DBZ「safety valve・6」








  「ピッコロさん……」

 その日―――悟飯が久方ぶりに天上の神殿を訪れたのは、既に地上が宵闇に支配さ
れかけた時間帯だった。


 およそ二週間ぶりの対面であったが、ようやく顔を見せた青年の顔に喜色はなく、無
沙汰を詫びる特段の挨拶もない。どころか、ひどく急いた様子で中に通してほしいと請
われ、ピッコロは労さずして、この青年がここに駆け込んできた事情を察することがで
きた。

 こんな風に、平時であれば訪問の時間帯等、対外的な礼儀に拘る弟子が、その配慮も
かなぐり捨ててここにやってきた時には、同時にそれなりの厄介事が持ち込まれてくる
可能性が高い。過去の経験からそれを承知しているピッコロは、青年の訪問を、内心歓
迎できなかった。
 
 四年前、当時開催された天下一武道会への参加を控え、身の内に抱えていた鬱積に雁
字搦めになっていた時も、悟飯はこんな風に、時節も弁えずに突然ここにやってきた。
逆を返せば、この義理堅い青年がそんな行動をとる時には、必ずそれなりの理由がある
という事で……ましてや、その要因に思い当たる節が、現状では多分にあった。

 敢えてその場で多くを問わず、神殿内部へと青年を促す。舞空術で急いだにしても、
不自然なほどに息を荒げた悟飯はその反面、酷く血の気の失せた顔をしていた。

 大方、例の衝動に苛まれた挙句、進退窮まった状態にあるのだろう。この二週間近く
何をしていたのかは知らないが、なぜここまで放っておいたのかと叱り飛ばしたい思い
に駆られながら、ピッコロは、悄然とした態の青年に、とにかく中に入って休めと声を
かけた。

 だが、促されるまま神殿の中に足を進めたものの、悟飯は休養を促すピッコロの言葉
に首を振った。

 
 「……ピッコロさん…お願いします。修行を、つけて下さい」
 「悟飯…!」

 馬鹿が、という思いが、言外の叱責となって滲み出る。誰が見ても、今の悟飯が満足
な修練など行える状況にないことは、明らかだった。

 「……自分の状態を考えてから、物を言え。こんなザマで、まともな鍛錬なんぞでき
  るか。実にならない修行なぞ時間の無駄だ」
 「それでも…っ」

 だが……にべもなく切り捨て、踵を返そうとしたピッコロの背に、いつにない強引さ
で悟飯が追いすがる。そうして、悟飯はお願いしますと言葉を重ねた。

 「お願いします……自分でも、酷い有様だってわかってます。でも……こうでもしな
  いと、無理やりにでも体を動かしていないと、どうにかなってしまいそうなんです
  …っ」
 「悟飯……」


 必死の形相でピッコロを見上げる悟飯の双眸に、四年前のように、ただ成す術もなく
自分自身から逃れようとしていた気弱さは感じられない。二つの学び舎を巣立ち、成人
を果たすまでに至ったこの四年間は、この青年の内面をそれだけ鍛え上げたという事な
のだろう。
 その上で、傍目にも無謀と思える懇願を繰り返す悟飯の姿を、ピッコロは頭の先から
爪先まで、改めて眺めやった。

 こんな状態で修練を行えば、いくらも手合わせしない内に、悟飯は力尽き身動きもま
まならなくなるだろう。場合によっては昏倒するかもしれない。
 だが、それを承知で懇願する以上、悟飯にはそれだけの理由と、覚悟があるという事
だ。ここまで事態を引き延ばしてしまった理由は本人の口から聞くより他ないが、とに
かくそうまでしてでも、身の内に巣食う衝動を「発散」する緊急性を覚えるほど、青年
の状態は予断を許さないという事になる。

 四年前に一つの誓約を交わして以来、悟飯は有事の際に命運を共有することになる自
分に対し、できうる限り誠実であろうとし、そう振る舞ってきた。今回、彼が酷く疲弊
しながらそれでもここまでやってきたのは、助力を求めたということもあるだろうが、
誓約を交わした自分を相手に、己の現状を伏せるべきではないと、考える気持ちもあっ
たからなのだろう。

 いくらも「発散」させてやれないこの状況で、自分との手合わせがどれほどの助力に
なれるのかは解らなかったが……進退窮まった青年を、休養の名目で、このまま放りだ
すことは、できなかった。

 
 「……自分の体調管理くらい、もっと余裕を持って行え。馬鹿が」
 「ピッコロさん……」
 「のっぴきならない事情があって、ここまで引っ張ってしまったことは解る。だが自分の
  限界を見誤るな。過信も過ぎれば慢心になると、子供の頃から何度も教えたはず
  だ。……望み通り、修行をつけてやる。先に行っているから、その面をもう少しまし
  な状態にしてから、追ってこい」


