やさしい嘘・傍本1



 神聖ブリタニア帝国の矯正エリアから格上げされ、その行政特区に指定され
た、エリア11、トウキョウ。その地を舞台に繰り広げられた第二次トウキョウ大
戦は、相対したブリタニア軍、黒の騎士団共に少なからぬ犠牲を出しながら、
ようやくその終結を見た。
 フレイヤという、戦いの切り札と呼ぶにはあまりにも凶悪な破壊力を有した
弾頭の使用により、エリア11の中枢部として機能していたトウキョウは、総督
府の据えられた政庁を中心に被爆し、多大な被害を被った。

 そして、敵対する双方の勢力からはそれぞれの要人達がこの戦禍により消
息を絶ち、その事後処理に追われる形で、皮肉にもこの大戦は沈静化する。

 各勢力が公式発表した行方不明者は多数に及んだが、その筆頭として、
ブリタニア側はエリア11の総督ナナリー・ヴィ・ブリタニアを、黒の騎士団側は
CEOのゼロの名を挙げた。この両名は、数日を待たずして、双方同時期に発
された続報により、死亡が発表されている。



 だが、対立する各勢力がことごとくその要人を失い、強力すぎる化学兵器の
傷跡を残すばかりに思えたこの大戦の水面下で、死亡が確定したとされた先
述の二名は、その実、密かに命を繋ぎ身の安全を図れる場所へと落ち伸びて
いた。

 公式発表で死亡が確定してより後、生き延びた二人がどこで何をしていたの
か、当然ながら公式記録には一切残されていない。
 ただ、同じころ、トウキョウより遠く離れた山合いの田舎町に、ひっそりと移り
住んできた三人の青年達の姿が目撃されていた。

 中階層程度の富裕層に隠れた人気を有すこの土地では、そういった階層の
人間が避暑地として別宅を構えることも珍しくなく、常駐を目的としていないだ
けに住民同士の関心が薄い。そんな土地柄もあって、いずこからともなく移り
住んだ彼らの事を、先住者達は殆ど気に留めていなかった。


 言わずもがな、この三人が、件の大戦でその消息を絶ったナナリー、ゼロこと
ルルーシュ・ランペルージ。そして、ルルーシュの弟を名乗るロロ・ランペルー
ジである。

 大戦後散り散りになったと思われていた彼らは、およそ一月後には水面下
での再会を果たし、今後の障害となりうる諸々の要素をひとつずつ解消しなが
ら、身をひそめるようにしてこの土地へと移り住んだ。



 それからさらに半月。小さな借家に落ち着いた彼らの新生活は、住民達の
過干渉を受けることもなく、順調に機能しているように表向きは見えていたが
……その実、表沙汰にならない部分でいくつかの問題を抱えていた。
 新生活を開始した当初、思いもよらなかった形で浮き彫りになったその問題
には、三人の中で紅一点である少女の存在が深く関係していた。


 ナナリー・ヴィ・ブリタニア―――一行の中もっとも世間的知名度が高く、公
にブリタニア姓を許された者として一度は歴史の表舞台に立った少女は、この
隠遁生活が始まった当初より、かつての彼女がそうであったように、持って生
まれた名を隠した偽名を名乗っている。
 幼少時に慣れ親しんだかつての名も今は使えず、三人で供用する架空の
姓を用意するところから、彼らの仮住まいは始まったのだが……自らの名も過
去も捨てたに等しいこの新生活を送るに当たり、最も深刻な軋轢に直面した
のもまた、彼女だった。

 人目を避けての隠遁生活による、生活上の不自由さもある。だが、そういった
物理的な問題であれば、その幼少時の体験からルルーシュもロロも、そして
当のナナリー自身にもある種の免疫ができている。順応不可能なほど、この
仮住まいが燦々たるものであるとは、ルルーシュにもロロにも思えなかった。

 だが、それでも隠れ屋で寝起きを繰り返す中で、ナナリーの態度は日に日に
硬化を増し、日を追うごとにこの暮らしぶりに馴染んでいく二人と一線を画して
いく。それは、日常の中の些細な団欒などの際、見過ごせないほどの温度差
となって表れた。



