safety valve・30






  その瞬間―――絶対神の神力により統括された禁足の地は、平時であ
ればけして生じることのない、様々な超常現象に見舞われた。
 
 穏やかな陽光を地上に投げかけていた蒼穹が、一面に墨を刷いたかの
ように深い闇に覆われる。次元の狭間に構成されたこの世界では決して
起こりえない雷鳴が闇の帳に轟き、天をつんざくように、雷光が空を走っ
た。
 そして、自然に摂理に反する形であつらえられた「舞台」に……数瞬の
間をおいて、空を埋め尽くすほどに巨大な龍が、出現した。

 【―――願いは、なんだ】

 真紅に染まった眼光を放つ双眸が、希求者達の姿を見咎め、睥睨する。
地を震わせる銅鑼のように重厚な声音で促され、召喚主である悟飯は、
我知らず固唾を呑んで、神龍の姿を見上げた。
 これまで幾度となく呼び出してきた存在であっても、それが自分自身の
為の望みであると思うと、神龍から向けられる威圧感もこれまでの比では
なかったのかもしれない。彼は束の間言葉を失い、次に、自分自身を奮い
立たせるかのように居住まいを正すと、言葉の接ぎ穂を探ろうとしたのか、
大きく息を吸い込んだ。

 「……僕の願いを、叶えて下さい」

 一言前置き、己の希求の内容を、段階を踏んで口上する。あまりにもま
とまりがないかと悟飯は内心で気を揉んだが、その願いは、空一杯に尾
を伸ばして佇む龍に、過たず届いたようだった。
 だが……悟飯が途切れ途切れに願いの全貌を語り終えても、神龍は、
長く伸びた尾を空にたなびかせたまま、応とも、否とも、返さなかった。
 龍の胸の内を物語るかのように、雷鳴が激しさを増す。固唾を呑んでそ
の動向を見守る一行を前に、聖なる龍は、焦れるような沈黙の末、重々し
い声音で、それは難しい、と言葉を発した。

 【―――それは難しい願いだ。お前の中に蟠るエネルギーは膨大過ぎ
  る。お前の生殖能力を糧にしてお前を覆う膜を作り上げたとしても、循
  環させたエネルギーを再びお前の中に戻すには、素地が足りない。そ
  のままでは、循環の輪を閉じる事ができない】

 強引に輪を閉ざせば、中途半端に手を加えられ歪められたエネルギー
が、そのままお前の中に逆流する―――感情の起伏を一切感じさせない
龍の言葉が、だからその願いは叶えられないと結論付ける。

 神龍に最後の望みを託していた悟飯にとって、味わわされた衝動は筆
舌に尽くせない程に重かったのだろう。彼は二の句を失い、半ば呆然とし
た様相で、その場に立ち尽くした。

 【他に願いはないのか。一つ目の願いを叶えるまで、私は消える事がで
  きない。―――次の願いを言え】

 召喚主の責務を果たせと、事務的な口調で神龍が言葉を繋ぐ。それま
で青年のやりように任せていたピッコロは、青年と、同じように言葉を探し
あぐねている彼の父親を見比べると、意を決したように、神龍へと向き直っ
た。

 「……それなら、輪を閉じるための手段はほかにあるのか?どうすれば、
  こいつの中で膨れ上がっている破壊衝動から、こいつを解放してやれ
  る……?」

 教えてくれと、言葉を重ねて訴える。対して、神龍の語調は平素と変わ
らない、事務的なものだった。

 【それは、一つ目の願いとして、数える事になる。―――それでもいいか】
 「ああ、構わん」
 【では、一つ目の願いだ。―――この者の中から生じたエネルギーを循
  環させ、還元させることは難しい。この者以外の、外部からの助力が必
  要だ】

 言って、神龍は長く揺蕩わせた尾を、ゆったりと移動させた。漆黒の空を
切り裂くかのように旋回し、その足元に引き寄せられた尾先がゆっくりと、
希求者達を指し示す。それは、意味深長そうな動きで虚空を蠢いた。 

