生辰〜long for something






  断続的な打撃音が、人里離れた山野の森閑とした空気に浸透する。
 互いの隙を縫うように仕掛け合うその音は、時折不規則な衝突音を挟みながら辺りの静寂
を乱し続け、半時ほど継続した後、始まった時と同じく、唐突に静まった。
 
 


 「―――よし。休憩にしよう」

 騒音の発生源である長身の異星人―――ピッコロに声をかけられて、その片割れである少年
もまた、最後は防戦一方だった、迎撃の構えを解く。かろうじて張り上げた声音でありがと
うございましたと一礼すると、少年―――悟飯は、その場にへなへなと崩れ落ちた。
 気弾の類を用いない、純粋な体術のみを以て競り合う実戦形式の手合わせにおいては、ピッ
コロに一日の長がある。死角を感じさせない多彩な手数を仕掛けてくるピッコロとの鍛錬は、
そのまま頭脳戦へと雪崩れ込む事も多く、全霊で迎撃する悟飯の消耗も、その分激しかった。

 
 来たるべき人造人間との決戦のため、ピッコロが孫家に居候してから、およそ一年―――成
長期の只中にある悟飯は、その発育も逞しく、日々自身の体を変化させていた。
 幼年期から少年期に入り、身長や体重も順当にその数値を伸ばしていく。そうした体の発
育に伴い、決戦を見据えた悟飯の修行には、他の大人達とは異なる采配が必要だった。

 気弾の打ち合いなど、相手との距離を取った戦いにおいてはさして問題を覚えなくても、
接近戦を展開する際、互いの体格差というのは、勝敗を分ける重大な要素だった。
 互いの身長差は言うに及ばず、手足の長さ一つをとっても、実戦に対する備え方は違って
くる。当然、リーチの長さは接近戦を有利に運ぶ要素となるが、それ以上に、対峙する相手
に対して自分の手足がどこまで伸びるのか、相手の体格に対してどれだけの間合いを測れば
いいのか、そういった物理的な差異を把握しておくことは重要だった。

 悟空もピッコロも、既に体の出来上がった成人だ。日々の鍛錬は欠かせなくとも、そういっ
た采配については、既に身についた習性を活かせば事足りる。だが、成長期にある悟飯につ
いては、そういう訳にはいかなかった。

 件の人造人間については、未来から来訪したサイヤ人の青年から口伝で情報を得ただけで、
誰一人、直接見えたわけではない。それだけに、いざ実戦となった時、互いの体格差などの
データは実地で収集していくよりほかになく、その条件は、人造人間に挑む仲間たち全てに
共通している事だった。
 それでも、既に知り尽くした自らの身体データと、実戦における経験から予測を立てるこ
とが可能な周囲の大人達に対し、今後も身体の成長を繰りしていく悟飯は、決戦の直前まで、
そういった予測を立てる側から調整していかなければならない。そして同時に、その都度、
人造人間に対し有効と思われる戦い方を、組み立て直していかなければならなかった。

 場合によっては、ほぼ振出しに戻って対策を練りなおさなければならない現状はあまりに
もまどろっこしく思われたが、それでも、人類最凶と評された敵との戦いに向けて、手抜か
りは許されなかった。ましてや、悟飯の存在は、人造人間に対する迎撃チームの中で相当に
比重が大きい。その悟飯が成長期故に幾度となく調整を強いられるのなら、周囲の大人達が
一丸となって、それを支援してやる必要があった。

 悟飯の育成指導については、主にピッコロが陣頭指揮を執った。幼少時よりその戦い方を
熟知しているピッコロの目には、実父の悟空以上に、少年の身に染みついた「癖」がよく見
えている。そして、基本となる戦闘の型そのものを自ら仕込んだこともあり、成長に合わせ
た調整を行うのに、これ以上に打ってつけの指南役も他にいなかった。

 対人造人間に特化した修行を開始した当初、悟飯の現状を再認識したピッコロが、まず少
年に課したのは、自らの攻撃の型を、相手に応じて柔軟に変化させる事だった。
 来襲が想定されている人造人間は二体。未来からやってきた青年の言によれば、それぞれ
に異なった特性を持つという。実戦となれば敵味方入り乱れる状況に陥る事は必至で、目ま
ぐるしく入れ替わる「敵」に対応できる判断力と、都度切り替わるであろう有効手段を的確
に使い分ける柔軟さが要求された。
 故に、そういった事態を想定したピッコロは、できる限り不規則な形で、自身と悟空双方
との手合せを悟飯に行わせていた。