 そんなナナリーの態度は、当のルルーシュにとっても想定外のものだったの
だろう。
 あからさまな敵意を向けてくるわけでも、頑なな態度で拒絶の意思を示すわ
けでもない。それでも、彼女にしてみれば突然の同居人となったロロに対して、
ナナリーが、目に見えない「壁」を作っていることは、ロロの目にも、ルルーシュ
の目にも明らかだった。そしてその「壁」は、ロロに向けられたものほどではな
いにしろ、ルルーシュに対しても築かれていた。


 一度は矯正エリアの総督まで務めた少女の、見た目を裏切った気丈さを思
えば意外なことではあったが、初対面であるロロを過剰に意識したが故の人
見知りだと判断することは容易い。だが、そう考えていられるのも、同居生活
が始まった始めの一週間ほどだった。

 辛うじて別個に生活空間を区切った環境にあるとはいえ、所詮は世間から
身を隠すための簡素な仮住まいだ。限られた敷地内で寝起きを繰り返してい
れば、顔を合わせる機会もおのずと増える。
 そうして鉢合わせた際には、ナナリーもロロを避けるようなことはなく自ら挨
拶さえした。その姿は世間一般的な礼節の面からみても申し分なく、それだ
けに、ナナリーが表向きの柔和な心得顔の下に築いた壁を、それと知りなが
らロロもルルーシュも、どうすることもできなかったのだ。


 中途半端な現状に、面と向かって妹を諭す事も出来ず、事態を傍観するよ
りほかなかったルルーシュは、その陰で、ロロに頭を下げた。
 ナナリー生存の第一報はロロによってもたらされたものであり、その奪還に
際しても、ロロはルルーシュに助力を惜しまなかった。その結果、こうして仮
住まいとはいえ当初の望みどおり、三人そろっての生活を手に入れることが
できたのだから、ルルーシュにしてみればロロに対する謝辞は尽くしても尽く
しきれない。
 骨惜しみもせずに動いてくれたロロの厚意は折にふれてナナリーにも伝え
てあり、他者への感謝を忘れることのない彼女も当然、自分同様にロロに報
いようとするだろうと疑いもしなかっただけに、ナナリーの態度はルルーシュ
を面食らわせていた。


 ナナリーの真意の程はさておき、それがロロに対して礼を逸した行為である
ことに違いはない。


 恐らくは、自身が同様の扱いを受けたと同種の衝動を味わわされたであろう
ルルーシュは、共に生活したこの二年近い時間の中で他に類をみないほどの
真摯さで、ナナリーの「不始末」をロロに詫びた。そうして、誰よりも敬愛する
兄に頭を下げられることは、ロロとしてもなんとも面映ゆく落ち着かない心境で
あり、結果、ロロは「気にしていないから」の一言で、この一件を手打ちにした。

 ルルーシュの心情を、気遣った為ばかりの言葉ではない。本当に、ロロはナ
ナリーの態度を気にしていなかったのだ。

 自分も家族の一人だと認めてくれたルルーシュの手前、新しい妹となったナ
ナリーに対し、できうる限り前向きに好意的に、ロロも「もう一人の兄」の顔を
装い、それを貫こうと思っていた。家族を名乗りながら、いつまでも他人行儀を
通していては当のルルーシュが板挟みに苦しむだろうと思ったからこそ、そう
したのだ。
 だから、ナナリー本人から自分がどのように思われようと、そんな事は瑣末
な問題だった。表向き家族を装い、家長たるルルーシュがその頭を悩ませる
ほどの問題を呼び込まないのであれば、彼女が胸の内に何を思おうと、どう
でも構わない。

 気にしていないというよりは、興味がないと言い表した方が、ロロの心情に
即しているだろう。そんな無関心が彼女に対する悪意よりも、ある意味救いの
ない心境であることをロロ自身理解していたからこそ、ルルーシュに余計な鬱
屈を覚えさせないために言葉を選んだだけだ。

 そういった経緯を根底においての共同生活は、それぞれの事情で気を揉ん
でいたであろうルルーシュとナナリーを尻目に、ロロにとってはただひたすらに
心凪いだ日々だった。

