safety valve・9






  「界王神界に行った時―――大界王神様から言われたんです。お前の今の状態は、欲求
   不満みたいなものだって」

 
 他に聞く者もいない室内で、改めて口火を切った悟飯の語調は、意外に穏やかなものだっ
た。
 



 あの不本意な手合わせの折、青年から感じた異様なまでの憔悴の正体を、ピッコロも懸念
していた。
 そもそもが、多忙に追われた悟飯がここに姿を見せなくなってからの二週間、どうせ限界
まで自分を追い立てるような無茶をするのだろうと、容易く予想のついた彼の行状に、この
人里離れた神殿でずっと気を揉んでいたのだ。下界での譲れない立場も拘りもあるだろうと
これまで口出しを控えてきたが、ピッコロ自身もいい加減、待ちの姿勢を貫くことに我慢の
限界を感じていた。
 それでも、悟飯がもう、誰かに手を引かれて歩くような幼い子供ではない以上、青年の自
主性を無視して強引に口を割らせることは、極力避けたいとも考えていた。ここにきて、彼
が自らの意志でその胸襟を打ち明けようという気持ちになってくれたのは、ピッコロとして
もありがたい。
  

 とはいえ、何かを決断した人間には、それなりの胆力も体力もいるものだ。疲弊し憔悴し
た体でここまでやってきて、休息を挟んだことでようやく「まし」な状態になった程度の今
の悟飯に、このまま彼の抱えた屈託を物語らせてもいいものか、一抹の不安もあった。
 ようやく心境の変化を見せた青年の決意に水を差さないよう、頭ごなしの物言いを避けて、
何か腹に入れてからにしてはどうかと提言する。だが、その言葉に悟飯は頷かなかった。
 食事を必要としないピッコロの体質を熟知している青年が、同席者の腹具合を気に掛けて
応えの諾否を選択することはないだろう。彼は単純に、自分自身の要求に従って、ピッコロ
の提言に首を振ったのだ。
 ならば、場所を移すなどして青年の心を和らげようと考えるのも、彼からしてみれば余計
なお世話という事になる。こうして己を追い立てた勢いのまま、悟飯は自身の屈託と向き合
おうとしているのだ。

 結果、寝起きの青年を癒す食事や飲料の手配もないまま、簡素な造りの寝台に並んで腰を
下した体勢で、ピッコロは悟飯の述懐に付き合う事となった。
 これまで随分と気を揉まされたようにも感じるこの命題は、きっと随分と根深いものなの
だろうとそれなりの覚悟を以て耳を傾けたが……内心身構えるピッコロに反して、悟飯の語
調は平坦で、落ち着いたものだった。 
 
 


 「今は平和だから、体力が有り余っているだけだと……平和ボケみたいなものだって、そ
  う言われたのも本当です。……でも、ようは僕自身が、欲求不満になっているだけだっ
  て……」

 己の言葉に体面を憚るものを感じたのか、語尾にかけて青年の語勢が尻すぼみに小さくな
る。だが、それでも悟飯は、大界王神に告げられたという神託を否定はしなかった。

 「原因はあくまでも僕の肉体的な……表面的な問題で、サイヤ人としての衝動の箍が外れ
  たとか、そういう事ではないんだと、大界王神様は太鼓判を押してくださいました。だ
  から、結局は僕自身にしかどうにもできないことなのに、言ったところでピッコロさん
  やお父さんに余計な心配をかけるだけだと思って……その、僕もなんだか言い辛くて……」
 
 誤魔化すような言い方をしてしまって、すみません―――きまり悪そうに顔を伏せ、ぼそぼ
そと言葉を繋ぐ。そうして悟飯は、膝の上で組んだ自身の両手に目線を落としたまま、供述
を続けた。