 【―――この者の衝動に引きずられて膨れ上がったエネルギーを、一体
  この者の外に逃がす。その為の幕には、この者の願いどおり、この者
  の生殖能力を使うことになるだろう。―――その後は、逃がしたエネル
  ギーをろ過させて毒素を排除することになる。そのろ過装置として、他
  の者が己の器を提供するなら―――この者の願いは、おおむね叶うだ
  ろう】
 「……ろ過装置?」
 【人間の世界でも、血液に何らかの疾患を抱えた者が、自力で分解でき
  なくなった毒素を機械的にろ過して、再び体内に戻すだろう。その応用
  だと思えばいい】

 これは同時に行わなければ意味を成さない方法だから、願うなら、願い
事としては一つにまとめて叶えてやる―――続けられた神龍の言葉は、
「彼」にとっては破格の譲歩の表れだったのだろう。その上で、願うかどう
かと選択を迫られ……その場に居合わせた者達は、一様に押し黙った。

 神龍の話をまとめるなら、悟飯の中で蟠り続けるサイヤ人の破壊衝動
を「ろ過」して無害化し、再び彼の中に循環させるためには、ろ過装置の
役目を果たす存在が必要であるという事だ。
 神龍ができると言い切るからには、ろ過装置が一旦機能すれば、悟飯
はこれまでのように己の中で膨れ上がる破壊衝動に怯えながら生きる必
要はなくなる。それは、願ってもないことではあった。

 だが、ひとたびろ過装置の役目を担った者は、文字通り、この青年と一
蓮托生の関係になる。互いの心情面の問題のみならず、それによって生
じるであろう弊害を互いに受け入れる覚悟がなければ、この願いは、たち
どころに諸刃の剣となった。

 その事を、他の誰よりも、身に沁みて感じ取っているからなのだろう。悟
飯は、その口角を戦慄かせながら、だけど、でも、と意味を成さない言葉
を繰り返し、眼前の神龍から逃れるかのように、その顔を伏せてしまった。

 そんな青年の様相と、一つ目の願いを希求した自分へと顔を向けた、神
龍の焦点の定まらない双眸とを、交互に見返す。そうして、ピッコロは胸襟
を締め上げるような息苦しさをやり過ごそうとするかのように、持ち上げた
手で着衣の胸元を握りしめた。
 衝動に身を任せて、自分がその役を引き受けると言い放ちたい。だが、
これはかつて青年と取り交わした、己の命を担保としてその万一に備え
た言質のような、簡単な誓約ではなかった。
 
 心情面だけで青年を支えてやれるなら、何を置いてでも自分がその役を
買って出てやりたい。だが、これは生涯続く、悟飯の為の保証なのだ。ろ過
装置としての役割を、途中で自分が満足に果たせなくなったとしたら……あ
るいは、近い将来、それが果たせない状況に、自分が陥ってしまったとした
ら……それは、ここで青年の希求に助力の手を差し伸べてやれない事よ
り、余程惨く救いがないと、ピッコロは思った。

 自分から数歩の距離に立ち尽くす悟空もまた、同じ思いで口を噤んでい
るのだろう。神龍が例に挙げたような措置を恒常的に行っていくとすれば、
「ろ過」を途中で止める訳にはいかないのだ。一旦そうした循環措置にな
らされた青年の体は、万が一にも「装置」が作動しなくなったが最後、命そ
のものが脅かされる恐れすらある。悩む時間はないのだと頭では分かっ
ていても、即答するには自分にも相手にも、あまりにもリスクが大きすぎた。

 対して、神龍から顔を背けるかのように俯いてしまった青年の懊悩は、ピッ
コロや悟飯とは根幹を違えたところにあったらしい。彼は、何事かを言いよ
どんでいるかのようにその唇を戦慄かせ―――そして、そんなの無理に決
まってる、と独語のように言葉を漏らした。

