プロローグ02
朝である。
けたたましく鳴り響く目覚まし時計などではなく、携帯電話のアラーム音を止めながら、俺は大きく伸びをした。
寝つきと寝起きは結構いいほうなので、目覚まし時計はいらないのだ。携帯があれば時間もわかるし、腕時計もいらん。
大体でかい窓がついてるんだから、そこから入ってくる日光で目が冷めちまう。
愚痴っぽい思考を頭からたたき出して、俺は部屋の入り口においてある制服を手に取る。
毎日シェインさんは俺の制服を回収してしまうのだが、翌々日にはクリーニングに出した後のようにしっかり洗濯されているのだ。
…というかシェインさん、あなたは何者ですか? いくらなんでもこう完璧だと色々怖いんですけど。
などと馬鹿なことを考えつつ、カバンを持って自室を出る。
すでにスレイアのやつが行動を開始しているのか、家のどこかからかとたとたと特徴的な足音が響いている。
ダイニングのほうからは、タイミングよく朝餉の準備の音が聞こえる。
平和というか……平穏な日常になぜか軽い安堵を覚えつつ、ダイニングの方へ足を向ける。
さて、今日も一日がんばりますか。
いつもどおりSHR十分前に席についた俺は榊原と、学級委員長の皆橋の二人とだべっていた。
皆橋は同性の俺から見ても抜群のルックスをもつ、いわゆる美男子なのだが、いかんせん気が弱くて彼女がいないという不思議なやつである。
気立てもよいし、気が利くし、優しいし、家事もうまい(弁当が美味そうだった)ので男女ともに人気は高いのだが。
蛇足だが、俺と皆橋は同郷の出で、中学が一緒、つまりは幼馴染みである。
まぁ自分から飛び出した俺と違い、こいつは親父の都合による引っ越しらしいのだが。
「高校に入ってから部活の選択幅増えたよね。有川くんはどこか入らないの?」
デフォルトであるニコニコ笑顔で聞いてくる皆橋。普通男が常時ニコニコしてたらうざったく感じるだろうが、女装しても通じそうなこいつがやっても違和感がない。
なにか含みを持たせること自体が皆無だし。
「俺が部活あんまり好きじゃないの知ってるだろが、お前は」
ま、とりあえずふられた話題に答えておく。
理由は割愛だ。だってこいつ知ってるし。
「でも有川くんは道具を使った運動得意だよね。もったいなくない?」
「いいんだよ、皆橋。有川は部活に入らず時々オレと行動を共にしてくれるのだから」
少し食い下がる皆橋に、榊原が俺の肩に手をおきながらそんなことをいいやがる。
ナンパの手伝いさせられたから金輪際ごめんだと前に言ったはずたが。
「なんだよ食い付き悪いな。彼女欲しくないのか?」
そのセリフそっくり返すぞ。黙ってたらお前はもうちょっともてるんだから。
「黙ったオレなどオレではない!」
さいで。なら皆橋つれてけよ。成功率はともかく、向こうから接触してくれるかもしれないぜ。
「前つれてかれたよ。あの時は不良に絡まれちゃって、酷い目にあったし」
相変わらず無駄に運がないな、お前。
俺が呆れたように嘆息するのと、チャイムがなるのは同時であった。
さてさて、今日も一日頑張りますか。
昼休みである。
シェインさんお手製の美味い弁当をたいらげてから、俺は学舎をぶらぶらと歩いていた。
この高校は一年と二年、教職員室がある一号棟、三年と文化部部室がある二号棟、そして図書室や特別教室がある三号棟、あと体育館の四棟の建物からなっている。
二号棟が東、三号棟が西にあるからそれぞれ東館、西館とも呼ばれている。
ちなみにそのいいかただと一号棟は南館だ。
北には体育館あるし。
んで、俺はその四つの建物に囲まれた中庭に来ていた。
グラウンドがそこそこ広いし、この季節は屋上が過ごしやすいからあまり人はいないが、昼寝をするにはここはもってこいである。
現に榊原のやつは時々授業をさぼって昼寝しているし。
と、そこに一つの見慣れた顔があった。
「よう、高坂」
俺の声に弾かれたように顔をあげ、確認するようにかくり、と頷く目の前の小柄な女生徒。
肩口で切り揃えたセミショートの、なかなか可愛いと思えるやつである。
………滅多に喋らんし、セツナさんばりに表情変わらないため、最初はえらいとっつきづらかったけどな。