 「……若い内は、欲求不満になるのも仕方がない。それなら誰かと合意の上で……発散、
  すればいい事だと、言われました。僕の年齢的にも、何も問題ないと……」
 「悟飯……」
 「何でもない事みたいに流されて、それはそれで安心しました。でも……ピッコロさんに
  聞いてもらうのも申し訳ないことですけど、それこそ女性を、人間を、欲求を満たす道
  具みたいに、事もなげに言い切ってしまう大界王神様の言い方が、本当に嫌で……」

 別に、界王神様達が人間を道具扱いしているわけじゃないんだって、頭ではそうわかって
いるんですけど―――言って、己の表情を隠そうとでもするかのように、青年は更に項垂れた。

 「でもそれよりも、もっと嫌だったのは……忘れられなかったのは、大界王神様からの忠
  告でした。……僕は、体力が人並み外れているから……女性とそういう関係になる時は、
  慎重に、相手を選べって。うかつに関係を持てば、相手を……抱き壊してしまうからっ
  て」
 「…っ」
 「すみません、こんな話をして……でも、ここでしか、こんな話はできなくて……」

 お父さんには、絶対に言えないから―――

 続けられた独白のような呟きは、それこそ青年が落とした嘆息に紛れてしまいそうなほど、
頼りなく語勢に欠けていた。だが、地球人の規格から考えれば超常的な聴覚を備えた自分の
前でなされた以上、それが己の嘆息でかき消してしまいたかった悟飯の独語であったのだと
は、ピッコロには思えなかった。

 父親には言えないと語った青年の言葉は、その胸中を思えば至極当然のことであるだろう
と思う。人の世の機微に明るいとは自分でも到底言えないような天上暮らしでも、これが、
「身内」であればあるほど憚られる内容の話題であることは理解できた。

 同じサイヤ人の血を持つ父親だからこそ、自らの雄としての衝動など知られたくはないと
思うだろう。ましてや、悟飯の母親は父親とは種族を違えた地球人だ。抱き潰しかねないな
どという生々しい話題も、いくつか言葉回しを変えれば、そのまま彼の両親の素行に当ては
まる類のものだった。
 実の親に対してあまりにも不敬であるという禁忌の思いと、親だからこそそんな話題の対
象として考えたくないという子供心は、部外者の目線では推し量れないほどに複雑で込み入っ
たものだろう。特殊な出生であるピッコロ自身には、それは実感の湧かない感覚であったが、
内心でひどく居たたまれない思いをしたであろう悟飯の心情は、察することができた。


 そして――――それらの推察を経て、ピッコロがぼんやりと認識したのは、ある種の感慨だっ
た。


 初めて出会った時は、その上背が自分の足丈にも満たないような、稚い子供だった。以
来十有余年、目覚ましい速度で成長を続けるこの青年と、自分はその時々に合わせた付き
合いを続けてきた。
 どれほどその外見が雄々しく逞しく長じても、やはり自分にとっての悟飯の本質は、子
供の日の彼のままで……そんな風にして、この先も自分は彼と関わっていくのだろうと思っ
ていた。
 だが……そんな風に、変化がないと思い込んでいたのは、自分ばかりであったという事
か。


 異性との性交渉について示唆されたというのなら、外部の目にそう映るほど、悟飯の体
はいっぱしの「雄」として、十分に発育したという事だ。
 考えてみれば、彼の両親は今の悟飯の年頃には、既に所帯を構え、息子を設けていた。
たまたま同じような道を選ばなかったというだけで、年齢的にも、悟飯がそういった対象
と番っていたと仮定することに、何も不都合はないのだ。

 ならば、今悟飯が直面している問題は、手合わせ程度の片手間の発散を繰り返しても、
根本的な解決には至らないだろう。種族としての特性を最も顕著に分け隔てるであろう命
題を前にして、自分は何をしてやれるだろうかと、ピッコロは自問した。 

 だが、ともすれば長考に陥りかねない物思いは、そもそもの端を発した青年の続く言葉
によって、一旦棚上げされる。
 身動きが取れない気分なんです―――そう、悟飯は続けた。

