DBZ「safety valve・7」








  神殿の内部にしつらえられた、青年が逗留する際に宛がっている客室へと運び込まれ
ても、悟飯は目を覚まさなかった。


 もともとそのつもりで止めを食らわせた以上、半端な状態で目を覚まされても面倒だ。
昏倒している間に最低限の治療を済ませ、目を覚ました青年が少しでも身軽な状態になっ
て己のガス抜きに専念できるよう、お膳立てを整えておいてやりたいと思う。
 だが―――そう段取りしたピッコロが、この神殿の主であるナメック人の少年に悟飯の
診立てと治癒を依頼しても、悟飯の旧友でもある同朋は、神妙な面持ちで首を振るだけ
だった。

 曰く、「今、悟飯さんに気を送っても、毒にこそなれ、薬にはなりません」と。

 デンデのような回復能力を持たないピッコロには、今の悟飯の容体は、その外面と、
感知できる気の流れでしか推測できない。だからこそ、一旦昏倒するまで疲弊させた、
その身体的なダメージだけでも早々に拭ってやれればと考えての依頼であったが……デ
ンデの言を借りれば、それでは逆効果になってしまう、という事らしかった。
 デンデの回復能力を用いれば、悟飯の外的なダメージそのものは、労せずして癒せる
だろう。だが、その為に気を送り込めば、青年の中に内在する生来の気が膨れ上がり、
飽和状態になりかねないと、デンデは語った。それが、彼の言うところの「毒」という
事なのだろう。
 
 せめてもの措置として、申し訳程度に放出した気で昏倒状態にある青年の全身を押し
包む。そうして、今悟飯に苦痛を与えているであろういくつかの部位の外傷を気の薄膜
で覆うように治療すると、デンデは、これくらいしかできなくてすみません、とピッコ
ロに頭を下げた。 
 ここで自分にできる事はもうないだろうと判断したのか、丁度、定刻の神事を控えて
顔をのぞかせたミスター・ポポに付き添われ、多少後ろ髪を引かれるようにして、デン
デが客室を後にする。旧友がなぜこんな有様になっているのかという事も含め、それ以
上は敢えて何も聞かなかった同朋に、ピッコロこそ、内心頭が下がる思いだった。


 同朋とその世話役を送り出し、再び静寂が戻った室内で、改めて寝台に眠る青年を振
り返る。相変わらずの顔色を晒すその寝顔を見つめながら、ピッコロは、先刻デンデが
語った診立てを、苦々しい思いで反芻した。


 青年が内包する気は、外部から余計な気を注がれただけで飽和状態になると言ってい
た。それでは、神殿にやってきた悟飯の疲弊ぶりは、やはり心因性のものだったという
事になる。
 今度はいったい、何が原因で、自らをそこまで追い詰める羽目になったのか―――

 大界王神の手により、潜在能力を限界まで引き出されたしわ寄せがきていることは、
知っている。だが、それはどちらかというと一種の平和ボケであって、多少その発散を
怠ったからと言って、ここまで青年が憔悴してしまうというのが、どうにもピッコロに
は解せなかった。
 そもそも、魔人ブウとの世界の命運をかけたあの決戦から、もう四年が経っている。
引き出された潜在能力を、強制的に維持させられる肉体的な緊張が綻びを見せるにして
も、なぜ、四年も過ぎた、今なのか―――

 一度は神と呼ばれる存在の中継ぎを務めたピッコロにとっても、界王神界に住まう界
王神達は、それこそ雲の上の存在だ。あまりにも偉大すぎる、ある種の脅威すら感じさ
せる彼らの采配を疑問視することすら、恐れ多い事にも思えたが……このままいつまで
も事態が好転しないようなら、自分も、立場をかなぐり捨てて行動を起こすべきかもし
れない。

 
 とにかく、今の悟飯の憔悴振りは異常だ。外部からの強制的な治療が難しいなら、彼
が自力で自らを癒し、目覚めるまで待つしかないが……この神殿にやってきた時、彼は
明らかに、何かを自分に隠していた。界王神界に出向くなら、彼の口から、それを聞き
出してからだ。
 
