チキンリトル(原題:chicken little)

 


 ディズニーとフルCG映画の2つのキーワードを聞いて連想するものと言えば、やはりピクサーですね。

間もなくピクサーとの契約が切れ、次回作『Cars』を持ってして遂にディズニーとピクサーが決別か?それとも契約が更新されるのか?

アニメが不調のディズニーにとって、10割打者のピクサーとの決別は痛手です。そんな状況下でディズニーが生み出した作品がこのフルCG映画『チキンリトル』なのだ。

                                      

何をやっても失敗ばかりで、周囲からもダメ扱いされているチキン・リトルは、いつの日か大活躍してやろうと夢見ていた。

そんなある日、街に現れたエイリアンの宇宙船に潜り込んでしまい、迷子になったエイリアンの子供と出会う。我が子を誘拐されたと思ったエイリアンの親は、チキン・リトルの住む町に総攻撃を仕掛けてくるのだが・・・。

 

 まず、ディズニーのCG製作力ですが、これは随分前に『ダイナソー』で見事なCGを見せてくれていたので、心配はしていなかったですし充分に合格点でした。

では肝心な物語の方はと言うと・・・はっきり言って物語りは及第点程度です。いつものディズニー映画程度には楽しめるといった感じでした。でも、もしこの映画がディズニー製ではなく、しかも手書のセルアニメだったとしたら、もしかしたら配給先が見付からないぐらいの作品だったかも知れません。もしくは、主人公のチキン・リトルの可愛らしい外観が無かったら世間からは注目されないディズニー映画になっていたでしょう。

 興行的には充分ヒットしている作品ですが、その要因は、チキン・リトルの外観と、ディズニー映画である事と、大作ぶった宣伝の仕方にあるのでは?と僕は考えます。まずそもそも、この映画の主人公がチキンである必要が無いのです。映画の舞台になる世界は、擬人化された動物達が暮らす世界です。同じ町に鶏も豚もアヒルもロバも、はたまた水槽を被った魚までも陸上で一緒に暮らしています。しかし、一体そういう世界でこの物語を描く必然性がどこにあったでしょうか?例えばピクサーの映画に出てくるオモチャや昆虫、モンスター、魚、ヒーローは、彼らの周囲に起こるべき事件に巻き込まれます。オモチャにはオモチャなりの事件、昆虫は昆虫なりの事件があるものです。しかしこの映画は、主人公が人間でも成り立ちますね。キャラクターで観客を呼び込もうというアコギま部分が見えまくりですね。主人公を人間にして、直球で勝負してみぃ!と言いたいです。

 

 結局、ディズニーの先行きを不安に感じてしまう作品でした。

 

2005年12月25日鑑賞


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