confession 8





 夜気を震わせる荒い呼吸音が、徐々に静まっていく。
 一度は内面から込み上げてきた衝動をやり過ごせたらしい悟飯の体から
力が抜けるのを確かめると、ピッコロは、それまで彼を支えていた腕を解
き、その総身を寝台の上に解放した。
 その上で、改めて居住まいを正し、青年へと正面から向き直る。

 「悟飯……」

 相手の決意を促すように、抑えた声音でその名を呼ぶ。まだ情動の名残
を残す双眸をしばたたかせながら、落ち着かなそうに目線を伏せようとす
る悟飯の逃げ腰を、ピッコロは許さなかった。

 「悟飯。ここに引き留めておきながら、この五日間中途半端な状態のま
  まお前を放り出して悪かった。だが、これではっきり解っただろう」

 お前はもう、限界なんだ―――言って、意図して数歩詰め寄った距離から
青年の顔を覗き込む。寝台の背もたれに阻まれて後辞さることもできない
悟飯の総身が新たな緊張に強張るのが傍目にも見て取れても、不自然でさ
えある互いのその距離間は、覆らなかった。

 「これ以上一人で抱え込もうとしても、これはもう、お前一人で処理し
  きれない問題だ。それを承知で無理を通せば、皺寄せは、お前自身に
  返ってくる。……そんな真似を、俺の目の届く場所で見過ごすことは
  できない」
 「ピッコロさん……」
 「お前の抱える一番の屈託は、孫の事だろう。……吐き出してしまえ。
  何を、そんなに怯えている?」

 狼狽の色を見せる青年の機先を制するように、死に別れた当初の罪悪感
でも再び見送る未練でもないのだろうと、言い添える。そうして青年の逃
げ道を取り上げた上で、ピッコロは、問答を開始した。

 「孫と再び顔を合わせることに、そこまで気後れしなければならないの
  は何故だ?そもそもあいつは、自分の意志でこの世界に戻らないこと
  を選択したんだ。蘇生の手立てを探すことを拒んだのもあいつ自身だ。
  お前が気に病むことはない。それはあの当時にも何度も取り沙汰して
  きた問題だ。解っているな?」
 「……はい」
 「武道会が終われば、またすぐに孫と別れなければならないことも、お
  前は最初から納得していた。今更、そのことに耐えられない程お前の
  覚悟が半端なものだったとは、俺には思えない。……そうだな?」
 「……はい」

 ならば何故だと、視線だけで言外に問いかける。
 途端、再び泣き出しそうにその眉尻を下げた青年を、ピッコロはそれ以
上急き立てなかった。

 カウンセリングの手立てなど全くの門外頼であるピッコロにとって、日々
の接触の中からその糸口を探りだし、さりげない働きかけを繰り返してこ
の青年の屈託を取り除いてやるなどという芸当は、到底こなせない。だか
ら、まずは青年が自ら飽和状態に陥るのを敢えて待つことで、命題に向き
合うきっかけは作った。
  
 重要なのは悟飯をその命題に向き合わせるということで、そこから先は、
解決を急ぐことに何の意味もない。強引にその口を割らせるような真似を
すれば、表層だけを削り取った不発弾が、間違いなく悟飯の中に取り残さ
れてしまうだろう。

 それでは事態を悪化させるだけだ。ここで……否。孫悟空が再び現世を
去るまでの間にこの屈託を根底から瓦解させてしまわなければ、悟飯は一
生、収めどころを失った衝動を抱えながら生きることになる。
 自分も含め、周囲の人間すべてが、当時まだほんの子供にすぎなかった
この青年に大人の分別を求め、地上の未来を託した。時勢の流れに巻き込
まれ、そうして周囲の望む結果を勝ち取るために、年相応の振る舞いを封
印せざるを得なかった悟飯に、今更ただ素直に自分を吐き出せと言っても、
それも無体な事だろう。

 闇雲に語らせようとしても、言葉を吐き出すことすら難儀しているよう
な状態で、自分の底意を手繰り寄せることは容易なことではないはずだ。
そのための契機は、仕掛けたこちらが与えてやらなければならない。
 どう思うか、などという抽象的な水向けではだめだ。それこそ諾か否か、
どちらかを選ばざるを得ないような限定された選択肢を与えなければ。
 それならば……

 再び青年との距離を置くために、寝台の端に腰を下ろして視線の交錯を
避ける。そうして青年に適度な自由を取り戻してやりながら、ピッコロは、
慎重に続く言葉を選んだ。

 「……孫に会う事が、恐ろしいか」
 
 寝台がギシリと軋み、青年が体ごと向き直った気配が使わってくる。そ
れでも目線を交わすことなく、諾か否かを言外に促すように、ピッコロは
弟子の名を呼んだ。
 ややして……平時であれば耳にする機会もないであろう、蚊の鳴くよう
な頼りない声が、それでも最後には、はいと応えた。

