行光先生のメキシコ遠征記

期 日 平成16年9月22日(水)〜9月30日(木)

場 所 メキシコ・モンテレー
     アメリカ・マイアミ   

9/22(水)1800成田発。ここからメキシコ遠征が始まる。
今回はWKFのレフリーであり、メキシコ在住の糸東会 村山邦夫先生のお誘いがあり、糸東会技術本部長の岩田源三先生とご一緒することになった。

メキシコ・モンテレイで大々的に行われるMURAYAMAカップでの模範演武と形セミナー、それに
11月18日から21日、ここモンテレイに於いて開催される17回世界大会の現地視察が目的であった。

モンテレイへは直行便がなく、アメリカン航空で成田からダラス経由でまず11時間。1度アメリカで入国審査を受け、スーツケースを受け取り、乗り継ぎへ。ここ数年、アメリカでは特にテロ対策のため、手荷物検査は厳重である。ここではジャケットと靴を全員脱がされた。乗り継ぎに1時間ほど時間があったのでこの日記を書き始めた。ダラスから1時間30分でモンテレイに到着。
メキシコの出口チェックも面白い。信号機の押しボタンのようなものを一人ひとり押し、青ランプがつけば
OK、赤ランプが点くと「当たり」で、その場でスーツケースをオープンさせられ、荷物チェックになってしまう。なんの根拠で「当たる」?のかはいつもの事ながら不明であるが、ちょっとドキドキする。空港には村山先生の出迎えを受け、一路ホテルへ。結局ホテルにチェックインしたのが9月22日夜9時。12時ちょうどのあずさ○号で甲府駅を出発しておよそ20時間の長旅であった。と同時に帰りにマイレージカードを作らないともったいない、とも思った。

  
右から岩田源三先生、村山ファミリー、               立派な村山先生の道場

荷物を部屋に置き、まずは村山先生宅におじゃますることに。1階が道場で2階と3階が自宅。道場は3面鏡張りで1面半は取れるスペースは日本の道場を思わせる、立派なつくりであった。世界大会の際にはこの道場で形の練習ができたらいいと思った。自宅にあがると、奥さんと娘さんが優しい笑顔で出迎えてくれた。

おなかもへってきたところで、地元の有名な高級ステーキ店にて久々の再会にテキーラで乾杯!満腹のまま就寝。

9/23(木)8時起床。
熟睡できなかったがリズムを保つため、バイキングの朝食をとる。

今日はテレビ局への訪問。地元の2大テレビ局の1つでもある、ASTECA(アステカ)TV局は、11月の世界大会のスポンサーであり、大会の放映権を獲得しているようだ。ご尽力された村山先生との関係で、今回、我々日本人にインタビューをお願いされたという訳だ。そして世界大会会場であるARENA MONTERREY(アリーナモンテレイ)でまで移動し、取材を受けた。

  
大会会場のアリーナモンテレー 一面ガラス張り        インタビューを受ける村山、岩田先生

アリーナモンテレイは昨年
11月に完成したばかりのハイテク競技場だ。空港からも車で30〜40分程度。大会役員や選手が宿泊するいくつかのホテルからも車で5分という、大変良い立地条件にあるところがうれしい。
競技場のフロアの広さは日本武道館よりやや小さめで横長、しかし観客
18,000人収容可能で座席は冷たいプラスチックではなく、クッションが効き、ジュースホルダーもついていてまるで映画館の座席である。
                          

また特徴的なのは至るところに液晶テレビが設置されていることだ。通路のところどころ、控え室、トイレにまで。これは驚きである。関係者の方に聞くと、「どこに居てもアリーナの状況がわかるように」と配慮されている。
  アリーナ内部、コートは横に4面で行う

また中
2階と3階席は12畳ほどの部屋が設けられ、そこにはトイレ、テーブルに皮シートのソファーが4つ、29インチほどの液晶テレビとビデオデッキ、そこからアリーナを見渡す座席が20席ほどのいわゆるラウンジになっている。
   
