incubation2




 おざなりなノックと共に手をかけた目的の部屋の扉は、意外なことに、施錠されてはいなかった。
 国の賓客であるリュシオンの激情を恐れた城の者達は、どうやら無理やりに室内に踏み込むなどという
強行手段は思いつきもしなかったらしい。
 あいつらにも、こいつの扱いをもう少し覚えさせなきゃ仕方ねえな―――口の中で独りごちると、ティバー
ンはその大柄な体躯を気持ち縮めるようにして部屋の入り口をくぐりながら、室内の人物に遅すぎる入室
の挨拶をしてのけた。

 「邪魔するぜ、リュシオン……朝から部屋に籠ってるって聞いたが、どこか具合が悪いのか?」

 調子が悪い時は、隠さずに周りを頼れって、俺は言ったよな?―――続けられた言葉の端に咎めるよう
な響きを感じ取ったのか、寝台に潜り込んで掛け布を頭から被ったままだった白鷺の総身が、布越しにビ
クリと竦む。

 「ああ、別に怒ってるわけじゃねぇ。ただ、俺達鷹の民には思いもつかなかったことが、お前の体には負
  担になったりする。情けねぇ話だが、お前から口に出してくれなきゃ分からねぇことが、俺達には多すぎ
  るんだ。だから、口うるさいと思うだろうが俺達はお前になんでも聞くし、必要だと思えば何でも説明す
  る。それは辛抱してくれ」
 「……はい」
 「まあ、その話はとりあえず今はいい。……で、具合はどうなんだ?」
 「ご心配をおかけしてすみません……大したことは…」
 「……なあリュシオン、いい加減、顔出さねぇか?」


 ティバーンの入室を知ってからそれなりの時間がたっているというのに、リュシオンは相も変わらず掛け布
の中に潜り込んだままだ。

 鷺の民としては異質の部類に入るのだろうが、リュシオンは、いつでも相手をまっすぐに見据えて言葉を
話す。そうすることで相手への誠意を示そうとする彼の実直さを、ティバーンは心底気に入っていた。
 だからこそ、相手が自分だと承知の上で、それでも顔を見せようとしないリュシオンのいつにない頑なな
態度が気にかかる。


 相手は、一人では歩くこともできない赤子ではない。何らかの気鬱が原因で、一人になりたがっているな
らこれ以上しつこく食い下がるつもりはなかったが……ただの気鬱と決めつけるには、彼のらしくもない屈
託振りに、どこか違和感を覚える。
 そして、ティバーンは自身の勘を信じた。

 「……どうしたよ?」

 寝台の人物を必要以上に警戒させないようにと、ティバーンとしては細心の注意を払って、寝台の端に腰
を下ろす。それでも寝台をギシりと軋ませた動きに、掛け布に包まれた体が僅か強張った気配があった。

 これ以上は急かしたところで逆効果と、ひとまずはティバーンの側から一歩を引いてみる。この様子から
して、一刻を争う類のことではないのだろうと、持久戦の構えを取ってリュシオンの出方を待つことにした。
 互いの様子を窺うようにしながら、だんまり合戦を続けていた時間は、果してどれ程のものだったのか……


 「……ティバーン…」

 先に沈黙を破ったのは、持久戦を仕掛けた形となったリュシオンの方だった。

 「…………私は結局、完全な健常体には戻れないのかもしれません」
 「ああ?」

 相手の言わんとするところを察することができず、思わず間の抜けた合いの手を返してしまう。そこにあり
ありと浮かんでしまったであろう不審の響きを感じ取ったのか、寝台の掛け布がわずかに動いた。
 「…っ…おい…」

 ようやく顔を見せる気になったらしい、リュシオンの態度の軟化に安堵の表情を浮かべかけ……しかし次
の刹那、鷹王は弾かれたように寝台から立ち上がっていた。


 めくられた布の下からのぞいた白鷺の双眸は潤み、その眼許は明らかに紅潮している。彼ら親子をこの
国に保護した当初、心身に負った衝撃と、環境の変化に耐えきれずに倒れたリュシオンが、何度も見せた
症状だ。

 ここしばらくはリュシオンの体調もすっかり落ち着き、無茶をしでかしては周囲から叱られるほどに健康体
を取り戻していたから、自分にも油断があったかもしれない。本来、終の棲家にはなり得ないフェニキスで
の暮らし振りが板についてきたとはいえ、保護者として、楽観が過ぎたのだろうか……

 「おい、お前熱……」
 「―――――!!」

 発熱の程度を確かめようと、深く考えるでもなく、その白い肌へと手を伸ばす。
 だが、その額に指が触れるよりも早く、久しく耳にすることのなかった古代語が、鋭い拒絶の意志をティ
バーンに叩きつけてきた。