 生まれて初めてできた、利害関係を挟むことなく関係を構築された「身内」
という存在。これまで、「任務」遂行の際に与えられてきた報酬がない代わり
に、不首尾に終わった場合の制裁を恐れる必要もない。ルルーシュとの偽り
の兄弟関係を演じていた時分に初めて知った、そういった安楽の場所を、そ
れまでの「家族ごっこ」を離れた現実のものとしたロロは、手に入れた新たな
日常に夢中だったのだ。

 ルルーシュにあるがままの自分を受け入れられた事で、ナナリーに向けて
胸の内に積み重ねてきたロロの鬱屈のほとんどは、ゆるやかに解消されていっ
た。そんな風に、彼女に向けられていた憤懣や劣等意識が昇華されていくだ
けでもロロにとっては自分自身を疑いたくなるほどの変化であり、そんな自分
と向き合うのが手一杯の状況下で、衝動のぶつけどころであった少女の心情
までも慮れたはずもない。
 結局、ロロはナナリーを、より信憑性のある、ルルーシュが理想とする家族
像を作り上げるための「要素」のひとつとしか捉えていなかった。

 始めから相手の真髄を見定めようと思ってもいなかったのだから、そんな状
態で、相手から発されていたかもしれないサインになど気づけようはずもなく、
表向きは和やかな、しかし反面、内実を伴わない共同生活が日一日と積み
重なっていく。
 そして、そんな空虚な共同生活が始まってから十五日の朝……心気新た
に新生活を開始させた倹しい仮住まいに、波紋を呼び込む最初の一石は、
投じられるべくして投げ込まれた。





 「ロロさん……今、お時間はよろしいですか?」


 その日―――ランペルージ家の家長であるルルーシュは、当面続けるこ
とになるだろう、この仮初の隠遁生活をさらに盤石なものとする為、独自の
ルートで渡りをつけた裏社会の権力者の庇護を求め、朝から外出していた。
 ルルーシュが繋がりを持とうとしている存在がどういった類の人物である
か、同じように裏社会に生きた経歴を持つロロには、改まった説明を受ける
までもなくおおよその見当がついていた。生まれ育ちの差もあってロロほど
明確な想像が及ばないにしろ、ナナリーにしてもそこに後ろ暗い空気は感じ
取っていただろう。
 それでも、ブリタニアという巨大帝国の皇位継承位を生まれながらに与え
られていたルルーシュが、一転してその身一つで渡ったこの日本という国で、
生き延びるための後ろ盾を求め、どれほどの労苦を味わわされてきたのか
を、直接間接の違いはあってもロロもナナリーも知っていた。
 今ルルーシュが頼ろうとしている「伝手」は、そんな過程を経て、かつて子
供だった彼が懸命にしがみついた人脈を枝葉として育まれたものだ。そこに
至るまでに様々な葛藤を飲み下してきたであろうルルーシュの心情を思え
ば、二人には、これから自分達が頼りにしようとしている支援者の身元を云々
する気持ちにはなれなかった。


 それぞれに波立った思いを内に抱え、出かけるルルーシュを見送ってから
およそ二時間後……留守居を任されたロロに珍しく自分から声をかけたナナ
リーは、彼を少し早いお茶に誘った。

 ルルーシュと、その監視役として生計を一にしていたロロがアッシュフォー
ド学園に籍を置いていた時期はともあれ、黒の騎士団の構成員として暗躍を
続けていた時期には、時間繰りがつかず日常化することのなかった習慣だっ
たが、決められた時間にお茶を飲むというのは、ルルーシュとナナリーがブリ
タニア本国に暮らしていた時分には当然に行われていた行為であったらしい。
 このエリア11に渡ってからも、兄妹が長年なじんたその習慣は時間の許す
限り続けられてきたのだそうで、彼らにとって、小休止がてらの喫茶と談笑は
生活の一部のようなものだった。故に、こうして隠れ屋での暮らしを余儀なく
されている現在でも、人員を増やしたお茶の時間は続いている。