 寝台に横たわり、時折苦しそうにその眉間を寄せながら眠り続ける、青年の傍らに佇
みながら、他にできることもなく、ただその目覚めを待つ。
 外傷の目立つ箇所は、デンデがその気で処置してくれた。傷を覆う程度の薄い膜でも、
自然治癒を待つよりはだいぶ本人も楽だろう。発熱している様子もないし、反って体を
冷やし過ぎていたくらいだから、人工的に冷やしてやる必要もない。
 外傷に障らないよう、薄手で保温性の高い掛け布でその身を覆ってしまえば、後は本
当に、ただ様子を見ている事しかできなかった。 


 手持無沙汰を自覚してはいても、今現在、ほぼ名目だけとなった神の補佐役である自
分が、青年の枕元に持ち込んでまで、わざわざ片付けなければならないような仕事もな
い。むりやり仕事を作ったところで、この状況で身が入るとも思えなかった。
 青年の容体を観察する為にもその傍を離れるわけにはいかず、そうやってただその寝
顔を眺めていると、取り留めもない追想が脳裏を過る。浮かぶ側から振り払うのも面倒
に感じ、思いつくままに任せていると、この青年との間に積み上げられた様々な過去の
情景が、当時の感情を伴うようにして蘇った。

 平時と比べて、どこか幼い印象を覚えるその寝顔に触発されたのだろうか……悟飯が
まだほんの子供だった頃、サイヤ人の地球来襲という逃れようのない期限を前に、自分
でも常軌を逸していると思う鍛錬を、彼に課した事を思い出す。その潜在能力は疑いよ
うがなくとも、到底自分を律する事ができる年頃ではなかった少年に、一切の泣き言も
言い訳も許さなかった。
 親元を離れたこともないような幼い子供が、たった一人でのサバイバル生活も含めて、
よくぞあの一年間を耐え抜いたものだと、今でも思う。そして、そんなのっぴきならな
い急場の中でさえ、自分はこの青年を、鍛錬の中で意図的に昏倒させたことはなかった
と、何とも後味の悪い思いで、ピッコロは先刻の手合わせを振り返った。

 一足飛びの成長を見せる少年から仕掛けられた、思いがけない攻撃に驚き、反射的に
加減の効かない反撃を食らわせてしまったこともあった。だが結局は、より効率よく、
効果的な修練を課したかったという狙いとは別の部分で、きっと自分自身が、悟飯のそ
んな姿を見たくないと思っていたのだ。そう自制するくらいに、自分はあの当時から、
この青年を得難い存在として認識していたのだろう。
 
 自分が声を荒げるたびに震え上がり、涙さえ浮かべていた小さな少年は、いつしか師
である自分を凌駕し、地球の救世主となった。そうして忙しなく自らの成長期を駆け抜
けた愛弟子は、いまやいっぱしの成人として、己の目指す将来を力強く手繰り寄せてい
る最中だ。
 そのために、この二週間、青年がどんな目的の下にここまでの無理を通したのか、改
めて聞くまでもなく想像がつく。困ったものだとも思うし、そんな綱渡りを続けて体が
もつかと叱責したい気持ちもあったが、これが目指した将来を掴もうとしている悟飯の
覚悟であり、意地なのだ。ただ頭ごなしに無理をするなとは、彼の人生を肩代わりして
やることのできない自分には、言えなかった。

 目的の場所まで、馬車馬のように脇目も振らず、一目散に駆け抜ける。そんな忙しな
い生き方は、ユニバーシティをスキップで卒業した時点で落ち着いたかと思っていたの
に……こうして見ていると、少しも、楽になったようには思えない。それでもそれが悟
飯の選んだ生き方なら、自分は自分にできる方面から、彼をサポートしてやる事しかで
きなかった。

 ならば、今の悟飯に自分がしてやれることは何なのかと、考えてみる。そうやって、
部外者に過ぎない自分を改めて認識するのは、予想した以上に遣る瀬無いものだと思っ
た。
 とにかく、早く悟飯が目を覚ませばいい。きっと自分が想像する以上に無理を通し、
そして意地を貫いたのであろうこの青年から詳細を聞き出して、現状への打開の術を見
つけてやりたい。余人であれば抱える必要のない重荷を背負い込み、市井の中で自分の
足跡を残そうとしている彼の将来を、少しでも盤石なものにしてやりたかった。