 『触ラナイデ!!』

 それは、ティバーンとリュシオンがまだ出会って間もなかった頃、鷹特有の屈強な体躯に脅えていたの
か、ほんの少年であったリュシオンからよく叩きつけられた言葉だった。
 優美でたおやかな外見を持ちながら、その実、中身は警戒心の強い猫のようだったこの白鷺王子と、人
並みの相関を築けるようになるまで歩み寄るために、どれほどの根気と時間を、自分はかけた事だろうか。


 そんな場合ではないだろうと思いつつも、僅かに蘇った当時の記憶を懐かしむと同時に、それほどに今
のリュシオンがのっぴきならない状態にあるという事実が、ティバーンを暗然とさせた。
 対して、リュシオンの混乱はごく短時間で収まったらしい。結果として相手の手を振り払ってしまった事
に恐れ入り、リュシオンは深く頭を下げた。


 「……申し訳ありません、ティバーン。ですが今はどうか、私に触れないでください。正直、手が触れるだ
  けで辛くて」
 「熱で、節々が痛むのか?」
 「いえ、痛みはありません。……ただ、苦しくてどうにかなりそうなのです」

 言って、リュシオンは自分の身を庇うように、回した腕で自らの状態を抱きしめた。よく見ればその総身は
小刻みに震えており、いま彼が味わわされている苦痛のほどが窺える。

 「……昨夜、一度目が覚めてから、ずっとこの状態なんです。体中の熱が一気に上がった感じで……初
  めは風邪をひいたかと簡単に考えていたんですが、どこかが痛むわけでもだるいわけでもなくて……
  本当に、ただ暑くて苦しいという状態が治まらないんです」

 できうる限りの言葉で自覚症状を説明しながら、リュシオンの整った容貌が不意に歪んだ。

 「ティバーン……セリノスの森から命からがら逃げ出したあの時から、私の体には致命的な欠陥があっ
  たのかもしれません。……こんな状態では、あなたの仰るように健全な生活をして、セリノスに帰る日
  に備えることもできません。食事も喉を通らない。眠ることもできない。これがこの先もずっと続くのだと
  したら、私は……」
 「リュシオン……」
 「もう、セリノスの王子は私しかいないのに……どれほど非力でも、ただ一人生き残った王子として、私
  が父上を支えていかなければならないのに……私が落伍したら……もうセリノスは……っ」

 続く言葉を口にすることができず、上体を起こした寝台の上、頭を抱え込むようにしてリュシオンが喉奥で
苦鳴を漏らす。
 声にならないリュシオンの絶望の叫びを目の当たりにして……ティバーンの胸襟に、ざわりとした感傷が
広がった。


 帰るべき国土を持たず、戦うべき牙も爪も持たず、それでもその身を以て祖国復興の旗印にするのだと、
これまで砂を咬む思いで命を繋いできた、世にただ一人生き残った、鷺王の継承者。
 自分の他に変わりはいないのだと、否応なしに思い知らされてきた彼にとって、五体満足に生き抜くとい
う、世界から課せられた使命は、どれほどの重責となってその双肩にのしかかっているのだろう。

 何としてでも生き延びて、祖国復興を果たすのだという、種を存続させなければならない最後の王族として
の責務。
 その身と引き換えにしてでも、祖国と同胞を奪ったニンゲンに対する報復を果たしたいと望む、雄としての
本能。

 二律背反する激情に苛まれながら、今日までひたすらに生き抜いてきた眼前の白鷺を、ティバーンは、改
めて哀れだと思った。


 祖国と同胞に対する責任の全てを背負わされて、ただ一体五体満足に生き延びた彼が耐え続けた重圧
は、どれほど肩代わりしてやりたいと思っても、彼にしか背負えない。
 そんな重荷はいっそ捨ててしまえと、そんな気休めすら口にできる立場にない自分に歯噛みしたい思い
で、ティバーンはリュシオンに、とにかく休めと声をかけた。

 「今はあれこれ気をもむな。ここ何年も無理をしてきた反動が出たんだろう。ひとまず、症状が落ち着くまで
  は先走って悲観してても仕方がねぇ。医者を呼ぶから、診察を受けたら何も考えずにゆっくり休め。眠れ
  ねぇなら、無理に眠ろうと思わなくていい。ただ横になって、頭も体も休めてやれ」
 「……ティバーン」
 「後はあれだ。お前、今朝から飲まず食わずなんだろ?飯は無理でも、水くらいは飲んでおけ。汗をかいて
  熱を下げるためにも、水分は必要だ」