 ルルーシュを間においての事ならともかく、二人だけでさし向っての交流を
図ったためしなどこれまでなかった少女からの誘いに、内心、ロロは面食らっ
た。ルルーシュの手前極力和やかな関係を意識してきたとはいえ、正直なと
ころ、ナナリーは、敢えて交流の機会を持ちたいと思えるほど、その胸襟を開
ける存在ではない。
 それでも、重ねてだめですかと問われれば、当たり障りなくその場を切り抜
けられる都合のいい断り文句も見つからなかった。


 「……べつに、いいけど」


 結果、ロロはルルーシュの帰宅までに片づけておこうと考えていた所用を
ひとまず保留にして、手順も趣向も彼仕込みだという、ナナリーの煎れたお茶
の相伴にあずかることとなった。



 唐突に始められた即席の茶会は、招かれ側のロロが予想していた以上に、
重苦しく肩肘の張るものだった。
 何しろ、言いだしたからには主催の立場にあるはずのナナリーが、一切口
火を切ろうとしない。まるで儀式か何かのように、黙々ともてなしの準備を続け
るばかりの彼女に対し、ロロもまた沈黙を破ることが憚られ、結果として、場
を和ませる要素を何一つ持たない茶会の空気が和む事はなかった。

 否。要素がないと言い切ってしまうには、語弊があったかもしれない。この茶
会の席についた時点で、会話の糸口は既につかめていた。

 移動の全てを車椅子に頼っているという行動の制約はもとより、目の不自
由な少女がそれでも危なげなく簡易キッチンでお茶の支度をしている姿は、
本来それだけでも同席者の評価に値するものだった。

 万一の火災を用心するために、火器を用いることを避けている彼女の振る
舞いは、電気ポットの湯を使った簡単なもので、同時に用意されたお茶請け
も既製品の菓子に手を加えただけのものだったが、それだけのもてなしをす
ることが彼女にとってどれほどの難度を要するものであるか、視覚に障害をも
たないロロの目にも明らかだった。
 彼女の保護者であるルルーシュは彼女を溺愛し、自らも幼い時分から何不
自由のない生活を彼女に提供するべく心を砕いてきたと聞いていたが、ナナリー
本人がそれを甘受するばかりの気構えでいたとしたら、今こうして一人でキッ
チンを自在に移動する彼女の姿はなかっただろう。

 両足が動かないなりに、その目が不自由ななりに、彼女はこれまで、自分
にできることを見つけては、そうして兄や周囲の負担をひとつずつ減らせるよ
うに務めてきたのだろう。そうやって精神的な自立を果たそうとする彼女の自
意識は想像するだに快いものだったし、内心の不安を押し殺しながらそれを
黙認し陰ながら後押ししてきたであろうルルーシュの懸命の「妹離れ」にも、
微笑ましさとある種の頼もしさを覚えるものだった。

 対象の視覚に障害があるのをいいことに、支度を続ける少女の姿をつぶさ
に観察していたロロは、思いのほか好意的な目で彼女を見ている自分の姿
に少なからず驚いた。
 よく一人でそこまでできるようになったと、そう言って彼女のこれまでの努
力を称えることで、言葉の接ぎ穂を見つけることは簡単だった。だが、ナナリー
のこれまでの頑なさと、そしてこの場に至ってもなお沈黙を貫いている姿を
見れば、彼女がこれまでの軋轢を解消するために、潤滑油となるような「世
間話」を求めているわけではない事も解ってしまう。

 この重苦しい空気をわざわざ共有してまで、ナナリーがロロと相対する気
持ちになったのは、これまでのような表面上の、それもギリギリのところで
保たれてきた家族としての関係を継承させるためではきっとない。その真意
には、これまで彼女がルルーシュや自分に対して壁を作り続けてきた頑な
さの理由につながるものがある様に思えて、なおのこと、ロロは安易な言葉
で場を取り繕うとは思えなかった。


 簡易キッチンに垂れこめる沈黙の帳が重さを増していくのに任せたまま、
あくまでも主催側のナナリーの出方を待つ。
 ルルーシュのお墨付きだという紅茶を二口飲み、添えられた簡単なお茶
請けに手を伸ばし……そうして、差し出されたカップの中身をそろそろ干そう
かという頃合いになって、ようやく、ナナリーは腰かけた車椅子の上でその
居住まいを正した。


