プロローグ03
『………あなたは、だれ?』
……あ?
『だれなの?』
俺か? 俺は……誰だ?
『ねぇ、だれ?』
……誰々言う前にまずお前が答えてくれよ。
『わたしは、どうぐ』
どうぐって……、道具? なんじゃそら。名前じゃないだろが。
『………』
あん? お前女か?
『おんな?』
自分の姿ぐらい見てみろよ。その格好で何処が女じゃないってんだ。
『じぶんを………みる』
おう。ってしかしあれだな。お前さんのこと、どっかでみたことがあるような気がするんだが……。
―――銀一―――
「…ふが?」
なんか懐かしい夢を見たような気がして、俺はベッドから起き上がった。時間を見ると午前五時半を若干回ったところを指しており、二度寝するには微妙な時間であることを知る。
「…くぁー! 最近は夜更かし控えてるから、別に平気なんだけどなー」
ぼりぼりと頭を掻いてクローゼットからお気に入りの色のシャツとズボン(灰色と黒だ。地味なのが好きなんだよ)を取り出し着込む。白衣はいつも研究室に脱ぎ捨てている。最初はセツナとアリスに注意されてたが、今では諦めたのかそれほど口うるさく注意してこない。
「ま、頭じゃ悪いって思ってんだけどなぁ」
ずぼらなのは重々承知しているし、直すべきだということも頭では分かっているのだが、それが実践となるととたんに難しくなってくる。
それこそ人としての性かねぇ、などとたわいも無いことを考えつつ、俺は自室のドアを開けた。
空模様はよろしくなく、今にも泣き出しそうなほどに黒いため、朝だと言うのに廊下は薄暗い。スレイアもこの時間は活動してないから、家の中は静まり返っている。
と、小さな足音とともに目の前の曲がり角からセツナが現れた。
「―おはようございます。―既に起床なされていたのですね」
これがセツナ以外ならば多少驚いたりするのだろうが、こいつの鉄面皮はこの程度じゃ揺るぐはずも無い。
「おう。珍しく早く目が覚めちまった」
まぁ俺自身もこんなセツナの対応にはなれているので、今更とやかく言うつもりは無い。何より、言っても無駄だろうし。
「―今日は一日降雨だそうです。―予定の方はどうしますか?」
予定って今日何かあったっけか…? あ。
「ああ、アレな。雨が降ってるからってやめるわけにゃいかんだろ。俺としてもそろそろあいつと会っておきたいし」
代名詞だけの会話になってしまうが、セツナそれですらしっかり理解を示し、会釈をする。
「―分かりました。―先方にはそのように返信しておきます」
「メール着てたんかい。あいつもまめだねぇ」
いや、俺が不精なだけか。
そうとだけ確認して、わずかに苦笑してみせる。俺をじっと見ているセツナはそれについてなにも言わず、何も仕草を示さない。
無駄だと分かってても、色々な反応を見てみたいもんなんだよな。セツナの横を通り過ぎるのにあわせて、頭を軽くぽんぽんと叩いてから俺はリビングの扉を開けた。
さって、今日も一日頑張りますか。
―――竜也―――
………懐かしい夢を見たような気がする。
だがそれは記憶に焼き付けるまもなく、撹拌される薬品のように再び思い出という曖昧なものになってしまう。
それら全てが散り散りになるのが悲しくて、せめて欠片でも掴もうとして大きく手を伸ばし………。
なんか固いものに触れて止まった。
ここで俺の意識は急速に覚醒し、目を開けることになる。
そこには、竹刀を今まさに大上段から降り下ろそうとしていたスレイアの姿があった。
ちなみに掴んだのはスレイアの肘だ。期せずして振り上げたスレイアの腕を掴んで止めた形になっていた。
しばしながれる奇妙な沈黙。
聞こえるのは窓の外の鳥の囀り、シェインさんの朝食の準備の音。
空気すらも固まってしまったかのように、俺はスレイアと見つめ合う。
ああ、ここだけ切り出せばなんかそこらへんにある漫画みたいだな。
そして、長いようで短い一瞬が過ぎ去っていった。
「びっくり」
「俺のセリフだ!!」
真っ当な突っ込みは俺を夢心地から突き放し、現実という事実を突きつけてきた。
昨日慰めようと思ったことなど遥か彼方に吹っ飛んで、いつもどおりのスレイアにつっこみをいれる。
いつもどおりとはいえ、なんて日常………。
梅雨に一足フライングして今日は雨だった。
暑くなればむしむしとして鬱陶しいのだろうが、この季節だと純粋に寒い。
ともすれば霧雨ともいえるなかを、俺は徒歩で学舎に向かっていた。
俺の学舎へはバスが通っていない。
そのため雨の日は基本的に歩いて登校することになる。
銀兄なんかは完全防雨自転車なんていうものの設計図を見せてきたが、どこから見ても自転車駆動二輪自動車にしか見えないフォルムに丁重に断りを入れておいた。
間違いなく警察に止められるっつの。
しかしまぁ、そんなものがあれば確かに助かる。
学舎までは自転車をこいで20分弱。徒歩だとその倍はかかってしまう。
結果として雨の日は早起きをしなければならなくなるから、防雨自転車なんてあればそれは確かに便利なのだ。
「………」
ふと、足が止まった。
理由なんかは特にないのだが、何故か足が止まってしまったのだ。
動かないわけではない。なにせ俺自身が足を止めているのだから、動かそうと思えば動く。しかし、それを俺は動かさないのだ。
「………だから、どうしてさ」
訳の分からない感覚を振り払うように、声に出してみる。
そうだ。せっかく早く家を出たというのにこのままでは遅れてしまう。
スレイアに感謝するつもりはないが、早く起きれたのだ。
なにより体調は良好だし、雨の日の体育の授業だってなんなのか気にかかる。
だから目の前の路地裏なんか別に気にも何にもならないはずだ。
「………っ。だから、なんで具体的なんだよ」
悪態をつく。解離しているのだ。十六年間育ててきた俺の人格と、生まれたときからずっとそのままである本性が。
今までだって何度か似たようなことはあった。
激烈にいやな予感がしたときは、立ち止まった目の前でダンプカーが速度超過でかすったことがあるし、逆に何かに突き動かされるように走って、あの木刀を見つけたこともある。
具体的に良いか悪いかはっきりすればそれに従うことは吝かではないというのに、なぜか今回はそれすらも判然としない。
良くもなく、悪くもなく、敢えて言うなら全部であり非常に気持ち悪い。
意味もなく胃がひっくり帰りそうになり、朝飯をこの場にぶちまけてしまいそうになる。
まるで路地裏に行くにしろ、学舎に行くにしろ、早く動けと急かされているようだった。
「ああ………ったく。次からは具体的に教えろよな」
