慶祝〜swear an oath








 「大変だべ!悟飯ちゃん!大変だべ!」



 エイジ774、新春―――パオズ山の奥深くに慎ましい佇まいを構える孫家
の居宅では、年も改まった早々に、一つの騒動が持ち上がっていた。

 一家の台所事情を一手に預かる家刀自の持って生まれた気性もあり、この
家で起こる騒動は、蓋を開けてみれば空騒ぎで終わる「お騒がせ」であること
も珍しくはない。大変だ大変だと騒ぐ母の取り乱しぶりを、当初、悟飯は内心
でまたかと嘆息しながら話半分に宥めようとした。
 
 だが、今回の騒動の発端と思しき紙切れを手に足取り荒くやってきた母の
話を聞くうちに、どうやらこれは本当に大事らしいと認識を改める。
 なにしろ、共に覗き込んだ紙片に記されていた案件について、母にも、自分
にも、これが妥当であろうという解決策が思い浮かばないのだ。内容的に無
視するわけにもいかない、それで自分達の手に余る問題が持ち込まれたの
だから、母の言うとおり、これは一大事だろう。
 「編入試験のご案内」と題字の打たれた紙片を矯めつ眇めつしながら、二人
揃って考え込んでいた時間はどれ程のものだったのか……体感時間にして
もさほど長くはない沈黙の末、母は早々に、この案件について白旗を上げた。

 「……ブルマさに相談すべ」

 いっそ雄々しいまでに宣言した母の胸にも、確たる勝算があった訳ではない
のだろう。妙案を思いついたと言い放ったにしては、その視線は不自然に空
を泳いでいた。
 それでも、殊この手の問題に関しては、人里を離れた山奥で暮らす自分達
よりも、都で人中に交じって暮らす件の人物の方が、解決策を探るに適した人
材である事は確かだった。少なくとも、ここであれこれと思い悩んでいるよりは
事態は好転する。

 目顔で頷きあい、互いの意向を確認し合うと、それ以上の問答は不要とば
かりに、チチが部屋の片隅に飛んでいく。間髪入れずにダイヤルした電話が
目的の人物につながったのをその素振りから確認すると、悟飯は屋外で遊
んでいた弟のもとに向かい、数時間の留守居を彼に依頼した。 

 かくして、その半刻後―――悟飯とチチは、一路西の都を目指して筋斗雲
を発進させた。  




 「ジャージでいいんじゃない?」

 ところ変わって、西の都。
 持ち込まれた案件について、その一部始終を聞き終えたブルマは、困り顔
をした母子に向かって開口一番、事もなげにそう言い置いた。

 口を湿す様に持ち上げた茶器を一口煽り、テーブルの上に置かれた書面を
持ち上げる。茶器を下して空いた片手でパシンとそれを弾いて見せると、彼女
は、今回の騒動の下となったその書面にざっと目を走らせた。
 口頭で聞かされた問題点を指し示す箇所を、念押しのように目視でも確認し、
「それで問題ないと思うけど」と言葉を続ける。

 孫家の母子から持ち込まれた件の書面は、オレンジシティにあるオレンジ
ハイスクールから送られてきた編入試験の案内書だった。
 編入試験の日程、概要について幾分硬い文面で綴られたその書面には、当
日は学科試験の他に簡単な体力測定も予定していること。来校の際はそちら
に対応できるような支度をしておくこと、と言った主旨の案内が記されていた。

 『試験の主旨を理解し、良識のある服装での来校をお願いいたします』

 ある意味、どうとでも取れそうな、それでも受験者に相応のプレッシャーをか
けてくる、面倒な文面だった。
 あくまでも評定されるのは受験者の学力および基礎体力なのであろうから、
はっきりした指定がなされていない以上、受験会場での服装など蛇足のよう
なものだ。それが原因で試験の結果が変わる事はまずないだろう、とは思う。

 だが、大都市に門を構え、比較的自由な校風で知られたハイスクールであっ
ても、多くの生徒達が集団生活する場所である事に変わりはない。学内にお
けるおおよその生活スタイルを把握できるまでは、極力無難に振る舞っておく
のが得策だった。
 相談を持ち込まれたブルマにしても、パオズ山に暮らす孫母子よりは人中で
の暮らしに馴染んでいるという程度で、昨今の学校事情に明るいという訳では
ない。そもそも彼女自身がスキップを繰り返して各教育課程を収めてしまった
ため、講じられるだけの学生生活を経験しているかと問われれば、いささか疑
問が残るところだった。

 ともあれ、自分の乏しい経験からでもいいのならと、ブルマの、今一つ語勢に
欠ける見解が続く。

 「まあ、本題は編入試験の方なんだし……これ見ると面接もあるみたいだか
  ら、それなりにかっちりした格好で行っといたほうが無難でしょうね。で、体
  力測定用にあんまり派手すぎないジャージ持ってけばいいと思うけど……」

 でも、チチさんのところには、多分その手のものはないわよね―――続けら
れた言葉には、質問というよりも確信に近い響きが込められていた。
 ブルマが特別に勘が良かったという訳ではないだろう。また、孫家の経済状
態を慮った故の言葉と仮定するには、その言い切り型の語調は少々不躾だ。
彼女は特に他意がある訳ではなく、単純に、自分が認識している事実に照らし
合わせた確認を行ったに過ぎなかった。

 何しろ、今は亡き家長からして、口を開けば修行修行と、決まり文句のように
繰り返していた肉体派、武闘派の系統である。母親であるチチの教育方針も
あり、総領息子の悟飯は文武両道を地で行く発育を遂げたとも言えるが、その
成長過程の時代背景もあり、どちらにより重きを置かざるを得なかったのかは、
自明の理だ。
 武道というよりは、勝ち残り、生き延びる事を目的とした、酷く実践的な修練。
そうした鍛錬を開けても暮れても繰り返してきた青年が、長年日常的に袖を通
してきた物と言えば、機能性を重視した道着ばかりだった。市井の人々が日常
生活の中でも気軽に身につけるであろう服装は、彼にとっては縁遠い代物だ。

