safety valve・29





  息詰まるような沈黙が、外界から閉ざされた、神の世界を還流する空気
を支配する。

 ピッコロも、悟飯も……そして、老神に嘆願した悟空本人も、人知を超越
した絶対者の威風を前に、身じろぎすら憚られるような畏敬の念を覚えず
にはいられなかった。ことに、地球を管轄する現存の神であるデンデに先
代の叡智を継承させた中継ぎの神でもあったピッコロにとっては、文字通り
気圧される自分をその場に踏み堪えさせるだけでも相当の気概を必要とし
た。
 これが絶対者に対峙するという事なのかと、物恐ろしい心地になる。
 だが……それこそ、これまで地球に来襲し、平穏な暮らしを脅かす様々
な外敵達と向き合ってきた時のように、老神を正面からねめつける悟空の
覇気は揺らがなかった。

 そうして……彼は、自分の出方を試しているかのような老神の問いかけ
に、厳めしい面持ちで頷いて見せた。

 「……ああ。そうしなきゃ治まらねぇようなことになっちまったら、例え壊し
  ちまうことになったとしても、オラが神龍を止める。……それが、今まで
  ずっとドラゴンボールに頼ってきた事への、オラなりのけじめだ」

  ひでぇことを言ってるって、思われて当然だけどよ―――続く言葉に、
飲み下し切れなかったのだろう自嘲の色が僅かに滲む。それでも、悟空
はそれが自ら思い定めた覚悟の表れであるかのように、向かい合う絶対
神の前で威儀を正した。

 「オラ達が、原因を作っちまったんだ。そのせいで溜まっちまったマイナ
  スエネルギーを、暴走させるわけにはいかねぇ。地球の神様になるた
  めにナメック星からきてくれたデンデにも、そんなんはむご過ぎて見せ
  られねぇ。……だったら、勝手だって言われても、神龍が神龍でなくなっ
  ちまう前に、願い事を押し付け続けたオラ達がけじめをつけるべきだっ
  て、オラは思う」
 「悟空」
 「こういうんは……オラに一番、向いてっだろ?」

 相も変わらずその底意を気取らせない絶対者の眼差しが、値踏みをす
るかのように、物怖じすることなく意見具申する男の風体を凝視する。老
神は、束の間もの問いたげにその口を開きかけたが、思うところがあった
のか、結局、男の陳情に言葉を挟まなかった。

 「オラには、知恵絞って色々根回しするようなことは向いてねぇ。頭ぁ良
  くねぇし、頭ん中であれこれ考えてるんも性に合わねぇ。そういうところ
  を直せって、よく言われてるけどよ……今、オラが無い知恵絞ってみ
  たって、なんかの役に立つとは思えねぇもんな。そういうところは、悟
  飯やピッコロが、ここ来るまでだって散々頭使って考えてきたんだと思
  うからよ。オラはオラにできる事を、した方がいいと思ったんだ」

 だったら、オラには戦う事しかできねぇ―――言い放った悟空の語勢に、
卑屈さを感じさせる響きはない。彼がそういう己自身を卑下したり、捨て鉢
な気持ちで提言した訳ではないのだと、物語る声が、表情が、その場に居
合わせた全員に教えていた。
 相対するものに捉えどころを掴ませず、そのくせ、持って生まれた並外れ
た度量で、関わった存在に影響を与えずにはいられない。孫悟空とは、そ
ういう型破りな男だった。

 「こういう言い方は、じっちゃんの気に入らねぇかもしれねぇけど……オラ
  なら、戦える。マイナスエネルギーなんてどう相手したらいいかよく解ら
  ねぇけど、そんでも他の奴らより、オラは戦えると思う。……力がどうこ
  うって事じゃなくて、気持ちの方でな」

 続けられた男の言葉は、聞きようによっては傲慢でさえあった。自分なら
できると言いながら、彼は自身と周囲の人間との間に明確な線引きをして、
他の人間を己の領分から弾きだそうとしている。それは他者と一つの立ち
位置を共有出来ない男の狭量さの表れのようでもあったし、そうまでして
でも己の本分を貫こうとする、その覚悟の程を暗示しているようでもあった。
 
 「オラはサイヤ人だ。赤ん坊の時に地球に来て、地球人のじいちゃんに
  育ててもらって、地球人として生きてるけど……それでも、やっぱりオラ
  はサイヤ人だ。だから、地球のみんなができねぇ…ちゅうか、やっちゃ
  いけねぇって思うようなことでも、できちまう。例えば、神様みたいな奴
  と戦うとか、な」
 「悟空……」
 「神龍と戦うなんてえれぇ罰当たりだって、多分みんな、思うと思うんだよ
  な。オラだって、今までさんざん世話になってきた神龍を倒すことになる
  かもしれねぇなんて、考えるのはほんとは嫌だ。だけど、ほんとにそれ
  しか方法がねぇんだってことになったら……オラ、倒せると思う」

