翌々日―――
女神の人知を超えた力に支配され、人の身の体感時間さえ狂わせる特異な結
界が張り巡らされた導きの塔から、ユンヌ軍の精鋭達は帰還した。
ベオクの、ラグズの身でありながら、自分達の祖となる存在を世に生み出した、
女神を相手取り戦ったのだ。無謀とも思える戦いには当然多くの障害が立ちはだ
かり、ユンヌ軍には多くの負傷者が出た。
女神アスタルテの支配を逃れたことで、封印の解かれた塔内部から帰還した精
鋭達は皆一様に疲弊し、自力で立ち動けない者も少なくない。その凱旋の様子は
必ずしも晴れ晴れしいものとは言えなかった。
だが……その凄まじい戦禍とは対称的に、ユンヌ軍の軍勢は、ただの一人も、
戦死者という脱落者を出さなかった。女神に打ち勝てた事はもとより、その事実
そのものが、女神により生み出されたベオク、ラグズ達にとって、大きな奇跡だっ
た。
その夜、激戦を耐え凌いだ精鋭達を労う為、そしてユンヌ軍勝利の高揚を全軍一
丸となって分かち合う為、陣営にて急ごしらえの祝勝会が開かれた。
宴の主賓となるのは、当然導きの塔内部まで乗り込んでいった精鋭達だ。満
身創痍の者も少なくない中、それでも軽傷者や、数時間の仮眠をとって多少なり
とも生気を取り戻した者などは、体の自由が許す限りはそのほとんどが参加して
いる。
激戦の労を癒されたいという思いもあったのだろう。だが、それ以上に、戦場と
いう異常な空間に長くその身を置いてきた精神的な負荷を取り除くために……そ
して、同じ緊張を長く共有してきた同胞達と、その「区切りの時」を共に迎える事
が、軍部の統率の為にも必要な「儀式」である事を、彼らは本能的に知っていた
のだ。
そういった背景もあり、軍の主だった者ほとんどが参加した祝勝会に、しかし、
精鋭達の補佐役として並みならぬ功労を上げた一人であるリュシオンは、顔を
出す事が出来なかった。
多種族に比べて圧倒的に身体能力に劣る鷺の民でありながら、人知の及ばな
い閉ざされた世界で最後まで戦い抜いたのだ。余人の基礎体力からは比較しよ
うもない程儚い存在であるリュシオンが、あの決戦の場に立ち続けただけでも想
像を絶する苦行であった事だろう。ここまで押し通した無理のしわ寄せか、リュシ
オンは塔から帰営早々、高熱を出し伏せってしまったのだ。
軍有数の功労者である以前に、その外見と独特の気性との差異がある種軍の
名物でもあったリュシオンの欠席は軍の主だった者達を少なからず落胆させたと
いう。
だが、そんなリュシオンの帰還を待つ間に、気を揉みすぎた彼の兄王子までも
が同様に発熱で寝込んだという話が、時を同じくして軍を走り抜けた。鷺の民の体
力の「平均」を実例付きで示され、そんな鷺の民としてはリュシオンが規格外の存
在である事を、改めて思い知らせれた彼らは、それ以上何も言う事が出来なかっ
た。
欠席者が出た以上、さしあたっては宴席の参加に支障がない他の参加者達は
尚の事酒席を中座する訳にもいかず、結果として、宴酣を過ぎ「お開き」を迎える
る夜半近くまで、彼らは望むと望まざるとに関わらず、宴席に拘束された。それは、
ユンヌ軍の指揮官を任された将達にしても同様である。
そういった事情もあり、件の白鷺兄弟達との間に交々の屈託を抱えたままアス
タルテとの決戦に臨むこととなったティバーンもまた、懸念材料であった彼らへの
見舞いを、宴の熱気が収まる夜半過ぎまで、繰り延べせざるを得なかった。
祝宴が終わり、日付も変わろうかという時分―――ティバーンはようやっと、白
鷺の兄弟が静養しているそれぞれの天幕を訪ねる事が出来た。
時間帯もあり、訪ね人が眠っているようなら翌朝出直す事を覚悟しての訪問だっ
たが、予想に反して、白鷺王子の伴侶である狼の女王は、ティバーンを門前払い
することなく彼の見舞いを許可をする。
旧友の仲介で初めて顔を合わせて以来、あまり友好的な関係とは言い難い女
王の意外な譲歩に幾分拍子ぬけた思いで天幕の中に入る。と、ティバーンの予
想に反し、ラフィエルは、顔色が優れないながらも寝台の上に身を起して、ティバー
ンを待っていた。
「―――よぉ。熱を出したって聞いたが、思ったより元気そうだな。起き上がって
も平気なのか?」
「ティバーン……」
旧友の名を呼ぶラフィエルの声音が、いつも以上にかそけく頼りない響きを帯
びて聞こえるのは、恐らくは、発熱による消耗の為だけではないのだろう。
ティバーンがラフィエルと最後に顔を合わせたのは、アスタルテとの決戦を翌日
に控えたティバーンの天幕だった。その折に、リュシオンの情緒面の発育を憂慮