愚痴を言っても何も答えてくれないのを重々承知しながら、俺は路地裏へと足を踏み出した。
この時点で遅刻は覚悟したし、下手をすればさぼることになるのも承知した。挙げ句の果てに、嫌な予感ではないにしろこれで平穏が終わってしまうのもなんとなく分かっていた。
ただまぁ若干の波乱があった方が、生活は楽しいと思っていたのはあとのことで、俺の本性はそんな俺の本音をよく分かっていたのだろう。
足を向ける先は住宅街と商店街が微妙な比率で混じる、薄汚れた路地裏。
明確な区分はスーパーマーケット前の大通りなのだが、俺にはここが境界線のように見えてしまい、なんかうすら寒い。
境界線というのは、群の何処にも属さない寂しい所なのだ。
境界は境界である以上隣り合わず、そして境界に区切られた群れにも属さない。
ゆえにそこは永遠の孤独であり、それが終わるのは境界線が消えるという結末なのだ。
何者とも混じらず、混ざるときはそれが消えるとき。
それこそが境界線だ。
突き放されそうな寒気に追われるように、俺は早足で路地裏の奥へと歩を進めていく。
奥に進む理由? 知るか、俺自身が教えてほしいぐらいだ。
ずんずんと躊躇なく突き進んでいた足は、とある場所で粘着材に絡まれたかのように急停止する。
あんまりな止まり方だったから、上半身がつんのめったぐらいだ。
そこに、いた。
いや、あったというべきか。
それは壊れた人形だった。
ちらちらと降りしきる霧雨は、どこからか入り込む光を乱反射し、暗い暗い路地裏の中に淡雪のように彩り、その中心に彼女はまるで眠るようにたたずんでいた。
つい先程まで稼働していたのか、霧雨があたるたびに剥き出しになった左肩の関節と右膝の間接から儚い火花が上がる。
「………」
思考が止まる。息をすることすら忘れそうになる。この世に目の前の壊れた少女と自分だけがいるように錯覚する。
固まった自分は動くことすら出来ず、俺は永久にそこに佇んでいることになる、と思った瞬間だった。
「………ぁ」
うっすら、と、完全に壊れたと思われていた少女が目を開いたのだ。
色のほとんどない瞳(故障してるか、動力がほとんどないのか)と、俺の視線が交錯する。
淡いアクアマリンのような瞳を見つめていると、彼女はうっすらと微笑んで小さく口を動かした。
『やっと会えた』と。
―――銀一―――
朝からの雨は、昼が近づくにつれて徐々に強さを増していった。が、その日の俺には会うべき人物がいたので、自分でいうのもなんだが久方ぶりに外出していた。
車でも使えば15分の道のりを、わざわざてくてく歩いてだ。
ま、必要性があるから行くんだし、そもそも友人に会うのを渋ってどうすんだ、といったところだ。
「よう、すまんな銀一。こんな天気の悪い日に呼び出して」
「気にすんな九郎。お前からの呼び出しがなけりゃ俺はとっくに引きこもりだ」
にっと笑って迎えてくる、おおよそもてるであろう背の高い好青年に俺もにっと笑って返してやった。
三鷹九郎。俺の高校からの親友で、大卒後は親父をついで若くして小さいながら会社の社長になったやつだ。
もともと商才はあると踏んでいたが、よい方向に予想を裏切られた。現在、こいつの経営する三鷹重工は業界でも五指に入る大企業だ。
そして俺は、そんなやつのしたでスペシャルエンジニアチーフという役職をいただいていたりする。
………ようは俺にとって都合のいい、単独の部署を持ってるってだけだ。
で、単独で行動できるのをいいことに好き勝手に開発を行っているのである。
今日の外出はその経過報告も兼ねている、というわけだ。
「お前さんのご依頼の、量産型AFだが、予定通りスレイアを元にする。で、もう少しコスト下げれば実現可能レベルまで持っていけるぜ」
とりあえず暫定的にまとめた設計図を広げながら説明する。
セツナを作った時にはここまでシステムを簡略化できるなんて思ってなかったからなぁ。
「本当にここまで持ってきたわけだな………。銀一にもちかけた時は半ば冗談だったんだけどなぁ」
「それについては俺も同じ感想だ」
なんせお前最初はセツナを量産しようとか抜かしやがったからな。
頭がイカれたのかと本気で心配したぞ。
「で、正味な話どこまで性能は落ちるんだ?」
相変わらず商売のことになると目の色が変わりやがる。まぁそういうところも含めて信用しているわけだしな。
「何度も言ったがSシステム回りは完全にオミットだ。出力も人間と大差ない程度に落ち着けて、燃料電池による長期稼働を目指す」
正直乾電池が目標だったんだが、シェインにもスレイアにもいい顔されなかった。
ちなみにSシステムってのはセツナたちSEシリーズに共通して搭載されている中枢システムのことだ。
ジジイとかの監修が入ってない、まじりっけなしの俺のオリジナルだ。
「Sシステムはやっぱり無理か」
「一機一機に組み込む場合は、時間とコストの両面でまず無理だ」
なんせプログラムの基礎教育だけでシェインは二ヶ月、スレイアも一月半かかってるからな。
「Sシステムを組み込むよりも、相手の態度に対して反応させた方がいい。統括システムとしてだけなら、Sシステムは性能的に見るところはないしな」
問題は今回の量産型は、間違いなく介護の現場に大量投入されるんだろうということで、学習して笑うことが出来るようになるまでの期間、介護の現場から苦情がこないかな、といったところだ。
「ま、そっちはしょうがないよ。短期での大赤字はそれなりに覚悟してるからな」
つまり長期では黒字にできると踏んでるのか。
「黒字にできると思わんのなら投資はしないって」
さすが、敏腕社長としてならしてるだけはある。
根拠のない自信に聞こえないあたり、日頃の行いとも言えるな。
てなことを考えていたら、俺の後ろの扉が開いた。
「―マスター」
次いで聞こえる抑揚のない声。聞き間違えるはずもなく、セツナの声だ。
「おう、メンテ終わったか………て、げっ」
「いよう、チーフ! 久方ぶりに姫さん預からせてもらったぜ!」
振り替えってセツナの隣にいる人物を見て、思わず俺はうめいてしまうが、そいつはそれを全く気にする様子もなく俺に向かって親指を立ててくる。
いかつい顔に満面の笑みを浮かべているのがなんとも暑苦しく感じる奴である。
池田和馬。整備部の主任であり、俺より二十近く年を食ってる叩き上げの職人さんである。
正直尊敬に値する人物のはずなのだが、おおらか過ぎる性格のせいか俺は若干苦手にしている。
「―池田主任、私は姫などではありません」
「なにいってんだよ! 姫さん、あんたは俺たち整備部のアイドルなんだぜ?」