会場を見渡せる部屋にはソファー、トイレ、テレビ、ビデオ、がある。ここ使えたら良いね。

その数
120部屋、すべてが来賓席状態になっているのには驚いた。ここはスポンサーや来賓席用らしいが、日本チームも1部屋キープして欲しいところである。すべて個室になっている為、毎回被害にあう盗難の心配もなく、落ち着くことができる場所になるであろう。

さて、競技エリアはマットを
4面横並びになるという。観客から見やすいようにと考慮されていると思われる。また、天井中央には4面の電光掲示板がスクリーンとなり、やはり4方向から試合模様が映し出される。2000年のミュンヘン大会を思い出した。会場は光を遮る部分が多く、全体的に暗い。これは照明の効果を持たす為であると推測でき、また空調も音響も万全という。このすばらしい会場で、最高の技を出し切り、大歓声の中、「日の丸を再びメインポールに掲げるぞ!」という強い思いが胸をよぎった。


備考として、コンセント(差し込み口は日本と同じものもある※電圧は注意!)もところどころにあり、ビデオカメラの充電などもできそうである。男子トイレは洗面台のような形をしており、立ち位置も気になり、変な気分だった。トイレ内部にもテレビモニターがあるのには驚いた。
アリーナ内部にはこれからレストランがはいるようだ。練習会場はまだ見当たらないが、通路スペースが広い為、どこでも練習場所は確保できるような気がした。携帯電話を活用すれば便利だと思う。なにしろ試合会場からホテルまで車で約
5分以内というのが選手にとっては安心である。
一番気になる気圧の問題であるが、メキシコシティの
2200mに対し、ここモントレイは高地ではなく800m。翌日、基本と形稽古して多少のだるさを感じたが、これは寝不足と時差の影響もあると思われ、2001年のマレーシアのアジア大会ほどではない。
これを読んでいる代表選手諸君にはいずれにしても「非常にきつくはないが、用心にこしたことはない」と述べておこう。
なんと、トイレの中にもテレビモニターが、

試合用マットも見てきたが、ブルーとレッドの配色でそれほど厚くは無く、(日本と同じくらい)沈み込み過ぎるようなことはまず無いであろう。
マットに滑り止めの加工はされているが、大会当日は新品を使用する為、新品特有の油分はあるはずなのでおそらくいつも通り滑り易いと思われる。滑り止めも用意した方がいい。
会場視察を終え、ここでメキシコ遠征の目的を
1つ果たす。

昼食後、ホテルへ戻り、昨日から格闘中のパソコンの接続を試みる。
モバイル初心者の私は勉強不足で四苦八苦。そのアホらしい模様を我慢して聞いてください。

この日の為にモバイル用のセカンドノートパソコンを購入。「モバイルデビュー」と意気込んでいたが、出国直前に日本で海外ローミングサービスなるものをパソコンに設定した程度で、素人の私には全く繋がらない。ホテルの人には「インターネットOK!」の確認をして、部屋の壁には確かにインターネットと書いてある回線差込口が2個ついていた。用意してきた電話回線用のモジュラーケーブルを「ちょっときついな」と思いながらも、「まあメキシコだから」などと自分に言い聞かせ、差し込み口につなぐもダイヤルしない。それならば、電話のケーブルをはずし直接パソコンにつないでみることに。「ピッポッポ・・・・ツーッ・ツーッ」でこれもまただめ。

パソコンの接続が問題でないとなればパソコンのダイヤルアップ番号があやしいと、モントレイのダイヤルアップ番号をあれこれ変えてみるもだめ。そうなると「ホテルの外線番号設定か?」と、いろんな条件でチャレンジするも全く繋がらない。「う〜ん、分からん!」とベッドに身を投げ大の字で寝転び「今回は随分重たいメモ帳になっちまうのかなあ!」と頭を抱えるとふと、ベッド横にあるもう
1台の電話機を横から眺めた。すると、見覚えのある差込を発見!なんと電話機の横に電話回線用の差込口があるのである。
 四苦八苦の末…モバイルデビュー!