高坂命。隣のクラスの生徒で、アンティーク研究会に所属している人形好きな少女である。
無口、無愛想だからこいつも人形じゃねーのか、なんて失礼な事を最初は考えていたが。
と、高坂は首を斜めに傾げた。
これはこいつなりの『なにか用?』という意思表示である。
表情かわらんから分かりづらいかもしれんが、全く分からんセツナさんよりはまだましである。
「いや、視界に入ったから挨拶しただけだ。あとなんか調子悪いのがまたあるかなー、とか思ってな」
俺のセリフに、高坂は一回頷いたあとに首を振った。
セリフの前半分に納得と、後半部分に否定をしたのだ。
なんで俺がこんな無口少女と交流を持っているかというと、話しは一週間前に遡る。
あの時はまだ銀兄の噂が俺から抜けておらず、なにか凄いやつなんじゃないか、と思われていた時だった。
で、その噂を頼ってきちまったやつがいたのだ。
目の前の高坂である。
アンティーク研究会というのは、西洋の骨董品(といっても高校の部活なのでたかが知れているが)を鑑賞したり、調べたりするところらしいのだが、その部の備品の中でも一番高価だと思われるゼンマイ式のアンティークドールが壊れたので直してほしい、という依頼を持ってきたのだ。
ちなみに、これは俺の翻訳を多大に混ぜた結果を語っているのであり、実状は割と混迷していたことを述べておく。
ただでさえ人と交わるのが苦手なやつ(だとおもう)が、俺なんかを頼ってきたのでとりあえず最大限の努力でこれに応えてやった。
このとき、俺にも枯龍の血が流れていたことに感謝したね。
結論として人形は直ったし、万々歳であった。
以来、なんかこの無愛想な少女をなにかと放っておけなくなったのである。
個人的には子犬の面倒を見ている気分である。
まぁさすがに………、まだ授業があるというのにアンティークドールを持ったままというのはどうかと思うぞ。
俺は慣れてるからいいけど、割と怖いから。
俺の言葉にかくり、と高坂は首を傾げる。
翻訳すると、『なんで?』といったところか。
「大衆の中では、人形を抱いたままの少女は少数派になる、といえばわかるか」
頷く。
「で、人間というのは基本的に少数の行動というのを異端に見る、ってのもわかるか」
今度はうなずいて、首をかしげてくる。
「あ? 俺? 別にお前さんのことに関しては何を今さらって感じだが?」
二回頷いた。それもコクコクと音が聞こえそうなぐらい。
………まぁ高坂が持ち歩きたがってるならば、俺が口を挟むことじゃないか。
「………ところで高坂よ。お前さんいっつもここで見掛けるんだが、昼休みは必ずここにいるのか? というか昼飯は?」
いや、そこで首をかしげられても困るんですけど。
放課後である。
注釈を入れるまでもなく、帰宅部員の俺はなんの躊躇もなく鞄をひっつかみ、学舎の外を目指す。
「あ、有川くん」
と思ったら呼び止められた。有川くんなんて君づけで呼ぶ男子なんか一人しかいない。
「なんかようか? 皆橋」
振り返った先にはニコニコ笑う優男がいた。まぁこいつ以外だとしたら、新しい交友関係の発掘になっちまうけどな。
「いやー、今日なんだけど駅前に行きたいんだ」
行けばいいじゃないか。
「いやでもね、また不良に絡まれるかもしれないし」
確かにその可能性は高いだろうな。お前むやみに運がないし。
「うん。だから一緒に来てくれないかな。中学の時みたいに」
………構わんが正直ここらへんの地理に疎い二人で行動するのもどうかと思うぞ。
榊原のヤツはもうかえっちまったし。駅前にいるだろうけどな。
「有川くんは居候してるんでしょ? 家の人にきてもらうとかダメなの?」
俺らは小学生か。保護者同伴で買い物なんてごめんだぞ。
なんてことを言ってたら、唐突に胸ポケットが振動し始めた。
一瞬びくっとなるが、なんのことはない、突っ込んでる携帯電話に着信があっただけだ。
ちなみにこの携帯電話、銀兄オリジナルモデルであり、携帯電話とは思えない超高性能を誇っている。
俺個人としては、一般回線への通話は電波ジャックでないことを祈るのみである。
「おぁ、シェインさんからだ」
着信したのはメールであり、送り主は独り暮らしの男性ならば垂涎ものの麗しのメイドAFさんであった。