………セツナをここに連れていくたびに預けるの、やめた方がいいかもな。
「一応言っておくがやめておけ。無用な敵を作るとあとが厄介だぞ」
「俺今何も言ってないよな!?」
「付き合いは長いんだ。何を考えてるかぐらいはいい加減わかるさ」
………下手に仲がよすぎるのも考えものだな。
「―マスター」
「ん、どうしたセツナ?」
漫才みたいなやり取りの間にいつの間にかセツナは目の前にまで来ていた。といっても、二歩ほど間隔をあけているのはいつも通りだが。
「―シェインから連絡が入っています。―可能な限り早く帰ってきてほしい、だそうです」
「は?」
なんとも中途半端な物言いに、すっとんきょうな声をあげてしまう。
あれでいてシェインはしっかりと物事をいうやつだから、火急の用件ならばすぐに帰ってきてほしいというはずだ。
「………今すぐ、じゃなくてか?」
「―はい。―………現状維持は可能なので、用件がすんでからでも構わないそうです」
改めて聞いてみるがますます要領を得ない。
セツナの方も再度通信をしてみてくれたみたいだが、見てもらった方がいいとしか言わないそうだ。
「………どう思う?」
「―情報が不足しているため、分かりかねます」
まぁセツナは想像でものを言うってことをしないから、予想できてたけどな。おとーさんとしてはもうちょっとソフトな子になってほしかったよ。
「………銀一、なに糸目になってるんだ」
妙な黄昏入ってたら糸目になっていたらしい。九郎がつっこんできた。
「いや、なんでもない。んで、九郎、池田主任、急いで打ち合わせとかないといけないことってあるか?」
「整備部は開発と研究には無縁だからな。オレとしちゃ姫さんのことについてしか聞くことねぇから、特にはないぜ」
間髪入れずに池田主任が親指を立てながら言ってくる。
………親指を立てるそれはクセか何かなんだろうか。
「打ち合わせもなにも、まだ設計は完全じゃないんだろう?」
などと阿呆なことを考えてたら、今度は九郎がそう言ってきた。
「まぁな。もう一回スレイアの各部を点検してパーツごとの損耗度もチェックしなきゃならんし」
順調ではあるが前途多難なのも事実だ。
今まで全部俺が状況に応じて手作業でやってたことを、ベルトコンベアー方式で全自動でやらせるんだから細心の注意を払うのは当然といえば当然なのだ。
「よし、じゃあ悪いが今日は帰る。なんか家であったらしいし、な」
「そうした方がいいだろう。シェインちゃんがそんな呼び方をするのは、初めてなんじゃないのかい?」
素直に頷く。何だかんだ言ってこいつとは親友なのだから、あまり隠し事をしたくはないのだ。
「んじゃ、また近いうちにくるぜ」
数秒考えてからすぐに結論を出す。なにせシェインが曖昧なことを言うような事態だ。好奇心が疼いてしまって他のことなど手がつきそうにない。
なんかうきうきしていることを自覚しつつ、隣で丁寧に会釈をするセツナを伴って外に向かった。
さて、今回はどんなトラブルだ?
SE2-type7α、セツナ。
元々はジジイが作りかけて放っておいたのを、俺が仕上げたSEナンバーの試作機だ。
俺とジジイの実験がごちゃ混ぜになって搭載されており、AFとしては破格の性能を得るに至ったのだがバランスやメンテナンス性に大きな問題を抱えてしまっている。
更にはジジイが作った箇所に俺すらもわからんシステムがあり、もしセツナが大破してしまった場合、修理不能に陥る恐れすらある。
と、問題点の多い機体なのだがそれもしょうがない。
セツナは記念すべき完全人型AF第一号であり、前例が存在しない本物の試作機なのだ。
現在、セツナを元に作ったシェイン、スレイア以外には完全自律の人型AFは存在していない………はずなんだがな。
「アリス」
俺の呼び掛けに、うちのスーパーコンピューターインターフェイスが音もなく姿を表す。
こいつは普段から家中のカメラからこっちを見ているのだろうが、インターフェイスという立場上コミュニケーションをとる際には姿を表す。これはアリスにとって本能に近い。
「過去五年間、うちのサーバーがハッキングされていないってのは確かなんだよな」
『間違いないよ。Sシステムを掻い潜って、私の人格を改竄でもしてない限り、ね』
俺の問いに、アリスは自信満々にそう答える。
それは正しくアリスらしくて、疑う余地すらないものである。
Sシステムの改竄は、作った俺ですら不可能と言わざるを得ないのだ。やれたとしても、必ずどこかに不具合が出てしまうだろうから。
だからこそ、目の前の事実が矛盾する。
甥が持って帰ってきたこのAFの存在が。
セツナを手本にしたと言わんばかりの構造のAFが、どうして存在しているのだろうか。
そしてなにより、中枢に組み込まれているこのシステムの存在が。
―――竜也―――
「………」
結局あのAFを見付けてからとんぼ返りで帰ってきた訳だが、銀兄に修理を頼んだときの様子がなんか変だった。
本人は何でもないようにしていたが、何となく凄く驚いていたように見える。
まぁ完全人型のAFが捨てられていたなんて、質の悪い冗談にしか聞こえない。
現状ではオーダーメイドの超高級品で絶対数が少ない。そんなものを捨てるなんてバカみたいな金持ちか、金持ちみたいなバカに決まっている。
………と、普通なら考えるんだが、今回の俺の勘の働き方を鑑みるに、そんな簡単に事態ではないように思える。
あいつを拾う直前も尋常ではない勢いで俺を揺さぶっていたし、銀兄の所作にすら若干の反応をしているぐらいなのだから。
普段ならばこれぐらいは気にもとめないのだが、異常事態故にか、俺の神経は少しばかりささくれだっているらしい。
「………やさん、竜也さん!」
「うわ!?」
などととりとめもないことを延々と考えていたら、いつの間にかシェインさんが目の前にいた。
「全くもう、どうしちゃったんですか? ずぶ濡れで帰ってきたと思ったらお風呂になかなか入らないし、今も前が見えないぐらい考え事してますし」
左手を腰にあて、右手の人差し指を上に立てながらシェインさんは少し険しい顔でそう言ってくる。
とはいえ、元の顔が優しいので怖いというよりは申し訳ないと思う気持ちが先にたってしまう。
「す、すいません………」
実際問題高校は休んでしまったわけだし、謝るのは筋違いではない。
なによりシェインさんにそうされていると、俺が極悪人になったような錯覚を覚えてしまう。
平謝りに謝る俺に、シェインさんは軽く嘆息して作業室の扉に目を移した。
「でも驚きました。竜也さんがこんなことをするなんて」
こんなこと、とはどっちのことなんだろう?