し、彼のフェニキスでの暮らしぶりにまでその懸念を及ばせたラフィエルの陳情は、
決戦前の慌ただしさに紛れて宙に浮いてしまった状況にある。
どこか緊張した面持ちで自分を出迎えたラフィエルの様相からして、彼の抱える
鬱屈は未だ解消されてはいないのだろう。しかもその陳情の中で、できる事なら
知りたくはなかったであろう、生き別れていた時分のリュシオンの過去世を段階す
ら踏むことなく、彼は一足飛びに知らされたのだ。
弟と生き別れていた二十有余年の出来事を、事実として端的に並べられただけ
で、簡単に納得できるはずもない。己の見聞きできなかった弟の過去を彼が心底
から受け入れられるようになるには、相応の時間が必要だろう。
彼にその衝動を与えたのは、フェニキスにおけるリュシオンの保護責任を負って
いたティバーン自身だ。旧友の身内を預かってきた存在として、殊に、その情緒面
における規格外の発育について、彼の本来の保護者であるラフィエルに対し、自
分は責任を負わなければならなかった。
決戦を終え、事後処理を控えているとはいえそれなりに時間の自由がきくように
なった今なら、ラフィエルの抱える鬱積に彼の気のすむまでつきあうことも吝かで
はない。未だ幼少期にあったリュシオンを良くも悪くも変えたのは確かに自分であっ
たから、その責任から逃れようとは思わなかった。
だが……ラフィエルの知り得なかったリュシオンの二十有余年に対する詫び言
よりも、猛禽の国で生き抜いていけるようにとリュシオンを育て上げた自身の信念
を陳述するよりも……今、自分はこの旧友に、伝えたい言葉があった。
「……ここに来る前に、リュシオンにも会ってきた。まだ熱は高そうだが、汁物程
度は口にできる位には回復していたからな。ゆっくり休めば、すぐに調子を取
り戻すだろう」
「……そうですか」
「起き上がれるようになったら、あいつの方からお前に会いに来るだろう。言いた
いことは色々あるだろうが……まずはさておき、褒めてやってくれ。あの過酷
な場所で、丸二日以上も戦い抜いたんだ」
リュシオンが負の感情に馴染んでいくことにあれほどの危惧を示したラフィエル
が、戦場における弟の武勇伝を喜ぶとは思えなかった。だが、そうして諍いを疎
む思いばかりが先走り、敬愛する兄に眉を顰められてしまっては、鷺の民の限界
を超えてまで戦い抜いたリュシオンの覚悟が、あまりにも哀れだった。
よく勝ったとは、言わなくていい。偽りを口にできない鷺に、それはあまりにも酷
な要求だ。だからせめて、よく生き抜いたと。
脆弱な鷺の身で、常人であれば発狂しても不思議はないほどのあの特殊な空
気の中、最後の最後まで生き延びたのだ。その労苦を、誰よりも、彼の身内であ
り同族であるラフィエルに労ってやってほしかった。
鷺特有の読心能力を承知の上で、敢えて己の心を閉ざさなかったそんなティバー
ンの思いをどう受け止めたのか、ラフィエルはしばらくの間、無言だった。
発熱によるものか、平時よりどこかぼんやりとした目線がティバーンを見、天幕の
入り口を見、自身が纏う寝台の掛け布を見る。そうして再び眼前のティバーンへと
その視線を戻し、彼はおもむろに、口を開いた。
「ティバーン……」
平静さを失った先日の問答時ならばともかく、一端時間をおいて自身を取り戻し
たであろう今のラフィエルが、身内可愛さから盲目的にリュシオンの「変化」を嘆く
ようなことはないだろう。全ての事象において公平さと調和を尊ぶ鷺の民の習い性
から、彼はきっと弟の過去よりも今後に目を向けた、建設的な見解を自らに求める
はずだ。
だから、結果としてリュシオンの「変化」を彼に強いる形となった自分に対しても、
陳情にしろ糾弾にしろ、きっと平静な対話を彼は望んでいるに違いない―――
そんな旧友の思いに少しでも沿いたいと、彼の続く言葉を待つ姿勢に徹したティ
バーンに向かい、ラフィエルの繋いだ二の句は、しかし、彼の思いもよらない類の
ものだった。
「…… へッツェル殿 ……アニムス公を、あなたが……」
「……っ」
自身の旧知の名を口にしたラフィエルの語調に、激情を悟らせる響きはなかった。
彼は息災かとでも訪ねているかのような、穏やかに凪いだ声音。だが、その平時と
変わらぬ語調の問いかけとは裏腹に、あの閉ざされた空間で、件の人物とティバー
ンがどのような対峙を果たしたのか、彼が既に承知していることは明らかだった。
対する世界の全てと映し出す、澄んだ湖面のような、その双眸。自身の心を敢え