 そうした知己の生活環境を熟知しているブルマが、二人揃って考え込んでい
る母子を前に、そうねえと言葉を重ねる。

 「まあ、機能性は高いし、持っておいて邪魔になるものでもないとは思うけど……
  ただ、ハイスクールに限って言うなら、編入してからは、多分授業とかで着
  る事はないと思うわよ」

 これまた、スキップを繰り返してきた彼女自身の乏しい経験則からの見解で
はあったが―――ジュニアハイ、ハイスクールと、慌ただしく学籍を重ねた短
い時間の中で、スクールのカリキュラムに際し、 スクール側からそうした服装
を求められたことは一度もなかった。
 ブルマの学生時代とはご時世も変わっているし、校風の違いというものもあ
るだろうから一概には言い切れないところではあったが、都に門を構えるスクー
ルは割合に自由な校風を掲げているところが多い。制服の類も含め、基準服
のようなものは、おそらく定められていないのではないか、というのがブルマの
持論だった。

 そうした見解を示した上で、言外に、どうするかと問いかける。
 先刻同様に、目顔で意見を交わし合いながら考え込んでいる旧知の母子に、
ブルマが、とりあえず一着用意しておいたらどうかと提案しなかったのには、
それなりの理由があった。
 
 七年前、家長である孫悟空が鬼籍の人となって以来、母子家庭となった孫
家の台所事情は、もっぱら、家刀自であるチチの生家の経済力に支えられて
いた。牛魔王が相応の資産家であったこともあり、生計が立ちいかなくなるよ
うな事態は避けられていたものの、定期的な収入の当てがある訳ではない以
上、資金繰りに慎重な暮らしぶりになるのは致し方のない事だろう。
 ましてや、孫家長男の悟飯が目指す進路は、世間の一般的な職種に比べ
て必須とされる専門課程での履修期間が格段に長い。今から将来に備えて、
堅実なライフプランをとチチが考えるのは自然の成り行きだった。

 もちろん、今現在生活に困窮しているわけではないのだから、必要とあらば
既製服の一着や二着、彼らもすぐさま手配できるだろう。だが、それがおそら
くは一度限りの出番で終わる代物と化すのであれば、話は別だ。
   
 可能であるなら、この編入試験ただ一度の為に、以降はタンスの肥やしと
なる事が予想できている服を買いたくはない、というのが本音だろうなとブル
マは思う。恐らく自分が同じ立場であっても、新たに服を用意したりはしない
だろう。経済力の有無以前に、不要なものを極力手元に置きたくないと思う
のは一家のハウスキーパーとして自然な感想だ。
 とはいえ、悟飯の手持ち衣装や悟空の遺品の中に、「良識ある服装」にそ
ぐわしいものが見当たらないというなら、間に合わせでいいから何がしかの
用意をする必要は当然ある訳だが……

 「……まあとにかく、買う買わないはともかくとして、一度、その手の服を見
  ておいた方がいいわよね。別に今の流行なんか気にすることないと思う
  けど、なにが悟飯君に合うのか、一応見とかないと。編入試験なんだし、
  恰好で変に浮いちゃうのはデメリットでしょ?」

 そういうのは、実際にいくつか試してみないと解らないだろうし―――言っ
て、ブルマは何かに思い至ったかのように、そう言えばさ、と言葉を続けた。

 「……ほら!ピッコロってさ、服とかものとか、指先からピピって出せたじゃ
  ない!ピッコロに頼めば一発オーケーなんじゃないの?」

 あんた、小さい頃はしょっちゅうピッコロに服出してもらってたじゃない。そう
続けられて、孫家の母子は揃って複雑そうな表情を見せる。

 話題に上げられた人物が唯一認めた弟子として、十年来の付き合いを続け
ている青年からしてみれば、ピッコロは親同然に敬愛する先達だ。確かに戦
い続きの日々を過ごした幼少時には、その時々に応じた装いを贈られたこと
もあったが、それらは全て、この先の戦いに必要となるから、という名分がつ
いていた。
 今回の需要は、この地上や、自分達同朋の命運がかかった局面に起因す
るものなどではない。いわば完全なる個人的な事情に天上の師父を巻き込む
ことはできないと、悟飯は明らかな難色を示した。
 まあこの青年ならそう出るだろうなと、内心で予想していたブルマが、今度
はその目線を、彼の母親である長付き合いの友人に向ける。彼女は息子ほ
どはっきりとした反応を返さなかったが、やはりどこか困惑顔で、んだなあ、
と様子見とも婉曲な断り文句ともとれる相槌を打った。
 チチの屈託は、息子のものよりも根深そうだとその姿を見て思う。彼女にとっ
ては、ピッコロへの気兼ねばかりではなく、親としての甲斐性を問われたにも
等しい心境なのだろうな、と、ブルマは胸の内で息をついた。

 一時期はその避難場所に自宅の敷地を提供したこともあったが、ナメック星
人の生態について、ブルマも特別詳しいという訳ではない。それでも、彼らの
大半が属する龍族という種族が、その持って生まれた特性からものを作り出
す能力を有していることは知っていた。厳密には彼らと同種の出自ではない
らしいが、同じようにナメック星人であるピッコロにもそうした能力が備わって
いることも。
 折角持って生まれた能力だ。ならばこういう時にこそありがたく活用すれば
いいのにと、ブルマは思う。まあそうした朴訥さがあるからこそ、彼らは未だに
筋斗雲を使役できているのだろうと、彼女は無理に持論を押し付けることはせ
ず、別の折衷案を示すにとどめた。

