「……発情期……私が……」
告げられた言葉の確認というよりは、自らに言い聞かせるかのようにぼんやりと独語するリュシオンの姿は、
その続く言葉を待つティバーンの胸襟に、どれほどの衝動を突きつけた事だろう。
その剛毅な為人を知るものがその光景を目の当たりにすれば、あまりの意外の念にこぞって我が目を疑っ
たことだろうが、この時、ティバーンは自身が庇護した白鷺の反応に、肝が冷えるほどの緊張を味わわされて
いた。
他の誰かに任せられるような話ではない以上、後見人を自認する自分が対処するよりほかにないわけだが
……自分の一言によって、もはや世に一体しか生存が認められていない亡国の後継に与える影響は計り知
れない。荷が勝つと悲観するほど、自身を過小評価はしていないが、それでもできれば他にお鉢を回してしま
いたかったと考えてしまう程度には、ティバーンにとって、事態は軽視できないものだったのだ。
我知らず跳ね上がる鼓動の音を鬱陶しく聞きながら、固唾をのむような思いで相手の二の句を待ち侘びてい
たのは、時間にすればさほどのものでもなかったのだろう。それでもひどく消耗した心地で待ちの姿勢を貫い
ていたティバーンを前に、リュシオンの唇が何事かを呟いた。
「リュシオン?」
耳に届くことのなかったその呟きの意味を聞き返そうとして、ティバーンがリュシオンを呼ばわった刹那―――
その若草色の光彩が、不意に揺らいだ。
ほどなくして、相手を見据えることを怯まないその双眸から、溢れ出たものが白い頬を伝い落ちていく。
「……っおい……」
「……った…」
それほどに衝撃を与えたのかと、仕掛け人であるはずのティバーンは泡を食った。やはりこの白鷺には、ま
だ時期の相応しくない話だったのか……
苦々しい思いで自らに舌打ちしながらも、とにかくリュシオンを落ち着かせなければという思いが、自責の先
に立つ。その場を取り繕おうとリュシオンの名を呼び―――しかし次の刹那、彼は、突きつけられた別種の衝
動に、再び泡を食うはめになった。
「……よかった……私にも、やっと……よかった……」
震える声で絞り出すように呟くと、リュシオンは持ち上げた手のひらで、自身の半顔を覆ってしまう。同時に肩
口から滑り落ちてきた金糸の髪に隠されて、ティバーンがその表情を窺い知ることは出来なかったが……その
涙の意味を取り違えずに受け止めるには、それは充分すぎる所作と言葉だった。
「リュシオン、お前……」
「これでやっと……私も命を繋げられる……っ」
日頃から、自身の弱さを晒すことを嫌うリュシオンが臆面もなく涙を流し、上がる嗚咽の下から、何度も良かっ
たと繰り返す。それはまさしく、万感としか言い表しようのない、彼がこれまで身の内に芽吹かせ育て上げてき
た、思いの発露だった。
命を繋ぐのだと語ったリュシオンを取り巻く情勢は、言葉ほどには容易いものではない。
そもそも、根本的な問題として、セリノス王家を構成する白鷺の中で、唯一生き延びた王子であるリュシオン
には、つがいとなるべき同族の鷺がいないのだ。これが一般階層の民であれば、交配可能な他種族の中か
らこれと思った相手と娶あわせる事も叶っただろうが、セリノス王家の正当な血を宿す最後の後継を、そのよ
うな「掛け合わせ」に用いる訳にはいかない。
世襲を倣いとしてきた彼ら白鷺にとって、その純血は他の何物にも代えることのできない財貨なのだ。現鷺
王のロライゼが、わが子の代を以てセリノス王家の系図を断絶する覚悟を固めるまでは、直系であるリュシオ
ンの血は「汚せ」ない。
そのような、世襲制の柵を受けることなく鷹王を継いだティバーンには、そこまで頑なに一つの血脈を守り続
ける鷺の思いが、理性では納得できても感情では理解できない。自らの頂く王さえも、種の存続の道具でしか
ないのかと、鷺の民が連綿と受け継いできた内向的な習性を、苦々しく思ったことも一度や二度ではなかった。
だが、ティバーンはフェニキスに暮らす鷹の民であって、鷺ではない。彼らが守り抜いてきたものを、価値観が
合わないからと真っ向から否定することはできないのだ。
となればせめて、自分の口出しできないしがらみに縛られたリュシオンを、これ以上の余計な煩わしさから遠
