rest番外編〜幕間の攻防・前編〜


 四半刻ばかりの間、絶えず辺りの静寂を乱し続けていた喧騒の音が、ひときわ大き
なものを最後にふつりとやんだ。
 ややして、思い出したように聞こえ始めた、二種類の荒い呼吸音。


 「―――やれやれ……手こずら…せてくれたね…」

 なだらかな穀倉地帯がそこかしこに広がる、田園都市ヒライナガオ。
 内政に絶対の影響力を持つ、この都市の与党が掲げる政策によって、ルーキウス
国とはまた違った意味で大っぴらなハンティング行為がはばかられるこの都市で……
しかし白鳳は今日も今日とて、自らの半生をかけた目標である、擬人形態モンスター
のコンプリートに精を出していた。

 なにしろ表立った政策でモンスターの保護を謳っているような街であるから、活動は
あくまでも人目を忍べる場所と時間帯に限られる。行動に制限を受けての狩りは相応
に難儀するものであったが、そこは長年磨きぬかれた匠の技と、同じポイントで一週間
粘り続けた仕掛け人の熱意が更に上をいっていた。
 激しい雌雄争いの末に軍配を上げた狩人の顔に、どこか猛々しさを残したままの笑み
が上る。

 「……さて」
 いまだ上がる息を意志の力で抑えながら、白鳳はおもむろに威儀を正した。
 「じゃあ、慣例に則らせてもらおうか。…『真名を名乗れ。その名と忠誠を我が前に。
  我が名は白鳳。汝(な)れの名は……』」

 面映さも手伝って、日頃用いる機会も少ないハンターとしての正式な口上も、今回の
ように一筋縄では片付かなかった捕り物劇の締めくくりには、うってつけだ。
 しかも、手がけた獲物は見栄え、実力共に久々の極上ランク。得もいわれぬ達成感
をかみ締めながらなぞる決まり口上の味は格別だった。
 己の敗北を認めはしたものの、元来の気性ゆえかきつくこちらを睨みすえてくる、屈
辱の色を湛えた標的の双眸が、これまた焦らしプレイのようでこたえられない。
 
 「おやおや、往生際の悪い子だね。恨むべきは私でも運命でもなく、この事態に抗い
  きれなかった自らの無力さこそと知ることだ。…さあ、仕切りなおすよ?『我が名は
  白鳳。汝れの名は…』」

 敗北を喫しながら、勝利者であるハンターの命に従わない人外などその場で「処分」
されても仕方がない。そんな暗黙の掟を知らないはずもないのに、底意地を張ろうとす
る気性の激しさが、実に刺激的かつ魅力的だった。
 このまま持久戦に持ち込んで、言葉攻めでゆっくりと獲物の矜持を絡めとっていくのも
面白い。が、白鳳としてもそこまで鷹揚に構えていられるほど時間に余裕があるわけで
はなかった。
 「……さあて、こまったねぇ。気の強い子は嫌いじゃないけどね。ここでずっと君と意地
  を張り合っているわけにはいかないよ?」
 今更のように、先刻の攻防の余波が噴出す汗となって、白鳳のこめかみを滴り落ち
る。それを拭う掌は捕獲ロープを仕掛けた際の凌ぎあいで皮膚が裂け、滲み出した血
で赤黒く染まっていた。
 モンスター捕縛を目的として外出したわけではなかったから、弟や従者達には何も
言い置いてきていない。いつまでも戻ってこない自分の身に何事かあったのかと彼らが
気をもみだす前に宿に戻っておきたかったし、実際のところ白鳳自身もそれなりの困憊
状態にあった。



 とにかく、手早く収拾をつけて宿に戻りたい。自分の帰館を心待ちにしていたであろう
弟の頭を撫でてやって、傍らに控える神風にこの捕物劇で薄汚れてしまった羽毛の肩
掛けを預けて。簡単にここ数時間の情報交換を行って。
 あとは、パーティーの責任者にして、従者達の主たる自分に与えられた特権の時間だ。
 唯一の身内である弟は言わずもがな、主思いの人外達は皆一様に情深い。疲弊し
て帰館した白鳳の前にまじしゃんは熱々のおしぼりを差し出してくれるだろうし、あちこ
ちにできているであろう擦過傷や腫れは、フローズンが丁寧な手当てを施してくれるだ
ろう。一息ついたところで、ころあいを見計らった神風が淹れてくれるだろうお茶は自分
好みのブレンドがなされたものだし、意外な器用さを持つDEATH夫の指圧は、さぞや
今日一日の疲れを吹き飛ばしてくれるに違いなかった。
 見目良い容姿の従者達を身辺に侍らせ―――もとい。情に厚い従者達の献身を一身
に受けられるのは、ひとえに主である自分が手塩にかけて躾け育ててきたからだ。この
おいしさなくして、過酷なハンター稼業は持続しえない。