 かつての宿敵としても因縁浅からぬ間柄であり、数えきれないほどの手合いを繰り返して
きた悟空の本能的な感能力を以てしても、多彩な巧手を状況に応じて使い分けるピッコロと
の組手には、土をつけられることも珍しい事ではなかった。実戦経験においても年齢による
体格差体力差においても、いまだ父親に大きく後れを取っている悟飯が相手となれば、その
蓋然性はさらに顕著となる。
 生まれながらの戦闘民族を相手取っても、実戦においてその勝敗を分けるのは、純粋な戦
闘能力のみとは限らないのだと、サイヤ人の親子にそう得心させるのに、ピッコロとの手合
いは打ってつけの契機となった。

 殊に、まだ体の出来上がっていない悟飯にとって、リーチから互いの間合いさえ想定でき
ないピッコロの「反則技」は、実に有意義な課題となる。それを承知で仕掛けられる変則的
な手合いに少年の勝率はなかなか上がらず、三者三様の忍耐を強いられる修練の日々は、直
に二年目に入ろうとしていた。

  
 
 ここで、話は冒頭へとさかのぼる。

 あらゆる事態を想定した戦い方を悟飯に叩き込む一方で、ピッコロは、戦いのテンポもま
た重要視していた。そのために、一定のバイオリズムを常に保つという目的から、実戦形式
の鍛錬は、自然と厳格な時間管理が敷かれることになる。
 その日何度目かの休息時間を迎え、木陰で体を休めていた悟飯は、同じように傍らで休息
していたピッコロを盗み見た。
 

 体質的に食物を体内に取り入れる必要のないピッコロは、水分についても最低限の摂取で
事足りる。地球人の平均と比べれば、その摂取量はかなり乏しいと言えた。
 運動量に比例して体内から失われた水分を補給しなければならないというメカニズムは、
悟飯もピッコロも変わらない。だからこそ、その摂取量が物語る体力の消耗度合いも明瞭だっ
た。
 つまり―――手合せを終え、それぞれが定期的な休息に入る時、悟飯は自らの目で、師が残
している余力の程を、否応なしに思い知らされる羽目になる。
 父と師と、三人での修行の日々を送って丸一年が経つ。その間、ピッコロが自分以上に水
分補給を要した事は、数えるほどしかなかった。そして、その「慣例」は、今この時も、変
わらない。

 気弾を用いるようなケースであれば多少は確率の変動もあるのだろうが、純粋な「型」で
以て凌ぎを削る体術勝負において、相手の目線を読むにも難儀するほどの身長差は、明らか
に戦局を不利にする。その点に特化した鍛錬を行っているのだから当然と言えば当然なのだ
が、水を空けられっぱなしの現状は、悟飯にとって面白いものではなかった。

 旧来の宿敵であり、文字通り命を懸けて我を張り合ったこともある悟空との手合わせにお
いては、ピッコロも、整然と型を追えずに、それなりの確率で戦局を乱される。そうなれば
それなりの体力を消耗した彼がその分水分を補給するのは必至で、それが、今の悟飯にはあ
る種の焦燥の種となっていた。

 人造人間の来襲まで、あと二年。その残された時間を最大限に使って、自分は自分に可能
な限り、戦闘力を上げ戦闘のセンスを磨くしかない。あくまでも目標とする着地点は一年後
であり、その過程にある今、闇雲に結果を求めたところで意味をなさない事だった。
 それでも、こうして自分相手の時だけ、「ぬるい」反応を見せられればどうしても気が逸
る。父親を相手取った時くらいに師を消耗させてみたいというのが、目下の悟飯の目標だっ
た。

 体格差の不利を補うためにも、同朋の大人達以上に手数を増やしておく必要がある。そう
でなければ、純粋な体術で自分が師を追い詰めることなど到底敵わなかった。
 どう攻めれば、より効果的にこの人の隙を突けるだろう―――そんな事を考えながら水を煽っ
ていると、傍らで同じように喉を湿していたピッコロが、ふと視線を流してきた。


 「―――どうした?休める時は体も頭も、しっかり休めておけ。効率が落ちるぞ」
 「……あ、はい。すみません」
 「思うような結果がついてこなくてまどろっこしいか?体の成長に合わせて戦い方を変え
  ていくのは、体にそれを覚えさせていく必要がある分、どうしても時間がかかる。あれ
  これ頭で思い悩んでみたところで、その時間は速まらないぞ」

  
 続けられた師父の言葉に、言外の実感の重さが感じられるのは、彼自身が、宿敵打倒のた
めに、生れ落ちてからの僅かな時間で自らの体を成体へと変容させた、経験を持っているか
らなのだろうか。こうした焦燥めいた思いもまた、師父も同じく通り過ぎてきたものなのか
と思えば、自分一人が声高に、その焦りを訴える事も出来なかった。