 「ならさ、ピッコロに見本を出してもらうっていうのは?それで悟飯君に合い
  そうなやつを見つけるだけなら、そんなに抵抗ないでしょ?」

 ピッコロや他のナメック星人の龍族の妙技を目の当たりにするにつけ、あれ
は0からの創造というよりは物質変換の応用に近いのではないかと、ブルマは
己の持論を固めてきた。根本的なメカニズムについてはさっぱり解らないが、
それなら術者にかかる負担は然程のものではないだろう。あとはその恩恵に
あやかる人間の倫理観が問題となる訳だが、あくまでも見本の提供を受ける
だけだと割り切ってしまえば、友人母子の抵抗も和らぐだろうと、ことさらに気
安い口調で提案する。
 果たして、それまでいかにも及び腰だった二人が、それならばと互いに顔を
見合わせた。
  
 これでようやく、構想のスタートラインだ。肝心の二人の気が変わらない内
にと、手短に提議が進む。
 次に論点となるのが、この案件に関する合議の場所をどこにするのか、とい
う事だった。話の流れを鑑みれば、彼らが言うところの厄介事を持ち込まれる
立場にあるピッコロの負荷を少しでも減らすため、こちらから天上の神殿に出
向くべきなのだろう。特に悟飯などは、長年の師弟関係で身に染みついた礼
節から、それ以外の選択肢はないと始めから思い込んでいそうだった。
 だが、そうなると一つ問題が発生する。天上までの移動手段だ。

 まず、主役である悟飯に関しては何も問題はない。舞空術を用いれば、神
の住まいまでの移動距離など何ほどのものでもなかった。
 その悟飯が引率すれば、同行者の「足」についても同様に無問題だ。背負う
なり抱えるなりして、同道させればいい。
 だが、同行者が二人となると……

 青年の保護者にしてスポンサーであるチチの同行は欠かせない。衣装選び
の結論が出た後、目当ての代物を手配するために財布の紐を弛めるのは家
刀自である彼女だ。
 そして、彼ら母子はそれぞれに、一般界隈における自らの被服選びの感性
に不安を抱えている。となれば、外部からその方向性を誘導するご意見番が
必要だった。
 となると、ここでもう一つの問題が浮上する訳だが……話の展開的に天上ま
で同行すべきであろうブルマは、孫母子とは違い筋斗雲に乗れなかった。

 強引に力技で押し切るなら、チチを筋斗雲に乗せて、ブルマを抱えた悟飯が
舞空術を使う、という形になるのだろうが、構図的に少々「それはどうなのか」と
いう抵抗が残る。そう感じたのは神殿行きの足枷になっているブルマばかりで
はなかったらしく、三人はほぼ同時に、思案するように互いの顔を見合わせた。
 この場合、出向く側から能動的に行動することは難しい。そして、目的が目的
であるだけに、この面子から誰かを外すことで妥協することも避けたいところだっ
た。
 もっとも簡潔かつ明瞭なのは、現在抱えている案件を、三人がそろったこの
場で合議してしまう事だ。そして、長年ピッコロに師事した悟飯は、地球に暮ら
す同胞達の中で、おそらくはただ一人、念話という形で彼と意思の疎通を図れ
る。

 残り二人の視線を受け、その言外の要求に、束の間悟飯は固まった。
 悟飯の立場からすれば、こんな個人的な用向きで師父を天上から呼びつけ
るなどあまりにも不敬に思われたのだろう。だが、事はほかならぬ自分自身
の進路に関した案件だ。交渉するなら自ら動くべきだという良識を無視するこ
とはできなかったのか、しばしの沈黙の末、彼は不承不承と言った態で、天上
へと思念を飛ばした。
 口頭でのやり取りが不要な思念同士の会話は、当事者以外の外野には一
切その内容が感知できない。天上の師父に対してひたすらに恐縮しているの
か、虚空に向かってペコペコと頭を下げる青年の姿は傍目には滑稽極まりな
く、件の人物の召集を依頼したブルマは、あんた達って本当に面倒くさいわね、
と正直な感想を漏らした。




 地上をはるか高みより俯瞰する天上の神殿から、目的の人物が到着したの
は、彼が弟子の申請を受けてからおよそ二十分ほど経過した頃だった。
 文字通り「飛んで」くればその半分以下の時間で移動が可能であったであろ
う元来の地力から察するに、後回しにできないなんらかの用事の最中であっ
たか、出がけにそうした用事が入りでもしたのだろう。再び恐縮する悟飯に気
にするなと手を振って見せたピッコロは、向かい合う弟子越しに、同じ室内で
彼の到着を待っていたブルマへと目線を流した。
 悟飯との念話の中で、大まかな事情説明は済んでいたのだろう。平時と変
わらない気難しそうな声音で、彼は言葉少なに、何が要りようなんだと問いか
けた。

 かつてこの地上を席捲した神との融合を果たし、その潤沢な叡智をも引き
継ぐ形で一体の存在に戻ったピッコロは、その気になりさえすれば、継承した
膨大な知識を自由に紐解くことができた。この惑星の成り立ちから生態系の
進化の歴史など、検索可能な項目は多岐に渡る。
 だが、それらは全て、神の蓄えた世界を俯瞰する知識だ。例えば現存する
地球人達がどのような嗜好をしているかなど、その時代その時代で流行り
廃りが入れ替わる物について、同じ視点から情報を得るようなことはできな
かった。

 つまり、今回の案件に関して言えば、悟飯に求められている「良識のある
服装」がどのようなものであるのか、ピッコロにも解らないという事だ。
 そうした事情をブルマが承知していたわけではなかったが、長年の付き合
いもあり、始めからピッコロにその手の知識を求めてはいなかったのだろう。
彼女は手持ちのタブレットを操作し、液晶画面に現れた画像を示しながら
「ほら、こういうやつよ」とピッコロを促した。  

