「私の名はユダヤ。3人の中では一応最年長者なんだが・・・」

今までセフィの隣で黙っていた灰色の髪を持った男が、ゆっくりとした口調でフェイとランドに話しかけてきた。

「私達は人間でも、ある意味本物の動物でもない。中途半端な存在なんだ。人の世界でも動物の世界でも簡単に生きていく事ができない。なにより、私達自身まだ幼い部分が多い。今、私達の存在を知られるわけにはいかないんだ。私達の事を、黙っていてくれないだろうか?」

ユダヤの静かな願いに、セフィは納得がいかないと言った顔をしながらも口を閉ざし、2人の間にいる雹牙はじっとフェイとランドを見つめている。

「黙っている事は構いませんが、それでいいんですか?」

「?」

フェイの質問の意味が理解できずに首をかしげるユダヤに、もう一度フェイが聞いた。

「これからの長い間、あなたたちは誰にも知られることなく、静かにあの屋敷で一生を暮らす。そんな事でいいんですか?」

そのフェイの言葉にユダヤは驚いた顔を、セフィは怒った顔をフェイに見せた。

ランドはフェイの横で、口元だけで笑いその様子を黙って見ている。

木製の古い玄関から気持ちのいい風が入り、5人の横を通りすぎていく。

「・・・良いわけないじゃん。僕だって外を歩き回ったりしたいよ。けど!それが出来ないからこうやって・・・!」

「私達が協力します。正体を人間に見られてはまずいかもしれませんが、今までの生活よりは楽しくなると、保証しますが?」

セフィの答えに間髪いれず答えたフェイは、にこにこと楽しそうに笑っている。

「・・・何で、そんなに僕達を助けてくれるの?」

驚きと不思議さと。さまざまな感情が入り混じったような声に、フェイの横にいたランドが、ニヤリと笑い、

「そりゃ、面白いからに決まってんじゃねぇか。」

と、答えた。

 

 

 

「やっぱりここは王道で、探偵団とかはどうですか?」

「こんな平和な島でか?それよか、巷を騒がす怪盗団とかはどうだ?」

「あんた達、他人事だと思って随分勝手なこと言ってない?」

「私は、怪盗より探偵の方が・・・」

「・・・ユダヤ。」

セフィが呆れたような顔でユダヤを見ると、だって盗むのは良くないと思うんだ。と、悲しそうな顔と声を返された。

「おい、雹牙。お前はどっちが良い?」

フェイと探偵だ怪盗だと言い合っていたランドが、ふいに雹牙に聞いた。

雹牙は考えるような素振りをちらっと見せた後、

「・・・探偵。」

と答えた。

「ほら、私の行った通りでしょ?こんな小さな島だって、人はいるんです。悩みだって沢山あるでしょう。」

「ねぇ、探偵とかはどうでも良いけど、何でそう言う話になったの?」

セフィがちゃぶ台の上に身を乗り出すようにして、丁度向かい側のフェイに尋ねた。

どうでも良い、などと言ってはいるが、やはり外に出られる事が嬉しいらしく、目が輝いている。

「貴方達はまだ、人の姿になれていないでしょう?尻尾や耳が飛び出てますよ。そんな姿、人に曝すわけにはいきません。けれど人と関らずに生きていくのも味気ないでしょ?ですから、姿を見せずとも人と関ることが出来ることをさせたいんですよ。」

「じゃあ、何で探偵?」

「憎まれるよりは、感謝されたいでしょ?」

ねぇ?と、同意を求めるようにフェイが雹牙を見ると、雹牙はコクリと頷いた。

「けれど、私達に探偵の仕事など出来るのだろうか・・・。」

ユダヤが不安そうに、呟けば、

「だ〜いじょうぶだって。俺らが協力してやんだから、安心しろよ。」

ランドが力強く、楽しげにそう言った。

最初はこの、驚きも怖がりもしない男二人に不審に思っていたセフィとユダヤも、その自信に満ち溢れていて何処か優しさを持った瞳に、不信感が消えていった。

「これで暇潰しが出来たぜ!」

多少の不安は残っているが・・・。