 「界王神界から戻った時は、ただ居たたまれないって気持ちだけが強かったんです。相
  手を選べって言われたって、僕には実際にそんな相手もいないんだし、だったら考え
  るだけ時間の無駄ですから。……ただ、その事で、今まで考えもしなかったことを……
  考えなきゃいけない事ができたのも、確かで……」 
 「悟飯……」
 「今はまだ、ただの仮定の話です。でも、いつか僕が自分の家族を持つような時がきた
  ら、この問題はすぐに現実のものになります。結婚して、自分の子供を作る……そん
  な時がきたら、僕は、大界王神様の忠告に、ちゃんと向き合えるのかって……」

 僕の中に流れる、サイヤ人の血に―――続けられた青年の語調は、並外れた聴覚を有した
ピッコロが意識を傾けてようやく知覚できたほどに、か細く頼りなかった。
 

 「……僕は、サイヤ人と地球人のハーフです。もう純血のサイヤ人がお父さんとベジー
  タさんしかいない以上、いつか僕が誰かと結婚するとしても、それは地球人か、また
  別の種族の相手か……とにかく、サイヤ人の伴侶ができる事はあり得ません。僕に子
  供ができたら、その子は、サイヤ人の血を四分の一だけ受け継いだ、クオーターとい
  うことになります。サイヤ人の血はまた薄くなって……僕の血が、更に変化して僕の
  子供に受け継がれることになる」
 「……そうなるだろうな」
 「そんなことを考えていて……思い出したんです。僕がまだほんの子供の頃……サイヤ
  人の地球来襲を水際で食い止めようとして、みんなで必死に立ち向かったあの頃……
  初対面の僕を見て、ベジータさんが言っていたことを。……ピッコロさんは、覚えて
  いますか?」

 
 一旦口火を切り、それまで視線を合わせる事を避けていた悟飯が、伺うようにピッコロ
を仰ぎ見る。しかし、問いかけの形をとりながら、青年がその答えをピッコロに求める事
はなかった。

 「……サイヤ人は、混血によって潜在能力が高くなるって……純血のサイヤ人の子供よ
  りも、僕は強いって……そんな事を、言われました。ベジータさんにも、今でもその
  メカニズムは解らないみたいですけど……」
 「……ああ」
 「メカニズムが解らない以上、根拠はありません。ただの杞憂で終わるかもしれない。
  でも、もし僕に子供ができれば、その子は、更に混血することになります。僕も、
  悟天も、トランクスも……三世代目のサイヤ人を、いつか儲ける事になるかもしれな
  い。その子が親の僕達を越えて、更に進化したサイヤ人になるとしたら……」


 刹那―――悟飯がここまで屈託する理由に、ピッコロは、ようやく思い至った気がした。

 十六年前、ほんの幼子であった悟飯を見て、当時はけして相容れることなどないだろう
と思っていたサイヤ人の王子が語った言葉を、ピッコロも、おぼろげにではあるが覚えて
いる。最後の純血種とも言えるあのベジータが、種を存続させる有望な手立てとして、そ
の根幹を変じさせる結果になってでも試してみたいと言い放ったほどに、高い可能性を秘
めた仮説であるという事も。

  
 父親を凌ぐほどの潜在能力を持った悟飯。改まった手ほどきなど受けずとも、自らの本
能で超サイヤ人化することが叶ったという、もう二人の混血児達。それぞれが、純血種の
サイヤ人を凌駕する存在であることは、他種族のピッコロの目から見ても明らかだった。
 そして――――悟飯には、後の二人とは、また根底の異なる問題があった。
 
  
 四年前、瀕死の重傷を負った事をきっかけに身を寄せた界王神界において、悟飯の潜在
能力は、限界以上に高められ、引き出されている。その能力が、混血によって更に強化さ
れるとしたら……
 愛弟子の血を分けた子供だ。あくまでも仮想の存在だが、自分だとて情を覚えないはず
がないと思う。だが、それでも、その子供に内在することになるかもしれない桁外れの能
力を想像すると、ピッコロは、戦慄せずにはいられなかった。