 ややして―――青年は、意を決するようにその顔を上げ、願いの確定を
待っている神龍へと、向き直った。

 「……すみません。せっかく一つ目の願いで提案してもらったけど……そ
  れは、願えません。僕自身の何を代償にしても構わないって思ってドラ
  ゴンボールを使ったけど、いくらなんでもそんな方法を、ここで叶えても
  らうことはできません」
 「悟飯……」
 「一つ、願い事をかなえてもらったら……僕達がそれでいいって言えば、
  契約は完結するんですよね。……だったら、今回の願いはこれでいい
  です。また、次の機会がきたら……」
 「悟飯!」

 その瞬間―――懸命に声を振り絞るようにして、神龍に契約終了を申し
伝えようとしていた青年の名を叫ぶように呼ばわったのは、ピッコロも悟
空も、ほぼ同時だった。

 「駄目だ神龍!まだ帰ぇるな!」
 「二つ目の願い、叶えてくれ!」 

 脇から伸ばされた悟空の逞しい腕が愛息の上体を抱え込むようにして
抱き込み、持ち上げた手でその口元を塞ぐ。それは物理的には何の意味
合いも持たない行為であったのかもしれないが、少なくとも、眼前に漂う
龍には、青年の申請を取り消そうとした男の意思表示として認識されたよ
うだった。 
 そんな男の姿に触発された様に……ピッコロも、それまで選択の契機を
掴めず尻込んでいた神龍の代替え案に、容認の叫びをあげた。

 本音の部分では、その場の勢いに押されての行動であったかもしれない。
だが、冷静に判断しようと今少し時間を置くことは、そもそも、今の自分達
には許されない事だった。
 大界王神が許可を下したドラゴンボールの使用は、今回、この場所での
一回限りだ。一つ目の願い以降を放棄すれば、再び神龍を呼び出せるま
での時間は圧倒的に早まるが……その時、自分達はけして、ドラゴンボー
ルの使用を許可されないだろう。
 そして……もしもそれが可能であったとしても、次に神龍を呼び出した時、
悟飯は同じ願いを、決して願おうとはしないだろう。この心優しい青年が、
自らの将来の安泰の為に他者の命運を縛る事を、けして容認できるはず
がないのだ。

 大界王神の言に従えば、次に神龍を呼び出せるのは百年後―――地
球系人類である悟飯の寿命は、おそらくは潰えているだろう。物理的な観
点からも、悟飯の為人を鑑みても、ここで結論を先送りにする訳にはいか
ないのだ。

 父親の腕の中に半ば抱き込まれるような体勢のまま、その手に口元を
塞がれた青年の双眸が、大円に見開かれる。彼は不自由な姿勢から懸
命に首を打ち振り、どうにかして父親の拘束から逃れようとしているよう
だった。
 そんな青年の姿を見遣りながら―――ピッコロは、取り乱して狼狽して
いた自らの理性が、ふっと冷静さを取り戻していくのを感じていた。

 ……ああ、なにを回りくどく考えて二の足を踏んでいたのだろう。この青
年の気性を鑑みれば、青年がどう考えるかなど慮っていれば、永久に結
論など辿りつけるはずもなかったのだ。
 自分はただ、自分の全てで以て、この青年を支える覚悟を貫けばそれ
でいい。この世に不変なものなど存在しない以上、自分は今現在の自分
を以て、ろ過装置の役目を担いきれるかどうか、思い定めれば良かった
のだ。
  悟飯がこれから歩むことになる道行きを―――自分はただ、この願い
を生涯背負いきる覚悟で、後押しすればいい。自分の命運など、ここで
いくら思い悩んでも無意味な事だ。「今」の自分が悟飯を支え切れると断
言できる気概があるなら、自分に必要なものは、それだけだった。


 【―――いいだろう。では、この者の助力を行うものは、誰だ】
 「オラが…っ」
 「俺の器を…っ!」

 二つ目の願いを有効と認めたのだろう。神龍が地を這うような声音で、
次の選択を委ねてくる。弾かれた様に声を上げたのは、今度も二人、同
時だった。
 だが―――


 【純血のサイヤ人……お前は、駄目だ。装置の役目を、担いきれない】
 「……っ」

 思いもかけなかったのだろう神龍の通告に、その姿を仰ぎ見る悟空の
双眸が見開かれる。そんな表情をすると、やはり親子してよく似ていると、
ピッコロは束の間、埒もない事を考えた。