「失礼ですけど、竜也さんはもっとことなかれ主義な人だと思っていたんですけどね」
や、めんどくさいから普段はそうなんですけどね。今回は例外と言いますか。
「………」
ってうわ!? いたのかスレイア!?
「ずっといた」
す、すまん。考え事をしていたから普通に気が付かなかった。
「いい」
しかしセリフとは裏腹に何故かスレイアは拗ねたような顔をしているんだが………。
と、今度はシェインさんがくすくす笑いはじめた。
「駄目ですねぇ、スレイアちゃん。マスターや竜也さんには分からないかもしれませんけど、第三者には筒抜けですよ?」
? なんのことだ?
「解釈に偏り。当該思考、不適切」
………ちょっと慌ててないか? お前の行動レスポンス、いつもよりも早いような気がするぞ。
そう言ったらスレイアに睨まれた。
全く以てわけがわからん。
シェインさんはくすくす笑うだけだし、俺には途方に暮れる以外の選択肢が存在しない。
と、間抜けな様相の場に突然アリスさんが現れた。………俺の目の前一センチの超至近距離に。
「おぅわ!?」
無論のこと何の前触れもなくそんなことをされれば、人間誰しも驚く。
真っ当な人間である俺は盛大に驚き、後頭部を壁に強かに打ち付ける羽目になってしまった。
声にも出せない痛みに悶絶する俺に、シェインさんとスレイアは目を丸くしている。が、当のアリスさんは何も言わずにただじっと俺を見つめてくるだけだ。
『………ねぇ、竜也。あのAF、本当に拾ってきただけなの?』
………は?
アリスさんの質問の意図が読めず、俺は思わず埴輪みたいな顔をしてしまう。
勘が働いたとはいえ、あいつを拾ったのは間違いなく裏路地のゴミ捨て場だ。何かあることは間違いないだろうが、俺が何かしたわけではない。
「………何が言いたいんだかよくわかんないですけど、あいつを拾ったのは間違いなくゴミ捨て場っすよ」
かといって、俺自身にも正体不明な勘のことを話すわけにはいかない。信用してるとかしてないとか以前に、教えたら間違いなく混乱するだろうという配慮だ。
第一どうやって説明しろというのだ。
と、なんか的外れな決意を固めるのと同時にアリスさんが大きなため息をついた。
『そっかー。手がかりはなしかぁ。またややこしいことになっちゃったなぁ』
なんだなんだ。なんなんだ?
「俺の拾ってきたAF、なんかまずかったんすか?」
とにかく話が見えないので尋ねてみることにする。まぁ俺の直感が最大限に動いたから、何もないわけがないのだが。
が、それに対してアリスさんはますます苦み走った表情を作った。
『まずいって言うか………、あのAF、構造がセツナとそっくりなのよ』
………へ?
『とにかく見てみたら分かるわよ』
言うが早いか、アリスさんの姿が掻き消え研究室の扉が開いた。
一瞬シェインさん、スレイアと目を合わせたが、じっとしているわけにもいかないので、俺の方から開け放たれた扉をくぐった。
シェインさんはやや硬い表情をして、スレイアは首を捻りながら俺に続いて部屋に入った。
「よぅ。またお前は厄介なもんを拾ってきやがったな」
部屋の中には、大量の機械の部品がおかれたメンテナンスベッドと、その傍らに銀兄の姿があった。
………よく見ると、その機械の部品の端に拾ってきたAFの頭が置いてあり、完全に分解された状態であることを理解する。
「ぎ、銀兄も随分派手にばらしたなぁ」
飛び込んできた光景のショックが大きく、危うく絶句しかけるが、辛うじてそうとだけ言う。
なにせ今までセツナさんたちの分解整備の情景も見たことがないのだ。一種異様な光景に圧倒されてもしょうがないと思う。
「そこが厄介点1だ」
なんてことを考えてたら、銀兄がそんなことを言ってきた。
「このAFの損傷具合は尋常じゃないぞ。正直なところ、スクラップも同然なんだよ。辛うじて中枢が生き残ってるが、修理っつーよりも作成の方が近いぐらいだぜ」
………ほとんどスクラップ?
あの時動いたこいつが?
………見間違い………だったのかな。
「………」
瞳は閉じられており、整った顔は人形そのものといった印象をうける。
「心配すんな。お前の頼みだし、このAFはしっかり直してやるよ」
AFの顔を見つめる俺に何か勘違いしたのか、銀兄はそんなことを言ってくる。
………まぁ、言ったって信じないだろうし、ここは黙っておくかな。
「んでまぁそっちはいいんだよ。問題は、こいつの機構がセツナとそっくりっつーことなんだよ」
そう思ってたら銀兄はさらに苦みばしった顔をしてそんなことを言い出した。
「―正確には五十七%の合致となります。―しかし、改修前の私となりますと、八十四パーセント合致します」
それにセツナさんが注釈を入れる。アリスさんと銀兄が泡を食うわけだ。
「それって………セツナさんのコピーということっすか!?」
思考の大筋は冷静なんだが、反射的に思ったことを口にしてしまう。人間だもん。
「そう考えるのが妥当だろうなぁ」
当事者の方がのんきな顔をしてるのはどうかと思う。
「マスターは他にも心当たりがあるのですか?」
これはシェインさん。ここに入る時は険しい顔をしていたのだが、銀兄がいつもの調子と知ってからいつもどおりの柔和な顔になっている。
「心当たりっつーか、まぁ、もしかしたら程度の推測だ。………まぁ、有り得ないわな」
しかしそれに銀兄は更に要領を得ない返答を返してきた。後頭部をがしがしと掻き毟るのは、銀兄が困ったときに出す癖みたいなものだが……。
「ま、勘繰ってすまんな。何度も言ってるが、こいつはしっかりレストアするから、お前は遅刻でもいいから学校にでも行ってろ」
それを勘ぐる前に、絶妙なタイミングで切り返してくる銀兄。まさかそんなことを言われるとは思っても見なかったので、少し慌てる。
「でも………」
「あー、もう。今なら俺が学校に方に取り成してやるから、諦めて行っとけ」
反論の余地無し。……まぁ善意でココに住まわせてもらってるのだし、学費だって払っている以上高校には行くべきだろう。AFのことは気がかりではあったが、俺が居たって何か出来るわけじゃないし。
「………わーったよ」
それでもさすがにこの時間からは面倒くさいという気持ちが強い。不承不承といった感じが出るのは致し方ないことだというものだ。
―――銀一―――
ったく、不良学生め。俺が高校時代の時はゴミ捨て場漁って帰るなんて真似はしなかったぞ。その場で直してたからな。
『言わなくて良かったの?』
なんて在りし日の馬鹿なことを思い出していたら、アリスがそんなことを聞いてきた。