 「ロロさん……貴方に、お聞きしたいことがあります」

 瞼を閉ざしたまま真っ直ぐに向けられた少女の真摯な面差しに、つられる
ようにして、ロロも背もたれに預けていた背筋を伸ばす。
 声音と表情に込められた思いの程を物語るかのように、続く言葉が少女
の口から紡がれるまでには、けして短くはない時間が要された。

 そして……


 「……お兄様が、ゼロだったんですね」
 「…ナナリー……」

 一瞬―――眼前の少女に何と返答したものか、ロロは続く言葉に詰まっ
た。

 ルルーシュが、神聖ブリタニア帝国への叛意を掲げ、その領有地となっ
たこの国の水面下で、敵対する武装組織「黒の騎士団」を結成したテロリ
スト、ゼロであったという事実を、一年越しの再会を果たした今もなお、彼
はナナリーに告げてはいなかった。

 その事実にナナリーを近づけることで、祖国の皇統に連なる生まれであ
りながら、その身内に祖国転覆を図るテロリストが存在した危険分子とい
う、大義名分を得た帝国からの追及に彼女を巻き込まないためでもあった
のだろう。
 だが、ルルーシュがナナリーを真相から遠ざけておきたかった理由の最
たるものは、自らの暗躍を最愛の妹に知られたくなかったという彼自身の
臆病から構築されている。

 ナナリーと再会を果たしてから後、ルルーシュは、ナナリーとの会話の場
にゼロや黒の騎士団の名を、一切出さなかった。それが現状に対する彼の
正直な気持ちなのだろうと考えたからこそ、特に彼と口裏を合わせたわけ
ではなかったが、ロロもその件に関して敢えて語ることはしなかったのだ。

 だが、ルルーシュが内心繰り返してきたであろう堂々めぐりを飛び越して、
今、ナナリーは彼ら兄妹が生き別れて暮らしてきた空白の時間の核心に
触れようとしている。
 ルルーシュ不在のこの現状で、どう答えることが最善なのか……考えあ
ぐね、返答に窮したロロの言葉を待つことなく、再びナナリーは口を開いた。


 「お二人が私を探し出してくださるまでの間、私はシュナイゼル義兄様の
  元で保護されていました。日数で数えれば僅かな時間でしたけれど、
  その間に、お兄様と私が離れ離れになっていた、この一年あまりの事を
  伺ったんです。お兄様の消息や、これまでの素行を、それは事細かに。
  何故そんなことまで御存じなのかとお聞きしたら、それは国を挙げての
  監視体制が敷かれていたからだと。……お兄様がゼロで…だから、国
  家にあだなす反逆者から、一時でも目を離す訳にはいかなかったからだ
  と」

 そこで息を継ぐように一端言葉を噤んだ少女の喉奥から、思わずといった
風情で微かな嘆息が漏れる。

 「……貴方の事も伺いました。貴方も、始めはお兄様の監視者の一人だっ
  たそうですね。一度は白紙に戻したゼロとしての記憶が、何かの弾みに
  よみがえりはしないかと…そのために、貴方が弟としてお兄様の私生
  活を四六時中監視していたと……」
 「…っ」
 「監視の目を欺くために、お兄様が陰でどれほど非常な事をなさったか、
  それも余さず伺いました。あのお兄様がそんな事をなさるとは思えない
  ほど、耳を塞ぎたくなるような話ばかりで……それでも、真実を知ること
  は、お兄様の妹としても、ブリタニア皇女としても逃れられない義務だと
  言われて……そうやって信じられないようなお兄様の姿を聞き及ぶ度に、
  私の中で、お兄様への不信感が募っていきました」


 当時を物語ることで、味わわされた苦痛もまた追体験しているであろうナ
ナリーの眉宇が、物憂げに寄せられる。だが、それでも紡がれた言葉には
確かな力強さがあり、現実に向き合おうとしている彼女の強固な意志を感
じさせた。

