第6話「偉大な音楽家を亡くした」


 物心がついた時には既に怖い物が嫌いだった。
いや、怖い物が嫌いなのは当然なのだろうけど。要するに、ホラー映画を好んで観る事は絶対になかったし、お化け屋敷には絶対に入らない子供だったのである。
 昭和53年生まれで怖い物嫌いの僕が物心ついた頃、土曜日のゴールデンタイムに見る番組は『オレたちひょうきん族』だった。裏番組の『8時だヨ!全員集合』は絶対に見なかった。ホラーテイストのコントがどれだけかの確率で放送されるからである。コントであろうと怖い物は嫌いだった。それを今となっては後悔しているのである。
 大学生になってしばらく経ったある時、僕はバンドマンとしてのザ・ドリフターズのファンになってしまった。訳あって、ドリフの曲を繰り返し繰り返し聴いていたら見事に魅了されてしまったのだ。一体何がそんなに良かったのか?曲ごとに解説を出来る物ならしたいのだが、残念ながら言葉が浮かんで来ない。いわゆる理屈抜きのツボと言うヤツだ。最初は必要性が有ってドリフを繰り返し聴いていたのだが、それ以降数ヶ月間、好んでドリフばかり聴いてしまった。まったく二十歳そこそこの大学生が何やってんだかと思わなくも無いんですがね。勘弁してください。高木ブー、仲本工事、加藤茶で組む『こぶ茶バンド』のコンサートを前から7番目ぐらいで見る程入れ込んだのは内緒である。
 バンドマンのドリフターズに惚れたら次に着目するのはコントである。多岐に渡る分野のコントを難なく演じる技量や、基本を抑えつつ奇想天外なギャグの数々、一度見たら強烈印象に残るキャラクターに数え切れない名文句。どれをとっても一級品ではないだろうか。こうなると、小さい頃に『全員集合』を見ていなかった事が非常に悔やまれた。
 2004年3月19日、ドリフのリーダーのいかりや長介さんがお亡くなりになった。
ここ数年間で僕にとって最もショッキングなニュースだったと思う。バンドマンとしてのいかりやさんは、メインで歌う事は少なかったが要所要所に登場して全体をしっかり引き締めていたと思う。ともかく小難しい事を抜きにして、必要不可欠な存在だった。もう5人揃ったドリフターズは見られないのか。悲しい限りではないか。ご冥福をお祈り致します。
 と、なんだか固い文章を書いてしまった。いかりや長介死去のニュース速報が流れた時、僕は自宅で1人きりだった。父、母、姉は外出していたのである。ニュース速報が出たのは23時40頃だろうに、何で家族が誰もいないのだ?と言う突っ込みはしないで頂きたい。もうすぐ帰ってくるから。
 ニュース速報を見て呆然としていると家族が帰って来た。真っ先にリビングに入ってきた母に向かって僕が「いかりや長介死んじゃった」と言うと母は「え!長さん死んだの?」と大きな声で驚いた。その母の声を玄関で聞いた姉は「え?長島監督死んだの?」と驚いた。
 ほう。「長さん」とは長島監督も指すのか。後で全く他の人から聞いた話しなのだが、姉と同世代の人に「長さん死んじゃったね」と言ったら「え?長島監督死んだの?」と驚いたらしい。
どこかの世代では「長さん=長島監督」なんですかね?ちょっと気になります。

 ところで僕のパソコン。「ちょうすけ」と入力したら「超透け」と変換しやがりました。
これでは僕が普段、いやらしい文章ばかり書いている様ではないか。うへへ。

[完]

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