「―――案外……そうでもないと思うぜ」
瑣末に拘らないその気性をそのまま体現しているかのような、平時と変わらな
い大らかな語調が、感傷に囚われたラフィエルの耳朶を柔らかく打った。
それまで腰かけていた椅子に深く座り直し、ティバーンもまた契機を作るかのよ
うにその居住まいを正す。そうして彼は、少し長い話になるがいいかと言葉を続け
た。
旧友の前で、辛うじて体裁を取り繕えるだけの平静さを保つ事に意識を傾けて
いたラフィエルの反応が、一瞬遅れる。それでも、止め立てしようとも話題を変え
ようともせず、続く相手の言葉を待つ沈黙が、そのまま肯定の応えとなった。
了承の印のように一つ頷くと、どこから話したもんかな、とティバーンがその目線
を遠くする。そうして、数呼吸の沈黙の後、彼は再びラフィエルの名を呼んだ。
「鷺の民……というよりは、白鷺か。お前達が歌う呪歌の中には、一生で二回
しか歌えないって特別製のがあるんだって?」
「ティバーン?」
唐突に何の話が始まったのかと、ラフィエルは、続く言葉を選ぶ事が出来なかっ
た。
まるで世間話のような気軽さで旧友が話題にしたのは、鳥翼の同胞といえども、
種別を違える鷹の民である彼が、本来知りえるはずのない鷺の民の秘め事だっ
た。
彼が言うような特殊な呪歌は、確かにセリノスには存在する。だが、それは対
外秘とされた密歌だ。
種の機密とも呼ぶべき暗黙の了解事を、旧知の仲とはいえ多種族であるティ
バーンが話題に挙げた事に、束の間面喰い、そして、次の瞬間には諦観する。
どんなきっかけがあったのかはともかくとして…・…遠くフェニキスに暮らす旧友
が、こんな情報を知りえるとしたら、その情報網は、ただ一つしか存在しなかっ
た。
機密などと名付けてみても、それを活用できる使い手が同胞以外には存在しな
い事を考えれば、多種族へと漏洩したところで悪用のされようがない。せいぜいが、
外部の世界からは清廉の二文字で物語られることの多い鷺の民の心象が、些か
その色を濁らせるくらいのものだ。自ら望み装って、そう呼ばれる存在となった訳
ではないから、それは今更大した支障にもならない。
だが……弟が、先達より連綿と受け継がれてきたその風習を、軽く考えたが故
に旧友に語り聞かせたのだとすれば、それは問題だ。弟のみならず、自分達全て
の鷺の民にとってティバーンは大恩ある後援者だったが、それとこれとは論点が
違う。
そんな思いが知らず顔に出ていたのか、ティバーンは、ちゃんと理由がある事だ
からリュシオンを叱ったりしてくれるなよと、さらりとした口調で釘を刺した。
となれば、ティバーンの言う理由とやらを聞かない事には、弟の行為の是非も、
判断できない。そこに至る経緯を知るために、ラフィエルは水を向けられた話題に
付き合うよりなかった。
「……ええ。呪歌は口伝が原則ですので、記録には残しません。相手に継承させ
る時に一度謳ってしまいますから、実質的には、生涯一度、というべきかもしれ
ませんが」
「随分と七面倒くさそうな代物だな。つまりは、本来は歌っちゃならない禁呪って
事か」
「多少語弊があるかもしれませんが、概ねそのようなものですね。―――禁呪と
いうよりは、呪歌の持つ力があまりにも強すぎて、歌い手である鷺の心身が耐
えられないのです」
なんだか妙な流れになってきたと思ったが、自分達の種族が抱える秘め事をこの
旧友が聞きかじっている以上、殊更に彼を部外者扱いするのも今更だろう。どこか
釈然としない思いはひとまず飲み込んで、ラフィエルは、専門的な部分をぼかしてご
く大まかに、種族に伝わってきた密歌のシステムについて語り聞かせた。
「呪歌として考えるとひどく特殊なもののように思えるでしょうが、実際には、日常
生活の中でもあり得るような事なのです。……例えば、化身状態であればともか
く、こうして羽も毛皮も纏わない姿でいる間には、剥き出しの素肌は簡単に傷付
きますし、虫にも刺されます。毒素を持つ虫に刺されれば、体内に入り込んだ毒
素を追い出そうとして、体が拒絶反応を起こすかもしれない。……私達が、件の
呪歌を二度歌えないというのは、そういう事です」
一端言葉を切り、自分の説明が冗長過ぎなかったかと、相手の反応を確かめるよ
うに意図した沈黙を作る。
対して、ティバーンは、話題に置き去りにされた風もなく、かといって全てを噛み砕