て閉ざすことなくラフィエルと向き合った時点で、彼に隠しごとなどできない事はティ
バーンにも覚悟の上ではあったが……ただ静かに自分を見遣る旧友の視線に、我
知らずティバーンは怯んだ。
アニムス公爵、へッツェル―――女神アスタルテの使徒としてあの閉ざされた塔
の守りを担っていた元老院議員は、ラフィエルを自身の手飼いとするべくその私欲
の手を伸ばした存在だった。あまつさえ、後のセリノス大虐殺を引き起こした元凶の
一人でもある。
様々な巡り合わせの妙にも助けられ、ラフィエルは再び、僅か残された彼の同胞
達と再会を果たす事が出来た。放浪の果てに出会ったのだという彼の伴侶は一国
を統べる女王であり、将来を見越した問題はいまだ山積みなのであろうが、それで
も互いを深く慕い合っているらしい二人の姿を見れば、祖国を遠く離れた地でのラフィ
エルの暮らし振りがうかがえる。彼の地で過ごした時間が彼の孤独を癒すものであっ
たことを、素直に喜ばしいことだとティバーンは思っていた。
だが……そういった朗報を以てしても、けして拭い去れない喪失の痛みが、ティバー
ンには……否。ラグズ達には存在した。
ラグズの世界でも特別な存在であったセリノスの鷺達の虐殺の記憶は、今でも深
い痛みと怨恨を、その構成員であるラグズ達に共有させている。平時でさえ希少な
存在であった、セリノス王族の証を体現する白鷺達が生存していたという一報も、救
いにこそなれ、彼らが味わわされた衝撃を帳消しにできるものとはならなかった。
そして、そういった、ラグズという種全体が共有する痛みとは別のところで、ティバー
ンには、セリノスの虐殺を図ったベオク達に対して収めどころのない憤懣を抱いてい
た。
旧友がその背に抱く、一対の純白の翼―――
種の違いから、けして自分が抱くことのないラフィエルの双翼を、ティバーンはその
出会いの日から、ある種敬虔とした思いで以て、見つめてきた。
その純白の翼に、ラフィエルの価値を見出してきた訳ではない。深窓育ちの白鷺
と言えども、彼が自分達となんら変わらない、その原始を同じくする鳥翼の一員であ
るのだという認識は、彼と親しむ毎に自分の中に根づいていった。
だが、それでも……そうした種としての同調とは別の次元で、ラフィエルや、彼の
弟妹達の背に広がる双翼は、ひどく不可侵なものであるように、ティバーンには思え
てならなかったのだ。
だからこそ、その双翼から羽ばたきを失わせるほどの衝撃をラフィエルに与え、彼
から飛ぶ力を奪い取ったその原罪を、ティバーンはけして、見過ごすことはできなかっ
た。
明け透けになった自分の心を通し、ラフィエルが今見つめているのは、あの塔の中
で、守備に就いていたアニムス公爵へッツェルを手にかけた瞬間の自分の感情なの
だろう。そうして自分の感情を追体験することで、当時塔内部で何が起こっていたの
か、ラフィエルは我が目で見届けたかのように認識したはずだ。
手酷い裏切りを味わわされ、その翼から飛翔する力すら奪い去るほどの悲しみを
突きつけられて尚、心優しい旧友は、彼にそれを強いたベオクを手にかけた自分の
所業に心を痛ませるのだろう。
だが……自身の内に籠り、近しい身内との軋轢に葛藤して自家中毒を起こさせる
よりは、他者に向けて負の感情を曝け出す方が、まだしも彼の精神の安定を図れる
だろう。
長兄であるという自制から、きっとリュシオンに向ける事が出来ないであろう屈託
した思いの分まで、ティバーンは、ラフィエルの精神衛生に支障をきたさない限界ま
で、彼の非難を真っ向から受け止める覚悟をした。
その気性から、手酷い非難の言葉を彼が自分に叩きつけることはないだろうが、
平時の儚い風情に慣れ親しんでいるだけに、その愁いを湛えた眼差しに射抜かれ
るだけで相応の衝動を受ける。それでも、言葉少なにでも彼の激情を吐き出させて
やることが今の自分にできるせめてもの労いであると、ティバーンは自分を見据え
る旧友の続く言葉を、威儀を正すようにしながら待った。
だが……旧友の心境を慮ったティバーンの予想は、続けられた旧友自身の言葉
によって、またもや裏切られる形となった。
アニムス公爵との一件をそれ以上追及することなく、その予想の正誤を重ねて問
う事もなく―――長い沈黙の末、ラフィエルは、ティバーンに向かい、深くその頭を
垂れたのだ。
「…………ありがとう、ございます…」
TO
BE CONTINUED...
お気に召しましたらこちらを一押ししてやってください。創作の励みになります
FE蒼炎の軌跡&暁の女神部屋へ