 程よくまったりと和んだ後は、今度は自分が陣頭指揮に立っての夕食の支度だ。宿
に逗留している以上併営の食堂を利用してもいいが、長い旅暮らしの食生活を全て外
食に頼っては、健康上よろしくない。そして食事つきの宿代に比べてかかりを押さえら
れるという地味ながら馬鹿にできない利点もあった。自ら手がけた料理という理由だけ
ではなく、充実した一日の締めくくりとしていただく夕餉は実に美味であろう。
 食後の片付けは翌日の下拵えなどの効率を考えて、自分ともう一人、従者が交代
制で組んで分担するのが常だ。だが今回のような捕物劇が展開されたような日は、そ
の主力となった者は暗黙の了解でローテーションから外される。それは賄い頭にして
彼らの主人である白鳳も例外ではなく、また、そんな風に自発的に発芽し成長していく
彼らの情緒を好ましいと感じた彼が、自らの沽券大事に異を唱えることもなかった。

 ともあれ、そのような次第で今夜の台所仕事は大幅に軽減されることが確定済みな
のだ。秋の夜長をどのように演出し、またいかに楽しむか。夢想の悦びは今から尽きる
ことを知らない。
 今夜の当番は、たしかオーディンだっただろうか。擬人形態モンスター随一と名高い
剛力と体躯、そして細やかな心配りを忘れない繊細な性根とを併せ持った、寡黙な従
者と過ごす宵のひと時は、実に扇情的な―――否。心慰められるものとなるに違いな
かった。

 『我が君、今宵はお役目を果たされたばかりでお疲れでしょう。後は私が責任を持っ
  て適当な者と共に片付けておきますので、どうぞ今宵はお休みを』
 忠義者の彼のことだから、きっとそんな風に切り出して自分に休養を勧めるだろう。
もちろん申し出には甘えさせてもらうつもりだが、そこでほいほい自室に引き上げてし
まうほど、自分も浅慮な真似には及ばない。
 せいぜい、日中の疲労がたまらずにじみ出たような様相で以って、幾分節目がちな
演技なんぞを交えつつ、はんなりと微笑んで見せる。まずは、これが一手目。
 『ありがとう。だけど私が宿を空けている間、お前達には気の抜けない土地での留守
  を任せているわけだからね。疲れたというなら、みんな一緒だろう?私は大丈夫だか
  らね、早く済ませてしまおう』
 ここで、いかにも無理をしています、強がっています、という雰囲気をさり気なく、しか
し確実に醸し出すのが大きなポイントだ。仕掛け側の演技力いかんでは、この一言で
一気に王手へと詰めることも充分に可能だろう。
 だがしかし。この後ムード溢れる一夜を演出したいのなら、ここであっさりと相手に
投了させてはいけない。なんといっても、大人の恋愛には駆け引きが大事なのだ。
 
 『しかし我が君…』
 『……お前は、優しいね』

 気遣わしげにこちらを見下ろしてくる従者に向かって、駄目押しの笑顔を浮かべな
がらその広い胸にぽすんと(ここでの所作の形容は、あくまでも「ぽすん」もしくはそれ
に順ずる、儚さいじらしさを表したものでなければいけない。うっかり気を抜いて「どっか
り」だの「どすん」だの、あまつさえ「すりすり」だのという、擬音を彷彿とさせられる振る
舞いに及んでしまったが最後、思惑の全ては台無しだ)頭を預けてみせる。不意の接
触に、しかし難色を示すはずもない律義者の従者の耳に、吐息と共に吐き出した言葉
は実に情感たっぷりに届くに違いなかった。