 あれこれ考え込むなと暗に指摘され、その場を取り繕うように大きく一口、水を煽る。そ
れこそがこの変則的な鍛錬の目標であり、求められている成果だと解ってはいても、さすが
に歯に衣着せず「どうすればピッコロさんの隙を突けるか考えていました」とも言えず、か
といって自身の中途半端な仕上がり具合に焦燥の声も上げられず、結果として進退行き詰っ
た悟飯は、意図して話題を変えた。


 「…あ、ピッコロさん。午後は、お父さんとは別行動でしたよね?」
 「ああ、別件で抜けるようなことを言っていたな。飯を済ませるまではその辺にいると思
  うが……どうかしたのか」
 「あ、ええ。お母さんが、今日は、夕方少し早めに帰って来いって、出かける時に言って
  いたんです。一緒に動いてるなら僕が覚えていればいいけど、もう一度、お父さんに念
  を押しておかないと……」


 目標とする到達度を見据えた三者三様の鍛錬は、それぞれが非常に神経を使うため、一度
に長時間を費やすことに、殆ど利点はない。それを方針の前提に置いた日々の課程はそれな
りに余裕を持った時間配分がなされており、「夕方早めに帰宅する」程度の事なら、予定変
更の内には入らなかった。
 それを見越しての申し入れに、ピッコロも特段難色は示さない。それなら早めに声をかけ
ておけと気安く返し、付け足しのように、今夜は何か予定があるのかと言い添えた。

 
 人造人間来襲までの残された時間、パオズ山に居を構える孫家に居候して修行の日々を過
ごしているピッコロは、孫家の御台であるチチに対して、それなりに気を使っている。けし
て愛想がいいとは言えないが、よほどのことがない限り、ピッコロが母親の申し入れに対し、
その大半を譲歩している事を、これまでの日常から、悟飯は大まかに察していた。
 その母の言いつけであり、今日明日に差し迫った命題を抱えているわけでもない以上、ピッ
コロが異を唱える事はまずないだろう。それを見越した上での水向けであったが、いざ核心
に迫られると、悟飯は、多少面映ゆそうに言い淀み、続く言葉をもごもごと口の中で転がし
た。


 「……あの。明日、僕の誕生日、なんです。明日っていうか、生まれた時間が今夜の真夜
  中なので、今夜、その内祝いをするって……」
 「ほう。地球人は、そういう祝いをするんだな。初めて聞いた」
 「あの、それで……お母さんが、こういう事は、家の人間みんなで祝うものだって…なの
  でその……ピッコロさんにも…いてもらって…いいですか……?」

 
 居心地がよくないかもしれないし、面倒だとは思うんですけど―――続く言葉が尻すぼみに
小さくなってしまうのは、元来、水分以外に栄養素を必要としないナメック星人のピッコロ
にとって、食事や飲み物を振る舞いながら行われる「宴席」が、全くの門外頼となってしま
うことが解ってしまうからだ。
 それでも―――常のように、チチへの体裁を繕う程度に夕餉の席に顔を出した後、場の空気
を乱さぬよう、いつの間にか、一人その場から立ち去ってしまう気遣いを、祝いの席でまで、
ピッコロにしてほしくはなかった。

 かといって、ピッコロに気遣ったつもりで自分がこの祝席を辞退すれば、その原因を作っ
たとして、ピッコロに対する母親の風当たりが強くなる。師父の譲歩で、折角ここまでそれ
なりに円滑な関係を保ってくれているのだ。それはできれば、避けておきたかった。

 そんな悟飯の胸の内を察したのか、ピッコロは、事もなげに、解ったと頷いた。

 「そういう風習なんだろう?それなら、俺に余計な気遣いなんぞせずに、母親の気持ちを
  そのまま受け取ってやれ。俺が居合わせて問題がないなら、同席しよう」    
 「本当ですか!?」
 「ああ。もっとも、地球人の祝いの席なんぞというものは、俺には全く馴染がない。また
  お前の母親にどやされない様に、色々お前から教わっておかんとな」
 「いえ、そんな……いくらなんでもお母さん、そんなことしませんよ。でも、ありがとう
  ございます」


 殊更に軽口で揶揄され、恐縮の態で、頭を下げる。それでも、師父が意外な歩み寄りを示
したくれた嬉しさで、悟飯の語調は、それまでよりも明らかに軽くなった。  


 「あ、ピッコロさんは、誕生日、いつなんですか?そう言えば、こういうお話をした事っ
  て、今までありませんでしたけど」

 師父との間に、これまで共有することのなかった新たな話題を見つけ、何とはなしに気持
ちが浮き立ってくる。その勢いのままに気安く話を振ると、ピッコロは、己の顎に指を添え
ながら、虚空を眺めて数瞬考え込んだ。