 長身を屈めるようにして画面を一瞥したピッコロが、幾ばくかの思案の後、
悟飯に向かって指を伸ばす。同時に、悟飯の纏う服装が、ブルマからの情
報を参考にしたらしいジャージ姿に改められた。
 
 「―――こういう事でいいのか?」

 言葉少なに確認を求めるピッコロの語調からは、とくに感慨めいたものは
感じられない。それでも、特に周囲の希望があった訳ではないのにその色
合いが指定されていた事を鑑みるに、彼は、彼の感覚で悟飯に合うだろう
と感じた物をまず用意してみたのだろう。見慣れない服装に対する違和感
はどうしても拭えないものの、落ち着いた緑を基調としたジャージは、思い
のほか悟飯に似合っていた。
  
 「あらー、結構違和感ないんじゃない?」
 「んだなあ。ピッコロさ、どうせなら他の色のやつも試してやってけれ」

 観客二人からまずまずの反応を得て、着慣れない服装に面映ゆい心地
を味わいつつも、悟飯がまんざらでもなさそうに頭を掻く。そんな青年の姿
を頭の先から眺めやり、ピッコロは、ふむ、と再び己の指先に波動を集めた。

 観客とモデル当人が認識できる程度の速度で、悟飯の纏う色彩が変わっ
ていく。一通りの色合いを試し終えたのか、最後にピッコロが白いジャージ
を青年に纏わせた。……と、刹那。室内の空気が、水を打ったように静まり
返る。 
 悟飯も、観客二人も。そしてそれを用意したピッコロ本人も、視覚から受け
た想定外の衝撃に、束の間言葉を失ったのだ。

 「……うーん…」
 「これは……んだなあ…」
 「うむ……」

 自ら身に纏ったことで最も衝撃が大きかったのか、声を失ったままの悟飯を
囲み、三者三様に、その場を取り繕おうとするような意味を成さない言葉が
漏れる。
 ピッコロの指先より生み出された衣類は、用途に限らず、現世に現存する品
物と比べて、やや光沢を帯びた仕上がりとなることが多かった。穿った見方を
すれば、それは素材そのものが現存しない状態から強引に作り上げてしまう
という、世の理にそぐわない不自然さの表れであるのかもしれない。
 それでも、実用に不具合を感じさせないその程度の差異ならばと、周囲の同
胞達は―――主に悟飯である訳だが、ありがたくその恩恵にあやかってきた。
 だが……

 これまでのように、修行や戦闘行為に備えるため幾度か恩恵にあやかって
きた道着などの類と違い、今回必要とされているのは市井の人間が日常生活
の中でも汎用的に着用するであろう、生活感溢れる代物だ。そして、そういった
衣類はその形態に、時代時代の流行り廃りから影響を受ける事が多い。
 ピッコロが用意したジャージは、着用者の体のラインをそれなりに強調する
作りをしており、悟飯が日常好んで着用している服装と比べ、ゆったりとした「遊
び」部分がかなり省かれていた。そうなると、当然着用者の体型が傍目にもよく
解るシルエットができあがる。
 かなりの筋肉質である悟飯がそうした代物を着用すると、全身についた筋肉
が、そのまま服の上からでも見て取れるようなラインをつくる。それはそれで、
精悍な印象を与える程度の違和感が生じるだけの話なのだが、この場合、纏う
色彩が問題だった。
 幾分光沢を帯びた白い素材。体のラインを強調する作り。そうした形状と色彩
をした生物に、室内に居合わせた者達は、全員がかつて遭遇した際の記憶を
残していた。

 つまりは―――こうして普段し慣れない恰好をしている悟飯の姿に、彼らは
過去の記憶から、あるいは伝聞の結果抱いたイメージから、髣髴とさせられた
のだ。
 この地球から遠く離れたナメック星という星で、ドラゴンボールを巡って幾度と
なく衝突が繰り返された、激戦の記憶。その侵略者たちの親玉であった異星人、
フリーザが変態に次ぐ変態の末に見せた、最終形態の姿を。

 これはないなと、四人の目線が空で交わり、逸らされる。無言の会話の末却
下された悟飯の白いジャージ姿を、ピッコロは、躊躇うことなく彼の日常的な服
装へと戻した。
 これで大体のイメージはつかめたかと、即席の合議は暗黙の内に終了する。
空気の流れでそれと察したブルマが、それにしてもさあと話題の転換を図った。

 「悟飯君、そもそも体力測定?そっちの方が大丈夫なの?」
 「はい?」

 ようやく命題が片付いたとばかりに、お茶請けとして出された菓子をありがた
くぱくついていた青年が、間の抜けた相槌を打つ。その姿を尻目に、そもそも服
装云々じゃなくてさ、とブルマは言葉を続けた。

 「試験の日って、別に悟飯君一人で受ける訳じゃないでしょ?まあ一人だった
  としても問題は基本変わらないけど……学科はともかくさ。体力測定って、
  思いっきり実技じゃない。あんた、小さい頃からずっとああいう生活してて、
  同じ年頃の子がどのくらいの基礎体力持ってるかとか、そういうの解ってな
  いでしょ?」

 言われて、確かにそう言えばと、悟飯が軽く首をかしげる。同席していたチチ
も、同い年の友達と遊んだりしたこともねえだしなあと、控えめに言葉を添えた。
母子揃っていまいち反応が煮え切らなかった陰には、孫家が一家総ぐるみで
諸々の方向から後押しを受けてきた恩人であり、そして総領息子の悟飯をいっ
ぱしの戦士として鍛え上げるために、日常から切り離した生活を彼に用意した
当事者であるピッコロが、その場に同席していたからかもしれない。