 ルルーシュへの不信を募らせたと吐露しながらも、彼の全てを否定した者
の口から語られるには、その語調はひどく前向きで、落胆や自棄を思わせ
る響きは感じられない。そんな彼女の姿と、自らの抱える暗部に彼女を近
づけさせまいとしたルルーシュの双方に思いを馳せて、ロロは複雑な心境
になった。

 相槌一つ返さないロロの様子をどう思っているのか、その胸の内を気取ら
せない硬い表情を崩すことなく、少女の問わず語りが続く。

 「シュナイゼル義兄様の元で過ごしてから、何日が過ぎていたのか……
  私の中で、お兄様に対する不信感が、お兄様を信じたいという気持ちを
  上回りました。これほどの非道を躊躇いもせずに行うお兄様を、このまま
  にはしておけない。身内であるからこそ、私がお兄様の罪をここで断ち切
  るのだと……そうするためには、皇位継承位を持つお兄様よりも高い立
  場にいなければならなかったから……
  そんな私の思いを知ったシュナイゼル義兄様が強く勧めるままに……私
  は、ブリタニアの皇統を継ぐことを決意しました」


 これまでルルーシュとロロに対して、頑なに隔てを守り続けてきた時間の
長さに反比例するかのように、ナナリーの独白は止まらない。
 言葉面だけを思えば、いっそ不自然すぎるほどにその語勢には感情の起
伏が感じられず、その平淡ですらある語調の陰に隠されているであろうナナ
リーの心情を思うと、反ってロロには彼女の得体の知れなさが不気味です
らあった。


 「お兄様を、お兄様の積み重ねてきた罪を、私が討たなければならない。
  その思いで一杯になっていた私の前に、貴方とお兄様が現れました。
  私を助けに来たと…そう言って」

 そこで一端言葉を噤んだナナリーの沈黙は、彼女の胸の内を物語るかの
ように長く続いた。
 自ら作り出したその静寂に耐えきれなくなったのか、あるいは、気持ちを
切り替えるための何らかの転機を得ようとしたのか、お茶のお代わりを淹れ
ますね、と言い置いて車椅子が簡易キッチンへと反転する。
 車椅子の背もたれに隔てられ、一切の表情を窺い知ることが出来なくなっ
た即席の間仕切りの向こうから、しばらくは埒もなさない日常の雑音だけが
届いた。

 どれほどの時間を、そうして過ごしていたのか……給仕の為の物音がい
つしか途絶えても、ナナリーはロロを振りかえらなかった。


 「咄嗟の事で、どうすればいいのか判断もつかない程に混乱して…その間
  に、喧騒の隙に乗じて私は貴方がたの元に連れ出されました。……正
  直な気持ちを言ってしまえば、敵対してでも諌めなければならないと思っ
  ていたお兄様の元に保護されることには、不安も焦りもあって……です
  が、一端別の場所に落ち着いて気持ちの整理をつけたくても、目も見え
  ず歩けもしない私では、身一つで飛び出す勇気も持てなかったんです」

 卑怯だと言われても、言い訳の言葉もありませんが―――続けられた少
女の独白が、僅かな自嘲の響きを宿す。
 そんなナナリーに何と言葉をかけたものか、いまだにロロには思いつかな
かった。ただ、こちらに背を向けたままの少女が今、どんな表情でその胸の
内を語っているのか、自分の目で確かめてみたいとぼんやり思う。
 そして……


 「昔、ほんの子供だった頃、こんな状態の私をつれて、身一つでこの国に
  追いやられたお兄様の立場を思えば、私の躊躇いはただの甘えです。
  解ってはいましたが、それ以上私には何も行動を起こせなくて……とに
  かく、今のお兄様の本質が理解できたと納得できるまで、ここで様子を
  見ようと心をきめました」

 そして……続く言葉とともにようやく背後を振りかえったナナリーの面差
しが、その真意を探して彼女の出方を伺っていたロロへとまっすぐに上げら
れた。
 簡易キッチンという、限られたスペースで向き合っていたことを考えれば
不自然なまでに、直接顔を向き合わせることを避けていた少女との突然の
対面に、ロロは内心面食らう。