 「今の話で考えると、生れ落ちた日、という事でいいのか?それなら……」


 意識したこともないから、正確な日にちではないかもしれないがな―――言い置いて、ピッ
コロが感慨を覚えた風もなく、一つの日付を上げる。
 内心期待を募らせて回答を待っていた悟飯は……しかし、相好を崩したままだったその表
情を、瞬時に固まらせた。

 5月9日―――それは、今から一週間前の日付だった。



 「…っ駄目じゃないですか!」
 「悟飯……?」
 「それって、ついこの間じゃないですか!もう過ぎちゃってるじゃないですか!」
 「……そうだな」
 「駄目じゃないですか!いえ、ピッコロさんは知らなかったんだから仕方ないですけど……
  そのまま素通りしちゃうとか、絶対駄目です!」


 実は相当に、この師父と生まれた日が近いのだという驚きと、そこから派生した喜びと、
そして、それ故の居たたまれなさと焦燥が、入り混じって悟飯の胸中に去来する。
 自分だけが知り得た情報である以上、自分が動かなければというある種の使命感もそこ
に加わって、悟飯は軽い興奮状態に陥った。

 「あ、でも!いま解ってよかったですよ!僕のと一緒になっちゃうのは申し訳ないです
  けど、今夜、内祝ですから!ピッコロさんの誕生日も一緒に……」
 「いらん事だ」

 だが……最適の巡り合わせとばかりに、勇んでピッコロの「祝席」も提言しようとした
悟飯の言葉は、思いがけず冷ややかな一言で、にべもなく撥ねつけられた。

 「地球人の大切な風習なんだろう。親の気持ちを無にしないためにも、お前の「誕生日」
  をしっかり祝ってもらえ。俺も、お前の成長は嬉しい。祝席には喜んで参加させても
  らう。……だが、俺のことまで気を回す必要なはい」
 「ピッコロさん……」
 「ナメック星人には、そういう風習はない。それに、俺は俺の前身である、ピッコロ大
  魔王がこの世に残していった未練を、引き受けるために産み落とされた存在だ」
 「ピッコロさん、そんな……っ」

 弾かれたように口を開きかけた悟飯の反駁は、軽く上げられたピッコロの手の動きに制
される。解っているとでも言いたげに頷きながら、それでも、ピッコロは悟飯に、続く言
葉を語らせなかった。


 「……もちろん、今の俺には、俺自身としての生き様がある。自分が、ピッコロ大魔王
  の恨み辛みを晴らすためだけの存在だとは思っていない。―――だがな。そういった因
  縁をもっとも強く感じさせるのは、やはり俺にとっては、俺という存在が産み落とさ
  れた、その日なんだ。今更逃れたいなんぞとは思わんが……祝われるような、謂れの
  日じゃあない」
 「……っ」
 「もっとはっきり言ってしまえばな……祝われたくない、というのが、正直な気持ちな
  んだ」
 「ピッコロさん……」
 「だから、もうこの件については混ぜっ返すな。孫にもお前の母親にも、余計な事は言
  わなくていい。……いいな?」


 駄目押しのように言い置くと、最後に、こんな話をして悪かったと、ピッコロは言葉を
締めくくった。それきり何も返せなくなってしまった悟飯の背中を一押しし、早く孫を探
してこいと一声かける。
 それは、この話題を転換するための契機であり、機先を制された悟飯には、それ以上、
ピッコロに食い下がる事が出来なかった。



 その日の夜、チチが陣頭指揮を執った悟飯の誕生祝の宴席は、牛魔王などの親族も集っ
た賑々しいものとなった。食物を口にできないピッコロもまた、場の空気に絶妙に溶け込
んで、最後まで周囲に違和感を抱かせることなく、祝いの席に連座した。
 両親に、親族に、そして師父にも自らの成長を言祝がれ、面映ゆくも誇らしい喜びを覚
えたその夜の出来事は―――しかし、悟飯の胸の内に、後々まで根張り巡らせる、一つの憂
慮の種を残したのだった。
  

  
 








 そして―――いつしか八年の月日が流れた。


 地上をはるかに俯瞰する天上の神の神殿、その一角に、断続的な打撃音が響く。ひとし
きり辺りを騒がせたその音は、始まった時と同じく唐突に止んだ。

 
 「―――よし。休憩にしよう」

 神殿の住人である師父に促され、悟飯もそれまで保っていた迎撃の構えを解く。
 かつてのように、時間制限を設けて着地点を目指した鍛錬を行う必要もなくなった現在、
こうした手合わせも、コミュニケーションを図る態のいい口実と化していた。その気楽さ
の分だけ、休息を挟んで手合わせを中座させる回数も、以前よりも明らかに増している。