 承知して臨むからには、手加減はせんからな―――敢えて居丈高に言い放ち、今度こそ
ピッコロは踵を返す。
 咄嗟に返事もできず、束の間脱力した青年が、一瞬後、思い出したように居住まいを
正して一礼する気配が背中越しに伝わってきたが……ピッコロは、頑なに背後を振り返
らなかった。
 



 
 
 ピッコロの予想通り、その後行われた組手形式の修練は、ピッコロの圧倒的有利に進
められた。

 有態に言ってしまえば、戦局は、完全にピッコロの成すがままだった。繰り出される
攻撃を辛うじて受け流すだけで、悟飯が防戦一辺倒になっている。のみならず、圧倒的
劣勢を覆そうと、時折無理な体勢から繰り出す反撃が反って窮地を招き、更に青年を追
い込んでいた。
 
 これは長引かせるべきではないと、師としての目線で判断する。今の悟飯が戦いの現
場に立ち、それを生業とする環境にないとはいえ、こうして無理な反撃を続けさせ、身
についていた型をわざわざ歪めてしまうのは望ましいことではなかった。

 青年の繰り出した反撃の拳を掌底で受け止め、そこから伝わってくる、相手の冷え切っ
た体温になおさらその認識を強くする。
 手合わせを始めてそれほど経っていないとはいえ、全身でぶつかり合う組手の最中に、
これ程体温が低いというのは異常だ。舞空術で急いでここまでやってきたにしろ、そも
そもが、青年が相当に体を冷やした状態であったことは間違いない。
 このまま続ければ、平時には何という程でもないような事で、思わぬ事故を誘発しか
ねなかった。

 言葉で制止を促しても、おそらく悟飯は聞き入れないだろう。彼は今、単純に限界ま
で疲弊することを目的に手合わせを続けているように見えた。
 ならば、落としてしまうしかないか―――

 曲がりなりにも鍛え上げられた戦士の体を持つ青年に、牽制の拳を放ちながら、その
杜撰な防御の隙を伺う。目的が目的であるだけに、半端な仕掛け方では意味がなかった。
 執拗に同じ場所を狙い、あわよくばそれで相手を沈めるつもりで、立て続けに蹴りを
放つ。平時であれば、あからさまな陽動を悟飯は警戒しただろうが、今の追い詰められ
た青年相手ならば十分効果があるはずだった。

 果たして、徹底して同じ場所を責められることに業を煮やした悟飯のガードが、完全
にそこに集中した。

 「…っ」

 馬鹿が―――と、仕掛けた側でありながら、内心で青年を叱責する。
 相手の陽動に簡単に乗せられるなと、あれほど教えたのに。特定の箇所のガードを厚
くしても、他の場所への警戒も決して怠るなと、その身に叩き込んでやったのに。


 ガラ空きだ、馬鹿が―――

 胸の内で吐き捨てると同時に、即座に行動に移す。フェイクと悟られないだけの威力
を保った一蹴をそのまま悟飯のガードに食らわせ、間髪入れずに身を捩ると、反動を利
用した鋭い突きを繰り出す。
 ガードを上げ、隙を晒した青年の鳩尾に、鈍い音を立ててピッコロの拳がめり込んだ。

 「…っ!」
 声も出せず、双眸を大円に見開いて、悟飯が悶絶する。身を折るようにして己の腹部
を庇い、無防備になったその首筋に、ピッコロは駄目押しの手刀を叩きこんだ。
 
 糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちる発育のいい体躯が、それと予測して伸
ばされた腕の中に抱き支えられる。完全に昏倒してしまった悟飯を抱えなおしながら、
ピッコロは、当人の耳に届かないことを承知の上で、短く、この馬鹿が、と呟いた。

 あれだけ疲弊した状態で止めを食らったからには、簡単には目を覚まさないだろう。
こんな切羽詰まった状況になるまでぐずぐずしていた事への事情聴取も含め、もの申し
たい事はいくらでもあったが、ともかく全ては、青年の「休養」が済んでからだ。
 
 敢えてぞんざいに、始末に困った荷物か何かのような扱いで、腕の中の青年をその肩
口に担ぎ上げる。そうして、見咎める者もいない神殿の表門を潜り、あからさまに意図
した不機嫌顔のまま、ピッコロは悟飯を休息させるため、神殿の内部へと引き返していっ
た。



 
                                    TO BE CONTINUED...


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