ちなみに、アリスが言っているのは竜也にも話していないある種の機密事項だ。
「竜也は爺(じじい)とは関係ないからな。進んで動く天災に触れる必要もない」
爺。言うまでも無く俺の祖父、世紀の天災科学者(誤字じゃないぞ)にして生ける災厄、これ以上の無い身内の恥である枯龍零次郎のことである。
爺に対しては言い過ぎて言い過ぎになるという事は無い。マジで。
『うーん………、これ事態が教授の接触というのは?』
しかしアリスが考えていたのはちょっと別のことだったようだ。
相変わらず無駄に凝った動作で推論を述べるアリスに、俺は手をひらひらと振って応える。
「ないな。いくら何でも不確定要素が多すぎる。一から十まで計算ずくで人を踊らせるのが爺の手口だから、今回のは爺にとっても計算外だったんだろ」
人の所作なんぞ眼中に無いくせに人の行動を読むことに関しても天性の才能持ってやがるからな、あの爺。
「―マスター、私の予備パーツの準備、整いました」
若き日の屈辱が蘇る前に、冷水のような声が響く。俺がアリスとくっちゃべってる合間にも、着々と修理の準備を進めていたセツナだ。
ちなみに、設計が殆どセツナと同じなのでセツナ用の予備パーツがほぼ使える。これなら修理もかなり早く終わるだろ。
『まあったく、セツナは自分の親の話だってのに淡白だねぇ』
しかしインターフェイスのコイツとしてみれば俺という格好の話し相手がいなくなるからか、今度はセツナに絡み始めた。
「―推測ならばマスターが立てます。―私は命令通りに動くだけです」
ソレに対してもセツナはいつも通りに氷みたいな反応をする。しかしまぁ……。
「………それはそれで問題がある、ってもセツナには通じねぇだろうしなぁ」
Sシステムαプロトであるセツナは、基本的に乱数ではなく定数を重視する傾向にある。つまり確定していない未来よりも、確定している過去から現状の行動を決めるわけだ。……ともっともらしいことを言ってみるが、これもちょっとした推論だしなぁ。
実際問題作った俺自身が一番Sシステムの構造が分からん。
『………ま、駄弁っててもしょうがないね。今日中に修理するんなら、時間足りないしね』
そしてこっちはβプロトであるアリス。βはαと違い、定数よりも乱数を重視する傾向に設定している。結果確定していない未来に対し、推測という自らの乱数を組み込むのだ。……これも推論だが。
……なんでβの方が性格がしっかり出るのかは俺もわからんが……まぁとりあえず。
「嫌なこというな、お前」
いくら予備パーツを用いるといっても、元々複雑であるセツナの機構を修理するんだから面倒くさいことこの上ない。そして面倒くさいことは時間がかかるのだ。
「―しかし事実です」
「………」
―――竜也―――
「よぅ、こんな時間に重役出勤か?」
結局四限目前に教室にたどり着いた俺は、いつもどおりに榊原に歓迎の一言を貰った。
「有川くんに限ってそんなことしないよ。どうせ枯龍教授になにか頼まれたんでしょ?」
そして付き合いの長い皆橋はしっかりとこちらの意図を汲んでくれる。まぁ俺を知る人間からしてみれば、今朝の行動は真面目に青天の霹靂だろう。俺自身そう思ってるんだし。
「その通りだ皆橋。あと人の机で頬杖をつくな榊原。顔が近い」
いつもどおりの口調で榊原を追っ払い、席について一息入れる。なんだかんだいってAFを担いで一回家まで帰ってるのだから、疲れが溜まっているようだった。
相変わらず馬鹿なことをいう榊原とそれにしっかり対応する皆橋を見やりながら、昼休みが終わったら寝てしまうかもしれん、とか思っていた時だった。
「で、遅刻の原因は何かしら? 口先だけなら何とでも言えるから、何か証拠が欲しいところね」
俺の背後にいつの間にやら人が立っていた。普段の俺だったらびっくりするところだが、既に一回家でアリスさんに驚かされているためちょいと感覚が鈍っているみたいだ。
「委員長、ちょいと言い方が嫌な感じなんだが………」
「あら、ごめんなさい。有川くんが相手だと礼儀を忘れちゃうみたいね」
にっこり笑って毒を吐いてくる目の前の女に内心辟易する。
浅木希。このクラスの学級委員長である。
特に髪を染めていたりはせず、顔立ちも整ってるしメガネをかけていることも相成って真面目そうな印象を受ける人物なのだが……、自分の点数稼ぎためならば平気で人を裏切るような外道女である。
ぶっちゃけて俺は嫌いだ。
「せーかく悪いぜー、委員長」
「榊原くん、あなたも遅刻してること、忘れないでね」
椅子を傾けてそんなことをのたまう榊原に、淡い微笑を向けながら釘を刺しやがる。
まぁ榊原は世間の荒波で頑張ってるタイプなので、この程度じゃ堪えるべくも無い。だから俺も突っ込みに容赦してないし。
「………話があるのは俺だろ、委員長。家に確認とってもいいよ。家を出るときトラブって、防雨自転車がぶち壊れたんだよ」
まぁ今は俺の話だ。余計な飛び火やとばっちりは勘弁こうむる。下手な恨みは買いたくない。……榊原はそんなやつではないと百も承知だが、気分が宜しいわけでもないだろうし。
「それで何であなたが遅れるのかな?」
「一から十まで説明しないと分からんのか。その自転車に俺が乗ってたんだよ。おかげで派手に壁に激突しちまったし」
若干誇張表現になるが、ここらへんは家でシェインさんと打ち合わせ済みである。
「普通なら病院にいかない?」
「意識はしっかりしてたしな。第一家には下手な医者よりも優秀な人がいるんでね」
正確には人ではないがこの際関係ない。シェインさんが医学の知識を修めているのは事実だし、銀兄もしょっちゅうお世話になってるので実践も問題ない。
……まぁ今回に限って言えば法螺だが。
「しょうがないわね、今回は負けを認めてあげるわ」
「別段論争をしたつもりすらないんでね。こっちは準備があるから邪魔しないでくれるか?」
偉そうなことを言って淡く微笑む浅木に、言外にどっかいけといいながら俺はカバンから今日の教材を取り出す。一限目からうけるつもりだったので、しっかり一日全部の教材が入ってるが……午前三時限分は完全に無駄である。自業自得なので落ち込まんが。
「全く……浅木さんにも困ったもんだね」
いつもは柔和な皆橋が、珍しく眉毛を八の字にしてそんなことを言ってくる。実際問題として、浅木の行動は目に余るものがあるし。
「放っとけよ。今さらこんなのに目くじら立ててたら身がもたん」
「相変わらず自分が興味持ってないと態度が冷たいな、お前。だからこそお前らしいというか」
うっさいぞ榊原。俺は面倒ごとが嫌いなだけだ。……今朝の一件でその矜持も危ういがな。
