第50話「有り得るんだもん」


 なんとか残業を免れて私は家路についた。

電車を乗り継いで最寄の駅まで来たら自宅まではもう少し。短大卒業後、東京の小さな企業の就職に成功した私は単身上京して1人暮らしを始めて早2年。仕事は楽しいし、都会での1人暮らしはとても刺激的だ。短大を出るまでほとんど地元を出た事の無い様な娘が東京で1人暮らしする事を許した両親には今でも感謝してる。田舎に残してきた家族とは疎遠にならずに、長期休暇の時等は特に理由が無い限り帰省してる。

 

さ、この角を曲がれば私の住んでいるアパートが見える。決して広くは無いけど、閑静な住宅街で駅も近くて、不満は無い。そう思いながら角を曲がって私のアパートが見えた時、私は何だか違和感を覚えた。だけど、それが一体何に起因するのかは分からなくて、気のせいかとも思い、特に気に留めずにそのまま歩いて自分の部屋の前まで来てハンドバッグから部屋の鍵を取り出して鍵穴に挿し込んだ。しかし、ドアノブを握った瞬間にさっき感じた違和感が確固たる物になるのに気が付いた。もしかしたら私の部屋の中に危険が潜んでいるかも知れない。でも、ドアを開ける動作に突入している私の体は、既に惰性でドアを開けてしまっていた。

 

 ドアを開けて私は部屋の中に何かがいる気配を確実に察知した。しかもドアを開けてしまっていては、中に潜む何者かにもこちらの事を気付かれている可能性も充分に有ると言う事だ。そしてそう思うより早いか、部屋の中から何者かが玄関に向かって歩み出て来た。

 

「あら、おかえりなさい。遅かったわね」

「おっ、お母さん?どうしたのよ急に。びっくりするじゃない。前もって連絡ぐらいしてよね!しかも電気も灯けずに。真っ暗じゃないの」

「だって、あなたの部屋まで来たのは良いんだけど、この部屋の電気って紐が無いじゃない?どうやって灯けるか分からなかったんだもの」

 

部屋に潜んでいたのは母親だった。最初にアパートが視野に入った時に感じた違和感は、普段家を出る時は必ず閉めているカーテンが開いていた為だった。壁のスイッチで電灯を点けられるだなんて知りもしない母は、とりあえずカーテンを開ける事によって外の光を採取していたらしい。それにしてもびっくりした。万が一の時の為に、実家にも東京のアパートの鍵を置いていたから、家族が私の部屋に滞在している可能性は充分に有り得るのだけど、流石に突然だと驚く。

 

世の中、有り得る事態なのに想定していなかっただけでびっくりする事ばかり。例えばこの間なんて私、彼と食事をしていたの。東京に出てきてから知り合った彼ね。食事って言っても、うどんなんだけど。ショボいとか言わないで。一緒に麺類が食べられるカップルは進んだ仲だって言うでしょう。彼と一緒にうどんを啜っていたんだけど、彼、突然ごほごほと言い出したの。実は彼は麺類を食べるとゴリラに退化する・・・って言うのは嘘で、汁が器官に入るかして、むせちゃったみたい。私は「大丈夫?」とか笑って言いながら正面に座ってむせている彼を見守っていたの。お冷を飲みながら。ひと通り咳き込んだ彼、少し収まってきたかと思うと、もう一発ごほっと言った瞬間彼の鼻からうどんの麺が飛び出したの。しかも10センチぐらい。そしてそのままうどんが鼻の穴からぷらぷらしていたの。確かに口と鼻は繋がっているから、思い切りむせた後なんかは充分に有り得るのだけど、流石に突然だと驚く。私、口に含んでいたお冷を思い切り正面の彼に向かって吹き出してしまったわ。そして彼とはそれっきり。

彼との思い出の品や、この部屋に来た時に使っていた生活品は全て処分したから、お母さんに見付かる心配は無いから大丈夫・・・既に平常心を取り戻した私はお母さんに訊ねた。

 

「それでおかあさん、急にどうしたの?」

「それよりあんた、なんで基礎体温計なんて置いてあるの?」

 

げ、それは盲点だった。処分し忘れです。

 

[完]

 

あとがき。

 今回の日記は、2000HITを踏んでいただいた方から日記のテーマのリクエストをしていただくと言う企画によって書かれた物です。2000HITは僕の大好きな伊藤君のサイトより来て下さった豆乳さんです。いただいたテーマは「鼻からうどん」。出来上がったこの文章を見てみると、どうも「鼻からうどん」はテーマと言うよりはキーワード程度にしかなっていませんね。ごめんなさい。僕の力不足でした。伊藤君ソングの歌詞の様な文章を目指してみたのですが、そちらもあまり上手くないですね。また次の機会があれば・・・。これからも「はなのび」をよろしくお願い致します。


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