 貴方が理由ですと……そう、少女は続けた。



 「お兄様の傍に身を置くことは、やっぱり不安で……それでも、迷いなが
  らでもどうにかここに落ち着くことができたのは……ここに、貴方がいた
  からです」 
 「ナナリー……」
 「お兄様の監視役として、あくまでも軍の命令でお兄様と暮らしていたは
  ずの貴方が、ブリタニアに弾劾され、黒の騎士団にまで切り捨てられた
  お兄様の傍に、それでも残ったと聞いたからです」

 思わぬ展開にわずか息を呑みこんだロロの眼前で、見えぬ目でまっすぐ
に彼をひたすえる少女の容色が、先刻までのものとは意味合いを違えた緊
張に固く強張る。
 その取り付くしまを与えない面差しのまま、ナナリーは続く言葉に力を込
めた。


 「お聞きしたいことがあると申し上げたのは、そのことです。貴方にも、陰
  で貴方を動かしていたブリタニアの上層部にも、もうお兄様のそばで監
  視を続ける意味も価値もないはずです。……それなのに、シュナイゼル
  義兄様の指揮でお兄様が黒の騎士団から、ひいてはこの日本という社
  会から抹殺されそうになった時、貴方はただ一人、お兄様を守り続け、
  生き延びさせたそうですね」
 「…っ」
 「貴方も……お兄様の「暗躍」に巻き込まれた立場にある方なのでしょう?
  お兄様の都合のいいように使われてきたことも、多々あったのではない
  のですか?黙って見殺しにすればそれで済んだ命を……それでも、ご自
  分の身の危険も顧みずに、敢えて手を差し伸べて救った理由とは、なん
  ですか?」


 それは―――ロロにとって、最も外部からの接触を拒み続けてきた、己の
深層に深く根付いた琴線だった。

 偽りから始まった関係を承知で、それでもルルーシュと兄弟であることを強
く望み続けてきた一年あまりの葛藤の時間。自分の居場所はここだと思って
いいのだと、そう己の中に確信をもたせたくて、その思いを揺らがせる存在
は端から排除することを繰り返した。そうしなければ、自分は心底心安らい
でルルーシュの傍に存在することができなかった。

 それは、一度は自分を利用し使い捨てようとさえしたルルーシュと、そん
なルルーシュに対する不信感を消しきれなかった自分の心の揺らぎが原因
となった精神的外傷であり、自分達以外の誰にも、何の責任も原罪も追及
できない。
 それを知ってなお、この相関に終着点を見出すまでの長い時間苛まれ続
けてきた衝動であるからこそ、一応の解決を迎えた今となっても、ロロはこ
の一件に不用意な口出しをされたくはなかった。相手が自分の鬱屈の最た
る要因であり、殺意すら覚えたこともあったこの少女であれば、尚更だ。


 「……そんな事を、君に話さなきゃいけない理由はないと思うけど」

 再会を果たしてから今日まで、曲がりなりにも彼女に対して好意的な「兄」
の顔を保ち続けようと自身に課していた配慮という仮面が、敢無く崩れ去っ
ていく。

 「君は、君自身の意志で、兄さんと……ルルーシュと一度は敵対するこ
  とを決めたんだろう?君が、兄さんは敵だと判断したんだろう?それな
  ら、僕が何を思って兄さんの傍に残ったか、そんなこと、君には何の関
  係もないと思うけど。……もちろん、君が今でも兄さんにあだなす存在
  であり続けようとするなら、僕も今の話を聞かなかったことにはできない
  けどね。
  この不安定な生活を続けるためには、僕達が完全な一枚岩であること
  がどうしても必要だから……君が不安要素になるって言うなら、僕は今
  度こそ、君を手にかけるよ」

 僕はもう、兄さんの顔色ばかり伺っていた頃の僕じゃないんだ―――言っ
て、心持ち声音を下げて見せたロロの語調には、静かながらも本気の響き
が滲んでいた。
 かつて、裏社会で要人の暗殺を生業としてきた少年の言葉には、その気
になりさえすれば聞く者の背筋を震え上がらせるだけの威圧感がある。そ
れは、眼前の少女にもまた過たず伝わったであろう言外の恫喝であったが
……だがそれでも、少女は己の言葉を引き下げなかった。