 常にある種の衝動に駆られていた当時であれば、その生半可さが落ち着かなく思えたの
だろうが、「天敵」の動向を気にかける必要がなくなった現在、この程度の鍛錬が、過不
足のない適度な密度だといえるのだろう。また、そんな生半可な内容であっても、現状に
は不必要だと完全にその機会を手放してしまえば、いざ「出番」を求められた時、調整を
怠ったツケで役者不足の憂き目に陥りかねないことを、つい先日、悟飯は我が身を以って
体験していた。

 演習場代わりに解放された神殿の片隅に腰を下ろし、思い思いの体勢で休息する。手慣
らし程度の手合わせでもそれなりに体内から失われた水分を補給するべく水を煽っている
と、ほど近い場所に陣取って休息するピッコロもまた、自分と同じように水を含んでいる
のを悟飯は見咎めた。

 地球系の生物とは異なる規格に生まれついたとはいえ、ナメック星人であるピッコロに
も、生物であるが故のバイオリズムは当然存在する。毎日判で押したように一定の水分を
補給すればいいという生態ではない以上、地球人と同じく、たまたま平時以上に体が渇き
を覚える日もあって当然だった。その差異に、きっと深刻な事情などないのだろう。

 だが……横目で眺めやった師父が、自分と変わらない仕草で水を煽り、その喉を鳴らし
ている姿に、悟飯は、我知らず心が高揚する自分を自覚した。

 

 天下一武道会の開催と頓挫。そして、魔人ブウ復活に端を発して麻の様に乱れた、世界
の命運―――ほんの数日の間に目まぐるしく変貌した地上の情勢に引きずられるように、悟
飯の身上もまた、著しく変容していた。
 最凶最悪との呼び名も高い魔人に対抗するために、強制的に体内から引きずり出された
潜在能力。自ら気を高めなければ「覚醒」状態を維持することはできないが、それでも、
実戦を離れ勉学三昧だった頃の自分を思えば、鍛錬程度の発散でも、相手を圧する気勢は
桁違いだろう。
 それは、魔人打倒の為に、悟飯本人が覚悟し受け入れた変貌の代償であり、自らの努力
で以て引き出し体得した力とは幾分意味合いが違う。それだけに、降って湧いたような偶
発的なその能力の制御には、常以上の配慮が必要だった。ある種の「反則技」で手に入れ
た、同朋達との間を隔てるほどの能力差に、決して溺れてはならないという自戒の念も。

 だが、そういった対外的な制約に気の張る思いとはまた別のところで、こうして何気な
く目にするもう一つの差異に、やはり心が浮き立ってしまう、子供じみた自分もいた。
 幼い時分の修行の日々、どれほど研鑽を積んで互いの差を縮める事に執心しても、けし
て自分以上の消耗を見せず、それこそ判で押したような給水量を崩さなかったピッコロが、
自分との手合わせに少なからず消耗し、こうして自分と同じように相応の水分を必要とし
ている。その姿を目にできたことが、悟飯にはひそかに嬉しかった。

 見上げるほどの長身を誇るナメック星人の師父と、種族的格差から生じる絶対的な身長
差が決して覆せないことは、子供の頃から解っていたが……身体的成長に伴い、向き合っ
た互いの目線が少しずつ近づいてきたように、こうした些細なことで、今でも互いの相関
に変化がある事が、面映ゆくも嬉しいと思う。「判で押したような」光景の中からもいま
だに読み取れる日々の変化が、この長付き合いの師父との間に築かれた、生きた相関の証
であるように、悟飯には感じられた。

 と、その時―――


 「……どうした?」

 面映ゆさや、それに起因する高揚感が面に出たのか、それとも、そんな事を考えている
うちに、相手に伝わってしまう程に自分の気が緩んでいたのか―――ふと気づくと、給水を
終えたピッコロが、怪訝そうな面持ちでこちらを見ていた。

 いわば一種の交流、もしくは発散行為であり、期限を定めた目標に向かった修練を行っ
ているわけではない為、ピッコロも、かつての師父顔で口煩く悟飯を窘めたりはしない。
だが、そんな彼が気に留めるほど、今の自分は浮足立っているのだろうと思い至った悟飯
は、師父に対する子供じみた自分の顕示欲を敢えて口にすることもできず、きまり悪そう
に、自らの頭髪を掻き乱した。