 物が食べられない、眠れないと嘆くリュシオンの焦燥を刺激しないために、敢えて気安い口調で続けると、
ティバーンは室内にあらかじめ運ばせてあった水差しから水を汲み、中身を満たした樹脂製の椀をリュシオ
ンへと差し出した。
 時間の経過とともにいや増していく焦燥に意識を奪われていただけで、リュシオンの体そのものは、渇え
を覚えていたらしい。素直に伸ばされた白い手が、しかし次の瞬間、受け渡しのタイミングを見誤ったか、受
け取った椀を手の中で滑らせた。

 「おっと」
 寝台と自らに、椀の中身をぶちまけかけたリュシオンの失態に、意識するよりも先にティバーンの体が動く。

 ただでさえ体調を崩しているリュシオンを濡らしでもしては大事と、とっさに手を伸ばしたティバーンの行動
に、それ以上の他意は一切含まれていなかった。少なくとも、ティバーン本人はそのつもりだった。
 だが……


 「あ……っ」

 今にも零れ落ちようとしていた椀を、それを防ごうとした相手の掌ごと受け止める。結果として相手を脇か
ら抱き寄せるような体制となってしまったティバーンの腕の中で、突然の接触に驚いたにしては、大仰すぎ
る声が上がった。

 反応の異様さは、それだけにとどまらなかった。ほとんど悲鳴と呼んでも差し障りないであろう声を上げ
たリュシオンの総身は、傍目にもそれとわかるほどに竦み、間一髪のところで惨事を免れた手の中の椀も、
差し出し手の甲斐なく空に放り出してしまう。
 重力に従って寝台の上へと落下した椀の中身が、寝台の住人を掛布ごと盛大に濡らした。

 「……おいおいおい」
 「す、すみません……寝台を濡らしてしまって……」
 「問題はそこじゃねぇって……こんな状態で風邪まで引き込んだらどうするよ」

 相手の明らかに不審な挙動を、追求したい欲求に駆られたが、まずは水をかぶったリュシオンを何とかし
なくてはならない。
 とりあえず服を着替えさせて、寝台を何とかするまで別の部屋で休ませるしかないだろう。そう結論付ける
が早いか、ティバーンは部屋に備えてあった厚手の布をリュシオンの上に放り投げた。

 「とにかく、体を拭け。着替えが済んだら世話役のやつにここを片付けさせるから、今日一日違う部屋に移っ
  ててもらうぜ」
 「はい……」

 だが、殊勝に頷きはしたものの、頭から布を被ったままどこかぼんやりと空を見つめたままのリュシオンが、
身繕いを整える気配はない。
 そうこうするうちにも寝台の上で水害の範囲はじわじわと広がっていき……ついに、ティバーンが焦れた。

 「ほら、リュシオン。ちゃっちゃと着替えちまいな。着替えができないほど体がきついなら、嬉しかないだろ
  うが手伝って……」

 言って、相手の返事も待たず、昨夜から身に纏ったままなのであろ夜着の合わせに手をかける。
 その刹那―――

 「ぅあ……っ」
 「……っ」

 先刻耳にした、意表を突かれ、思わず漏らしてしまったにしては大仰すぎるとティバーンがいぶかしんだ、
リュシオンの「悲鳴」。いま彼が発した声も、明らかに尋常なものではなかった。


 接触の弾みで発されたそのタイミングといい、聞く者の耳に別種の情動を示唆させる声音の特異性といい、
まるであからさまに閨事を連想させるような……

 そこまで考えるに至って、ティバーンは、ようやく一つの可能性に思い至った。
 あまりにも突飛な発想だとは自分でも思う。だが、これはどう考えても……



 「リュシオン、お前……」
 「っ…触らないでください……っ」

 触られるのも辛いと言っていた自らの言葉を立証するかのように、かけられた布に包ることでティバーンとの
間に壁を作って見せたリュシオンの容色は、朱を刷いたかのように紅潮している。
 外部からのわずかな刺激にもここまで過剰に反応するところといい、先刻から彼が耐えきれないというよす
がで漏らす悲鳴といい、これはどう考えても……

 『ただ暑くて苦しくて……』
 仕入れた情報を指折り数え、我が身に置き換えて鑑みれば、もう思い至る可能性は一つしかないように思
われた。

 鷺の民がその時期を迎える兆候を、他種族の民である自分には察しようもない。そもそも、彼らが自分達と
同様の生態をしているのかどうかさえ、確証があるわけではなかったが……
 まさかの思いが先に立ち、今まで思い至りもしなかった。だが、今のリュシオンはどう考えても明らかに……



 (……発情している?)