 咄嗟に返す言葉も思い浮かばなかった、沈黙の長さが言外の応えとなったのだろう。悟
飯は、遣り切れないといった表情で、そんな存在、手に負えないですよね、と呟いた。


 「今はまだ……子供どころか、家族になれるような相手とさえ出会っていないんですか
  ら、ただの杞憂です。でも、そういう可能性もあるんだと考えたら、僕は安易に子供
  や、生涯の伴侶を求めてはいけないような気がして……」
 「悟飯……」
 「そう考えると……ただの仮定の話なのに、凄く息が詰まるんです。そうしたいか、し
  たくないかじゃない。僕には、そうできない事情があるんだって、そう考える事が、
  なんだかたまらなく遣り切れないんです。将来を、自分から望まない事と、物理的に
  望めないことは、全然違う。そう、思い知らされているようで。……雁字搦めになっ
  て、身動きが取れなくなるんです」

 こんな半端な状態で、立ち止まってしまう訳にはいかないのに―――続けられた悟飯
の語調は、その内に抱える焦燥の程を物語るかのように起伏に乱れ、余裕がなかった。


 「……昔の事を…セルとの戦いの事を、今になってしょっちゅう夢に見るようになった
  のは、そういう自分の中のもどかしさも原因しているんだと思います。現実には、世
  界はこんなに穏やかで、僕達が戦いに駆り出されるような事態が、そうそう起こると
  は思えない。みんなが無事で、平和で、僕はちゃんと自分の望んだ道を歩いていて
  ……でも、こうして夢に見続けるのは、今の僕の状態が、そのくらい不安定だってこ
  となんだろうなって……」

 苦しいですと、独語のように、青年がぽつりと漏らす。

 「こんなこと、言ったって何にもならないことだってわかっています。言ってはいけ
  ない言葉だってことも。…でも、もし僕の中にサイヤ人の血が半分流れていなかっ
  たら、こんな風に雁字搦めになる事もなかったのかって……本末転倒ですけどね。
  もしそんな風に生まれていたら、僕はピッコロさんに鍛えてもらうことも、戦うこ
  ともなくて、そもそも、今こうして生きてさえいなかったでしょうから」
 「悟飯」
 「惑星ベジータはもう消滅していて、純血のサイヤ人はお父さんとベジータさんの二
  人だけで……お父さんは何も言わなそうですけど、こんなことがベジータさんの耳
  に入ったら、サイヤ人の誇りを簡単に捨てるなとか、怒鳴られそうですね。僕にそ
  の血を分けてくれたお父さんにも、やっぱり申し訳ないって、そう思います。……
  でも、こんな風に煩わされるくらいなら、いっそ、何も受け継ぎたくなかったって、
  そんなことまで考えてしまって……」

 嫌なのに。考えたくないのに。そんな自分を、僕は否定できないんです――― 




 長い述懐の語尾を、疲れたように吐き出した己の嘆息に紛れさせた悟飯は、それきり、
続く言葉を語らなかった。そんな悟飯を敢えて促すようなことはせず、ピッコロもまた、
沈黙を守ったまま、隣に座る青年の、奔放に跳ねる後ろ髪を見やる。
 これは確かに、父親にも言えない―――知られたくはない話だろうと、束の間室内に訪
れた静寂の中、ピッコロは、己の認識を新たにした。


 目指す将来のため、省ける行程の全てを省き、一足飛びに現在の立ち位置まで駆け上
がってきた青年だ。常に自らを急き立て追い立てしてきた数年間を思えば、強制的に足
止めを食わされたようなこの現状に、内心で、彼がどれほど苛立たせられているか、ピッ
コロにも容易に推し量る事が出来た。
 しかも、悟飯本人が語ったように、現状では杞憂の域を出ないこの命題は、何らかの
手立てを講じる事で解決できるという類のものではない。まさに「その時がこなければ
解らない」としか言いようがない懸念を、悟飯はこうしてずっと、身の内に抱えていか
なければならないのだ。

