第80話「毛広がり」


 昨年はとち狂ったように日記を更新していたのだが、何と今年はやっと4回目の更新である。

そして気付けば間もなく年は明けてしまう訳で、今年日記を更新する回数は4回だけになってしまいそうなのであった。

今回8ヶ月ぶりにこの日記を更新するのは、第80話と8ヶ月ぶりの「8」を掛けたかったからなのだ。8と言えば漢字表記だと「八」となり、末広がりで目出度いと言われている。80話と8ヶ月ぶりだと、8が2つも並んで非常に目出度いではないか。年の瀬にこれを読めた貴方は、終わり良ければ全て良しで2005年を締めくくれる事間違いなしである。

 

 さて、しばらく更新しなかった理由に心から納得していただけたので、ここで終了しても良いのだが、それではさすがに反則であると思うので、ここで会社員である勝竜が通勤中に見聞きした奇妙な物のお話でもさせていただこう。はっきり言って今回の本題は既に終了しているので、以降は読んでいただく必要は無い。暇で暇で仕方ない方は、まぁ一読あれという程度である。

 

 さて、突如何の前触れも無くノートが落ちていたとしよう。

それをあなたはどうするだろうか。一般的に落ちているノートを拾った場合、それは死のノートで、そのノートに名前を書くと、名前を書かれた人間は心臓麻痺で死んでしまうものである。しかし、ある日僕が地下鉄の駅のホームのゴミ箱の中から見付けたノートは、そういう類の物ではなかった。何故僕が駅のゴミ箱を漁っていたかは追求しないで頂きたい。ホームを歩いていたら何も無いのに躓いて、その拍子に掛けていた眼鏡が宙を舞い、すっぽりとゴミ箱にダイブしたなどと言っても誰も信じてくれないのだから。そもそも、ゴミ箱から拾った眼鏡を掛けている人と思われる事もあまり宜しくない。

 さて、その拾ったノートに話しは戻るのだが。

僕は「もしや死のノートではなかろうな」と思いながら拾ったノートを開いた。最初のページに何か書かれているのだが、それ以降のページは完全に白紙だった。決して英語で死のノートの使い方など書かれていなかったのである。もっとも、英語で取り扱い説明が書かれていても読めないから困るのだが。

ともかく、まだ全然使われていないノートを捨てるなんて勿体無いなと思いながら最初のページに戻って、何が書かれているかを確認してみた。そこには若い女性の筆跡で

 

今までの脱毛経験との違いや見せてもらった毛の話し

 

とだけ書かれていた。

なんなんだこれは。美容に関心のある女性なら、あるいは色々な脱毛法を経験しているのかも知れない。そしてその違いをまとめたりしている人もいるかも知れない。

しかし分からないのはその次だ。「見せてもらった毛の話し」である。これは一体何なんだろうか。最近の若い女性は毛の見せ合いでもしているのだろうか。もちろん美容院などに行った後ならば、ちょっと見て見てなどと言いながら友人同士で髪の(セットの具合を)見せ合いはするのだろうが、今回の場合は前の文章から察するに「見せてもらった毛」は、脱毛すべき無駄毛の事であると考えられる。何故そんな物を見せてもらったり、見せてあげたりしなくてはならないのだろうか。謎は深まるばかりであり混迷を極めるのであり、つまりは突如何の前触れも無くノートが落ちていても迂闊に拾っては行けないと言う教訓なのであった。

 

[完]


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