 それが当時の地球にとって必要不可欠なものであったことを同席する全員が
理解していたから、ブルマも今更必要以上に悟飯の生い立ちに同情しないし、
息子を一時的に奪われた形となったチチも、他の方法はなかったのかなどと苦
言めいた事は口にしない。修行生活を送った青年は今でもそんな風に自分を
鍛え上げてくれた師父を敬愛しており、彼にそんな生活を課したピッコロも、後
から己の信念を説いてみせるような消極的な気性はしていなかった。
 結果として、その件についてはそれ以上誰も言及することなく、話題は「どう
振る舞えば年相応の青年に見えるか」という内容に移行する。  

 「まああたしも学校生活、そんなに長くなかったし。今時のハイスクールの事
  はよく解らないけどさ、あんた達の場合、身体能力が優れてるとか、そうい
  う以前の問題だもんね」

 無理に自分の個性を埋没させる必要もないとは思うけど、目立ち過ぎなのも
どうかと思うわよ―――続けられた訓戒めいた言葉に、悟飯が決まり悪そうに
己の頭髪を掻き乱す。
 悟飯に限らず、いつしかZチームなどと呼び称されるようになった彼ら同朋達
は、有事の際にはこれ以上ないほど心強い地球の守護者であったが、平穏な
日常の中においては、その事如くが有り余るばかりの潜在能力を持て余した、
いわばはみ出し者だった。
 これまでは、それぞれの生活空間を拠点としてそれほど人中に立ち混じる暮
らしをしてこなかったから、市井の人間達との間に暗黙の線引きができていた。
それはピッコロにしてもベジータにしても、方々に散って行った仲間達にしても
同様だ。

 ただ、今回悟飯は自分から望んで、市井の暮らしに足を踏み入れる事となる。
サイヤ人と地球人の間に設けられた二世代目のサイヤ人である悟飯がそうし
た局面に直面したという事は、いずれ同じ道を歩むことになるかもしれない、今
はまだ幼い悟天やトランクスにとっても、同様の問題が浮上する可能性は十分
に残されていた。
 既に自らの意向で生計を立てる術を選ぶことができるそのほかの同胞達と比
べ、就学年齢にある彼らが世間から成人したとみなされるまでは、こうした案件
に振り回されることも一度や二度ではないかもしれない。その事を考えれば、
今回の悟飯の編入問題は、今後の為の行動指針ともなり得るのだ。その場凌
ぎを繰り返してただ逃げ続けるような後ろ向きな妥協は、後々まで自分達の首
を絞める事態を招きかねなかった。

 その事がよく解っているからか、ブルマとチチの語調が、悟飯の服装選びの
時よりも更に真剣みを帯び始める。男連中と違って感性が市井の人間寄りに
近いともいえる母親二人が、膝つきあわせるようにして今後の為のケーススタ
ディを熱く展開する様子を尻目に、悟飯は、向かい合ったソファーに自分と同
じく所在なさそうに腰かけていた師父を、目顔で室外へと促した。

 この案件について、自分も弟連中と同様話題の中心なのだとわかってはい
たが、彼女達の展開する論旨があまりにも細部に渡りすぎて、この段階では
到底論議に参加できそうもない。100メートルは何秒程度で走ればいいか、
懸垂は何回位できるのが妥当か……そんな風に細々と挙げられていく事項
について、その都度、近所に住む誰それはこうだった、亀仙流に与していたも
のの今いち揮わなかった同門の兄弟子がいたから、その辺りを参考にすれ
ば現実味のある数値を出せるのではないか、等々、実例をもとに数値の修正
を図っていくのだ。はなから規格外だと解っている自分と師父が、参加できる
内容であるとは思えなかった。

 その感想は、ピッコロにしても同様であったらしい。母親達の結論が出る頃、
それをまとめて拝聴しようと席から立ち上がった悟飯につられるように、彼も
極力気配を殺した動きで、合議の席から中座した。


 
     
 応接室から脱出した二人がその足で向かったのは、邸宅の中心部に設けら
れた巨大な室内庭園だった。
 かつて、フリーザとの激戦の余波で母星を失ったナメック星人達が一時的な
避難場所として身を寄せていた場所で、彼らの言を借りれば、ここは彼らの母
星を髣髴とさせる、懐かしい空間であったらしい。いわば地球産のナメック人と
でも呼ぶべきなのか、複雑な出自をしたピッコロに、彼ら生粋のナメック人の
感性が共感できるものなのか、悟飯にはいまいちよく解らなかったが、それで
も、師父もまたこの庭園をそれなりに好ましく思っているらしいことは、平時の
言動から伺い知れた。

 この場所なら、手を煩わせてしまった師父にも少しは気晴らししてもらえるだ
ろうと、小さく息をつく。そうして自分自身も仕切り直すかのように一つ肩を回
すと、悟飯は連れ立ってここまで移動してきたピッコロへと向き直った。
  
 「―――ピッコロさん、今日は突然に、すみませんでした。完全に僕の個人
  的な都合なのに、色々お世話になっちゃって……」
 
 本当に助かりましたと改めて頭を下げれば、大したことではないと感慨の籠
らない語調で一言返される。そんな平時と変わることのない師父の様子に胸
の内で安堵しながら、でも結構大事になっちゃいましたと、悟飯は苦笑した。

 「ハイスクールの件、もっと気楽に考えてました。自惚れっぽくて嫌な言い方
  ですけど、編入試験もいつも通りやれれば大丈夫だって、特に心配もして
  いなかったし。……でも、いざ蓋を開けてみたら、僕、当日何を着て行けば
  いいのかも見当がつかなくて」

