| 01. 鐘楼 | 02. 鼓楼 | 03. 清真大寺 | 04. 明代城壁 |
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| 市街の中心部、東西南北の大街が交わる場所に建つ。1384年(明の洪武17年)に西大街の北の広済街口に建てられたが、1582年(明の万暦10年)に現在の場所に移された。楼閣は重櫓複屋という造りで、外観3層、内部2層で、高さは36m。 | 鐘楼の西側、西大街と北院門を隔てて建つ。鼓楼のなかには大太鼓が吊るされていて、それを鳴らして時を知らせていた。1380年(明の洪武13年)の創建で、鐘楼より4年も早い。高さは33m。 | ここはモスク(イスラム教の寺院)である。742年に唐の玄宗皇帝の勅命で建造されたいう記載があるが、殆どが清時代の建物。建築様式の基調は中国風だが、偶像がなかったり、殿内では動物模様を用いないなど、院内の一切の装飾は、イスラム教の教えどうりになっている。鐘楼の西側、西大街と北院門を隔てて建つ。 | 唐の長安城を基礎に1374年から1378年にかけて築かれ、その後たびたび修理が施され、現在の姿になった。南北に3キロ、東西に4キロの周囲14キロ 高さ12m、上部の幅12〜14m、下部の幅15〜18m安定門(西門)は西安市の中心部を囲む城壁の中でも、特にシルクロードの出発点として名高い。 |
| 05. 楊貴妃墓 | 06. 乾陵 | 07. 咸陽市博物館 | 08. 興慶宮公園 |
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| 唐の7代皇帝玄宗の愛妃がここに眠っている。安史の乱で玄宗皇帝と共に四川省に逃げる途中、随行の将兵たちの楊氏一族に対する不満が爆発し、楊国忠は殺され、楊貴妃はここ馬嵬坡(西安から西へ60キロ)で死を賜った。 | 唐代陵墓の最西端に位置し、西安から西へ90キロ、唐の3代皇帝高宗と中国で唯一の女帝となった則天武后の合葬墓である。石段は、全長575.8m。陵墓の東南には、懿徳太子墓、章懐太子墓、永泰公主墓などの副葬墓がある。 | 1962年に明代の文廟に建てられた総合博物館で、7000点余りの文化財が展示されている。咸陽は秦の都だったところである。 | 唐代三大宮殿の1つである興慶宮跡地に造られた公園。敷地面積は、約50万平方m。敷地の大部分を占める興慶湖の他、玄宗皇帝と楊貴妃が遊んだ沈香亭などが再建されている。公園内の南東には阿倍仲麻呂の紀念碑がある。 |
| 09. 大慈恩寺(大雁塔) | 10. 陜西歴史博物館 | 11. 大興善寺 | 12. 薦福寺(小雁塔) |
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| 648年(唐の貞観22年)、3代皇帝高宗が母である文徳皇后を供養するために建立した仏教寺院。大雁塔は、玄奘(三蔵法師)がインドから持ち帰った大量のサンスクリット語経典や仏像などを保存するために652年(唐の永徽3年)に建立された。4角7層、高さ64mの塔は、下でカバンを預けて248段の階段をひたすら登る。 | 古都西安にふさわしく、唐時代の様式の外観をもつ。91年に落成、オープン。参観ルートの長さは1500m。第一展覧室は先史時代から秦代、第二展覧室は漢代から魏晋南北朝時代、第三展覧室は隋唐代から宋、明、清代の文物を陳列。見ごたえは十分。 | 晋の武帝の泰始泰康年間(256−289年)の創建。西安で最も古い仏教寺院の1つ。中国密教発祥の地としても有名。隋の文帝の開皇年間(589−600年)に拡張工事が行われ大興善寺と改名された。 | 684年(唐の嗣聖元年)に建立されたのが薦福寺。もとは隋の煬帝や唐の4代皇帝中宗等が、皇帝に即位する前に邸宅として使用していた場所。小雁塔が建立されたのは、707年(唐の景龍元年)。形や構造が大雁塔より小粒なところからこの名がついた。軒と軒の間が狭い造りは密櫓式と呼ばれ小雁塔の特徴。当初は15層の塔であったが、地震で上部の2層が壊れ13層43mの塔になった。155段の階段を登りきると屋上まで出られる。今にも崩れそうな不安がある。 |
| 13. 陝西省博物館(碑林) | 14. 絲綢之路起点群雕 | 15. 五丈原 | 16. 法門寺 |
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| 宋の徽宗年間に建てられた孔子廟をそのまま利用してつくられた博物館には、歴史陳列、石刻芸術、そして有名な西安碑林の3つの展示室がある。 | 西門よりさらに西の方角にあり、これからシルクロードに向かう人馬の列伍が大きな像で設置してある。 | 西安から約80Km、諸葛孔明が魏との戦いの中で陣没した所として有名。いまその場所に諸葛廟が建てられ孔明の才能を称えている。五丈原の「原」は小高い山(丘)の意味だそうだ。 | 創建は後漢の147〜189年、桓帝・霊帝の時代で、すでに1800年以上の歴史をもつ。仏教の学説によれば、約2000年前、釈迦牟尼の死後、インドのアショカ王が仏法を広めるため仏舎利(釈迦の遺骨)を各地に送った1つ。 |
| 17. 青龍寺 | 18. 半坡遺跡 | 19. 八路軍西安辧事処紀念館 | 20. 秦俑博物館 |
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| 582年(隋の開皇2年)に霊感寺として創建され、711年(唐の景雲2年)に青龍寺と改名された。804年(唐の貞元20年)、当時日本から入唐した多くの僧の1人だった空海は、この地で恵果和尚に弟子入りし密教の教義を学んだ。 | 1953年に発掘された約6000年前の母系氏族社会の遺跡。時代的には新石器時代に属する。遺跡を覆うように建てられた展示ホール内は、居住地、公共墓地、陶器製造場に分けられている。 | 1936年12月に起きた西安事変後、中国共産党により設立された最初の公開弁事処。1937年8月から1946年9月の共産党と国民党による第二次国共合作の間、国民党の管轄区にあった合法的な共産党機構として機能していた。 | 1974年、井戸を掘っていた農民により偶然発見された。紀元前220年頃から制作された兵士の身長は平均178センチ、顔立ちはそれぞれ異なる。また、館内に陳列される兵馬俑のかけらから、造られた当時は色づけされていたこともわかっている。館内は一号坑、ニ号坑、三号坑と秦銅車馬展覧館から構成され、7000もの兵士俑、100余りの戦車、400余りの陶馬などからなる。 |
| 21. 華清池 | |||
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| 驪山の北麓に位置し、温泉と風景の美しさが有名。温泉は2700年あまり前に発見され、歴代王朝により離宮や浴槽などが造られた。特に有名なのが、天宝年間(742−756年)に造られた華清宮で、温泉は池に発展し、池は宮殿内に置かれた。唐の玄宗は寒さを避けるために殆ど毎年この地に訪れた。華清池は玄宗と楊貴妃(719−756年)によるロマンスの地としても有名だ。 |