 容体が気にかかるとは言っても、このままその枕元にただ控えていても、目を覚まし
た悟飯と直面すれば、それはそれで悟飯が気に病むだろう。現状は落ち着いているよう
だし、急変しないか様子を見るだけなら、片手間仕事でも付添には十分だ。
 敢えて実にもならない雑事を作り、ついでのように青年の様子を気にかける、そんな
建前を作ろうとしている自分のらしくもない体裁振りが、滑稽だと思う。だがそれでも、
今この青年の側を離れる事が、ピッコロにはどうしてもできなかった。



 



 
 白濁した視界が、薄膜を剥ぎ取るように、次第に明確な輪郭を象り始めていく。
 鮮明になった視野にまず飛び込んできたのは、この一月あまり、断続的に見続けてき
た過去の情景だった。

 ああ、またかと、心底辟易した思いで眼前の景色に向き直る。宥め沈める傍から沸き
起こる自身の衝動に振り回され、疲弊しきった心は、夢から醒めようと足掻く気力すら
振り絞る事が出来なかった。

 
 荒野と化した大地を、自ら仕掛けた自爆から復活したセルの放つ膨大な気が、その地
軸ごと震わせる。地球ごと跡形もなく吹き飛ばそうと、一息に高められた宿敵の気の波
動に全身を晒されながら、よりにもよってこの瞬間かと、悟飯は、胸の内で嘆息した。

 自らの力に溺れ、眼前の人造人間が身の内に秘めていた脅威を見過ごし、その判断ミ
スによって招いてしまった窮地。繰り返される悪夢の中で、自分はどれほど、この経緯
を覆したいと、足掻いた事だろう。
 そのくせ、無意識の内に抑止力が働いてしまうのか、あるいはそれこそ、自分自身が
背負う天の采配というべきなのか、夢はいつでも、このとてつもない絶望の記憶より先
へは進めず、終わってしまう。
 
 夢に見続けた、過去の記憶は今でも鮮明に自分の中に残っている。この後、彼岸へと
渡った父親の助力に後押しされ、ようやく、自分はセルを地上から抹殺することに成功
するのだ。
 どうせ強制的に夢として再現させられるなら、最後の最後まで、見せてくれればいい
のにと思う。辿った結末は変わらずとも、父と力を合わせて宿敵を退けたという「現実」
を再認識できれば、この夢見の悪さも少しはましに思えるはずだった。

 ……否。自戒の念が、この記憶を呼び寄せているようなものだ。そうそう自分に優し
く都合のいい光景を見せてはくれないのだろう。
 だから―――この時も、もう目の前まで迫った夢の終わりを予感して、悟飯は、自らの
圧倒的勝利を確信する人造人間に向かい、投げやりに言い放った。

 『……やれよ……抵抗したって、ムダなことぐらい…わかっている……』

 敗北宣言にも等しい自分の言葉に、喜色を浮かべたセルの得意顔に怖気が走る。ああ、
本当に残念だ。この人造人間だけは、この手で跡形もなく打ち砕いてしまいたかった。
 だが、これはどう足掻こうと、結末の動かない、ただの夢だ。いっそここであの日の
絶望感に満たされたままセルに討たれてしまった方が、衝動に囚われた今の自分の懊悩
を、少しは抑え込んでくれるかもしれない。所詮お前はその程度の存在なのだと、そん
な風に圧倒的力量差に叩きのめされれば、自分の気概も、打ち砕かれてしまうだろう。

 
 ―――さあ、やれよ。セル……そしてさっさと、この夢を終わらせろ。


 向かい合った宿敵が、その両手の中に練り上げていく気の精度が爆発的に高まってい
く。その瞬間を見越して、悟飯は、これまで夢の中ですらけして自らに許してこなかっ
た、ひたすらに自分本位な逃げを打った。
 すなわち―――師父や父親から固く禁忌として戒められた行為……敵の眼前で、全てを
投げ出したように、目を閉じた。