 虚空を仰ぎ、どうしてだと悟空が叫ぶ。神龍は「彼」なりに思うところがあっ
たのか、その尾を揺蕩わせながら、対象にその感情を気取らせない真紅
の双眸を、男へと向けた。  
 神龍の続く言葉を、待つべきなのかもしれないと、束の間思案する。だ
が、これは青年と完全に命運を共有する己の覚悟の程を示し、それをこ
の男に受け入れさせるためにも、自分が担うべき言葉だと、ピッコロは思っ
た。

 「……孫。お前では、無理だ」
 「ピッコロ…?」
 「サイヤ人と地球人の混血である悟飯が、あとどれ位の寿命を持ってい
  るのか……全く前例がないだけに、誰にもそれは解らない。だが、少
  なくとも父親であるお前よりも、短命だという事はないだろう」
 「……まあ、そりゃあそうだろうけど…」
 「つまりは、そういう事だ」

 言い置いて、告げた言葉の意味が過たず相手に伝わるよう、数秒の時
間を置く。そして、向き合った男の目が何事かに思い至ったようにハッと
見開かれたのを見て……ピッコロは、厳粛な面持ちで頷いて見せた。

 「悟飯を生涯、この方法で支えようと思うなら……少なくとも、悟飯以上
  に寿命が残っていることが大前提だ。そうでなければ、途中で装置の
  役目を果たせなくなり―――反って、悟飯を苦しめる事になる」
 「ピッコロ……」
 「だから……その役目は、俺が担う。悟飯が成熟し、年老いて……サイ
  ヤ人としての本能に振り回されなくなる時まで、俺が、俺の全てで以
  て悟飯の衝動を受け止める」

 だから、この役目は俺に譲れ―――続く言葉に、男の父親としての面目
を奪ってしまった事への詫言と、この役回りに対する自らの覚悟を込める。
そうして、ピッコロはこちらの出方を伺うように虚空に漂う神龍に向かい、
語勢を強めて確言した。

 「―――神龍!二つ目の願いだ。悟飯の中で膨れ上がる破壊衝動をいっ
  たん外に逃がし、俺という器を使ってその衝動をろ過してくれ!俺はナ
  メック星人だ。こいつがその人生を終えても、まだ有り余るほどの寿命
  がある。けして「ガス欠」にはならない」
 【―――いいだろう。二つ目の願い、叶えよう】
  
 空を仰ぐようにしてなされた宣誓を受け、神龍が仰々しい仕草でその頭
を僅かに垂れる。首肯したのだと、向き合った者達には解った。

 【この者の衝動を体外へと逃がした時点で、蟠った衝動の質は変容する。
  受け入れ、ろ過した者の体に害成すことはないだろう。―――無論、本
  来自らの体内から生み出された訳ではない異質なものを、受け止める
  にはそれなりの苦痛が伴うだろうが】

 それでもいいのだなと、言外の通告が重々しく周囲の静寂を震わせる。 
それを神龍から示された計らいと受け取ったピッコロは、返礼の意味も込め
て、力強く首肯した。
 と、刹那――― 

 「…っ駄目だ…っ!神龍!僕はそんな事願えない…っ!三つ目の願いで
  …っ!」
 「悟飯!」

 互いの抱える寿命差を突き付けられ、悟空の拘束が弱まっていたのだろ
う。総身を捩るようにして父親の腕から抜け出した青年が、懸命の形相で
不承諾の叫びをあげた。

 「ピッコロさん!やめて下さい…っ!僕はそんなつもりで、神龍を呼び出し
  たんじゃない…っ!」
 「神龍!二つ目の願いだ!!」
 「ピッコロさん!!」

 父親の拘束を振り払い、駆け寄った青年がピッコロの二の腕に縋りつく。
彼は懸命に頭を振り、ピッコロが口にした願いの撤回を嘆願した。
 青年の立場からすれば、自らの将来の為に他人の人生を縛るにも等しい
願いだ。それだけの心理的抵抗を抱いても致し方のない事だろう。その心
情は、人の世の機微に疎い自身の気風を自他共に認めてきたピッコロにも、
察して余りあるものだった。
 だが……ここで青年を慮って自分がこの願いを引き下げれば、悟飯は一
生、この懊悩から解放される時宜を失ってしまう。
 それだけは―――承服することは、できなかった。