 サイヤ人としてのメカニズムに言及した命題である以上、他種族であるピッコロには、
その真相は解らない。どころか、一世代目にあたる孫悟空やベジータでさえも、この件
に関しては同様だろう。結局は、二世代目のサイヤ人達が現実問題として直面するまで、
この命題は棚上げしておくことしかできないのだ。
 そして、順当に成長すれば三人の中で最も早くこの手の懸念が具現化するであろう悟
飯の体内で、静かに、しかし確実に、その種火は育っている。


 いまだに現実として訪れてはいない、事態を憂える懸念そのものは、どうにかして本
人の意識をそこから引き剥がすしかないだろうと思う。実際に直面してもいない命題に
今から馬鹿正直に向き合い続けても、悪戯に自らを疲弊させるだけだ。
 だから、いくら考えても答えの出ない不毛な物思いはその辺にしておけと、そう告げ
て、強引に話を切り上げる事も考えたが―――精神論だけでは片づけられない、深刻な問
題もそこには内在していた。

 己の内で断続的に目を覚ます、サイヤ人としての本能的な衝動に、悟飯が苛まれるよ
うになってから一月近くになる。それが、彼が診立てられたという「欲求不満」状態と
密接なつながりを持っている事は、間違いないだろう。
 日常生活を送るにも事欠くほどに、この命題に端を発した物理的な制約を、悟飯はす
でに背負っているのだ。このまま、「気の持ちよう」などといった曖昧な誤魔化し方で
乗り切れるほど、事態がのんびりしたものだとは、ピッコロにも思えない。

 ならば、これ程に現状を憂える青年に対し、自分は何を、してやれるだろうか―――


 「……解った」

 意を決するようにして、喉奥からようやく吐き出せたのは、青年が置かれた環境に対
し、意味も成さない事が自分でも解るような、短い相槌だった。


 「ここでお前が一人思い悩んでいても、改善できない問題なんだということは解った。
  ……とにかく、何か腹に入れて人心地ついておけ。相変わらずなまっちろい顔色を
  している。何をするにしても、体がついて行かない状況では話にならんだろう」
 「……ピッコロさん」
 「お前の事だ、どうせここに来る前から、ろくに食ってなかったんだろう。その大食
  らいの身で飯も食わないとくれば、それは体も参って当然だ。今にもぶっ倒れそう
  で、見れたものじゃない」

 グダグダ考えるのをやめられないなら、せめてするべきことをして、体の状態だけで
も整えておけ―――言い置いて、敢えて隣に座る青年を振り向くことなく立ち上がる。そ
うして、青年が慌てたように腰を上げた気配を背中に感じながら、ピッコロは、寝起き
姿のままで顔を出したら承知せんからな、と言葉を重ね、最後に、ああそれから、と駄
目押しのように一言付け加えた。

 「―――後で、デンデに礼を言っておけ。一晩で、随分体が楽になっただろう。組手の
  後、お前の外傷を癒してくれたのはあいつだ」

 
 こう言えば、義理堅いこの青年は、旧友への返礼の為にも、いつまでもこの部屋に閉
じこもってはいられなくなるだろう。そうして一旦「日常」の中にその身を移せば、元
来大食漢である悟飯に、食事を摂らせることは容易かった。

 さっさと顔を出せよと言い残し、最後まで背後を振り返ることなく、青年の逗留する
客室を後にする。そうして居丈高に振る舞う事で、この現状に対し成す術を持たない自
分自身に対する居たたまれなさを誤魔化そうとしている、そんな不甲斐なさが、室内の
青年に伝わっていなければいいと、ピッコロは、埒もないことを考えていた。


 



 