 「都合のいいことを言っていると、解っています。血の繋がりのない貴方
  が、最後までお兄様を信じてその傍に残ったというのに、私は血縁者
  でありながら、体ばかりでなく心の距離までも、お兄様から隔たってし
  まった……でも、だからこそ、知りたいのです。私には見えなかった、
  貴方をそこまで信じさせた、お兄様のこの一年あまりを」

 勢い込みすぎたためか、その語尾を掠れさせるようにしてナナリーが言
葉を繋ぐ。彼女は真相を知りたいと、重ねてロロに嘆願した。

 「貴方から聞いた言葉で、お兄様の為人を判断しようというのは卑怯な
  他力本願だと、私も解っています。判断を下すのは自分の意志でなけ
  ればならないと、承知しています。……ここでお兄様の本質を理解しよ
  うと心に決めたはずなのに、私は未だに揺らいでいます。お兄様を信
  じたいという思いはあるのに、その思いにしがみついてしまうことが怖
  いのです。……だから、私の主観に左右されることのない、私以外の
  方からの、お兄様に対する客観的な判断を伺いたい……それをお願
  いできるのは、ロロさん、貴方しかいません」


 身を乗り出さんばかりに懸命に言葉を繋げるナナリーの姿を……ロロは、
正直なところ、わずわらしいと思った。


 自分とルルーシュが過ごしたこの一年あまりは、今振り返っても甘やか
な余韻を残すような時間ではなかった。
 記憶をを改竄されていたルルーシュが自分を実の弟として扱っていた当
時ですら、この偽りの関係にいつひびが入るかと腹の底で怯えていた。
記憶を取り戻したルルーシュが真相を知ってより後は、それでも自分に身
内として接する彼の腹の内を穿っては疑心暗鬼に囚われた。
 眼前に突きつけられた修羅場に、漸くルルーシュが腹の内からの言葉
を自分にぶつけた時は、今にして思えばある種の解放感も覚えていたの
だろうが、やはり自分を否定されたことが痛くて苦しくて……


 結局は、窮地に陥ったルルーシュを、己の命すら差し出す覚悟で守り抜
いたことで、その感謝の念から綻びの修復する契機を得た自分達の相関
は続いている。
 だが、それでも……こうして世間の目を避けながらであれ、穏やかな生
活を手に入れた今になっても、今でもロロは考えることがある。

 もしもあの時、ナナリー死亡の一報が入らなかったら……そして、そこか
ら始まった、今でも追体験する痛みに息が上がるほどの衝突を経験してい
なければ……自分は今でも、ルルーシュにとって、ていのいい手駒の一つ
にすぎなかったのではないかと。

 考えても詮無いことと解ってはいる。今では自分が望んだ相関を手に入
れたのだからそれで構わないだろうと、自分の中で自分を諌める声がする。

 だが……こうしてナナリーと相対するにつけ、ロロは考えずにはいられな
かったのだ。


 政敵として離反を宣言しても、それでも欠片ほども損なわれることのなかっ
た愛情を、一身にルルーシュから注がれてきた少女がいる。少女に向け
られたルルーシュの思いは、彼女の消息が知れない間も、その後、メディ
ア越しの再会を果たした彼女が、どこまでも平行線をたどる互いの主張に
敵対する意思を貫いたときにも、なんら変わることはなかった。

 文字通り、自分がその命を擲ってまでようやく手に入れた相関を、己の
信念を一切曲げることのないまま、労せずして与えられてきた、ルルーシュ
のただ一人の血縁者。
 理屈を超えた場所に血の縁による絆があり、それは古来より脈々と受け
継がれてきたものなのだと頭では理解していても……望む居場所を手に
入れてなお、そういった無条件の差し出し手にこれまで縋ることの叶わな
かった過去を背負う少年は、これまで己が払ってきた「努力」を思い、暗澹
とした思いを味わわずにはいられなかった。

 そして、そんな思いを自分に味わわせる眼前の少女を……改めて妬まし
いと思う気持ちを、ロロは、飲み下す事が出来なかったのだ。



                                  TO BE CONTINUED...


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