ざけてやりたいと……そう思えばこそ、この手の話題には慎重になるべきだと、ティバーンは自らに言い聞かせ
てきたのだが……
「……なあ、リュシオン…お前は……」
「……私に子をなす機能がなければ、この血脈は繋げようがない。私にさえ、その準備が整っていれば、いず
れきっと……」
続く言葉は、再び込み上げてきたのだろう嗚咽にまぎれて、ティバーンの耳には届かなかった。
だが……先手を打ったはずの自身の及び腰の問いかけが、まるで見当違いの方向を向いていたことを、リュ
シオンの晴れがましそうな泣き濡れ顔が、ティバーンに教えていた。
鷺の民としては異例の存在に育ったこの白鷺王子は、どこまでも前向きで、何をするにも精力的だ。
子種を受け入れてくれるつがいもいないのに、体だけが準備を整えてどうするのかと……ティバーンの知る、
典型的な鷺の民であれば、そう悲観したことだろう。相手もなしに発情を迎えた自らを、恥じ入りもしただろう。
だが……この白鷺は違う。
リュシオンは、己に残された可能性を、まだ捨て去ってはいないのだ。いつか祖国の再興を果たし、帰るべ
き場所に帰った時に、自身の子孫を残すという大義を、彼はまだ、絶望視してはいないのだ。
いつかはきっと―――自分以外の白鷺と、生きて巡り合える日が来ることを……
「……そうか…」
その時、自身の胸襟に去来した思いを、なんと呼び表せばよかったのか………ティバーンには、解らなかっ
た。
人の度肝を抜く言動には定評のあった、この白鷺の更に予想外の一面に、感服したのか。そんな風に彼を
育ててしまった自身の責任の重さに、慄然としたのか。
おそらくはその両方だと思いながら……ティバーンの脳裏にまず浮かんだのは、そんな自らに向けられた苦
笑交じりの罵倒の言葉だった。
「……ああ…そうか」
「ティバーン…?」
「俺も、たいがい阿呆だな」
リュシオンの背負う特異な境遇に気を取られ過ぎて、肝心なことが、自分は見えていなかった。
ラグズにとって、発情期とは成人の証だ。よくぞここまで一人前に育ったと、周囲の祝福を受けてしかるべき
日なのだ。
抱える事情はどうあれ、あれほど独り立ちを望んでいたリュシオンが、これで成体の仲間入りを果たしたこと
に違いはない。
ならば……
「……そうだな…」
ならば……自分がまず掛けてやるべき言葉は、慰めでもなければ、その境遇を慮った、及び腰の助言でもな
かった。
自分はただ―――素直に、寿げばそれでよかったのだ。種族の未来を背負わされた彼が、そのための手立
ての一つを自ら身につけたそのことを、ほかならぬ自分が、真っ先に祝ってやるべきだったのだ。
「……俺はどうも、色々と間が悪くていけねぇな」
「ティバーン?先ほどから、何を……」
「良かったな」
話の展開が読めないと言いたげに、怪訝の色をうかがわせた若草色の双眸が―――次の刹那、意を突かれ
たように、大円に見開かれた。
「良かったな……これで、お前もあれだけ待ち望んでいた大人の仲間入りだ」
「ティバーン……」
「ガキの頃にあれだけの災難に遭わされても……お前の体は、ちゃんとまっとうに成長したんだな。「生き」別
れたセリノスの鷺達も、お前の成長に、心底報われた思いでいるだろうぜ」
自分に向かってひた据えられたままの、萌える若草を思わせる双眸の薄緑が、新たな情動によって潤んでい
く様を……ティバーンは、ひどく満ち足りた思いで眺めやった。
この白鷺を、交々の事情から手元に引き取ることとなって、五年―――庇護者である自分への謝意からくる
愛想顔ではなく、その身を焼く後ろ暗い情動を発散するための、自らをも苛むことを承知の上で見せる怒り顔で
もなく……できることならこうあってほしかったと、自分が胸の底で思い描いてきたそのままの顔で、リュシオン
が笑っていた。泣き笑いの顔で、誇らしく胸を張っていた。
このリュシオンが見たかったのだと、つられるように、口角を笑みの形に引き上げながら、ティバーンは胸襟を
せりあがる自らの感傷を噛みしめた。
同時に、それを誘発したものが、本来彼にとってもっとも大きな障害を強いるはずの「目覚めの日」であった事
に、改めて思い知らされたリュシオンの気丈さに感服の思いを抱く。