 何でもないのだと言いかけて……どうせ師父の注意を引いてしまったのならばと、束の
間考え直す。

 いつ切り出したものかときっかけを探していたものの、なかなか口火を切れずにいた一
つの案件を、この師父を相手に、悟飯は現在抱えている。けして深刻な内容ではないとは
いえ、このまま切り出せずに下界に持ち帰ってしまったら、情勢が完全に鎮静化したとは
言い切れないこの時期、いつ不測の事態に阻まれて不本意な「持越し」を強いられないと
も限らなかった。

 表層の平和が戻っても、あの戦いに関わった者達にはそれぞれの立場に合わせた交々の
事後処理があり、その日常はそれなりに慌ただしい。とはいえ、当初は筋道を立てるだけ
でも一苦労だった事後処理もそれなりに軌道に乗り始めたこの時期なら、とにかく聞くだ
けは聞いてくれるだろうと当たりをつけ、これ幸いと、悟飯は自らの咄嗟の思いつきに、
そのまま乗る事にした。


 
 「あの、ピッコロさん……今年も、駄目ですか?」
 「悟飯?」
 「ドラゴンボールの力で、世界の表面的なダメージは何とかなりましたけど……あんな
  大きな戦いがあった、そのすぐ後にっていうのも、なんだからって。それで、延び延
  びになってたんですけど、もうそろそろいいだろうって、お母さんが……その、僕は
  別に、無理にしなくてもいいんじゃって言ったんですけど。こういうのはきっちり区
  切りをつけるためにも、するべき時に、ちゃんとやった方がいいんだって……」
 「悟飯?つまり何が言いたいんだ?」
 「いえ、だからその……自分で言うのもなんだかアレなんですけど、つまり、僕の、そ
  の……誕生日を、内々で祝おうって……」


 新緑溢れるこの季節―――萌え芽吹く草木に促されるように、毎年必ず訪れる悟飯の誕生
日は、何故か、内外交々の要因によって水を差される結果に終わる確率が、異様に高い。
それならばと、世界の多少の混乱にはこの際目を瞑り、身内の慶事を強行すると、一昨日
の夕食時、チチが宣言したのだ。
 
 当初、悟飯は面映ゆさや世間に対する多少の引け目から、その申し入れを辞退するつも
りでいた。だが、悟空も現世に戻って家族全員が顔をそろえた今年は特別なのだからと、
チチもまた譲らない。
 決めたが早いか一人ヒートアップする母の姿に内心困惑していたところに―――ふと、悟
飯の脳裏を過ったのが、この師父の存在だった。

 生まれ年の差はあるものの、自分とそう変わらない時期にこの世に生を受け、その事を
他者から祝われず、また祝われることを拒むようにして年を重ねてきた、異形の先達。
 今でこそ同胞達の中で違和感なく立ち混ざり、有事の際には参謀役として頼られる立場
にある師父の、身の内に抱える深い孤独を最初に知ったのは、少年の日の自分だった。

 


 「昔、ピッコロさんの誕生日を知った時……僕の家で、ピッコロさんとお父さんと、一
  緒に修行していたあの頃は、祝うような謂れの日じゃないからって、そう断られまし
  た。未来のトランクスさんから教わった予告の日に、人造人間を倒したら、その時はっ
  て思っていたんですけど。セルゲームがあんな形で終わってしまって、僕の家は喪中
  になってしまって……原因を作った僕からは、とても言い出せる雰囲気じゃなくて……
  そのまま機会が見つからないまま、ピッコロさんは神殿に住むようになって、時間が
  どんどん経ってしまって……せめて個人的にでもと思って神殿にお祝いに行っても、
  やっぱりピッコロさんは、いらんことだって言うし……」


 もごもごと続けられる言い訳がましい陳情が、語尾に向かって、どこか恨み言めいた響
きを帯び始める。対するピッコロは何も言葉を返さなかったが、これでは本末転倒だ、と
悟飯は内心で慌てた。
 予定ではもっと綿密に詳細に、自分の心情を交えてことの経緯を明示するつもりでいた
のを放棄して、一足飛びに結論へと急ぐ。それを物語るのに必要な言葉は、決して多くは
なかった。


 「……つまり、その内祝いの日に……あ、次の土曜日なんですけど、その日に、ピッコ
  ロさんにも、来てほしいんです」
 「悟飯」
 「デンデ達にも来てほしいけど、ポポさんに神殿を空けちゃ駄目だって言われちゃった
  ら無理は言えないですけど……ピッコロさんは主賓の一人だから、ぜひ、というかで
  きればきっと、来てほしいんです」
 「悟飯、だから前にも言ったが、俺は……」
 「『今年は特別』なんです」