 ピッコロの予想通り、程なくして悟飯は室外に姿を現した。まだ顔色がいいとはいえ
ないまでも、最低限の体裁を整えてから顔を見せた悟飯と、そんな青年を安堵したよう
に迎えたデンデが互いに恐縮し、一通り頭を下げ終わったのを契機に、表向きは従来通
りの、穏やかな会食の時間が流れていく。
 
 そうして悟飯に人心地つかせたのち、ピッコロは、終日予定が入っていないという青
年に、久しく馴染のなかった瞑想を行うよう、促した。

 いわゆる「欲求不満」状態を解消させるには、大界王神の神託を無視するなら、これ
まで同様、体を使った修練で少しずつエネルギーを発散させていくのが、根本的な解決
に至らないまでも、効能の見込める手立てであるように思えた。
 だが、その胸の内はどうあれ、深い眠りから目覚めた今の悟飯は、それなりにバイオ
リズムが安定しているように見える。だとすれば、ただでさえ本調子とは言えないとこ
ろに、無理を押して体を動かすことは逆効果になりかねないと、ピッコロは思ったのだ。

 戦い漬けの日々から解放されて以来、そんな機会もなくなっていた精神修養がなんと
なく面映ゆいのか、落ち着かない素振りで悟飯が幾度となく手足を組み替え、身じろぎ
する。そんなごそごそとした動きが一段落し、ようやく青年が精神を集中し始めたのを
感じ取ると、同じように瞑想の体勢に入っていたピッコロは、ひそかに伸ばした気の糸
で、悟飯の意識を探った。

 子供時代の、それも過酷な戦い漬けだった当時とは境遇が異なる。念話を行う必要も
なければ、悟飯が何を考えているかなど、わざわざ暴き出すような事態でもなかった。
相手の気の流れを探るだけだと自分自身に名分を残せるからこそ、構えることなく相手
の内面へと意識を集中できる。

 久方ぶりに青年の内面に触れてみて―――まず感じたのは、やはり青年の気が相当
に混濁を見せている、という事だった。

 黙っていても周囲の者に伝わるほどの、著しい気の乱れは感じられない。それでもこ
うしてその内面を覗き込めば、彼が、折々の衝動に揺れ動く気を辛うじて制御している
状態にある事は、明らかだった。
 例えるなら、その内に潤沢な燃料を蓄え、いつでも着火可能な状態にある導火線を、
自ら伸ばしているようなものだろうか。ほんの僅かな火種で、悟飯は身の内に蓄えた燃
料を、容易く爆発させかねない状態にあった。

 それを辛うじて抑え込んでいるのが、悟飯の理性であり、それによって平静を保てて
いる、彼の情動だ。ひとたび彼が自分を見失えば、孫悟飯という起爆装置は、いとも容
易く爆発する。
 もともとが、情に厚い青年だった。人の痛みを思い寄り添う事の出来る、分け隔ての
ない優しい心を持っている。戦士としては時に欠陥にもなりかねない、青年のそんな長
短合わさった得難い気質は、今でも彼に師と呼ばれる自分にとっても、ある種の自慢で
さえあった。

 だが、情に厚いという事は、その分、感情の揺れ幅が他者より大きいという事でもあ
る。今の悟飯が己の理性を越える程の情動に身を任せてしまったら……唯でさえ混濁し
荒れた状態にある彼の気は、彼自身にも制御できないまでに暴走し、爆発するだろう。

  

 欲求不満だなんだと、軽く話題にできている内はいい。だが、このまま何もできずに
手をこまねいていれば、間違いなく、事態は悟飯の語っていた「杞憂」を容易く凌駕す
る。
 自らを制御する術を失った悟飯を、止められる者は……自分を含め誰一人、この地上
には存在しないのだ。人ならぬ力によって、潜在能力を限界以上にまで引き出されたま
ま一生を送る事になる悟飯には、誰も自分を制御できないという孤独と恐怖が、文字通
り、生涯ついて回ることになる。