 「悟飯!俺はお前の意見なんぞ求めていない。俺が決めたことに、お前
  にも口出しはさせない。お前はここで、お前の暴走を食い止める安全
  弁を手に入れて現実の世界に帰る。お前もそれを、望んでいたはずだ。
  ……多少その形が変わったところで、効能は同じことだ。腹を括って覚
  悟を決めろ!」
 「ピッコロさん……」
 「俺に申し訳ないなんぞと、下らん世迷言なら聞かん。俺を巻き込むの
  がそんなに嫌なら、お前はお前で、この先真っ当に自分の進むべき道
  を生きろ。そうやってお前が自分を保っていられるなら、こんなものは
  ただの守り札のようなものだ。なんのしがらみもない」
 「…っ」

 敢えて言葉面に手心を加えず、頭ごなしに声を張れば、縋りついた体勢
のまま自分を見上げてくる青年の容貌が、呆然とした態で固く強張る。自
分の言葉がこの青年に、どれほどの衝撃を与えているのか否応なしに思
い知らされながら、それでも、ピッコロは続く言葉を呑みこまなかった。

 「感傷に呑まれて自分を見失うな。お前は何を望んで、ここまできた?俺
  や孫が止めても、お前はそれが自分の一番の望みだと、お前の願いを
  譲らなかった。そうまでして、お前が手放したくなかったものはなんだ?」
 「……ピッコロさん…でも…っ僕は…っ」
 「悟飯、もう一度言ってみろ。お前の望んだことはなんだ?将来、所帯を
  持って自分の家族を築く……その未来を擲ってでも、お前には手に入
  れたかったものがあったはずだ」
 「…っ」
 「その望みにしっかりしがみついていられるだけの気概があれば、お前
  はそう簡単には潰れない。お前が自分をしっかり保っていられれば、
  そんなお前の中から吐き出された衝動が、俺を潰すようなこともない。
  そう思って、ここでしっかり覚悟を決めろ!」
  
 衝動に見開かれた青年の双眸が、こみあげてきたもので薄膜を張り、そ
して決壊した雫が緩やかな曲線を描いた頬桁を伝い落ちていく。
 この青年に、こんな顔をさせるのは果たして何度目なのだろうかと、じわ
りと広がっていく自虐の思いが、胸襟を苦く焼く。人並み外れた労苦を強い
られ、少年の頃から大人の分別を求められてきたこの青年の先行きが、
幸甚に満ちたものであってほしいと腹の底から願ってきたというのに……
いざ、事が起きてみれば、自分は彼を、泣かせてばかりだった。

 庇護者にもなりきれず、戦いの場で対等に背中を預け合えるほど、この
身上は彼の役にも立てず……どこまでも半端な関係しか築けない自らの
不甲斐なさを、心の底から申し訳ないと思う。
 だが、それでも……せめてこの選択が、彼の道行きを支えるものとなり
得るよう―――どうかこの代替策が、彼の今後に少しでも幸いを与えてく
れるよう、ピッコロは、祈らずにはいられなかった。

 「……悟飯、これで最後だ。ここでこの願いを破棄し、なにも願わないま
  ま神龍を解放して……お前は本当に、後悔しないのか?」
 「…っ」
 「神龍が示したこの方法を……お前は選ぶのか?選ばないのか?」
 「ピッコロさん……」
 「答えろ、悟飯」