迷わずモジュラーケーブルをそこに差し接続すると、「ピッポッポ・・・・ビョン・ビョン・ビョビョン・・・シーン・シーン・シーン」なつかしいダイアルアップの接続音が。そして見事に繋がった時、「ヨッシャー!」と叫んでいた。おかしなもので落ち着くといろいろなものが見えてくる。最初にからかっていた壁の差込口はランケーブル用だったことは言うまでもない。トホホ!こうして私は華麗なる、モバイルデビューを果たしたのであった。御粗末!!

早速、自宅と道場の関係者にメールを流し、情報を得ることができた。当たり前であるが、パソコンにも携帯電話にもメールが繋がるのは大変便利である。


その日の夕方、もう一人の日本人の石川先生と合流することになる。石川先生は国際松涛館に属しており、村山先生と同じくメキシコ在住の有名な先生である。私と岩田先生も
2000年、2001年のベネズエラ合同合宿以来、3年ぶりの再会であった。この日の夕食は大会関係者と食事会をした。今回はメキシコ、カナダ、イギリス、アメリカ、グァテマラ、キューバ計6カ国の参加の先生方とご一緒することとなった。

メキシコ料理でお勧めは名物の”カブリート”(小ヤギの丸焼き)、豚の腸詰めをチーズでくるんだもの(名前は忘れたけど)は絶品。
せっかくメキシコに来たのだから勇気ある人は
”グサーノス・デ・マゲイ”(イモムシ)、
これはよくテレビで見たことあるあの黄色い大きな芋虫。よくテキーラの入っているやつです。食感は「プチッ!ジュワー!」でフライドポテトの中にとろけるチーズが入っているかのよう!!以外に美味。
続いて”チャップリン”(バッタのから揚げ)ほろ苦い川えびのようであった。いずれにしてもなかなかの美味。試してはいかが?

腸詰めチーズとタコスとバンデーラはお勧め!

チリソースを塗ったタコスをつまみにテキーラを飲む。写真の飲み物は”バンデーラ”(国旗)といい、注文すると3杯のショットを持ってきてくれる。メキシコ国旗をモチーフにしており、左からテキーラ・レモン水・OOO
。これを好みに合わせて順番に口に含ませるとまろやかになり、苦手な人でもテキーラがいける、いける。でもツウはやっぱり一気だそうです。メキシコ料理は結構いけます。

9/24(金)
今日はセミナーをした。午前中は私の基本と松村バッサイ。午後は岩田源三先生がニ−パイポの形と分解。夕方は石川先生の基本。トータル6時間を精力的にこなす。

   
 マツムラバッサイのセミナー風景。日本の正しい技を真剣なまなざしで聞き取る受講者の方々。

   
 岩田源三先生によるニーパイポのセミナー。分解を中心にわかりやすく、とても丁寧な指導でした。

                   
                  村山先生による南蛮殺到流の分解

  
流暢なスペイン語で通訳してくれた石川先生。     セミナー参加者と。

9/25(土) MURAYAMAカップ初日

大会はメキシコを始め、カナダ、イギリス、アメリカ、グァテマラ、キューバ、計6カ国から35団体、総勢700人の参加は村山先生の海外指導での努力と人柄の大きさにただ頭が下がる思いであった。
大会初日は
少年から一般まで形試合を行う。
   オープニングセレモニー

9/26(日)大会最終日。組手試合

地元のテレビ局もきており、大変盛り上がった。また新聞社からインタビューも受け、今大会の感想や世界大会についての意気込みなどの質問を受け、世界大会の地元の関心の高さを感じた。

この日、昼休みに模範演武を依頼された。
まず、私のマツムラバッサイ。
続いて石川先生の基本形と分解演武。
最後に岩田先生によるクルルンファの演武。
会場が唯一静まり、注目されているのがよく分かる。
 閉会式では表彰していただいた。

大会も無事終了し、このは打ち上げで日本食レストラン 天風(てんぷう)に行く。
ここでは村山先生と石川先生の海外指導や生活の苦労話を聞き、大変勉強になった。
また、空手関係者から林派糸東流宗家・林輝男先生の訃報を聞く。お悔やみ申し上げます。

9/27(月)AM4:30ホテルチェックアウト。
石川先生と岩田先生に見送られ、一人モンテレー空港へ行く。
マイアミの友人に会いに行くためである。これは今回の私の隠れた最後のテーマである「一人旅」であった。
と、ここまではかっこいいのだか、早速、トラブル発生!!

