incubation2.5




 リュシオンの爆弾発言を契機に、室内に重く垂れこめた沈黙を二人して共有していた時間は、果してどれ
程のものだったのか。

 先に気を取り直したのは、水を被ったリュシオンをこのままにはしておけないことに改めて思い至ったティ
バーンの方だった。
 発情の影響でひどく過敏になり、他者との接触を極端に嫌うリュシオンの体を頭から被せたままの布で
強引に拭い、濡れた夜着を無理やりに着替えさせる。最低限の身支度を整えさせると、ティバーンは世話
役の若い鷹を呼び、部屋の後始末を託してリュシオンを室外へと連れ出した。


 ひとまず、部屋が片付くまではリュシオンに適当な空き室を宛がってやらなければならないが……病を患っ
ているわけではないのだと判明した以上、ただ休ませておいてもリュシオンの症状は改善しない。となれば、
根本的な解決策として、彼に発情期のなんたるかを逐一講釈する必要に迫られたわけだが……

 剛胆で知られたティバーンにも、昼日中から口に出すのに憚られる話題というものは存在する。ましてや、
その相手が国を挙げて保護する、亡国の後継者となればなおのことだ。
 その「役目」を、本当に自分が担っていいものかどうか、腹の底で繰り広げられる目まぐるしい葛藤を、自
身の「不調」に対処するのが手一杯の白鷺に悟られずにすむことは、ティバーンにとってはせめてもの幸い
であったかもしれない。これで先走った自分の衝動から、我が身に起こる極近しい未来を先見していたら、
衝撃でリュシオンが失神しかねなかっただろう。

 ともあれ、ここで先達である自分が逡巡していては、始まらない。
 腹を括れ、と自らに言い聞かせながら、ティバーンがリュシオンを先導したのは、彼自身の私室だった。


 一国の王が寝起きする空間としては、その部屋は意外なほどに質素な造りをしていた。ティバーンの気
性を表しているかのようなその部屋は、フェニキスの保護を受けたリュシオンがようやく体の自由を取り戻
した当初、それでも精神の均衡を崩しやすかった彼を、事あるごとに呼び寄せては気の治まるまでその鬱
屈を吐き出させ、自我を保たせてきた場所でもある。
 例えば、常日頃ティバーンが詰めている執務室などで彼の弱音を聞いてしまえば、それは公の場でなさ
れた国の代表同士の会話として、周囲の者には認識されてしまう。フェニキスはラグズのなかでも気さくな
国柄で知られていたが、それでも、国家として機能する以上は、引かなければならない一線があったのだ。


 そういった交々の事情もあり、心身ともに容体が安定してからというもの、要介護病人から国の賓客へと
格上げになったリュシオンを、気安く私室へ招くことも久しくなくなっていたが……他国籍の彼が自らを曝け
出せる場所を考えれば、彼に与えた私室以外、選択可能な部屋は一つしかないだろう。リュシオンもそれ
を承知してか、その顔に幾分緊張の色をのぞかせながらも、入室をためらいはしなかった。



 ……さて。ひとまず周囲の耳目を避けられる場所を確保したはいいが、本当の問題は、これからだ。
 身の内から沸き起こる熱で、やはり立っていることも辛そうなリュシオンを、数瞬の躊躇いの後自身の寝
台へと腰掛けさせ……相手を警戒させない程度の距離を保って正面に向き合いながら、ティバーンは踏
ん切りをつけるかのように、大きく嘆息した。


 「あー……リュシオン、一応聞いておきたいんだけどな」
 「……はい」
 「その、なんだ……交尾って、解るよな?」

 これで解らないと返されたらどうしたものかと、賭けにも近い思いで行った水向けだったが……幸いにも、
賭けの軍配はティバーンの方へと上がったらしい。
 質問の意味を噛み砕くようにしばらく考え込んだ後、リュシオンはどこか気まずそうな表情で、それでも
首肯して見せた。

