confession 9






 縋りつくようにして、青年がその顔を埋めてしまった自身の胸元が、じ
わりと湿り気を帯びていくのが解る。そんな青年の衝動の程を身を以て
感じながら、ピッコロは、この膠着状態を打開する為の第一打を、どの
手立てとタイミングで成すべきかと思案していた。 

 今の悟飯は、自らの「失言」に打ちのめされている。とにかく興奮状態
を宥め、正常な思考能力を取り戻させた後でなければ、まともに話もで
きないだろう。
 なにより、自らを暗示にかけているかのような、強い思い込みの鎧でそ
の心を覆っている内は、何を言っても効果は望めないはずだ。父親に対
する屈託を自身の業のように捉えているらしいこの青年から、まずはそ
の思い込みを取り除いてやらなければならなかった。

 だが、これほどまでに強固に作り上げてしまった心の鎧を強引に取り
外そうとすれば、それを纏う悟飯の心に傷をつける。そうして剥き出しに
なった傷跡の上に、自然治癒を待つことなく新たな薄皮を被せてしまえ
ば、表面上は完治したように見える傷跡の下で、この青年は、癒し切
れない古傷をずっと抱えて生きていくことになるのだ。
 
 当の悟飯自身がこの異常なまでの緊張を解き、無防備になった心で自
ら鎧を外してくれれば、余計な負荷をかけることなく、その鬱屈の温床を
根絶やすことができる。その方向に先導してやるのが一番いいのだろう
と、ピッコロは思った。
 しかし、相手は年端もいかない子供ではなく、いっぱしの分別も価値観
も持った青年だ。この状態の悟飯を、可能な限り無理なく無防備な状態
に仕向けるとなると……



 生物が、自身の最も無防備な姿を晒す瞬間というものは、その種族に
よって大別されることなく、概ね共通していた。

 睡眠や排泄、生殖といった、生物である以上は切り離せない、生命活
動の一環においてもそうだ。天敵のいる生物であれば言わずもがな、犬
や猫でさえも、自らのテリトリーでもなければそんな姿をおいそれとは晒
さない。

 対外に向けて憚る理由には根本的な差異があるが、人間にしても、そ
れは同様だった。よほどくつろげる場所か、信頼のおける相手か……そ
ういった要素が重なって初めて、人間は無防備になる。無防備になるか
ら、自分を曝け出すことができた。

 では、悟飯の場合はどうなのかと、考えてみる。

 幼い頃より頻繁に、生家との行き来を繰り返してきたこの神殿は、少
なくとも彼が気を張らずに過ごせる場所ではあるだろう。下界が気忙し
くて集中を乱される時など、気持ちを落ち着けることだけを目的に、こ
こに滞在することもあった。

 ほんの子供の頃からの付き合いである自分に対し、今更悟飯が気後
れするとも考えにくい。むしろ当初は距離を置きたがったこちらが呆れる
ほどに、ようやく分別が付く程度の年頃だったこの青年は、その生来の
実直さで、自分の心の深淵にまで入り込んできたものだ。
 成長とともに青年は自らの世界を広げていき、彼にとっての自分が、
昔ほどには絶対的な「世界」ではなくなったのだということも解っていた
が、それでも、自分に寄せる青年の信頼は今でも変わらない。
 悟飯とは、そういう青年だった。

 だが、その悟飯がこの神殿で、自分を前にして、その胸の内をどうし
ても吐き出せないと言う。
 身を置く環境でも、吐露する相手でもないのだとすれば、原因は、悟
飯本人の中にこそあるのだろう。それならば、そうして固くしこってしまっ
た彼の心を開け放しの状態にするには、多少の荒療治が必要だった。

 強引に剥ぎ取ることはできない心の鎧を、しかし、多少の無理は承知
の上で、悟飯自身に外させなければならない。それを可能にするために
も、別の自我を持つこの立ち位置から、きっかけとなるものを青年の心
に放り込んでやらなければならなかった。


 ならば何が一番の有効打となるのかと、自問してみる。

 人が最も無防備な状態になる時というのは、人の欲求に密接した行為
を要因とすることが多いと聞く。
 食事、睡眠、排泄、生殖―――それらの中で、意識を失うことなく、ま
た、自らの意志だけでは成り立たない行為となると……

 それが本当に正しい選択となるのか、一度は神と呼ばれた身であって
も、断言できるはずもなかった。外部からの「ゆさぶり」が有効な手立て
だと確信はしても、その手立てを間違えば、青年の心の傷を抉るばかり
か、反って新たな傷を負わせてしまう恐れすらある。

 それは、仕掛けるピッコロにとっても、相当の覚悟を強いられる選択
だった。できることなら、このまま悟飯が自ら平静さを取り戻してくれれ
ばとさえ思う。
 
 「……悟飯」

 自分に縋りつく青年の名を呼ばわったのは、最後通告のつもりだった。

 「悟飯……ここには俺しかいない。お前が今、何を抱えていようとも、
  父親としても人間としても孫を慕っていることを、俺は知っている」

 ―――それでも、それは言えない思いなのか?


 緊張に、喉の渇きさえ覚えながら続けられた問いかけ。
 だが……腕の中でますます身を強張らせた青年の姿が、言葉よりも雄
弁にその胸の内をピッコロに伝えていた。
 促すような呼びかけにも顔を上げず、自分の目線から逃れようとでも
するかのように縮こまらせたその全身で、悟飯は、けして白状するもの
かとでも言うようにピッコロの追及を拒絶している。

 やはり駄目なのかと……絶望にも似た思いが胸襟を掠めた。苦汁の
ように胸を焼き、ややもすると諦観の言葉へとなり替わりそうなその衝動
を、ピッコロは、辛うじて喉奥で飲み下す。

 自ら決めたことだ。それより他に手立てを思いつけないなら、迷った
り躊躇ったりするだけ時間の無駄だ。
 逡巡すれば、それだけ成功率も低下する。この手立てと定めた以上、
半端な「ゆさぶり」は徒労に終わるだけではなく、悟飯に無駄な傷を負
わせる結果を残してしまうだけだった。

 だから……自分が迷っては、絶対に駄目だ。ここで自分が躊躇えば、
巻き添えを食った挙句に何の結果も残してやれなかったことになる悟飯
が、あまりにも報われない。

 
 「……そうか」

 言い放つなり、奔放に跳ねる後ろ髪を掴むようにして、胸元に縋る青
年の体を引き剥がす。虚を突かれた表情で自分を見上げてくるその青
ざめた容色に、ピッコロは、息がかかるほどに自らの顔を近づけた。

 「お前の気持ちを尊重したいと思ったが……お前がそう言うなら仕方
  がない。俺も、俺のやり方を通させてもらうぞ」
 「ピッコロさ…っ」
 「こんなことで、お前が自家中毒に陥っていく姿など、これ以上見せ
  つけられてたまるものか」

 これが正しい手立てであろうとなかろうと、もう構わなかった。自分
一人の処断など、如何様にも甘んじて受けられる。
 この選択によって、最後には悟飯が報われる結果を残してやれるな
ら、それだけでいい。自分の為の口実など、望もうとは思わなかった。


 敢えて手心を加えない所作で、向き直った青年の体を寝台の上へと
突き倒す。 
 事の成り行きを図りかねてか、呆然と自分を見つめてくる悟飯の視線
を正面から受け止めながら―――どうかこれで潰れてくれるなと、誰に
向ければいいかも解らないままに、ピッコロは、青年のこの先の未来を
祈った。

 
                           TO BE CONTINUED...

   
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