 「そうか」
 ようやく一歩前進したと、腹の底で安堵しながらさりげない語調で相槌
をうつ。そうして、仕掛け人は質疑の言い回しを変えた。

 「孫に、会いたくないのか」
 「…っ」

 問いかけた刹那、背後から聞こえた悲鳴のような吐息がピッコロの耳朶
を打つ。飲み下すこともできなかったのであろう青年の動揺の程を知りな
がら、それでもピッコロは、投げかけた言葉を撤回しなかった。
 「悟飯。答えは諾か否かの、どちらかだけだ」

 これが反則技であることは、仕掛けたピッコロ自身よく解っている。そ
れでも、青年が抱える屈託の要因の端を発するものがここにある事に気づ
いておきながら、呵責に負けてそれを見過ごすことはできなかった。

 下界の喧騒から隔絶され、耳の痛くなるような静寂に支配された神殿の
一室に、青年の荒い呼吸の音が浸透していく。不規則に乱れるその音を聞
き流す呵責に耐えながら、ピッコロはただ、時を待った。

 十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ―――少しは気を取り直したのか、荒れていた
呼気が幾分落ち着いたものとなる。そうして、自らを鼓舞するためにか、
青年が大きく息を飲み込んだ気配が伝わってきた。
 そして……   

 「……はい…っいいえ!」

 間髪入れずに続けられた二つの応えは、しかし双極を示したもので……
その相反する言葉こそが悟飯の鬱屈の核を成すものなのだと、仕向けた
ピッコロの認識を新たにした。
 改めて青年へと向き直り、己の口にした応えを自覚したのか、愕然と
した表情に固まっているその容色を覗き込む。そうして、ピッコロは動
揺を見せる悟飯の背中を押すかのように、抑えた声音でその名を呼んだ。

 「悟飯」
 「っちが…っいいえ!いいえ違います!」
 「悟飯……」
 「違う!そんなこと…そんなはずない!違うんです!」

 打てば返るような響きのよさで、平時よりも上ずった声が何度も否と
繰り返す。だが、言い募れば言い募るほど、その容色から血の気が失せ
ていく様を、見逃せるはずもなかった。

 己の発した言葉が、思いもかけない負荷となって圧し掛かっているの
だろう。懸命に頭を打ち振って否定の言葉を繰り返す悟飯の双眸が、縋
るような切実さでピッコロを見据えてくる。
 自分の失言を打ち消してくれと……今にも溢れ落ちそうな情動の発露
を湛えた黒い瞳が、そう訴えていた。

 「……悟飯」
 「違います!ピッコロさん違うんです!おと、お父さんに…僕は…っ
  違うんです…っ!」

 拠り所を求めるかのように、伸ばされた両の手がピッコロの肩口を掴
む。そこから戯れではすまされない負荷がかけられるのを感じながら、
ピッコロは多少の困惑を隠せなかった。

 ここまで見極めれば、父親との再会に際し、悟飯が抱えている複雑な
懊悩の程は明らかだった。後は、それを自身で自覚し、小出しに吐き出
して昇華させればいいだけだ。
 母親も、年の離れた弟も、かつて共に歴戦を戦い抜いた仲間達も、こ
こにはいない。他に聞き咎める者もいないこの隔離された空間で、何故
これほどに己の腹の底を晒すことを拒むのか……ピッコロには解らなかっ
た。  

 そして同時に―――脳裏を掠めた、一つの懸念が膨れ上がってその存在
を主張する。
 それは、これで無理なら、もう悟飯はどこに場所を移しても、己の鬱
屈を昇華できないだろうという事だった。

 ここが正念場なのだ。ここで悟飯を自身の鬱屈から解放してやれるか
どうかで、きっと、この先の青年の未来までもが、変わってしまう。

 手前味噌と笑われようが、弟子馬鹿と呆れられようが、この青年が自
分に寄せる信頼を、今更疑う余地などどこにもない。だからこそ、彼は
助けを求めて、この神殿までやってきた。
 血を分けた身内にも、下界で交流を持つ仲間達にも明かせない思いだ
からこそ、自分を頼ってここに来たのだ。これで、自分にもその胸の内
を曝け出せないというのなら……   


 背筋が冷えるような畏怖の念を抱きながら、辛うじて取り繕った鉄面
皮で、自分に縋りつく青年をピッコロは凝視した。
 中継ぎに過ぎなくとも、一度はこの地上の神と呼ばれた身の叡智にか
けて、この青年が自ら縛られている戒めから、何としても解放してやら
なければならない。どれほど分が悪くとも、それが、この青年の人生を
大きく歪める原因となった、自分が果たすべき責任だった。
 
 伸ばされた両腕からいつしか力が抜け、ずり落ちた指先がピッコロの
上衣に縋る。そうして自分の胸元に顔を埋めてしまった青年が、堪えき
れず嗚咽する姿を見つめながら―――ピッコロは、けして引き下がるわけ
にはいかない一つの賭けに出ようとしている自分自身を、鼓舞するよう
に一人居住まいを正した。


                   
                              TO BE CONTINUED...

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