 「じゃあ、体がその準備をする為の期間があることも、知ってるな?」
 「……はい。繁殖能力にも対象にも限りがある私達鷺にとって、唯一子孫を残すことのできる、大切な時
  期です。仕来たりや作法の交々については、その……とても神聖な秘め事なので、口伝で人知れず教
  えを受けるものだと……」


 リュシオンの話しぶりから察するに、鷺の民も鷹の民も、発情期に関する認識に大差はないらしい。それ
が神聖なものだという認識があるなら、これから話題にすることも、性質の悪い猥談とはねつける事はリュ
シオンもしないだろう。
 少しは肩の荷が下りた気分で、ティバーンは肝心の本題に入ることにした。

 「……それで、リュシオン。お前は、誰かからその教えとやらを受けたのか?側付きの奴らとか、あとは
  まあ……身内のやつとかに」

 危うく舌に乗せかけた白鷺の知己の名を、寸でのところで飲み込んだのは、おそらくは彼と死に別れた
リュシオンの心中を慮ってのことだけではなかった。こういった、必要不可欠ではあるが下世話な話題に、
すでに故人となってしまったであろう青年を引き合いに出すことが、何とはなしに躊躇われたのだ。

 鷹王の、彼らしくもない言い回しに感じいるところがあったのか、対象を自身へと向けられた話題に、そ
の白磁の容貌に再び朱を刷きながらも、リュシオンは回答を拒まなかった。


 「……いいえ……セリノスの森に暮らしていた頃、私はまだ成体にほど遠い子供でしたし……そういった、
  大人特有の秘め事が存在することは、なんとなく感じてはいましたが、話題が話題ですし、自分から
  誰かに聞くようなことは……いずれ知らなければならない事だけれど、その時が来れば自然と解ると、
  兄上も……」
 「ラフィエルが!?」
 「あ、はい……その時が来て、なにか困った状況になったのなら相談しなさいと……」

 配慮を無にする形で、思いもかけなかったところから既知の名を聞かされ、ティバーンは喉の奥で低くう
なった。

 あの繊細な青年が、直系の王族として一族の枝葉を広げていかなければならない立場にある弟に、ど
のきっかけでその手の教育を施したものかと、人知れず悩んでいたことは想像に難くない。リュシオン当人
が語るように、まだほんの少年だった彼に告げるべき話ではないと考えたのも、年長の血族として至極妥
当な判断だっただろう。

 だが、どうせなら……どうせ、いずれは自身の口から教え諭そうと考えていたのなら……
 ―――なぜあと数年早く、その覚悟を固めてはくれなかったのか。


 得難い親友であった白鷺の青年に、腹の底で生涯二度目の恨み言を呟きながら、ティバーンは辛うじて
平静を装った外面の下で、どうにか気分を浮上させた。


 とにかく、リュシオンに多少なりともその手の想像が及ぶ知識があるのなら、話は進めやすい。あとは、
その想像と、いま自らが置かれている状況を、結び付けて納得させればいいのだ。

 「……リュシオン。そこまで解っているなら、もう単刀直入に言うけどな?」
 「はい」

 語調を改めた自分につられるように背筋を伸ばして見せたリュシオンに向かい、ティバーンは意を決して、
その場に回収不能の爆弾を投下した。

 「その時が来れば解るって言われた状況ってのが……今、お前の置かれている状態なんだ」
 「……は…あの……」
 「鷹の民である俺の口から聞かされるのは複雑かもしれねぇが……お前は今、発情期に入ってるんだ」


 その刹那―――
 虚を突かれた様相のまま表情を固まらせた白鷺が、それでも常のようにまっすぐ自分を見据えてくる姿を
目の当たりにして……向けられた視線とともに突きつけられてくる自らの責任から、ティバーンは心底目を
そむけたいと思った。




                                                TO BE CONTINUED...


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