吉朝さんとの思い出の写真

2005年11月12日 (土曜日)

小森さんからのメール↓
《吉朝さんのこと未だに信じられません。師の噺を聴き始めたのは10年以上も昔。
文楽と出会うずっと前ですが、原宿で聴いた「蛸芝居」に、鎌倉まで追っかけて聴いた「地獄八景」。
その他、前座噺に、滅びかけた希少ネタ、どれも古典落語・上方噺の味わいを豊かなに放ちつつ、それでいて滑稽味たっぷり。
この「絶妙のバランス」が何とも言えませんでした。
そんな吉朝さんが不思議にも文楽&英さんと「あやしい関係」。
さらにスケールアップしたお姿に、これから数十年どんな噺の世界で楽しませてくださるのか、いろいろ思い描いていたのに・・・。
それがあまりに突然の「線香の立ち切れ」いろんな意味で「悔しい」の一事です。
それにしても、最後の高座で、あの伝説の「弱法師」やるなんて。
とことんサービス良過ぎますワ、師匠。心より「ありがとう。お疲れ様でした」》。


小森さん、ヘップホールの錦影絵の会の折(2003年1月)、楽屋で吉朝さんと一緒に写真とりましたナア。
昨日、今日からマナコ潤みはじめ…。

2003年義太夫教室にて・・最後列に故桂文紅師の顔も。白いセーターが阪本氏。
露の五郎兵衛師夫人の明田川紗英さん、小佐田定雄先生・熊沢あかねさんの顔も。< >
↑ 今年6月13日の大阪ドーム文楽野球大会で・・吉坊らと応援にかけつけてくれました。

 戻る