「……なんで有川くん頭抱えてるの?」
軽い自己嫌悪だ。気にするな。
高校の授業なんてのは、身が入らないときはとことん退屈だ。
義務教育という枷が外れ、四月末という色々微妙な時期も相成ってやる気というものを感じない。
大体俺自身家の様子が気になってしょうがない。学校なんぞとっととばっくれたいぐらいだが、榊原ではあるまいし、ここまで来てそんなことできん。
変なところで真面目な自分が憎い。
あと俺が教室を飛び出さないように、後ろから浅木が何気なく注視しているのがめんどくさい。何よりあやつの内申点となるのもシャクだ。
軽く、誰にも聞こえないようにため息をついて、思いっきり背もたれに体重を預ける。
「………ったく、ままならんねぇ」
分かりきってることだ。
人である以上、生き物である以上ルールは必要なのだ。要はそれをいかに上手く利用するかが、世渡りのコツだ。
まあ、近場にあんな人間がいるせいか、そういう考えは微塵も持たないんだが。
ばか正直で騙され続けるのは御免だが、狡い生き方をして味方を減らすのも馬鹿馬鹿しい。
ようは中庸が一番なんだろうな。
今朝の行動だって、平穏に傾きすぎていた天秤を元に戻すための作業を無意識にしただけだったのかもしれんし。
つい、と向かいの校舎の方に視線を向ける。
普通の学校と違い、うちの高校は中庭に向けて窓を面している。故に夏場は向かい同士の校舎の様子が筒抜けらしい。
まぁここの向かいは体育館だし、そんなもん見ても別に面白くないのでさらに視線をずらしてみる。
「………?」
そこで変なものを見つけた。
見つけたのは部室棟の方で、階段の踊り場の辺りだった。
60センチぐらいの『人影』が消えていったのだ。
「………疲れてるんだな」
もしくは雨で見間違えたのだ。
これ以上の面妖な事態は御免である。無視無視!
「あ、有川くん。頼まれてたあれ、今日来たよ」
「………時々俺は神様に見放されてるんじゃないかと思うんだが」
「? なにか言った?」
「いんや、何にも」
放課後。いい加減うちの様子が気になってしょうがなくなってきてる状態で、俺は皆橋に呼び止められた。
これが榊原ならば無視するのだが、皆橋だとそうはいかん。
第一、こいつに頼んだのは俺だしな。
「しかし、あれだな。頼んでからまだ半月だぞ。よくこんなに早く作れたな?」
はやる気持ちを押さえつけて、努めて冷静に口を開く。
家の様子が気になるのは当然だが、皆橋に頼んだものも割と気になる。
「最近じい様は暇してるからね。あと何気に有川くんのこと気に入ってるみたいだし」
確かに皆橋の爺様とはずいぶん話し込んだが、あれで気に入られたんか?
「うん。久方ぶりに使い手にあった、とかうきうきしてたよ」
………なんか勘違いしてないか? 確かに自己流で練習してるが誰かの下について練習したことはないぞ?
「うん。僕もそういったんだけど、そういう意味で言ったんじゃない、って」
ふむ。訳が分からんな。
首を傾げつつも、繁華街を南へと抜けていく。
こちらの方向には昭和から変わっていないのではないか、と思える商店街が広がっている。
食料品店などは繁華街の方に客を取られ殆ど開いてはいないが、職人気質な専門店が並んでおりタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。
そんな一角に店を構えるのが、皆橋の祖父が営む修理店である。
小さな工場みたいな様相を呈しているそこは、日用品の修理において市内1と評判の店だ。
「おう、来たかい」
独特の匂いを放つ中に入ると、皆橋の爺様、刃介(はすけ)さんがすでに待ち構えていた。
すでに七十を越えているはずなのだが、筋骨隆々の体からは衰えというものを感じないし、立派に蓄えられた白髪は見るものを圧倒させる迫力がある。
「ど、どうも。恭介くんから頼んでいたものが出来たと聞いてきました」
正直いってしまうとこの爺様はちと怖いのだ。体格が体格なので、とてつもない威圧感を覚えるし。
だがこういう人種は素直に尊敬できる存在でもある。己の身一つで、自己を確立させた偉大なる先達だからだ。
「恭介にくんづけする必要はないぜ。ったく、誰に似たんだか、あのもやしが」
………あと歯に衣着せぬ言い方なので、基本的に言うことがきつい。
「と、すまねぇな。久方ぶりに『使い手』からの依頼だってのに、愚痴っちまって」
その使い手ってのは何なんですか。
そう聞こうとする前に、俺の手元に一本の刀が置かれる。
しっかりとした装飾が施されており、まるで博物館にでも置いてありそうな存在感を放っている。………って、
「こ、こんなに立派な装飾されても困りますよ!? 一応これちゃんと使う気なんですから!」
「ったりめぇだ! 使うからちゃんと装飾してるんだよ! 刃の装飾は魔除けだ。テメェには必要だろうが!」
………正直訳が分からないのだが、爺様の迫力に押されて何も言えない。というか趣味で購入したのだが、尋常じゃないものになってしまった。
が、今の俺はそれ以上に一つの物事に吸い寄せられていた。
抜きたい。この刀を抜いてみたい、という欲求に。
「抜きな。この刀はお前さんのだ。お前さんが抜いて初めてお前の物になる」
そんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか。
つまらんものを見るような目で爺様はそんなことを言い放ち、俺はそれに解き放たれたかのように刀を手にとってゆっくりと抜き放つ。
刃こそ潰してあり殺傷力は皆無となっているが、輝く刀身は業物と言えるような、そんなオーラを纏っていた。
「………すげ」
思わずそんな言葉が漏れる。
今まで何回も本やネットで様々な刀を見てきたが、そんなものとは全く違う。
やはり実物は一味違うのだな、と半ば呆けたように刀を見つめ続けていると、爺様は満足いったように満面の笑みを浮かべた。
「『使い手』に満足いかせることが出来たっつーのは、俺も光栄だねぇ」
………そうだった。いい加減それを聞かないといかん。つかなんなんだその『使い手』っつーのは。
そう思って爺様を見やると、すでに奥の御座に引っ込んで早くも寝息をたてていた。
「………勘定は?」
なんかもうぶっ飛んでいく事態に着いていけずに、俺の口からは全く見当違いの言葉が飛び出す。
「あ、勘定?」
と思ってたら隣の部屋から皆橋の奴が顔を出してきた。
………そして次に出てきた一言に俺はひっくり返ることになる。
「いらないって」
………………嘘だろ?