 大界王神の施術によりリミットを外される以前ですら、時として持て余されてきた青
年の尋常ならざる能力。そんな彼が一生を生き抜くせめてもの保険になってくれればと、
ピッコロも自らの命を担保にした誓約を青年と交わしていたが……実際のところ、ここ
までの「進化」を遂げてしまった悟飯に対し、非力な自分がどこまでそれを果たせるの
かすら、正直なところ、ピッコロにも自信が持てなかった。

 
 自分自身は、どれほど惨めで無様な姿を晒しても構いはしない。だが、自分の力が及
ばないことで、この青年に生涯下せない孤独を背負わせることだけは、何としてでも避
けなければならなかった。


 


   

 『―――孫。孫悟空、聞こえるか』


 向かい合った青年が、完全に瞑想状態に入ったのを確認し、一旦遮断した思念の糸を、
今度は遠く神殿を離れた地上へと伸ばす。目的の人物は、すぐに意識の片隅に捉える事
が出来た。


 『……ピッコロか?オラ、ここんところおめぇに説教されるような事した覚えはねぇ
  けどな』

 程なくして返された男の思念が、幾分牽制の響きを含め、身の潔白を訴えてくる。そ
う言えばこの男に呼びかける時は、彼の息子や家族絡みの事で、苦言を呈するための召
集が殆どだったと、埒もないことをピッコロは思い出した。

 『身に覚えがないなら、いちいち言い訳するな。反って勘繰りたくなるぞ。……とに
  かく、今はそういう用件で呼びかけたわけじゃない』

 仕切りなおすように、しかし悟飯に気取られないよう、胸の内でだけ一息つくと、ピッ
コロは本題を切り出した。

 『お前、今はパオズ山だな?もうしばらく……そうだな、あと数日位は、そこにいる
  か?』
 『あ?…ああ、別にいまんとこどっからも呼ばれてねぇから、いると思うけど』
 『そうか。それなら、近いうちに、一度そちらに向かう。事前に連絡はするが、場合
  によってはそれなりの時間を付き合ってもらうことになるかもしれない。そのつも
  りでいてくれ』

 続けられた念話の内容を訝しんだのか、地上からの通話が、束の間途切れる。ややし
て、不信の響きを隠そうともしていない思念が、ピッコロの脳裏に届いた。
 
 『それは構わねぇけどよ。オラが呼ばれるんじゃなくて、おめぇがこっちくんのか?』

 いつもなら、何をおいてもさっさと来いってオラをどやすじゃねぇか―――続けられた
不平交じりの訴えに、それは悪かったな、と、口先ばかりの謝罪を返す。それでも、相
手の協力なしには行動も起こせないことを自覚しているピッコロは、続く思念を、真摯
な姿勢で下界に送った。

 『お前に頼みたいことがある。だから、俺から出向くのが礼儀だろう』
 『……へぇ。珍しいこともあるもんだな』
 『詳しいことは、そちらに出向いた時に話す。こちらから呼びかけておいてなんだが、
  長々話していられる状況ではないんでな』


 自分のすぐ側で瞑想を続ける悟飯の存在が、意識の片隅で通話を続けるピッコロを幾
分急き立てる。完全に気の繋がりを切ってはいても、あまり長々とこの状態を続ければ、
この念話を青年に気取られかねない危惧は多分にあった。
 
 『……では、頼んだぞ。また連絡する』


 始まった時と同じく、思念を送るが早いか強引に意識を現実へと引き戻す。念話が途
切れる寸前、目的の人物から不服そうな思念が送られてきたのが解ったが、取り合わず
にそのまま自らの内へと、意識を切り替えた。

 身の内に大きすぎる爆弾を抱えてしまった青年と、向き合った体勢で自らも瞑想を続
けながら―――これから行動に移そうとしている自分の目論みが、ほんのわずかでも青年
を癒せる術になってくれればいいと、何に対してかも解らず、ピッコロは、祈らずには
いられなかった。

 
       


                                    TO BE CONTINUED...


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