 
 耳が痛くなるほどの気の高まりに晒されながら、それでも、師父や仲間達が何か叫ん
でいるのが伝わってくる。完全に抵抗を放棄した自分の姿が、この絶望の色に染まった
現実を、更に救われないものとして彼らに突き付けていることだろう。申し訳ないと、
胸の内でそう思ったが、もう自分自身が忍耐の限界だった。

 目を覚ました瞬間に、強烈な自己嫌悪に襲われるだろうことは解っている。それでも、
今、この「現実」に対する抵抗を放棄することで、自分は、楽になりたかった。

 
 居丈高な侮蔑の言葉と共に、セルがその掌中で練り上げた気の照準を、自分に向けて
ひたと据える。ある程度の距離を保って向き合っているはずなのに、気の波動に炙られ
ているだけで、総身が竦みあがるほどの威圧感を覚えた。
 ……これでいい。早く撃ってしまえ。撃って、この夢を終わらせてくれ―――



 閉ざした瞼を通してさえ、眼球を射るような凄まじい光量に、迫りくる終わりの時を
胸の内で数え上げる。気の放出まで、せいぜいがあと十秒……五秒……

 だが―――


 『―――おい!!あきらめるなんてねえだろ悟飯!!』
 『…っ!』

   
 
 出し抜けに悟飯の脳裏に響き渡った、耳馴染んだ叱責。
 これまで、数限りなく夢に見て、どうせなら最後までこの夢を追体験させてしてほし
いと願っていた、その継承の契機を―――強引に引き寄せる、彼岸の父からの、呼びかけ
だった。

 『…お、と……さん…っ』


 ああ―――これでは、夢は終わらない。
 あれほどに願い、ここで目覚めたくないと叫び続けても叶わなかったものを……なぜ
今になって、このタイミングで……

 嫌だ。もう持たない。ここから先の記憶を追体験するには、もう自分の神経は限界だっ
た。これ以上は、辛うじて自分を保たせていたなけなしの自制が、焼き切れる。

 お父さん……お父さん……
 あれだけ呼んでも、今まで現れてくれなかったくせに。夢の続きを追体験することも
できないほどに、自分の犯した業は深いのだと、自分は何度も味わわされたのに。
 今になって。なぜ今、この時になって……


 夢現の混濁した意識から懸命になされた訴えは、夢の世界の、しかも彼岸の住人であ
る父の耳には届かない。在りし日のままの溌剌とした、「生気」に満ちた口調と滑舌で、
彼は、悟飯に最後の力を振り絞り、打開の一撃をセルにぶつけろと言い放った。


 『……だ、だけど…今の、僕は……』
 『だいじょうぶ勝てる!!自分の力を信じろ!!』

 お前にならできると、力強く鼓舞する父の声が脳裏に響く。限界まで力を振り絞れば
お前はきっとセルに勝てると、幾度となく太鼓判を押す、絶対的な言霊を宿した、究極
の戦士の宣言。

 『…っ!』

 ―――鳥肌が、立った。



 夢の中の父が鼓舞しているのは、あの日、セルに力負けしかけていた自分だ。あれ
から七年の歳月を経て、当時身の内で目覚めた衝動の再燃に苦しんでいる、今の自
分ではない。
 解っている。解っていた。だが……

 『……お父さん…っ』

 なぜ、今なのか。身の内で荒れ狂い、今にもこの身を突き破ろうとしている衝動を、
懸命に抑え込んでいるこんな時に、何故、貴方がそれを自分に促すのか。
 これ以上力を振り絞れというのか。今この瞬間でさえ、やっとの思いで自制してい
るこの衝動を身の内から解放して、「全力で」宿敵を討てと、貴方が言うのか。

 理不尽な言いがかりである事は、自分でも解っていた。あの時、こうして父に背中
を押されなければ、自分はけして宿敵には打ち勝てず、ひいては、こうして目指す進
路を歩む今の自分もなかったのだ。
 解っていて……それでも、追憶の父に更なる発奮を促された今の自分が、どうしよ
うもなく孤独だと、悟飯は思わずにはいられなかった。


 父の声に促され、改めてセルと向かい合った夢の中の自分が、一度は消沈した自ら
の気を急激に高めていく。その感覚を強制的に共有させられ、夢現の意識が、声にな
らない悲鳴を上げた。

 嫌だ。これ以上の疑似体験は耐えられない。このままでは、現実の自分もまた、やっ
との思いで抑え込んできた衝動を爆発させてしまう。
 早く夢から醒めないと……早く、「現実」へと戻らないと……!
 助けて、助けて、助けて―――!!


