第65話「折鶴」


それは僕が中学2年生の頃でした。その日はまだ桜が満開だったと思います。授業が終わって帰り道、1人で校門に差し掛かった時、突如背後から女子に「勝竜―!」と呼び止められました。

誰かと思い振り返ると、そこには知らない女の子が笑顔で立っていました。突然知らない女の子に声を掛けられて固まっていた僕に、彼女は

「靴の中の手紙見た?」と言いました。

「え?靴の中?手紙?み、見てないよ」

僕はかなり戸惑いながら答えました。何の事だか分かりません。女の子が誰なのかも分かりません。

「あー、ひどいね。家帰ったら見ておいてよ」

そう言うと彼女は去って行きました。

実は厳密に言うと彼女は知らない女の子ではないのです。顔には見覚えがありました。多分、小学校で1学年下だった子です。でも飽くまで「多分」です。当然名前は知りません。

 

僕は片道3分の距離の自宅へ急いで帰ると、玄関で靴を脱いで中を確かめました。確かに、ノートを小さく切った紙が可愛らしく折られて入っていました。下駄箱にラブレターというのは良く有る話しですが、僕の中学校は下駄箱に敷居も扉も有りませんでしたから、靴の中にこっそり手紙を入れておいたのでしょう。それに気付かずに靴を履いてしまっていたのです。まあ、内容はラブレターではなく、他愛の無い挨拶の様な物だったと思います。それでもなんだかとっても嬉しかった事を覚えています。

その手紙で彼女がやはり1年生である事が分かりました。名前は美子です。でもやっぱり彼女が誰なのか、後輩なのに何故呼び捨てでタメ口なのか、そして僕の学年は9クラスも有るのに、どうやって僕のクラスの下駄箱と僕の靴を見付けたのかは謎のままでした。

 

それから数日おきに、靴の中に彼女からの手紙が入るようになりました。そしてその都度本人から手紙を見たかを聞かれました。美子は生意気な子です。先輩の僕に対してずっとタメ口のままでしたし、話す内容も冗談交じりの悪口みたいな物です。それでも悪い気はしませんでした。美子は決して美人ではありません。ちょっと細身でくせっ毛で。それでも良く笑う子で、笑顔が素敵でした。僕は水泳部、彼女は卓球部でそれぞれ違う部活でしたが、帰る方面が一緒の僕らは、部活が終わる時間が重なった時は一緒に帰る事もありました。

 

ある日、彼女が聞いてきました。

「私、どんなに早く学校行っても勝竜はもう学校にいるけど、一体いつ家を出ているの?」

「きっかり7時26分」

「何がきっかりなの?訳分かんない。しかもめちゃくちゃ早いじゃない」

学校まで徒歩3分の僕にとって、その時間に家を出るのは異様に早いと言えます。確かに僕は、教室どころか学年でも1番乗りが出来るぐらい早く学校に行っていました。深い意味は有りません。大好きだった児童文学シリーズの主人公の1人の影響とか、そんな物です。

美子の家から中学校へ行くには、僕よりうんと長い道のりを歩く必要が有りました。それなのにその翌日、彼女はきっかり7時26分に僕の家の前を通りました。それ以後、一緒に通学する事も数回有ったのですが、すぐに夏休みになってしまいました。

 

夏が本番の水泳部である僕は当然休み中も学校へ行きます。

美子の卓球部も活動をしていたので彼女に会う回数は減りましたが、それでも学校で時々会っていました。相変わらずの彼女です。

そして夏休みが終盤に差し掛かった頃、美子が言いました。

「今度誕生日だから何かちょうだい?」

いつものノリで遠慮無く言われました。ロクに小遣いも貰っていない貧乏中学生だった僕は、なけなしのお金で奇麗な折り紙を買い、1羽の鶴を折ってプレゼントしました。そんな不甲斐無いプレゼントですが彼女は

「わあ、凄いね。ありがとう」と言ってくれました。

一体何が凄いと思ったのでしょうか。それは分かりません。そして夏休みが終わりました。

 

新学期が始まってすぐ、学校の廊下で美子と出会いました。

いつもと違って、ちょっとしおらしい彼女でした。

「あのね、折鶴ありがとう。中身、見たよ」

僕はぎょっとしました。実は折鶴を折る前に、内側に彼女への想いを鉛筆で書いておいたのですが、それを見られてしまったのです。

「う、うわ。ひでー。折角のプレゼント、壊したのか?」とりあえず反撃です。

「違うの。友達に見せたら取り上げられて、鶴を開かれちゃったの」

「そう」

「それでね、勝竜ももうすぐ誕生日でしょ?はい、これあげる」

彼女が差し出したのはやはり折鶴でした。後で1人で中身を見ました。僕がプレゼントした折鶴と同じ様な物でした。

 

折鶴を貰ってから2週間ぐらいたった日曜日の朝の事です。8時頃だったでしょうか。自宅で朝寝を楽しんでいた僕は、遠くから聞こえてくる消防車のサイレンの音で目を覚ましました。どっちの方から聞こえてくるのかなと寝ぼけながら思った僕は、直後に飛び起きると、美子の住んでいるアパート目指して自転車を駆っていました。そして立ち上がる黒い煙を目で捉えた時に僕は確信したのです。燃えているのは美子のアパートだ。

 

 

 2004年9月30日をもって僕は3年半勤めた会社を退職しました。

今後どうするか、まだ決めていませんが、これから僕は今までとは別の人生を歩む事になります。

美子とはあの日曜日を境に2度と会う事が有りませんでした。毎朝きっかり7時26分に家を出ましたし、自分の靴の中も注意して見ました。部活が終わった後に卓球部の方へ行きましたし、彼女のいた1年6組の教室へも行ってみました。それでも彼女には会えませんでした。全校集会で生徒に不幸が有ったとか、そういう連絡は有りませんでしたので、きっと、火事や消火活動のせいで部屋に住めなくなり、急に引っ越す事になったのでしょう。だから今も彼女はどこかで元気にしていると僕は信じています。

彼女は桜が満開だったあの日、突如僕の前に現れて、9月の日曜日に突如姿を消しました。一体彼女は何故僕の事を知っていたのでしょう。何故僕に声を掛けて来たのでしょう。それは分からないままでした。

 

人生の大きな転機に立った僕は、ふと彼女の事を思い出したのでした。

 

[完]


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