1.「象のしっぽをなでる」の、象のしっぽ
むかしむかしのあるとき、ある国で盲目の人々が集まって、初めて象という動物に触ってみたそうです。
「ゾウというのは、巨大なうちわに似ているな」、耳を撫でた人は言いました。
「いやキミ、ゾウとは大蛇のようなものだよ」、長い長い鼻を撫でた人が言いました。
また別の人たちは、象のお腹や脚を撫ぜ回し、ゾウとは太鼓や切り株みたいなものなのだ、と思いました。
こんなお話から、‘群盲、象を撫でる’のことわざが生まれたとか。
視力障害者に対して差別的だと、今はあまり使われないようですが、意味としては、‘一部しか知らずに全体を判断することはできない’ということですよね。
「物事の本質はそう容易につかめませんよ。あなたのような凡人が、とぼしい知識や経験をもとにあれこれ突付き回って、わかったようなつもりになるのは愚かです」
なんだか名指しで、そうクギを刺されているような気持ちになります。
だけど、うちわのような耳も、大蛇のような鼻も、太鼓のようなお腹や、切り株のようにどっしりした脚も、間違いなく象の一部でしょう?
もしも象を触った人たちが、自分の意見ばかり主張しないで、互いの話に耳を傾けていたら、みんなの証言をすり合わせ、かなりイイセンで、象の全体がわかったのではないかしらん。
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街を歩いても、ニュースを見ても、身近な人と話していても、「これはどういうことなんだろう?」と思うことはたくさんあります。
未知の考えや、経験したことのないできごとにぶつかるのは日常茶飯事。
そればかりか、ずっと「丸い」と思っていたものが、だんだん四角く見えてきたり、当たり前のように信じてきた常識が、どうも間違っているように思えてきたり。
虚と実、正と邪、上下左右に天国と地獄、一体どっちがどっちやら。
人の意見を参考にしたり、識者や専門家の見解を学ぶことはたいせつ。でも、ときどき眉唾な情報も混ざりますから、何でもかんでも鵜呑みにはしないほうがよさそうです。
「象の背中には羽がついている」とか、「象はピンクで、ウグイスのような声でさえずる」とか、ね。
目からウロコの新事実、ということもなきにしもあらずですが、やっぱり油断は禁物です。思い込みにカン違い、早とちりのオッチョコチョイ(私です)、ほら吹き、酔っ払い(たまに私です)と、誤報の元はどんな世界にもいますもの。
世の中は、わからないことだらけ。
考えても、考えても、しょせんは象のしっぽをなでるようなもの。
ものすごい見当違いをしているかもしれませんし、まして簡単に答えが見つかるとか、森羅万象を理解できるなんて、大それたことは思いません。
それでもいろんな‘象’に触れてみて、しっぽの先ほどでも、象そのものに近付きたいと思います。
というわけで、「象のしっぽをなでる」なんて馬鹿げたタイトルが、なぜ頭のなかに張り付いてしまったのか、その象のしっぽをなぜてみたことでした。