 
 夢の中で、少年の日の自分がセルに向かい、身の内から振り絞った渾身の一撃を放
つ。同じように放たれたセルの気弾とぶつかり合い、互いの中間地点で凌ぎを削りあ
う膨大なエネルギーが、刹那、眼前で爆発的に膨れ上がった。
 目を焼く光量と、全身に襲い掛かった筆舌に尽くしがたい衝撃―――

 在りし日の自分へと強制的に意識を同調させられた悟飯が覚えていられたのは、そ
こまでだった……
   









 「……ん!おい!悟飯!」

 
 夢現を揺蕩っていた意識が、急速に浮上する。

 体を揺さぶられた感覚に引き寄せられ、ぼんやりと瞼を持ち上げれば、目覚めのぼ
やけた視野の片隅に、記憶に懐かしい見慣れた色彩が過った。
 何度か双眸を瞬かせ、視界を覆う薄膜を取り払う。程なくして視野一杯に飛び込ん
できたのは、自分を覗き込む、気遣わしそうな師父の顔だった。

 ああ、現実に戻ってこられたのだという安堵と脱力感に、深い嘆息が漏れる。


 「…っ悟飯……気づいたか」
 「……ピッコロさん…」

 覚醒したばかりで語勢に欠ける掠れ声で、師父の名を呼ぶ。そんな情けない呼ばわ
りにも、彼は目に見えて安堵の表情になった。

 あの夢から何とかして目覚めようと、魘されでもしたのだろうか。未だにしつこく
視野を覆う薄膜を払おうと瞬けば、眦から伝い落ちたものがこめかみを濡らす。それ
だけで、昏倒していた自分がどんな姿を晒していたのか、大方の想像はついた。

 自ら望み、挑んだ手合わせの挙句、あっけなく落とされた自分の傍に、この人はずっ
とついていてくれたのだろう。その上性懲りもなくあの夢に魘され、随分と余計な心
配をかけてしまったに違いない。
 
 いつまでも不出来な弟子で心底申し訳がないと、そう言葉で詫びたところでピッコ
ロは無表情に受け流して取り合わないだろう。そんなことを気に病む暇があったらさっ
さと体調を本調子に戻せと、不機嫌そうに吐き捨てられるのがオチだ。
 だから、せめてもの意地で身を起こし、もう大丈夫だと自らの行動で示そうとして
……しかし、ものの数秒と経たずに、悟飯はその目論見に失敗した。

 「…っ!」
 「悟飯…っ」

 無防備に力を入れてしまった臓腑が、引き攣れるように痛む。胃の中身を吐き出し
たくなるような出し抜けの衝撃に、悟飯は、咄嗟に持ち上げた手で自身の口を覆った。
 ……ああ、そう言えば手合わせで落とされる直前、ピッコロから鳩尾に容赦ない一
撃をもらっていた。こんな平和ボケした体たらく振りでは、体が悲鳴を上げるのも、
無理もない。
 気遣うように腕を伸ばす師父に、軽く首を振って大丈夫だと言外に応える。それで
も、己の応えを裏付けするように、矍鑠と身を起こして見せる事も、今の悟飯にはで
きなかった。
 反射的な嘔吐感は何とかやり過ごせたものの、結局は、伸ばされたピッコロの腕の
中にぐったりと沈み込む。臓腑と、そして手刀を受けた首筋から響く痛みに目が眩む
心地がして、悟飯は目を開いて師父と会話することを諦めた。

      
 「……無理をするな、楽になるまで横になっていろ」

 
 支えられた師父の体を通して、耳に馴染んだ深みのある声音が自分の中に染み入っ
てくるような心地がする。慣れ親しんだ声でそんな風に労わられて、閉ざされた瞼の
奥で、不意に目頭が熱くなった。