 「あー……リュシオン、おまえ、その……初めてか?」
 「ティバーン?」

 いきなり直情的な表現を用いることが何とはなしに憚られ、ティバーンにしては婉曲な言い回しで、相手の
置かれている状況を再確認する。
 対して、リュシオンの方は、向けられた質問の意味そのものが、理解できなかったようだ。色めいた想像も
及ばないのであろう、含むところを感じさせないその表情が、言葉以上に明確に、質問の答えを物語っていた。

 となれば、これが、雄なら誰もが目覚める本能であること、そして、その為に心得ておかなければならない雄
としての嗜みのあれこれを、彼に改めて教える必要があるわけだが……



 「……あー……そうだな、その……」

 常日頃から、剛胆な気性で知られるティバーンの彼らしくもない口籠りように、彼に救いを求めたリュシオ
ンもまた、事態の重さを憂慮してその眉宇を曇らせる。
 何事にも動じない豪傑な鷹王と、フェニキスの民が誇るティバーンをして二の句を飲みこむほどに、この
身に起こった異変は尋常ならざるものなのか……突きつけられた衝動を物語るかのように、それまで訳も
分からずに紅潮していた白鷺のかんばせから、見事に血の気が引いていた。

 「いや、あのな。そういうことじゃなくてだなぁ……」
 そういうことではないのだと手を振りかけて……しかし、どう説明したものかと続く言葉に詰まり、ティバー
ンは奔放に跳ね広がる自らの頭髪を、もどかしさをごまかすように乱暴に掻き毟った。



 これが、他のものであったなら―――例えば、身近な例を挙げるなら同族の鷹の民などであったとしたら、
ティバーンもこの手の陳情を豪快に笑い飛ばしていただろう。

 ラグズにとって、発情期とは、唯一子孫を後世に残すことのできる貴重な時間だ。発育途上にあるラグズ
の若者にとっては、初めて迎えた発情期がそのまま成人の儀式となる。自身が成体へと成長を遂げたこと
を周囲に知らしめる、一生に一度の神聖な日だった。

 発情期を迎え、名実ともに成体の仲間入りをした同胞の「門出」をどのように祝うのかは、おそらく種族ご
とに違うだろう。だろう、というのは、こういった雄としての機微は、吉事ではあっても大っぴらに触れまわる
類のものではなかったからだ。

 同じ群れに属する者同士で―――ベオク風に言いかえれば、ごく親しい仲間内で、「大人」になった若い
同胞を祝いはする。仔を成す能力を備えた成体としての矜持と責任を、心構えとして諭しもする。
 だが、同族間であっても、それ以上に離れた存在に対して、こういった話題を持ちかけることは、少なくと
も鷹の世界では度し難い非礼であった。それほどに、成体になるというのは神聖なことなのだ。


 だから、これが「身内」の鷹であったなら、話は簡単なのだ。それはめでたいと相手の背中をどやし、多少
品性に欠ける揶揄など交えつつ、これから先一人前の雄として果たすべき責任を、二言三言、諭せばいい。
 時期が来ればそのようにして周囲の手荒い祝福を受けるものなのだと、幼い頃より身内の先達から習うで
もなく教わって育った若い同胞も、幾分の面映ゆさを交えつつも素直に大人の仲間入りをするための洗礼を
受ける。それで、披露目は滞りなく終了した。


 だが……リュシオンは鷺の民で、しかも次期王位を担う白鷺だ。
 やんごとない生まれ育ちの深窓の王族ならば、本来、こういったことは側付きの者などが時期を見て、人
知れず手ほどきをするのが常なのだろう。王族と言えば現在のティバーンも国を背負う王なのだが、フェニ
キスには世襲という制度がない為、生まれながらの王族ではないティバーンには、そのあたりの機微は想
像でしか推し量れなかった。


 他に白鷺の知己と言えば、あのセリノスの虐殺を境についぞ消息の知れなかった、当時すでに成体となっ
ていた白鷺王子が、いるにはいた。彼とは種族間の垣根を感じさせないほどに近しく付き合っていたし、当
時幼少であったリュシオンやリアーネ達を、キルヴァスの若い鴉と三人で交代で子守りするなど、所帯じみ
た親睦を深めた相手でもある。親友と呼ぶに吝かではない存在であったし、もはやその生存は絶望的であ
ると自身を納得させた今でも、もし彼が生きていたらと、折に触れては思い出す癖は直らなかった。

 だが、いくら親しい相手でも、他種族の王族であるラフィエルに、同族の若者同士で繰り広げる与太話の
ような話題を振れるはずがない。いかに剛胆を自他共に認める不敵の鷹王といえども、その程度の弁えは
備わっていた。