マイアミに行くためにはモンテレーからダラスを経由するのだが、ダラス空港の乗り継ぎ時に一旦、入国審査がある。
冒頭に述べたように、アメリカはテロ対策のためセキュリティー強化をしている。なんと、ここでは両手の指紋採取と写真撮影を一人一人行っているのだ。また入国審査カードの内容を見て係員がいつもよりこと細かく質問しているのではないか!
なんか怪しい雰囲気?の予感は的中!実はマイアミの滞在先住所を忘れてしまい、そこを突っ込まれた。本当は忘れたのではない。携帯電話のアドレス帳に入力してあったのだが、記入しようとしたらなんと見事にバッテリー切れ。「こんな時に、マジッスか?」でも説明すれば何とかなる、と思ったのだが・・・・念のため、渡航先住所にはTransit For Miami と記す。

Q:「滞在先は?」係員の質問に、
A:「友人の家に泊まり、その友人が空港に迎えに来てくれる」と答えると、
Q:「メキシコとマイアミの渡航目的は?」
A:「KARATE セミナー」
そのあと、聴きとれない質問に戸惑う。係員のきれいだったお姉さんの眉間にシワが寄り、怖い顔に変身したそのお姉さんは容赦なく奥の事務所にご案内(連行)。その中には体の大きなごつい顔をしたお兄さんが待っていてくれて事情聴取をさせられた。また同様のことを聞かれたが幸い、友人の電話番号を控えておいたのでそこからパソコンで住所を調べあげ、ようやくパス。まあ、これも経験だと開き直り、乗り継ぎゲートに向かうが、俺も変な(怪しい)外人だと思われているんだろうなあ。

マイアミには糸東会の世界大会でともに現役として技を競っているルイス・サンチェス君と佐藤健二君が住んでいる。ルイス・サンチェス君はベネズエラ出身で、日本の糸東会本部道場の修行を経て、マイアミに1年半前に道場を開いている。
佐藤健二君はベネズエラ在住で指導している糸東会・佐藤尚弘先生の次男で、1年前にマイアミに道場を開いており、二人ともにプロである。私も似た境遇にあるので道場にたち寄ることとした。
空港には健二君の奥さんである、ひろこさんが迎えに来てくれた。

  左から佐藤健二君、ルイス・サンチェス君


健二君の自宅に荷物を置くと、そのまま彼の道場へ直行した。
幼児・中級・一般とクラス訳されており、色帯がほとんどであったが皆真剣に、また楽しく日本の武道を学ぼうとしている姿がそこにあった。また一般のクラスには日本人の婦人も稽古に参加しており、うれしく思った。
夜は道場生も自宅に呼んでバーベキューパーティ−。こんなところもアメリカらしさがある。健二夫妻みずからビーフステーキを下ごしらえし、豪快なパーティーであった。

たった2日間ではあったが、海外において空手道の芽が確実に広がってゆく光景を目の当たりできたこと、伝統空手が確実に受け継がれていることを実感できたことは私自身の励ましにもなった。

9/29(水)
お互いの成功と次回の再会を約束しマイアミを発った。
今回、飛行機の乗り継ぎは実に6回もある長旅であったが、いろいろなことも経験し、「旅なれ」したようである。が、帰り、ニューヨークのJFケネディー空港で乗り継ぎ時に、スーツケースの鍵を壊されたことが残念である。
アメリカ経由旅行ではスーツケースの鍵はかけてはいけない。盗難の心配もあるが壊されたらどうしようもない。

今回の遠征ではそれぞれの目的を果たし、大変有意義であった。
世界大会まであと1ヶ月。1日1日を大事にし、我々3兄弟の今年最大の目標である世界7連覇へ向け、決死の覚悟で頑張るのだ!