 選べないと言わんばかりに、自分を見上げる泣き濡れ顔が、弱々しく首
を振る。それでも、ピッコロは追及の手を弛めなかった。
 
 十秒が過ぎ、二十秒が過ぎる。
 与えられた選択の時間を、時折喉奥から込み上げる嗚咽をやり過ごすよ
うに呑みこみながら……悟飯は、ついに観念したかのように、情動の名残
に濡れた双眸を閉ざした。
 人並み外れた聴覚を誇るピッコロでさえ、ともすれば聞き逃しそうになる
微かな囁きが、すみませんと、吐息のように空気を震わせた。
 そして―――


 「……ここを出て……都に戻ります」
 「悟飯」
 「一週間後の口頭試問に受かって……僕は、博士号を取ります。子供の
  頃からの夢だった学者になります。……だから……どうか、僕を…助け
  て下さい…っ」

 込み上げてくるものに阻まれて、青年の希求は、酷く頼りない響きをもっ
てピッコロの耳朶に飛び込んできた。
 聞きようによっては、どうとでも受け取れる言葉面。それはこの期に及ん
でなお、自分の夢の為に命運を共にしてくれとは口にできなかった、青年
の気弱さの表れでもあった。
 だが……今はこれで十分だと、ピッコロは思う。


 「―――神龍!!」
 【―――二つ目の願い、確かに受け取った】

 それまで、足並みのそろわない自分達希求者の様子を、伺っていたの
だろう。虚空を仰いだピッコロが一喝すると、漆黒の闇夜に浮かぶ龍は、
地を這うような凄味のある声音で、告げられた願いを承認した。
 時を同じくして―――夜空を切り裂くかのように、一条の光が走った。
 その場に居合わせた者全員の、聴覚を束の間麻痺させるほどの轟音と、
目を焼くほどの閃光―――


 「…っ」
 「悟飯!」
 「悟飯さん!」
 「おい!悟飯!おい!」

 歯を食いしばるようにして、落雷を思わせる衝撃に耐える。――と、刹那。
それまでピッコロの腕に縋りつくようにして自らを奮い立たせていたのであ
ろう青年の総身から、フッと力が抜けた。

 地面に倒れ込みそうになるところを寸でのところで抱き留めて、腕の中に
抱えなおした青年の姿を見改める。同じように息子の異変を察した悟空も
泡を食ったように、愛息の顔を覗き込んだ。

 やはり意識を失っていたのか、ぐったりと双眸を閉ざしたその容色は、平
時にもまして青白い。それでも、呼吸に異常はなく、首筋にあてた掌は青
年の確かな脈動を伝えてくる。そんな青年の様子に、ピッコロも悟空も、辛
うじて安堵した顔を見合わせた。

 【―――案ずるな。この者の体内で、願いに必要となる変換が始まった
  だけだ】

 そんな二人の焦燥をよそに、神龍の平時と変わることのない声音が、安
穏とすら呼べるような調子で事の次第を注釈する。

 【これだけ大掛かりな願いだ。その場ですぐにという訳にはいかない。こ
  の者はこれから一両日、寝入ったままの状態になる。意識を取り戻した
  後には、2つ目の願いは成就しているはずだ】

 ともかく、悟飯の容体に大事はないらしいと悟った二人が、そろって深く
息をつく。事に悟空にとっては脱力するほどの焦燥振りであったらしく、彼
は草地の上にどっかりと腰を下ろすと、虚空を仰いで恨みがましく愚痴を
こぼした。

 「……なんだよ〜驚くじゃねぇか。悟飯が寝ちまうなら寝ちまうって、最初
  に言っといてくれたっていいのによ。……ん?イチリョウジツって、どの
  くらいだ?」      
 「……一日または二日、という意味だ。みっともないからそんな事を神龍
  に聞くなよ」
 「だったら素直にそういやぁすむ話じゃねぇか。……って、神龍〜。それな
  ら尚の事、どれだけ寝ちまうかって事くらい、先に言っといてくれよ。こい
  つ、もうじき大事な試験があんだよ」