 つまるところ……ティバーンとしては、非常に困った局面に立たされたわけである。
 それはお前が大人になった証なのだと、そう教えることは簡単だ。年長者として、その時期を迎えた後進
を教え諭すのは鷹の男の当然の務めであり、根本的な体の造りが変わらない以上、他種族の民に対して
もその応用は利くだろう。

 だが……相手は、あのリュシオンなのだ。
 発情期を迎えた後進に対して年長者が施すものは、なにも成体としての心構えだけではない。仔を成す
能力を持ったからこそ念頭に置いておかなければならない、交尾の際の禁止事項注意事項、そんなこと
まで逐一説明しなければならないのだ。

 ましてや、相手がその「方法」に精通していないとなれば―――幸いにも、ティバーンの周囲の鷹の民に、
そこまで奥手の若者はこれまで存在しなかったが―――肝心の交尾の手順や、つがいとなるべき相手を
見いだせずに己の情欲を持て余した時などの、いわゆる「処理」の方法まで、懇切丁寧に、「指導」してや
るはめになる。
 ……そして、己の異変の理由に気づくことのできないリュシオンは、この場合明らかに後者に属するだろ
う。


 ティバーンにとって、リュシオンは、セリノス再興のその日までけして損なわれてはならない、国を挙げて
の賓客だ。そして、手のかかる弟分と言い切る事に抵抗を感じる程には、複雑な愛着を覚えてしまった存
在でもある。
 そのリュシオンに。よりにもよって、この自分が。

 ……手取り足取り教えるのか。発情期のなんたるかを。




 しかも、ことリュシオンが相手となった場合、この手の話題についてまわる障壁は、なにもそれだけに留
まらない。


 あのセリノスの虐殺で一族郎党を焼き殺された鷺の民にとって、リュシオンは父王のロライゼとただ二
体業火を逃れた、最後の白鷺だ。
 現王と、その後継を担う第三王子が存命となれば、セリノスにはまだ再興の望みが繋がれている。強力
な後ろ盾と、十分な下準備と、時期を見定める確かな目がそろった時、セリノスは復興の狼煙を上げるだ
ろう。
 後ろ盾には、フェニキスが名乗りを上げる。いつか彼らを歴史の表舞台に押し上げてやる為の後援に、
この国が役者不足であるとは、自分が王である限りけして言わせない。

 セリノスは再興する。必ず再興させてみせる。だが……


 だが…周囲の御膳立てだけではどうにもならない事実というものも、世の中には存在するのだ。

 王がいて、後継の王子がいる。民のよりどころとなる国家を立ち上げるために必要なものは、ひとまずは
それで十分だろう。
 だが、同胞をことごとく失った鷺の民には、次世代を生み出すための、つがいとなるべき雌の鷺が存在
しない。
 現王が健在である間はいい。その後を引き継ぐべき、王子の在位中はいい。しかしその更に先を見通
せば、セリノスという国家の未来は、あまりにも先細りすぎていた。


 そんな亡国の、ただ一人の次代後継者である王子が、ゆるやかな歩みで成体へと転じようとしている。
 子をなす能力を手にいれながら、その為のつがいとなるべき相手を持たない白鷺の王子。その身に背負
う孤独を思えば、自国の民に対するように、やれめでたいと、その「成人」を気安く祝ってやることもできな
かった。




 「……くそったれ…」
 「……っ」

 突然悪態を吐いて見せた自身の庇護者に、それまで及び腰で様子をうかがっていたリュシオンの肩が反
射的に竦んだ。常であればこんな時、お前に言ったわけではないのだと、弁解の一つもするところだったが
……そんな余裕もなく、寝台の端にどっかりと腰を下ろすと、ティバーンは差し入れた手で己の頭髪をかき
乱すだけだった。

 白鷺の情操面に与える影響を考えて、彼の前では粗野な言葉をなるべく使わない……そんな不文律が、
フェニキス城には存在する。対象が限定され過ぎているために、城内規範と呼ぶにはあまりにも滑稽なそ
の取り決めを、甘やかしすぎだろうと苦笑いしつつも承認したのは、当のティバーン本人であったのだが……
今となっては、そのような瑣末な事に関ずらわってはいられなかった。


 せめて、セリノスの生き残りの中に、昔馴染みのあの青年がいてくれたなら……こんな面倒事は、自分
までお鉢が回らずに済んだだろうに……

 既に天上の住人となってしまったのであろう白鷺の親友に向かい、ティバーンはこの時おそらくは生まれ
て初めて、腹の底で恨み言を呟いていた。



                                                TO BE CONTINUED...


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