 何をすれば目立ってしまうのかも、解らないんです―――続けられた言葉に
は、呑みこみきれなかったのだろう自嘲の響きがあった。

 「体力面については、僕が自分であれこれ考えても意味がないんだろうって、
  解ってます。お母さんとブルマさんが割り出してくれた「基準値」に合わせた
  活動ができるように、試験の日まで実地で調整していくしかないですよね。
  僕だけじゃなくて、いつか悟天にもトランクスにも影響する問題になるかもし
  れないんだから、僕がしっかり、「実例」にならないと」
 「悟飯」
 「本当は……僕らが持っている身体能力なんて、出番がないに越したことは
  ないんですよね。そういう世界を……僕達の行動が必要のない世界を、お
  父さんは残してくれたんだから……」

 お父さんに命を守られた僕が、それを生き辛いなんて思っちゃ、申し訳ない
ですから……独語のように続けられた言葉に、向き合ったピッコロの双眸が
物言いたげに見開かれる。師父の言わんとする事を悟ったのか、その機先
を制するかのように、僕は大丈夫ですと悟飯は頭を振った。

 「大丈夫です。自分を責めたがっている訳じゃありません。それじゃお父さ
  んにもお母さんにも、あの頃の僕を支えてくれたピッコロさんにも申し訳な
  さすぎます。……ただ、普通の世界で生きていこうと思ったら、そこでちゃ
  んと人と関わって行こうと思ったら、僕にはそれだけの努力が必要なんだ
  なって、改めて思ったんです」

 七年前、自分の軽はずみな行動が引き金となって実父を失った悔恨の記
憶は、それに向き合うための耐性が備わってきたというだけで、今でも悟飯
の中で風化してはいない。自虐の堂々巡りを繰り返して周囲に迷惑をかける
無様は二度と晒さないと心に決めたが、己の仕出かしたこと、父の残してくれ
たものを思えば、決して風化させてはならない記憶だと、悟飯は今でも思って
いた。

 ハイスクールに在籍し、市井の人々に交じりながら生活をするこれからの
数年間は、そんな自分にとって格好の「修行」の場となるだろう。
 これからそれぞれの将来を選んでいくであろう幼い弟達や、共に激戦を戦い
抜いた同朋達が、時世に合わせて人中の暮らしに迎合する必要はないはず
だ。それでも、そうした暮らしの先に自らの望む進路を見出した自分くらいは、
自分の為にも亡父の為にも、その為の努力を惜しまぬべきだと、悟飯は思っ
た。  

 だから―――少なくともこれからの数年間、自分は、「普通」を体得するため
の努力をする。

 「ピッコロさん……僕、学者になります」
 「悟飯?」

 改めて眼前の師父に向き直り、居住まいを正すようにして宣言すれば、返事
の代わりに返ってきたのは、師父の怪訝そうな眼差しだった。
 それはそうだろうなと、苦笑する。そもそも、自分は学者になるという幼少時
からの夢を叶えるために、その省略できない途中の経過を踏むために、ハイ
スクールに編入するのだ。今更何を言っているのかと、師父は感じたかもしれ
ない。
 そんなピッコロを前に、悟飯は、ちょっと目的が増えたんですと、言葉を続け
た。

 「もちろん、最終的なゴール地点は変わりません。でも、そこにたどり着くま
  での過程がちょっと違うというか、自分本位の目的が増えたというか……」
   
 上手く言葉にできないんですけど、と、青年が己の頭髪を掻き乱す。

 「僕は多分……普通にスクールを出て、実直に普通の企業に勤めて…そう
  いう進路を目指すには、根本的なところが向いてないんだと思います。何
  が普通かも解らない状態で、それを察して振る舞えって言われても、僕に
  は経験値が足りなすぎる。……もちろん人にはみんな得意も不得意もあっ
  て、みんな人から見えないところで、その折り合いをつける努力をしている
  んだと思います。自分だけ、自分には向いてないって始めから逃げるのは、
  卑怯なんだろうって、解ってます」
 「悟飯」
 「だから、僕にできる努力は、してみます。今僕にできる努力は、ハイスクー
  ルで人並みに生活しながら、上の学校に進むための勉強をする事です。
  だから、編入試験の、体力測定に備えて「普通」に振る舞う練習を、まず
  は必死でやってみます。……でも、多分そこまでが、僕の限界だろうなっ
  て、自分でも解るから……」

 自分でも我儘だとは解っているんですが―――そう言い置いて続けられた
言葉は、しかし、その言葉面に反して聞き手が耳を疑う程に、語勢に一切の
逡巡を感じさせなかった。

 「学者になります。今までは、どちらかというと漠然とした夢で、お母さんが
  望んでいるからっていう理由の方が強かったのかもしれません。でも、僕
  が自分の個性を真っ向から否定されることなく、この平和な世界で、戦い
  以外の方法で、自分の価値を世間に示せるかもしれない職業はこれしか
  ないと……今は、心からそう思います。」
 「悟飯……」
 「せっかくお父さんが残してくれた世界で、守ってくれた命で……我儘だと言
  われても、自分の全てを殺しながら生きていくのは嫌なんです。せっかくこ
  の先も生きていくんだから、自分の望む道を、自分を曝け出せる方向に進
  んでいきたい。……だから、多少変わり者だと世間から言われようが、それ
  が僕の個性なんだと世間が認めてくれるような、研究職のエキスパートに
  なります」

 思い切りよく言い切り、背筋を正す。突然なんの決意表明が始まったのかと、
師父はきっと内心で困惑している事だろう。それが証拠に、その胸の内を物
語っているかのように、ピッコロは気難しそうな顔付きをしたまま―――もっと
もこれが彼の平静時の容色ではあったが―――押し黙ったままだ。
 それでも……他の誰でもない、この人に聞いてほしかった覚悟だった。
 ほんの幼子であった時分、自分は初対面であったにもかかわらず、自分の
抱く将来の夢を、この人に初めてぶつけた。そしてその時、家族以外の存在
と殆ど関わりを持っていなかった自分の傲慢でさえあった夢を、この人は、あっ
さりと肯定してくれたのだ。