いて理解できたかと問われれば返答に悩むといった様子で、持ち上げた手で自らの
頭をバリバリと掻き乱した。
「……まああれだ。お前らにとってはその特殊な呪歌が、その毒と同じ様なもんだっ
てことか?一度毒を追いだした体に同じ毒が入れば、場合によっちゃあ結構深刻
な事になる。下手すりゃ死んじまうような……二度目に呪歌を歌うと、お前らはそ
ういう状態になる……ってな事が、言いたかったってことで、いいのか?」
「そうですね。死んでしまうような、というのは大げさな喩えですが、三度目の呪歌
を歌う事が出来ない理由は、そういう事です。正確には、歌えなくなる訳ではなく、
呪歌を奏でる声の質が変わってしまうために、同じ旋律を奏でようとしても歌その
ものが歪んでしまう、という事なのですが……」
そこまで語り、ラフィエルは、この話はこの辺りにしておきましょう、と続く言葉を締
めくくった。
「すみません、少し話題が内輪の事情に偏りすぎましたね。……それで、ティバー
ン……貴方がこの話を始めた理由を、そろそろお聞きしてもいいでしょうか」
問われるままにここまで種の機密を語ったからには、自分にそれを要求しただけの、
理由の正当性を確かめない訳にはいかない。含むものを敢えて隠さなかったラフィエ
ルの言葉を、ティバーンは今度ははぐらかさなかった。
昔話だけだけどな―――と、独りごちるかのような語勢で、語り部が言葉を繋ぐ。
「リュシオンがな。あいつが、昔言ってたんだよ。その歌を、お前から教わったって
な。だから今の話からいけば、お前は後一度しか、その歌を歌えないってことだ
よな」
「……ええ。ですが、今となっては、もう……」
今になってこの話題を水向けしたティバーンの真意は測りかねたが……それこそ、
今更な事だとラフィエルは思った。
ティバーンの言う通り、確かに自分はかつて、幼かったリュシオンに、件の密歌を口
伝している。
本来であれば、鷺王を受け継ぐ白鷺には独自の伝達手順が定められており、直系
とはいえ、当時鷺王の後継者ではなかったリュシオンは、その狭められた経路に組
み込まれていなかった。彼に密歌を教える存在は、後継から外された筋から選ばれ
るはずだったのだ。
だが、リュシオンの発育に合わせ、継承の頃合いかと思われていたその矢先、彼
に口伝するはずだった白鷺が、セリノスの森から忽然と姿を消した。それが、ラフィエ
ルにとっては妹にあたるリーリアだった。
一族のみならず、当時から交流のあったフェニキスやキルヴァスの力も借りて、方々
を捜索したが、リーリアの行方は杳として知れなかった。
以来二十有余年の間―――つい先頃になり、リーリアの消息がようやく明るみに出
た、その時まで途切れることなく、彼女の捜索は続けられた。だが、リュシオンへの密
歌の継承は、適合時期が定められているだけに、彼女を発見するまで先送りにする訳
にはいかなかったのだ。
現王であるロライゼは、第一子であり後継であるラフィエルに密歌を継承している。
よもやの事態に備え、父王の「歌」を失う訳にはいかなかったから、唯一残された選択
肢であったラフィエルが、リュシオンに歌を伝えた。
消去法によって、掛けられた篩に残った自分がその役目を果たした、ただそれだけ
のことだ。それに、種の存続を後押しする最後の保険として口伝されてきた件の密歌
を、女神との戦いを終え平穏を取り戻したこの世界で、自分達鷺が奏でる局面など、
もう訪れはしないだろう。
となれば、残された可能性とすれば、単純な継承を目的とした機会という事になる
が……もう、セリノスに未継承の白鷺は存在しない。種を繋ごうにも、実の兄弟兄妹
である自分達三体の白鷺を除き、番いと成りえる純血の同族も存在しないのだ。
今更な事だ。密歌を引き継ぐべき対象も、それを歌うべき時も、自分達にはもはや訪
れはしないのだから。
だが―――そんな思いを言外に匂わせたラフィエルの応えに、ティバーンは頷かな
かった。
「そうでもないぜ。少なくとも、お前の弟は、そうは思っちゃいないみたいだからな」
「ティバーン?」
「さっきの話な。俺も、リュシオンから聞いたのは随分昔の事なんだが……」
言い置いて、続く言葉を探すかのように、束の間、ティバーンはその視線を遠くした。
「セリノスの森が焼かれて……何とか生き延びたあいつとロライゼ様をフェニキスに
移して、一年位、経った頃だったな。ロライゼ様はまだ眠ったままだったが、リュ