 明らかに尻込みかけるピッコロの機先を制するように、自身もそれで折れる気持ちになっ
た母親の言葉をそのまま流用する。案の定、断り文句を封じられて押し黙った師父に向かい、
悟飯は畳み掛けるように続けた。 

 「僕のせいで死んでしまったお父さんが帰ってきて、世界も一応は平和になって……やっ
  と家族が全員顔をそろえた、特別な年なんです。だから、今までのように個人的に、と
  かじゃなくて、身内が集まった場所で、身内の立場で祝ってほしいし、僕からもお祝い
  したいんです」

  
 我ながら、小狡い言い方をしているという自覚はあった。祝いたいという言葉には首を横
に振れても、これでは、ピッコロは即座に否とは言いにくいだろう。だが、それを計算に入
れての申し入れである以上、悟飯もまた、簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
 駄目ですか?と重ねて問えば、予想通り、喉奥で短く唸ったピッコロは多少の困惑顔を見
せたものの、否とは言わなかった。
 
 「それで……実は、もうお母さんにも言ってしまって……もう身内同然の人なのに、なん
  で今までそんな大事な事を言わなかったんだって、ちょっと僕、怒られまして……ピッ
  コロさんの都合もあるだろうから無理にとは言えないけど、都合が合うなら、ぜひピッ
  コロさんもつれて来いって、お母さんが……」

 駄目押しのように、言葉を重ねる。事後報告を承知の上で、「ぜひ」という部分を強調し
て「相談」すれば、ピッコロの困惑顔は、更に深刻なものとなる。再び喉奥で呻り声を漏ら
した師父を見上げ、最後通告と言わんばかりに、駄目ですか?と、悟飯は繰り返した。
 
 交わす言葉もないまま、我慢比べのように互いを見つめ合う。そのまま十秒が過ぎ、二十
秒が過ぎ―――嘆息と共に白旗を上げたのは、ピッコロの方だった。


 「……解った」
 「ピッコロさん!」
 「行けばいいんだろう、行けば……こんなことで、またお前の母親にあれこれ言われるの
  は溜まらん」


 なんで先走って一人で話を進めるんだ、と続けられた恨み言めいた独白は、弾かれた様に
喜色を示して快哉を叫ぶ悟飯の耳に届いたのか届かなかったのか、潔いまでに黙殺される。
三度呻り声が上がり、せめてもの意趣返しと言わんばかりに、伸ばされた長い指が、的を狙
いやすそうな、青年の剥き出しの額を弾いた。
 額を押さえ、酷いですよと演技じみた恨み顔を見せる青年を、不機嫌も露わな仏頂面が、
ほざけ、とにべもない一声で両断する。

 「……余計な小知恵をつけやがって……図体だけじゃなく、態度も可愛げがなくなってき
  たぞ、お前」
 「ピッコロさん……?」
 「少し前までなら、こんな風に、俺を出し抜くような真似はせんかったろうが」

 忌々しそうに吐き捨てられた言葉に、青年が束の間、虚を突かれたような表情を見せる。
ややして―――悟飯は綻ぶように破願すると、その口元に、師父曰く「可愛げのない」、意味
深そうな笑みを刷いた。

 「だって、全部が全部、ピッコロさんの言う通りにしていたら、今年も僕、言えないじゃ
  ないですか」
 「ああ?」
 「ピッコロさんは、毎年言ってくれたのに……それも他の人がいる前で、みんなと一緒に
  言われちゃうから。触れて欲しくないみたいにピッコロさんが言うから、僕は、お返し
  もできなくて……」

 それって、ピッコロさんの方が、よっぽど狡いじゃないですか―――言って、悟飯は先日、
人知を超えた力によって潜在能力を引き出され、眼前の師父をも圧倒した記憶も新しい、凄
みを感じさせる勝気顔で、ピッコロに一歩詰め寄った。

 「僕だって、言いたいですよ。おめでとうございますって……ちゃんと、そう言って、ピッ
  コロさんの誕生日をお祝いしたいです。八年越しなんですから、少しくらい狡くたって
  可愛げなんかなくたって、もう構っていられません」 

 言い放った悟飯の表情は、いっそ晴れ晴れと冴えわたり、かつてこの一件で彼が内心に根
付かせた、憂慮の欠片も見受けられない。そんな風に、心底満悦したと言わんばかりの青年
の様相を眺めやっている内に、ピッコロもまた、毒気を抜かれたようだった。 

 蟠った憤懣の名残をそのまま押し付けようとでも言うかのように、伸ばされた大きな掌が、
青年の奔放に跳ねる頭髪を乱暴に掻き乱す。先刻の一方的やり取りに対するあてつけを決め
込んだのか、やめてくれという抗議の訴えは、どこ吹く風と受け流された。
 そうして―――既に恒例となった「交流」をひとしきり済ませると、ピッコロは、諦めの境
地に至ったように、再度大きく息を吐いた。