 『なるがいいさ。ただし、一年後にやってくるサイヤ人達を倒してからだ』

 出会った当初は、骨の髄から震え上がらせられるような、とにかく恐ろしい
存在だった。だが、そんな彼から何気ない語調で言い捨てられたその言葉が
幼かった自分の心にどれ程嬉しかったか……きっと、彼は今でも知らないだ
ろう。
 あくまでも、自分本位で身勝手な理屈だ。それでも、出会った当初から自分
の心に一筋の希望を灯してくれたピッコロを前に、こうして夢の実現に向けて
新たなステップに進もうとしている今、どうしても、悟飯は自らの覚悟を言葉に
して宣言しておきたかった。
 
 そんな悟飯の胸の内を見透かそうとでもするかのように、高い視点から見
下ろされた師父の目線が、真っ直ぐに悟飯を捉えて離さない。そのまま言葉
もなく彼と向き合う時間は、長付き合いの気安さを以てしても何とも面映ゆい
ものだったが、その沈黙は、悟飯にとってけして不快なものではなかった。
 二人して、そうして向き合っていた時間は、果たしてどれほどのものだった
のか……それまで目の前の相手に意識を集中していた悟飯の聴覚を刺激
したのは、師父の喉奥からこぼれた、どこか満足そうな深い吐息だった。
 笑われたような気がして相手を見つめ直せば、辿った視線の先で、悟飯を
見下ろすその笑みが本物になった。
 そして―――

 「―――ああ。なるといい」
 「ピッコロさん……」
 「お前は、お前の成すべきことを全て果たした。地球に来襲したサイヤ人達
  を退け、ナメック星のポルンガを復活させ、地球が抱える負の遺産である
  人造人間をも倒した。出会ったばかりの幼いお前に俺が押し付けた要求を
  遥かに越える次元まで、お前は戦い続けたんだ。……もう、この先起こる
  かもしれない面倒ごとまで、これ以上お前が背負う必要はない」

 一旦言葉を切ったピッコロの大きな手のひらが、向き合った悟飯の肩にのせ
られる。衣類越しに青年の皮膚を傷つけたりしないようにという気遣いなのか、
彼は、幾分緩慢な動作でその手に力を込めた。

 「あの頃お前が語っていた、学者になるといい。周囲の人間とどれ程反りが
  合わなかろうが、お前はお前だ。気後れなんぞせずに、お前の目指す姿の
  お前になれ」
 お前はお前の、目指す道を行け―――

 衝動や感傷や……様々な思いに見開かれた青年の双眸を覗き込むように
正面から見据えながら、ピッコロがその口角を持ち上げる。いかにも生来の
彼らしい、強気で見る者の心を射抜くかのような笑みを浮かべた彼は、青年
の肩に置かれた手はそのままに、空いた片手で虚空を―――さらに言うなら
青年の手元を指差した。
 波動によって生じた微かなノイズと共に、それまで何もなかった虚空に、な
にかが集まり、高められる気配……

 「…っ」

 それがナメック星人特有の能力である、物質生成を司る粒子の動きである
事に悟飯が気づいた時……彼の両手には、肌触りのいい布の塊が具現化
していた。
 突如として出現したそれを目の前で押し広げて……再び、悟飯は瞠目した。
そこに表れたのは、先刻までの合議で暫定的に方向が決定した、「良識ある
服装」らしきもの……緑を基調とした色合いのジャージだった。


 「ピッコロさん……」
 「祝儀代わりだ。元手もかかっていないようなものですまんがな。とりあえ
  ず、編入試験とやらにはそれを持って行け。その後用無しになったとして
  も、これならどこにも気兼ねはいらんだろう」
 
 出番があれば幸い程度の気持ちで、持っておけ―――言って、続く言葉と
共に、ピッコロの笑みが深くなる。そしてそれと相反するかのように、それま
で真っ直ぐに青年を見据えていたその視線が、ふと、遠くなった。

 「いつか……いや。いつかなんて言う漠然とした尺度ではなく、もっと身近
  な未来に、この手の代物が、当たり前にお前の手持ちの服装として、お
  前に必要とされる時が来ればいいがな」
 「…っ」
 「自分で出してみて初めて分かったが―――こういう服装は、俺達が当た
  り前のように身を置いていた生活の中では、おそらくほとんど役には立
  たんだろう。機能性はあるようだが、強度が脆すぎる。強い衝撃も吸収
  できない、身を守るには向かない代物だ」
 
 それでも、こういう物を当たり前のように身に着けていられるのが、お前の
目指す「普通」なんだろう―――続けられた言葉に、どこかほろ苦い響きを
感じてしまうのは、感傷だろうか。それでも、平時よりも幾分語調を違えたピッ
コロの声音は、向き合った悟飯の胸を切なくさせた。
 だが……切なくも、それが何故か心地いい―――

 
 「―――はい」

 我知らず、胸の奥から込み上げてくるもので視野が滲む。それを意地のよ
うに繰り返した瞬きで振り払い、悟飯は、相向かう師父の姿を仰いだ。

 「ピッコロさん……ありがとうございました」

 祝儀代わりと贈られたそれを胸に抱き、謝意を述べる。そして、改めて背筋
を伸ばし、悟飯は万感の思いを込めて、宣誓した。

 「ありがとうございました。今まで僕を鍛えて下さったことも、こうして戦いを
  離れても、変わらずに僕を助けて下さることも……本当に、ありがとうござ
  います」
 「悟飯」
 「これ……大切にします。そしてこういう服装を当たり前にしながら暮らして
  いけるように……僕なりの「普通」を手探りで探しながら、これからの生活
  を、精一杯頑張ってみます」

