第64話「中華料理の職人芸」
登場回数の少ないマイクロフト・ホームズは、主人公であるシャーロックよりも優れた頭脳を持っていた。それでも探偵業につく気もなく、日々暮らしていた。また、強くて名の知れたカンフー映画の主人公も、師匠には指1本で捻じ伏せられてしまうのは、もはやお約束である。この師匠も戦いの前線に出る事は無い。普段は目立たないのだが、活躍する主人公を戒める彼らは、物語を引き締める上で非常に効果的な役柄である。
プロフィールや映画感想文を見ていただけば分かると思うのだが、僕は映画好きを自称している。 沢山の作品を観たら良いという訳ではないのだが、今年は既に48本の映画を観ており、周囲からは奇異の目で観られている今日この頃である。とは言え、知り合いがビデオレンタル屋に行く前に、何か面白かった映画はないか?と質問をしてくる等、映画に詳しい人として一目置かれているのも事実である。が、しかし、僕は所詮シャーロックであり、カンフー映画の主人公なのだ。上の人間がいるのだ。それは僕の姉である。 B級映画ファンを自称する姉は、よっぽど気になる作品が無いと映画館に出掛ける事は無く、結局の所、映画を観る本数は一般的な数と大差は無いのだが、映画に関する知識量は凄い。僕が今流行の俳優の話しなどを持ちかければ、どこから仕入れたのか知らないが僕の話しに応えてくれるのである。しかも、僕の知らない知識まで吹き込んでくれる。はっきり言って、僕はこの姉に知識量で勝てるようになるまでは、自分が映画ファンであると声を大にして言えないと思っているのだ。
そんな姉もあと2ヶ月とちょっとで嫁いで行ってしまう。 映画に関しての師であり、映画に関しての話し相手である姉が嫁いでしまうので、映画について話せる人が減ってしまうのは残念なのだが、ここは祝福してやらねばなるまい。 さて、当の姉なのだが、今まで家事とは無縁に生きてきた。料理などほとんどした事が無い。 そんな姉の事を心配した母は、市販の料理の本には載らない様な簡単な家庭料理の作り方を伝授しようと、自分流レシピを作成し始めた。最初に載っているのは「湯豆腐」である。なるほど、僕も料理の本など見た事は無いが、あまり載っていないに違いない。
母は、大雑把ながらに解り易く湯豆腐の作り方を記していた。最後には「ぽん酢で食べる」などと、食べ方まで指導してくれているのは親心だろうか。また、「こんぶはこのままでは食べられないが」と記した後に、湯豆腐で出汁に使った昆布の食べ方まで記してあった。こんなアフターケアは市販の本には載っていないだろう。昆布の食べ方は以下のようである。
こんぶはこのままでは食べられないが、さといもや煮しめ物に入れて煮るとやわらかくなる。 たくさん有ればこんぶだけ煮ても美しい。
ほうほう。・・・え?最後の「美しい」って何?「美味しい」なら意味は簡単に通じるのだけど。ここで僕は頭を悩ませるのであった。簡単クッキングの話しが、いつの間にか美しさをの表現法になっていた。昆布だけ煮ると美しい・・・一体何なんだろう。改めて前の文章に戻ると、里芋や煮しめ物と一緒に煮ると昆布が美しくなる事が、あたかも当然の事の様に書かれている気がしてくる。 料理の世界は深いんだなぁ。
[完] |