『今まで良い子ぶってたの?』
「違います」
家に帰ってきたと同時に、アリスさんから物凄い不審そうに見られる。確かに、金属探知機なんかでチェックすれば怪しいものであることは瞭然なんだから。
「友人の祖父が鍛冶屋だったんすよ。んで、頼めば刀ぐらい鍛ってやるって言われて、頼んだらこんなスゴいものが」
外で抜く訳にはいかなかったので、玄関をくぐってから抜刀する。
刃は潰してあるし、危険はないと知らせとかないと俺の世間体が危ない。
『ふむ。刃は潰してあるみたいだし、危険はないか。でも軽はずみに外に持っていかないでね』
「勿論っす」
こんなもん持ち歩いてたら間違いなく職質されるし。
第一、刃は潰してあるといえ材質はしっかり合金だ。叩けば痛いなどではすまない立派な凶器である。
「っと、そうだ。アリスさん、あのAFどうなりました?」
思わぬ道草で忘れてしまうところだった。あれだけ気持ちが逸っていたのに、人間とは現金なものだ。
とはいえ、あれだけ派手に壊れていたからまだまだ時間はかかりそうだが。
『現在進行形でレストア中。あと三時間で動かせるってさ』
想像してたよりも進んでるみたいである。
『銀一ってあれで集中すると止まらないからね。セツナもなんかのめり込んでるっぽいし』
私はついてけないよ、と言って中空に腰かけるアリスさん。
ちなみに今までの会話は全て移動しながら行っており、アリスさんがこの格好をしたのは俺が自室に荷物を置いたのと同時だった。
「なーんかやな感じですね。隠し事もしてるみたいですし」
だらけきっていたアリスさんの顔が、俺のこの一言で若干締まる。
『へぇ、根拠は?』
「勘です」
あとはアリスさんの表情という状況証拠。………まぁこの外見はアリスさんの意思で出してもらっているから、意図的にそうしているという考えもあるけど。
『銀一のいうとおり、面白い子だね』
「………俺とアリスさん、年の差はなかったと記憶しているんですが」
『人間の十五年とAFの十五年を比べちゃダメだって。精神的には生まれたときから完成しているんだから、経験値には雲泥の差があるのよ』
そんなものですか。
―――銀一―――
「………む」
気が付いたら仮眠用の椅子で寝息を立てていた。
しばらくぶりに座ったまま寝たのだが、身体には特に異常はない。
「―進行状況のレポートです」
俺が起きたのに気が付いたセツナが、寝入る直前までにやっていた作業を報告してくる。
「………動力中枢の同期不具合か」
それに目を通して厄介な問題だったことを思い出す。
AFに積まれている動力炉は、基本的に種類毎に違う。強すぎるとフレームに負荷がかかるし、弱すぎると行動に支障がでる。
今回はほとんどかセツナと同じパーツだったから何とかなるかと思ったんだが………。
「出力150%ね………。無謀じゃないが、フレームが長くもたないな」
各部動力伝達が改善されているのか、セツナの動力では強すぎたのだ。
「なぁ、セツナは本当に今の動力炉で問題ないのか?」
何回も聞いている質問を今回もまた繰り返す。
第一、自分で何回もチェックをいれて今の動力炉を搭載したというのに、だ。
「―問題ありません」
そしていつもこう返される。
眉すらも動かないセツナの顔を見ても、それが俺を安心させるための方便なのか、事実なのかを確認する術はない。
だからいつも、セツナは俺に嘘をついたことがないという事実を使って疑念を叩き潰す。
………そういう風にセツナを作ったのは俺だというのに、罪深いことだ。
自己嫌悪を起こしつつも、顔を振って陰鬱な気分から一時的に脱却する。
暗くなるのは独りの時にしておかないといかん。
「―そしてこちらが追加のレポートです」
「む?」
更にセツナから渡される一枚のレポート。それの冒頭に目を通し、あー、そういえばもう一個同期用の動力炉も作ってたっけとか思い出す。いくら寝起きだからって忘れすぎだ、俺。
が、そんな自己嫌悪も渡されたレポートを見て彼方へと消え去る。
「―調整済みの動力炉を組み込み、試運転をしましたが予定出力まで到達しませんでした」
「んなバカな。そこら辺も折り込み済みでしっかり調整したはずだぞ」
セツナから渡されたレポートに目を通し、思わず呻き声をあげる。
予定出力どころの騒ぎじゃない。起動最低値にも到達してないじゃないか。
動力炉単体での試運転は何の問題も無かったってのに。
「機体側のバイパス異常か?」
「―計測されたデータ上、エミュレーションと同じ動きでした」
つまり動力炉、機体ともに不備なしってことか。
「………こんなことって起こりうるのか?」
「―過去のデータに則った意見の場合、有り得ないと答えることになります。―しかし、現に今目の前で起きている事態です」
つまり前例は無しか。
「………くそっ、こういうのはむしゃくしゃしやがる」
思わず頭を掻きむしる。
原因不明な事態というのは、俺らのような人種には一番身近な天敵と言える。
こうなったら手当たり次第可能性を潰していくしかないのだ。
「セツナ、考えうる一番高い可能性はなんだ?」
「―その前にマスター」
気合いを入れ直し、図面に目を落とした瞬間にセツナは俺の視界に割り込んできた。………器用なやつめ。
「―夕食を召してください」
気が付けば時計は七時半を指していた。
………イライラしてたのは腹減ってたせいか?