 自分自身の為に。そして、孫悟空の息子として、ピッコロ大魔王の唯一認め
た弟子として……顔向けできない自分であるために―――

 言外に込められた心持ちが過たず師父まで届いたのか、けして表情豊かで
あるとは言えないピッコロの容色からは、読み取る事ができなかった。
 だが、向けられた師父の眼差しは、変わらずに自分を包み込んだまま揺る
がない。肉親以外にも、そんな風に自分を見守ってくれる相手がいると思うだ
けで、自分が飛び込もうとしている新天地での生活も、きっと凌いでいけると
悟飯は思った。


 と、刹那―――

 室内庭園の入り口―――言い換えれば、先刻二人連れ立って抜け出してき
た応接室のある方向から、聞き覚えのある声が何事か騒ぎ立てている気配が、
悟飯の耳にうっすらと飛び込んできた。
 おそらくは、ブルマの方だろうか。母のものよりも甲高く聞こえるその声は、自
分とピッコロの名を呼んでいるようだった。
 ようやく一通りのシミュレーションを終わらせてみれば、当事者である自分が
その場にいない。ついでに(といっては師父に申し訳ないが)ピッコロの姿も見
当たらない。これは二人して逃げ出したのかと、ご立腹の態で自分達を探して
いるようだ。
 勝手知ったる知己の家とはいえ、その住民には敵うはずがない。このままで
は程なくして自分達の居場所に気付かれてしまうだろう。その時になってあれこ
れ謝罪し弁明して彼女の機嫌を取るよりは、こちらから素直に自首する方が賢
明だった。

 並外れて聴覚の優れたピッコロの耳にも、ブルマの呼び声は当然聞こえただ
ろう。彼はいかにもくだらないと言いたげに鼻を鳴らし、その表情は不本意だと
物語っているようにも見えた。
 それでも、彼は慌てて踵を返しかけた悟飯を引き留める事はしなかった。のみ
ならず、身に纏ったマントをバサリと背中に流し、ここでの会話に区切りをつけ
る素振りさえ見せる。
 ブルマもチチも、この地球最強の女性軍団の一人だ。平穏な日常を望むなら、
下手にその逆鱗に触れるような真似は避けるに越したことはない。

 交わした目線から、互いの意見の一致を見た二人は、それきりこれといった
言葉を交わすことなく、それまで散策していた室内庭園を後にした。次第に大
きくなっていく室内からの呼び声に、心なしか足の運びが早くなる二人の姿を
ベジータ辺りが目にしていたら、彼はさぞや居丈高に二人の不甲斐なさを罵
倒しつつ、その面にほんの僅かの同情の色をのぞかせたことだろう。
 ともあれ、せっかく世界に訪れた、平穏の時間だ。避けられる争いを避ける
事もまた、戦士の知恵というものだった。

 言外に諸々の言い訳を積み上げながら、ピッコロと悟飯は連れ立って庭園
の出口を目指す。内心の焦りに幾分足並みを乱しながらも、二人の表情は明
るかった。
 そんな二人の姿を尻目に、庭園の敷地いっぱいに所狭しと植えられた草木
の新緑が、一涼の風を受けて一斉にざわめいた。広大な敷地内を吹き過ぎる
その動きにつられるように、木々のざわめきも僅かな時間差によって、波のよ
うに広がっていく。
 決して耳に不快にならない音量で伝播するそのざわめきは―――まるで言
祝ぎであるかのように、庭園を後にする青年の背を押し立てた。




 『でも僕、武道家になんてなりたくない。えらい学者さんになりたいの』
 『なるがいいさ。ただし、一年後にやってくるサイヤ人達を倒してからだ』


 エイジ774、春―――孫家の総領息子である悟飯は、編入試験に無事合
格し、オレンジシティに門戸を構えるオレンジハイスクールに編入した。
 やはり勝手の違うハイスクールでの暮らしは悟飯のみならず、彼の家族や
知己達までも巻き込んだ、これまでとは次元の違った波乱を招く日々であっ
たが……そんな青年の生き様は、戦い漬けの日々に身を置いてきた同胞達
にとって、一つの希望の表れでもある。思うように進まず難航する悟飯の学
生生活を、彼らはそれぞれの立場から、労を惜しまず後押しした。

 そして―――悟飯のハイスクール転入は、彼の命運を大きく左右する事となっ
たピッコロとの出会いから、12年を経てようやく具現した、当時の約諾が果た
されるための大きな転機でもあった。
 この僅か一月にも満たない将来、再び地上の命運を揺るがす激戦が勃発
する未来が待っている事を、当然ながら、彼らはまだ知らない。それでも、激
戦に継ぐ激戦を生き延びてきた戦士達は、恒久の平和など存在しないのだ
という事を、この世界に生きる他の誰よりも、骨身に沁みて知っていた。
 だからこそ……尚の事、この転機を得難いものとして重んじる心持ちも、互
いに共有できる。
 
 ピッコロも、悟飯も―――この春、それぞれの立ち位置から、追憶の日に交
わされた約諾を守り抜くための気概を新たにした。
 当人たちの望むと望まざるとに関わらず……それは、この先彼らが直面す
ることになる、麻のように乱れる地上の命運を守り抜くための、顕要な支柱と
なっていくのだった。そんな彼らの姿を目にした同朋達は、各々の立ち位置か
ら、彼らの為人を「一本芯が通った。腹が据わった」と評したという。

 ともあれ、それらは全て、近しい未来が訪れて表層に顕れる変化だ。
 諸々の転機が交錯する春を迎え、悟飯は―――そしてそんな彼をようやく
望む世界へ送り出そうとしているピッコロは、心持ちも新たに、形を変えて始
まろうとしている日常へと、その足を踏み出そうとしていた……






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