 「……それで。土曜日の、何時に行けばいいんだ」
 
 ここまでは迎えに来るなという、言外の牽制が見え隠れする、半ば投げやりな語調。
 苦虫を噛み潰したような師父の顔はあからさまな不興を示しており、これが彼にとって不
本意極まりない譲歩である事が、容易に伺い知れる。だがそれでも、目に見えて前進した交
渉経緯に、悟飯は破願した。


 「家の方は、何とでも時間は調整できるから、ピッコロさんのご都合次第で大丈夫なんで
  すけど……大丈夫なら、夕方5時で、お願いします!」
 
 折角折れてくれた相手の気が変わらない内にと、時間予約という形の言質を取る。もう好
きにしろと言わんばかりの、師父の辟易とした表情は見て見ぬ振りを決め込むと、否やの声
が上がらなかったのをいいことに、悟飯は、多分に偏った目線から着手したこの案件を、独
断のまま強引に決裁した。
 後は、この一件について、神殿の主であるナメック星人の友人からも、了承を得ておかな
ければならない。ピッコロが余計な気兼ねを覚える必要がないように、また、長付き合いの
友垣とも慶事の空気を共有したいという二つの目的から、可能であるなら、生家での祝席に、
デンデも招待したかった。 

 
 もう釘をさす気力もないのか、一礼して踵を返した悟飯の背後から、止め立ての声は上が
らない。これ幸いと、友人の姿を求めて神殿内部に足を踏み入れながら、悟飯は、先刻まで
とは幾分意味合いを違えた高揚感に、気持ちが沸き立つのを押さえる事ができなかった。 
 
 以前の自分なら、こんな可愛げのない真似はしなかったとこぼしていた師父の言葉が、ふ
と耳朶によみがえる。確かに、有事の際はもとより、精神的、時間的余裕が許された状相で
あったとしても、少し前までの自分なら、師父を相手にこんな物言いはできなかっただろう。

 地上を席捲する神と一体化し、また、新たな地上の神となった年若い同朋の補佐役として
自らを律するピッコロが、色々な側面において「丸くなった」という事もあるのだろうが……
やはり、一番の要因は、それなりに年を重ねた自分の方にあるのだろうと思う。
  
 どれほど首を伸ばして見上げても、視線を合わせる事さえ難儀した出会いの当初を思えば、
違和感ない程度の調節で無理なく目線を交わせるようになった現在の身長差だけでも、奇跡
のようだ。一足飛びに距離を縮める事は出来なくとも、そうやって地道に少しずつ、年を重
ねるごとに、師父と自分の「目線」は近づいていった。

 肉体の成長の伸び代を思えばある意味、当然の変化であるのかもしれない。それでもあの
少年の日、父を相手どった時と比べ、自分に向ける師父の明らかな余裕を味わわされ続けた
当初の鬱屈とした記憶が、払拭されたような心地になった。

 実年齢のみを比較すれば四年の開きしかないという事実に、当初相当の衝撃を覚えた師父
との間で、こうやって少しずつ、互いの相関は新たに育ち、いまだにその形を変え続けてい
る。
 来年の、再来年の新緑を迎える頃、この相関は、どのような変容を遂げているのだろうか。
そう考えると、悟飯はその伸び代が、心底頼もしく、愛おしかった。    





 巡る土曜日の夜、―――チチが陣頭指揮を執った祝席は、七年ぶりに顔をそろえた孫家の面々
に、牛魔王などの親族や友人達も加わった、賑々しいものとなった。

 確約通り姿を見せたピッコロと、ピッコロ同伴ならと神殿の管理人から認可を受けたデン
デもまた、場の空気に絶妙に溶け込んで、最後まで周囲に違和感を抱かせることなく、祝い
の席に連座する。
 程よく盛り上がった宴席で、家族に、親族に、友人に―――そして師父にも自らの成長を言
祝がれ、悟飯もまた、七年越しでようやく解禁となった、師父の慶事を祝賀した。

 悟飯にとって、面映ゆくも誇らしい―――そして、これまで馴染のなかった慶祝の佇まいに
困惑する師父に、ついには八つ当たられるというおまけもついた、なんとも落ち着きのない
一夜が、慌ただしく過ぎていく。

 賑々しさを通り過ぎ、騒然たる空気に占有されたその夜の出来事は……悟飯の胸の内に、
後々まで核を残す、一つの情景の素因を残したのだった。

 
   



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