いま、会いにゆきます

 


 ちょっと待て、中村獅童と竹内結子が同い年の役だって?映画を観ている最中は気にならなかったけどこの2人、8歳も離れているではないか。別にそれは良いのだけど。

 

 雨の季節になると、一周忌を迎えたばかりの澪が帰ってくる。澪は自分が死ぬ前に息子の為に自ら残した絵本にそう描いていた。その絵本の内容を、息子の祐司どころか夫の巧も信じ、2人は雨の季節を待っていた。そして遂にやって来た雨の季節。澪の残した絵本の通り、澪は帰ってきたのだ。しかし絵本では澪は雨の季節が終わると同時に澪も去る事になっていた。澪は帰ってきたものの、それは2度目の別れの始まりでもあったのだ。しかも澪は生前の記憶を完全に失っていた。

 

 もうね、こんな粗筋の映画の場合、予告編を観るだけで泣けそうになります。

物語は、途惑いながらも澪がいかに母として、妻としての生活を取り戻すかと、いかにして巧と知り合い好きになったかを描く。帰ってきた澪が祐司にとって紛れも無い母となり、そして巧とは完璧とも言える相思相愛の末に結婚した事が分かる流れの後に訪る別れの感動を助長するのである。ここで皆で大泣きして、良い話だったねぇと終わっても良いのだ。しかしこの映画はここでは終わらない。

 

 この映画を観ている途中、あまりにも上手く物事が進んだり、おや?と思わせる台詞が登場したりする。たしかに、これらを「最後の感動を助長する為の演出」と考えればそれで住むのだが、それにしてはあこぎな演出だなぁと僕は疑問に思っていたのだ。そもそも映画のタイトルの由来が分からない。おかげで、周りで観客が泣きまくっている中、僕は素直に感動できませんでした。しかしそれらの僕の疑問は最後に氷解される。単なる家族愛の物語りだと思っていただけに、してやられました。まさかこの映画がSFだったとは。

 物語の構成をもうちょっと考えたらもっと感動できたと思うのですよ。

 

 そしてこの物語がSFであると解釈した僕は1つの新たな疑問にぶつかるのだ。

澪の描いた絵本は、一体誰が原作者なのか?これはドラえもんでもたまに登場する有名なタイムパラドクスなのだ。ネタバレになるのでこれ以上は言えないけど、誰か教えて。

 

2004年11月3日鑑賞 


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