―――竜也―――
「起動しない!?」
晩飯はそんな俺の悲鳴みたいな疑問とともに始まった。
「しっかりパーツごとの不和や出力ラインも調整して試運転したんだが………、起動最低値にも到達しやがらねぇ」
そういう銀兄は、あからさまに不機嫌という表情を浮かべながらサラダを突っついている。
せめて飯時ぐらい取り繕った方がいいだろ。シェインさんが残念そうな表情してるじゃないか。
あ、美味いっすよ、この天麩羅。
「………」
これはスレイア。俺の持って帰ってきた刀をさっきから凝視しているのだ。
………普段は要らんことも喋るくせに、今回に限って黙りなのが非常に怖いのだが。
「………まぁ外装系は修復終わってるし、動力炉の調整に入る前に一度見てみるか?」
なんてことを思ってたら、銀兄が思ってもいなかった一言を放った。
「見て良いのか!?」
「別にお前さんに隠しておくことじゃないしな。第一、修理が終わったらあとのメンテナンスはお前に任せるつもりだし、興味あるんだろ?」
それはもちろん。
機械工学的な意味でも、好奇心的な意味でも。
「もう………、気が散るのは分かりますけど、食事時は落ち着いてくださいよ」
気が逸ってしまったのが思いっきり顔に出たのか、シェインさんが若干苦笑気味にたしなめてきた。
すんません。でもこういうことに心踊らせるのは男の性なんです。
知らず立ち上がっていたので、着席し直して再び晩御飯にむかう。まぁこの状態で落ち着けという方が無理だろ。
「今日は二人とももう寝るべき」
そんなハイテンションに、突如水を刺す一言を放ったのはスレイアである。
って、寝ろってか!? このタイミングで!?
「また唐突だな? 何かあったのか?」
泡を食う俺と違い、銀兄は冷静にスレイアに向き直っていた。
「今日の活動量はすでに許容以上。寝るべき」
「―マスターは昨日も殆ど徹夜ですし、竜也さんは実質的に高校まで二往復、更には寄り道追加です。―明日は土曜日ですし、一度休息を入れるべきであるのは間違いありません」
せ、セツナさんまで………。そりゃないっすよー。
「しかしな、今一番調子が乗ってるんだ。最後まで………」
「実力行使がいい?」
渋る銀兄が不穏なスレイアの一言で凍りつく。つか俺も固まった。にやり、と邪悪そのものとしか思えない笑い方をしてるもんだから、怖いったら無い。
銀兄もあー、だのうー、だのうめいていたが、やがてがっくりと肩を落とした。
「わかった。わかったよ。一回寝ればいいんだろ?」
少しふて腐れたような声音でそういって、晩飯に向き直る………って、だから銀兄、もうちょい取り繕おうよ。
「………慣れてますから大丈夫ですよ………」
………シェインさん、もうちょい嘘だと分からないように言った方がいいですよ。
なんて思ってたらスレイアは俺の方にまで顔を向けてきやがった。
「竜也は実力行使?」
「いらない! 晩飯終わって日課を済ませたら寝る! 寝るから!」
迫力があるとでもいうか、何より実力行使の四文字が怖すぎるために、今回ばかりは抵抗の意思を見せようとも思わん。
というかスレイアもそんだけマジってことだろう。そんなの俺だって茶化さん。
「ご飯の時はもう少しお料理の話題を出して欲しいです………」
いやもうなんつーかすいませんシェインさん。
昨日とはまた違う音が、俺の持つ得物から発せられる。
木刀とは重心も握りも重さそのものも、何もかもが違う。
ここまで違うと違和感に振り回されそうなものだが、この刀はまるで俺の手すいつくかのように馴染む。今まで道具を使っているとよく感じていた感覚だが、今回は殊更だった。
最後に面返し胴の型を数本繰り返し、刀を鞘に納める。
柄と鞘が当たる音が響き、一瞬の静寂が周囲を包む。
「………だぁぁ、疲れた!」
そしてその静寂を自らぶち壊す。
膝に手をついて、肩で息をする。やはり今日一日の行動はそれなりに来るものだったのか、身体は素直に疲労を訴えてくる。
「あー、興奮してると疲労って感じないもんなんだなぁ」
『というか普通AF一体担いで帰ってくるってだけで結構な重労働だと思うんだけど』
一人言に突っ込みが入るのも最早慣れっこである。ほら、視界の隅には呆れた顔のアリスさんがいる。
『でも疲れたー、とか言ってるわりになんか着々と腕をあげてるみたいだね。今までの素振りの中で一番鋭い振りをしてたし』
「………え?」
一番鋭い振りをしていた?
今まで使ったことの無い得物で?
『………あれ? なんか私変なこといった?』
難しい顔をしていたのだろうか、アリスさんがいつの間にか目の前に現れていた。
「あ、いや、うーん………自分ではそんなに手応えが分からなかったものでして………」
うん、第三者から見たらそう見えたっていうんなら、まぁそうなんだろうな。
思わず手に持った刀に目を落とす。
鞘に収まっているので刃を見ることは出来ないが、こうしていれば刃のある真剣に見えるから不思議だ。
実質的に模擬刀と言っても過言ではないのだが、木刀や竹刀に比べて衝撃に弱いという欠点もある。
刀でつばぜり合いなんてホントはしないほうがいいのだ。
『おや?』
「ん?」
「あ」
色々と考え込んでいたら、突然ドアが開いてスレイアが入ってきた。それも、何故か木刀を持って。
「………まだ起きてたの?」
固まってしまった空気をほぐしたのは、スレイアのばつの悪そうなセリフだった。
「や、これから風呂に入ろうと思ってたんだけど………」
予想外の展開に俺の頭も鈍くなったのか、しどろもどろな対応をしてしまう。
『………ははぁん』
固まってしまった俺の思考をよそに、アリスさんがなんか狐みたいな目付きをして変な声をあげた。
「アリスさん? なんか分かったんですか?」
「!?」
なんかスレイアが愕然とした表情してるぞ?
『んー、まぁ妹を追い詰めるのもなんか悪いしね。今日の一件は、まぁ見なかったことにしてやってよ』
「???」
アリスさんを見て、スレイアも見て、まぁ詮索するのもなんか悪いなと納得しておく。………下手に食い下がってスレイアに癇癪起こされてもかなわないし、な。
「んじゃ、俺は風呂に入って寝ます」
こういう時は何も考えずに寝ちまうに限る。疲れてるしな。
明日のことを考えると、すんなり寝れるかは分からんけどね。
――――アリス―――
『ニブチンなのは枯龍の家系っぽいねぇ。下手にさといよりもずっといいけどさ』
「……私のやりたいことわかったの?」
こいつめ……。私がセツナよりも長く稼動してるのを忘れてるな?
『負けず嫌いだモンね、あんた。ま、それだけじゃなくて竜也を見返そうってんでしょ?』
「……」
こくっ、と頷くのは可愛いんだが、その可愛さをもうちょっと外に出せばいいのに。……ま、スレイア自身も自分の事しっかり理解しているわけじゃないしね。そーいうんじゃシェインが一番人が出来てるっぽいし。……私らAFだけど。
『心配しなくても私はこういうの言いふらす性質じゃないから、もうちっと頼んなさいな。一応長姉だかんね』
素直に頷いたけど、果てさて、どこまで頼ってくれるやら。