 『お前達の半分でも、人が情深い生き物だったら……人間の世界も、もっと生き易い
  ものになるんだろうね』
 なんだか、悔しいくらいだよ―――

 これだ。ここが、非常に重要だ。
 自らの本音を織り交ぜるからこそ、言葉には現実味が増す。それを受け止める側に与
える感銘も比例する。それこそが、その道を説くことで身を立てていけるであろう程の経
験を積み重ねてきた(ただし、取っ掛かりはともかく、詰めの甘さで圧倒的に黒星を掴ま
されている講師の講義が、長々支持される可能性は非常に微妙なところだったが)白鳳
の常説だった。

 『我が君……』

 とどめの一撃を受けて多いによろめいたであろう従者を真っ直ぐに見上げ、後は物言
わずにただ微笑んで見せる。これで完璧な白星だ。
 剛力を売りにするだけあって精力的な…それでいて繊細な一面も併せ持つオーディン
は、その気にさえさせてしまえば実に情熱的なパートナーだった。一端燃え上がった彼
を相手に、あんな事やこんな事に及びながら夜明かしをした思い出も記憶に色濃い。そ
の一つ一つを胸に思い返すだけで、興奮とときめきで体が熱く―――


 「……なんだ?」
 「…いや、なんでもないよ」

 つい夢想の海に飲み込まれどこか遠くを見遣っていた白鳳は、不信感たっぷりにこちら
を見上げてくる双眸に現実へと引き戻され、場をとりなすかのように二、三度咳払いをした。

 色彩も、風体も……どこが似ているというわけでもないのだけれど。
 どこか虚を突かれたような一瞬の表情が…強いてあげるならその眼差しが、なぜか髣髴
とさせられたのだ。
 今でも宿で自分の帰りを待っているであろう、今では唯一の血縁者が人身であった頃に
時折見せた、呆気にとられたような、あきれ返ったような、追憶の日の双眸に。

 すみません―――何故か反射的に、腹の中で謝ってしまう。
 すみません。今の妄想と回想は一部…いや、かなり間違いでした。

 負い目を抱いた相手だからというだけの理由ではなく……あの目に真っ直ぐ見つめられる
と、どうにも自分は弱い。これはもう強迫観念のようなもので、疚しい物思いのさなかに目が
あってしまう度、思わず背筋が伸びてしまうこの癖は、多分一生直らないだろう。
 獲物に向ける緊張はそのままに、しかしいかにも興ざめしたといわんばかりに鼻を鳴らし
てみせる白鳳の姿に、人外は幾分その警戒を緩めたようだった。

 「…珍妙なハンターだ」
 「珍妙で悪うございましたね。でも珍妙でもなんでも、そのハンターに力負けをしたのは君
  の方だからね。いい加減こうしてるのも疲れてきたし、とっととしきたりに従ってくれない
  かい?」

 相手の警戒が弱まったのを肌で感じた白鳳も、敢えて軽い口調で合いの手を返す。とは
いえ、こちらの力量に感服しての譲歩ではなく、どうやらこの身の挙動に呆れての結果らし
いということが、業腹ではあったが。
 ……まあいい。本来であれば、使役される存在ではない人外が、これ以上ないほどに屈
辱的な、人間への隷属を甘受してくれるのだ。その気になってくれるのであれば、理由など
どうでもいい。
 多少…いや、かなり自尊心に障ることではあるけれど。


 「―――で?君の名前は?」
 気を取り直して、わずかばかり胸を張る。幾分意識して下げた声音に、眼前の人外からも
その覚悟を思わせる沈黙と、次いでその胸中を物語る、改められた眼差しが返された。
 人であれ人外であれ、それまでの生活環境や境遇が、全く別個のものに挿げ替えられる
ことを受け入れるまでにはそれなりの時間と覚悟がいる。それを敢えて即決させるような
真似を強いているのだから、これから主と呼ばれる者の心意気として、相手が気持ちを切
り替えるまでのわずかな間くらいは、泰然と待っていてやりたいものだと白鳳は常々自身
に言い聞かせていた。

 時間にして、それは数十秒にも満たない程度のものだっただろう。わずかばかりの逡巡の
後、人外もまたその威儀を正した。
 むっつりと引き結ばれた、形いいその唇から―――聞き手が予想していたよりも、ずっと穏
やかな声音で応えはなされた。
 そして……


 「『お医者さん』」
 「………はい?」
 「だから、『お医者さん』」



 そして、次の瞬間……
 主人の威厳で以って厳かに主従の契りを交わそうと構えていた白鳳の脳裏を、何故か、閑
古鳥が群れを成して飛び去っていった。



                        to be continued……