「なになに? 『街の案内も兼ねてお買い物をしようと思うのですけど、都合はよろしいですか』………、アリスさんからなんか聞いたのかな」
あんまりといえばあんまりにタイムリーなので、思わずジト目になってしまうが、メールにそんなことをしても意味がないのはお察しのとおりである。
大体都合がいいといえばいいのだ。
俺はなぜか観念をしてから、了承のメールをシェインさんに送るのだった。
「お前こういう事態にはホント目敏いのな」
多分に呆れを含めていってやる。目の前の榊原亮に。
学舎を出て帰宅コースとは真逆の道へ進むと、そこは地方都市としては比較的賑やかな駅前繁華街となっている。
近隣に比べても娯楽施設が多いため、一つ二つ隣の駅の高校生たちがよくたむろっている。
そんなるつぼ状態なここは、榊原にとっては格好の活動スペースであり、アルバイトかナンパのどっちかをやっているのはちゃんと理解していた。
が、先に述べたがここは近隣に比べても大きいのだ。人も多いし、探してもいない特定個人なんぞ普通は見つけられないはずなんだが。
「ふっ、美女の香りがオレを呼んだのさ!」
「日本語を話せ」
理由になっていない。
「大体冷たいぞ竜也。こんな美人な人と知り合いならば、迷わず教えるのが友達だろう?」
「そんな友人関係いらねー」
あんまりといえばあんまりな榊原のセリフに、口元がひきつるのがわかる。
「竜也さんのお友達は楽しい方ですね」
楽しくなくてもいいから普通の友人が欲しかったです。
どこかずれたことをいうシェインさんに内心つっこみをいれてから、俺は皆橋に視線を向けた。
………奴はそれこそ思い人に出会ったような、夢見る表情を浮かべていた。
「有川くん、紹介してよ」
お前もか!?
「なんか………無駄に疲れたー」
皆橋の用事が終わってから、なんとか榊原ともども追い払って俺はシェインさんと帰路に着いていた。
無論、買い物用品は俺の押す自転車の前篭に入っているのだが………なんだって竹刀が入っているのだろうか?
「スレイアちゃんからの頼まれものです。次に買い物に行くときは絶対買ってきて、と頼まれてましたから」
………この竹刀の用途は、間違いなく俺の脳天に振り降ろされるというものだろう。
脳味噌をぶちまけるなどという事態が起きないことを切に願うしかあるまい。
「………ってあれ? 二本?」
「スレイアが言っていたんですよ。二本無いと意味がない、と」
ふむ。この意図はよく読めないが、俺にとっていい事態になるとは思えない。警戒レベルは上げておくべきだろう。
「そんなに身構えることじゃないと思いますけどね」
俺だってそう思いたいですけど、常のあいつの言動がそうさせてくれないんです。
俺の言葉に、しょうがないですね、と言わんばかりにシェインさんは苦笑する。
………なんだって子供をいさめる母親みたいな顔をするんですかシェインさん。
「………………」
「………………」
「………………」
「………不本意」
「………俺のセリフだ!」
夜、いつもどおりに素振りを始めようと地下室に降りたら、そこに意外な先客がいた。
………正確には、先客たちと言った方が正しいのだが。
「で、なにしてんですか、セツナさん」
それはセツナさんと首根っこを捕まれたスレイアだった。
身長差はほとんどないはずなのだが、しっかりとスレイアが持ち上がっているあたりえらくシュールである。
「―運動をしている、と聞きました」
「確かにその名目でこの時間にここを使わせてもらってますけど」
「―スレイアをよろしくお願いします」
「訳が分かりませんから」
鉄面皮を維持したまま訳の分からないことをいうセツナさんに、手をはたはた振ってつっこみをいれる。
常識的ではあるのだが、必要最低限のことしか言わないので時々意図が読めないのはいつものことだが。
ちなみにスレイアのやつは単語でしか喋らないが、いらんことも言うのでその意図は読みやすい。
「スレイアとなにかをしろってのは分かりますけど、一体なにをすればいいんです? 目的が分からなければどうしようもないですし」
俺のセリフにセツナさんはこくりと頷くと、壁にいつのまにか立て掛けてあった竹刀を指さし、