 悟空の恨み言など意にも解さないのか、闇空に悠然と浮かぶ龍が、すま
した様子で長く伸びた尾を蠢かす。その様子が尚更気に障ったのか、虚空
に向かって更に反駁しかけた悟空をピッコロは言葉少なに窘めた。

 それでも口の中でもごもごと不服めいた言葉を転がす男の姿はひとまず
放置し、胸の中に抱き抱えなおした青年の姿を改めて眺めやる。
 平時にもまして青白い容色を晒す悟飯の、しかししっかりとした呼吸が、
断続的にピッコロの腕にかかる。その吐息のぬくもりが、得も言われぬ安
堵をピッコロに与えてくれた。

 ひとまずはこのまま寝かせておくことに問題はなさそうだと、双肩から力
が抜ける。悟飯に治癒を施すべきかと落ち着かなそうにその場に控えて
いたデンデにも大丈夫だと言葉で促し―――そうして、ピッコロはようやく、
闇に包まれた界王神界の景観を眺めやる、気持ちの余裕ができた。
 そう言えば、この場を提供してくれた大界王神はどうしたのだろうと、思い
至る。先刻の愁嘆場を、あの好色老人に好き勝手にいじり倒されてはた
まらない。……我知らず、そんな思いが脳裏を過った自分自身の「腑抜
け」さ加減に、ピッコロは、少なからず驚いた。

 ピッコロの懸念をよそに、老神の姿は、目視できる範囲には確認できな
かった。ここが神の領域である以上、この世界のどこかには滞留している
のだろうが、この場に顔を出さない以上、もう後は地球の者達の采配に任
せると、彼は自分達を放任してくれた、という事なのか。 
 この一連の騒ぎを見咎められずに済んだのは、正直ありがたい。そして
それ以上に、絶対神の威光を前に一蹴されても不思議ではなかった悟飯
の懊悩について、最後まで助力の手を伸ばしてくれた老神の厚情に、ピッ
コロは腹の底からの謝辞を捧げた。

 と、刹那―――

 【―――2つ目の願いは叶えた。3つ目の願いはなんだ】 

 それまで辛抱強く自分達の出方を待っていてくれたのであろう、聖なる
龍が、声を上げる。その語調は、願いがないのであれば早く自分を解放
しろと、些かふてくされた響きさえ感じさせた。

 「あ?……ああ、そっか。あと一個あるんだよな。……あとはもう、いい
  かな。もう帰ってもらっていいや。ありがとな、神龍」
 「孫」

 やはりまだどこか拗ねた語調が残る悟空が、幾分投げやりな態度で神
龍に御役御免を言い渡す。その態度はないだろうと、ピッコロは再び男の
業状を咎めた。
 ……と、何事かに思い至ったかのように、表情に乏しい容貌が、虚空へ
と向けられる。


 「ちょっとまってくれ!」

 言って、隣で胡坐をかく男へと束の間視線を流す。そうして、彼は虚空
に視線を戻しながら、今一度傍らの男を呼ばわった。

 「……孫。三つ目の願い、俺がもらってもいいか?」
 「ピッコロ…?」
 「できることなら……こいつの為に、もう一つ、叶えてやりたいことがある」

 自分を見下ろす龍へと視線を据えたまま、支える青年の存在を確かめる
かのように、抱きよせる腕に一瞬力を込める。そうしてピッコロは、かつて
の仇敵であり、長年共に戦い抜いた同朋でもある男に、言葉を重ねて頼む
と言い繋いだ。
 数呼吸ほどの沈黙。そしてピッコロが思うよりもずっと容易く、承諾の応
えは返された。

 「おめぇの願いってのは、こいつの為なんか?」
 「ああ」
 「だったらいいや。最後の一個は、おめぇの好きに使ってくれ」

 ごく軽い口調で諾意を示す男が、その前に、どんな願いを口にするのか
敢えて確認しなかったところに、この男が自分に寄せる信頼を体感できた
心地になる。そんな相手に言葉少なに謝意を述べると、ピッコロは、虚空
に向かい再びその口を開いた。

 「――――では頼む。神龍、三つ目の願いだ」

 



                             TO BE CONTINUED...


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