シオンの方は、体の傷も大分癒えて、こっちの暮らしにも馴染み始めてた。そん
な折に、あいつがセリノスの跡地を見たいと言い出してな。見る影もない惨状だっ
てことは解っていたから、見ない方がいいと止めたんだ。それでも、あいつはセ
リノスに行きたいと言い張った。どんな惨状になっていても、自分の育った森の現
状を知っておきたいってな」
「……ええ」
「全て受け止める覚悟があるからと、何日も繰り返し懇願されてな。最後はこっち
が根負けして、滞在は一刻だけって約束で、気候なんかを見ながら、日を選んで
あいつをセリノスに連れて行ったんだ」
今にして思えば、時期尚早過ぎたんだな―――後悔と呼ぶには前向きな、しかし、
ただの言葉の継ぎ穂と捉えるには重すぎる、常よりも低い声音。
「もう二度と戻ってこれない程に焼き払われたセリノスの跡地で、あいつは泣きも
せず叫びもせず、ただ黙って、辺りの景色を見据えていた。ついていった俺達も、
声をかける事が出来なくてな。そうやって、どれくらいみんなして黙りこんでいた
のか……気付いたら、リュシオンが歌っていた」
言って、追憶へと向けられていたティバーンの目線が、思い出したようにラフィエル
へと戻される。そうして向き直った旧友に向かい、彼は、苦く笑って見せた。
「俺はいまだに、お前らの奏でる呪歌ってものを、事細かに理解できちゃいないんだ
が……あの頃は今よりずっと、そういう方面に不得手でな。何を歌っているのかは
さっぱり解らなかったが、まあ、鎮魂歌の類を歌って、同胞の魂を慰めているんだ
ろうとばかり思ってた。……だがどうやら、後で聞いた話だと、リュシオンはその時、
例の密歌ってやつも、歌っていたらしい」
「……っ」
「みんな後になって、気持ちの整理をつけたリュシオンから聞いた、後付けの話だけ
どな。そん時、リュシオンはセリノスを焼き払ったやつらに対する復讐心のままに、
密歌でニンゲン達を呪ったんだそうだ。その反動で自分がどうなろうと構わないっ
て気持ちで歌いきるつもりだったらしい」
刹那―――旧友の意を汲んで、最後まで聞き役に徹しようと思い定めていたラフィエ
ルは、不意に襲った地揺れのような衝動に耐えきれず、持ち上げた両の手の中にその
半顔を埋めた。
伸ばされたティバーンの腕に支えられ、その胸に庇われたかのような互いの体勢か
ら、揺らいだのは地面ではなく、動揺を受け流しきれなかった自分の方であったのだと
思い至る。
酷く気分が悪かった。自分の知らない過去を突き付ける、こんな昔語りはもう聞きたく
ないと思った。
だが……すまないと言葉では詫びながらも、ティバーンは、その回顧を物語る事をや
めなかった。
「……だが、セリノスを追われたばかりのあいつはまだ幼かったからな。頭では仕組
みを理解できていても、それを完全に旋律にして操れるほど、精神が育ち切ってな
かったんだろう。密歌は不完全な仕上がりだった為に不発に終わり、結果、ニンゲン
が呪われる事も、それであいつが本質を歪めてしまう事もなかった」
「ティバーン……」
「後悔はしないと、そう言っていた。失った同胞達を癒し慰めるには、こんなものではま
だ足りない。ニンゲン達の犯した所業は、こんな呪歌一つで、到底贖いきれるもので
はないってな。……ただ……」
言って、ティバーンは続く言葉を一瞬飲み込んだ。呼吸を整える程の僅かな沈黙の合
間に、まるで相手の覚悟を促すかのように、支えるラフィエルの肩にぐっと力を込める。
鷺の民としての耐性を考えれば、それは許容できるぎりぎりの力加減だったが……苦
痛を訴える間もなく、続けられた旧友の言葉に、ラフィエルは、束の間自失した。
「馬鹿な真似をしたと、あいつはそうも言っていた。この歌はたった二度しか歌えない。
その内の一度は、兄上の為にけして使う訳にはいかないのに……自分の力量も弁
えず先走って、その一度を無駄にしてしまった。馬鹿な真似をした、と」
「……っ」
「ラフィエル……まだ消息も知れなかったお前といつか再会した時の為に……いつか
きっと、お前がお前の血筋を残す事を信じて―――あいつは、その時が来るのを待
ち続けて、自分の呪歌を、封印したんだ」
TO
BE CONTINUED...
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