「―スレイアの相手をしてあげてください」
とおっしゃった。………って、
「無茶を言わんでください!? 俺に死ねって言ってるんですか!?」
ぶんぶか首を振って拒否の意を示す。
試作量産型とはいえ、それは『セツナさんの』と頭につくのだ。
いくらなんでも真っ向からやりあって勝てるわけなどない。
勝てるはずないのだが………。
「―果たして、本当にそうでしょうか」
吸い込まれそうなアメジスト色の瞳に、俺は黙らされてしまった。
………………んで冒頭に繋がる。
「………当事態。想定外。予定。明日………」
「何ぶつぶつ言ってるんだよスレイア。こないならこっちから行くぞ」
何か予定外だったのか、暗い顔で何かをいうスレイアに、軽く踏み込んで上段から袈裟斬りをする。
強く踏み込めばその分威力は増すのだが、今回の勝負は先に一太刀入れた方が勝ちなので隙の多くなる全力振りはタブーだ。
案の定、コンパクトに振り抜いたその剣筋を、スレイアは容易く受け止めて弾き返しにかかる。
ここで相手とつばぜり合っても分が悪いので、素直に相手の力に乗りそのまま後退する。
するとスレイアはそのままの勢いにのって突撃をしてきた。大きく体をしならせて大上段から竹刀を降り下ろしてくる。
無論こんなものを甘んじて受けるつもりなどない。降ってくる竹刀に軽く俺の竹刀を合わせて、軌道を僅かに右に変えてやる。ついでに右足を引いて、そこに空白を作ってやる。
たったそれだけで、スレイアの竹刀は空を斬り、床を強かにうちすえる。
そんな好機を見逃すわけにはいかず、俺は流した姿勢から逆袈裟に振り上げてスレイアの顎を軽く打った。
………って、あれ?
「―そこまで。―竜也さんの勝ちです」
か、勝っちまったぞ?
というかスレイアの攻撃は、速くて鋭かったけどなんか単調だった気が………。
いやいやいや、というか攻防そのものが一瞬でなにがなにやら。
「―何度も言ったはずです。―スレイア、あなたはもう少し頭を使って戦うことを覚えてください」
地面をうちすえた姿勢のままのスレイアに、セツナさんの容赦ない言葉が飛ぶ。なまじ無表情だから余計にきつい。
「………………!」
しばらく固まったままだったスレイアだが、突然俺の方を睨み付けて(驚くことに泣いていた)、部屋を出ていった。
まるで悔しくて情けなくて堪らないといった風情だったが、なんでかそれがスレイア自身に向けられているような気がした。
「………明日、慰めといてやるか」
一言呟いた俺を、いつものように無表情で眺めてくるセツナさんが印象的であった。
「なんか今日も疲れたぞー」
自室のベッドに転がってぼやくように言ってやる。
『だったら早く寝なよ。もうすぐ零時だよ?』
独り言のつもりだったのだが、いきなり返事を返された。
声はすれども姿は見えず、というこの具合はアリスしかありえない。
「……いつも見てるんですか?」
『一応私はセキュリティシステムだかんね。あ、でも時間指定してくれたらその時間は対象から外すよ。ためたら大変そうだし』
「親父ですよアリスさん」
一気に頭痛までしてきて、俺は枕に突っ伏す。
大体こっちにきてから何も買ってないし…て違う!
「今日疲れたのはスレイアと打ち合ったからです。というか今日のあいつなんか変だったけど…」
と、そこまで言ってからくすくすくすとアリスさんが笑い始めた。
「な、なんなんですか」
『いやなに…そういうところ血がつながってると思ってね。やっぱりそういうのは枯龍の血なんだろうかねぇ?』
……なんの話だ? 全く話が見えないんだけど……。
『ま、私が言うことじゃないよね。とりあえず早く寝なさいな。明日も早いんでしょ?』
「遅く起きられる高校生がいますか」
ま、確かに明日も早いよな。
「じゃ、寝ます。また明日」
『ほいほーい。あ、あとスレイアのことはあんまり気にしないほうがいいよ』
最後にそれだけが意識の隅っこに引っかかって、俺は睡眠という泥に引きずり込まれた。
ただ、寝る一瞬に奇妙な痛みが首筋に走ったのが気がかりではあったけど…これが後々に俺をさいなむ原因になるなんて、この時思えというほうが無理という話だった。