 安堵、だろうか。身勝手な夢の後始末を押し付けているようで、ピッコロにも、夢
の中で自分を後押ししてくれた父にも、申し訳ない気持ちになる。それでも、底なし
の泥沼に足を取られ、一人きりで足掻き続けていたようなあの孤独と恐怖を、師父の
耳慣れた声音が、洗い流してくれたような心地がした。
 
 夢見の悪さに早鐘を打っていた鼓動が、焦れるような速度で、しかし少しずつ確実
に、凪いでいく。それだけで、限界を感じるほどにささくれ立っていた心が癒されて
いくのが解った。


 向き合うようにして体重を支えてくれているピッコロの目に、顔を伏せたままの自
分の表情は届かない。それを幸いとして、臓腑を刺激しない程度に加減した深呼吸を
繰り返し、悟飯は身の内にわだかまる感傷を散らした。
 自らの情動を向き合う悟飯の様子をどう受け止めたのか、ピッコロが、「やはり無
理そうだな」と、言葉少なに独語する。程なくして、悟飯の体は本人の意思とは関係
なく、それまで臥せていた寝台の上に戻された。

 「……ピッコロさん…」
 「無理に話すな。目も閉じていろ。……本調子ではないのを解っていて、無理に落
  とすような真似をして悪かった。とにかく今は、体を癒せ。積もる話は、その後
  でゆっくり聞いてやる」
 「すみません…」
 「いいから話すな。状況説明も、説教も、体が癒えてからだ。また様子がおかしく
  なったら叩き起こしてやるから、さっさと寝ちまえ」 


 言われるがままに目を閉じて、師父の愛想に欠ける、しかし耳に心地いい平坦な語
調に身を委ねる。そうして、師父に守られた居心地のいいこの空間で横たわっている
と、身の内から湧き上がる件の衝動に悩まされて以来、久方ぶりに、自分を縛る説明
のつかない緊張感から解放された心地になった。

 振り払った側から、感傷がせり上がってくる―――


 持ち上げた腕でさりげなく目元を拭い、情動に煽られそうな自らの表情を覆い隠す。
それでも足りず、せり上がるものを押し殺そうと、幾度となく飲み込んだ息で喉を鳴
らしながら、悟飯は、消え入りそうな声で、もう一度すみませんと繰り返した。
 そんな青年の醜態に気付かないはずはないのに、黙殺を決め込んだのか、ピッコロ
は何も語らない。 

  
 どれほどの時間を、そうやって互いに押し黙って過ごしていたのか―――体内に蓄積
する疲労に耐えかねたように、己の感傷を飲み下すことに余念がなかった悟飯の意識
が、ようやくぼんやりと揺らぎ始めた。
 このまま再び寝入ってしまう事に、ある種の抵抗を覚えないでもなかったが、それ
がピッコロへの依存であれ何であれ、今は体を癒さなければ、何の行動も起こせない。
 ここは潔く、師父に更なる面倒をかけてしまおうと腹をくくり、悟飯は、まともな
思考能力を根こそぎ塗りつぶしていく睡魔に、意識が呑み込まれるに任せる事にした。

 眠りに引き込まれ、寝台に投げ出した四肢が次第に重くなっていく。ああ、寝るん
だなと言わずもがなの事を考え、またあの夢を見るのかもしれないとも思った。
 それでも、今、この部屋にはピッコロがいてくれる。夢の中、どうにもならないと
ころまで追い込まれた時には、きっと彼が、文字通り自分を叩き起こしてくれるだろ
う。
 それは、他に誰もいない下宿の部屋や、気の抜けない研究室の仮眠室で恐る恐る睡
眠を取ってきたこの二週間の暮らしぶりを思えば、信じられないほど気の休まる環境
だった。

 もう自分のすぐ背後にまで迫ってきた、眠りの咢に抵抗することなく、素直に意識
を委ねて睡魔に沈む。
 それは悟飯にとって、久方ぶりの満ち足りた眠りだった。





                                   TO BE CONTINUED...


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