この異端の白鷺に……良くも悪くも、これほどに感銘を受けることになるとは、ティバーン自身、思いもかけな
かった誤算だった。
「……さて。そうと決まれば、いつまでも籠ってるって手はねぇな。フェニキス流の洗礼は荒っぽいぜ?」
「は、あの…?」
まとわりつく感傷を振り払うように、ことさら粗野な語調を意識しての揶揄。話の流れについていけず、虚を突
かれた容色のリュシオンに、ティバーンは莞爾として笑って見せた。
「一生に一度の、めでたい目覚めの日じゃねぇか。身内の手荒い祝福を受けるのが、こっちの習わしだ。先に
言っとくが、祝われる側に拒否権は一切ないからな?覚悟しとけよ」
「ちょ…っ…ティバーン…っ」
話の展開の速さに混乱したのか、それとも、自らの置かれた状況を周知の事実にされかけていることへの動
揺からか、慌てたように、リュシオンが寝台の端から身を起しかけた。その背を、さすがに手心は加えたものの、
時期を迎えた同胞にするようにどやしてやりながら、腹ぁ括れよと、先刻まで自らに言い聞かせていた言葉を、
意趣返しのように笑いながら口にする。
と、その刹那―――
「……っ」
「リュシオン?」
子供同士の戯れの延長であるかのように、他愛もない接触を仕掛けたティバーンの手の下で……その薄い肩
を引き寄せられたリュシオンが、喉奥で抑えきれなかった悲鳴を上げた。
「…っとすまん。力が強かったか?」
「あ…いえ……その、そうではなくて……」
自らを庇うように、再び自身の上体を抱き込むようにして身を縮めたリュシオンの容色に、思い出したように血の
色が上る。
引きずられて上気したその眼元は、どう見ても―――
「あー……すまん。そうだったよな」
リュシオンの「不調」の原因がはっきりしたというだけで、そもそもの問題解決には至っていなかったことをすっか
り失念していたティバーンは、リュシオンの反応から否応なしに突きつけられたその事実に、きまり悪そうに己の
頭髪をかき乱した。
「……まあ、とにかく……一度こうなったら、一度熱を抜かないことには治まらないもんなんだ。それは雄なら当
然の事だから、不安に思ったり恥じ入ったりする必要はない。いつでもどこでも相手がいる訳じゃねぇし、そも
そもお前の場合、「時期」は慎重に選ばなきゃならねぇからな。それまでの間は、まあそのなんだ、自分で処
理をするわけだが……あー……さすがに、誰かから教わっても…いねぇよなぁ?」
所謂、「経験済み」の同胞と、酒の席の延長で悪乗りする猥談とは訳が違う。素面の状態で、しかも何も知らな
い相手に面と向かって教え諭す事は、剛胆で知られるティバーンにとっても、並方ならぬ気力を必要とした。
ばつの悪さと居たたまれなさから、泰然とした物言いを好む鷹王らしからぬ、浮足立った早口でまくしたてたもの
の……肝心の本題に入ると、どうしても言葉を濁してしまう。
「あー…つまりだな……どうもこういうことを、改まって口にするのもなぁ……」
独言めいた続く言葉に、本来負い目を感じるべき立場にないはずのリュシオンが、恐縮したようにさらに身を縮め
て見せた。その姿が、庇護者である自らの責任と年長者としての矜持を、同時にティバーンに抱かせる。
ここでこうして向き合っていたところで、事態は何の進展も見せはしないのだ。リュシオンの気構えを知った以上、
その後見を引き受けた自分が一緒になって二の足を踏んでいるわけにはいかない。
少なくとも―――この事態が、リュシオンにとって、悲観するべきものではないことを、もう自分は知っているのだ
から……その上で、そんな彼の頼みとなってやれるのは、今ここにいる自分しかいないのだから……
「……なあ…リュシオン」
「……はい…」
口にするまでの逡巡のほどを物語るかのように、水向けにかかった時間はけして短くはなかった。
だが……
「………実地演習ってことで……納得してくれねぇか?」
だが、それでも―――続く言葉を口にすることを、もうティバーンは躊躇いはしなかった。
TO
BE CONTINUED...
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