 オラは、地球人じゃねぇから―――続けられた言葉には、自身と他者と
を自ら線引きする、男の背負う孤独を想起させられたが……それでも、言
葉を繋ぐ悟空の様相は、言葉面に反して、むしろ誇らしげですらあった。

 「……だから、オラ、自分がサイヤ人で良かったって、こんなに思ったこと
  はねぇ。戦う事しか能がねぇオラが、悟飯の為にやっと親父らしいこと
  をしてやれるんだ。どんなに罰当たりだって言われたって、オラが戦っ
  てでも神龍を止める」 

 ―――だから、もう一度だけドラゴンボールを使わせてくれ。

 嘆願の言葉を繰り返し、悟空が眼前の老神に再び頭を下げる。相槌を
打つでもな男の語るに任せていた絶対神は、応とも否とも、答えを返さな
かった。
 嘆願者の賦質を見極めようとでもするかのように、感情を気取らせない
老神の眼差しが、真っ直ぐに悟空を射抜く。そのまま、彼は黙して語らず、
その意向が多大なる影響を及ぼすことになる閉ざされた神の世界に、再
び沈黙が訪れた。

 当事者の立場故にかえって口を挟むことができなかったのか、悟飯が
緊迫した面持ちで、向かい合う二人を交互に見遣る。
 この沈黙の重さを味わわされれば、己の希求が絶対神にとってどれほ
どの不興を招くものであるかは、青年にも痛いほど解っているのだろう。
それでも、彼はその口角をきつく食いしめるようにして重圧に耐えながら
も、この希求を取り下げるとは口にしなかった。
 それが、この結論にたどり着いた青年の覚悟なのだろう。絶対神の威
光を前には自身があまりにも脆弱な存在に過ぎない事を承知しながらも、
ピッコロは、そんな青年を何とかして後押ししてやりたいと思った。

 僅かな口添えでもいいから契機を掴めないものかと、口を噤んだまま
押し黙る老神の姿を、控えめに眺めやる。そのまま、焦れるような時間が
二十秒、三十秒と続き―――ついに静観に耐えきれなくなったピッコロが、
口火を切ろうと一歩進み出た、まさにその時……老神の、不機嫌を隠そ
うともしない声が、垂れ込めた沈黙の帳を破った。 



 「……ここを使え」

 長い沈黙の末、ようやく口を開いた老神の語調は、あからさまに不承不
承と言った態を表していた。この絶対神にとって、悟空の口にした希求は
それほどに容認しかねるものなのだろう。
 だが、蟠りの程を思わせる素振りで大きく嘆息した大界王神は、来訪者
達に向かい、今度は否とは答えなかった。

 「願い玉全部持って、もう一度、ここに戻ってこい。この世界なら、他の場
  所よりもマイナスエネルギーを抑えられるじゃろ。一度っきりなら、ここ
  で使うのを見逃してやってもええ」
 「じっちゃん?」
 「本来はこんなのは反則技なんじゃがなぁ……わしがちいと力貸してやりゃ
  あ、ここでも神龍は呼び出せるじゃろ。わしが言うのもなんじゃが、ここは
  わしの力が万遍なく作用した世界じゃからな。まあ全くゼロッちゅう訳には
  いかんじゃろうが、神龍への影響も、地球で呼び出されるんよりは大分
  ましじゃろうよ。ここでの召喚は、まあノーカンにしてもいいじゃろ」

 言うておくが、これはやむを得ず目を瞑ってやるんじゃぞ―――言って、
老神はふんぞり返るようにその背筋を伸ばし、そして、そうそう、と言葉を
繋いだ。

 「ここに戻ってくるときは、当代の地球の神も一緒に連れて来い。地球の
  管轄者として、見届けさせにゃあならんからな」

 ちゃあんと、全てを納得させた上で連れてくるんじゃぞと、念押しのように
大界王神が言葉を添える。これは先代からデンデへの中継ぎを務めた自
分に向けられた言葉だろうと、ピッコロは、矍鑠と頭を下げた。
 ―――と、刹那

 「ところで、ピッコロよ」

 先刻までとは色合いを違えた声音で、老神がピッコロに呼びかける。威
儀を正して向き直れば、彼は、どこか面白そうな面持ちで、見上げた長身
を頭の先から爪先まで、眺めやった。

 「お前さんまで、よくまあ、またここまで足を運んだもんじゃのう。これもあ
  れか?万人向けの度合いを越えたと、腹を括ったっちゅうことか?」
 「大界王神様……」

 謎かけにも似た老神の言葉の真意は、同行した親子には届いていない
ようだった。悟空にいたっては、どうやら小難しい話題らしいと、始めから
話についていく事を放棄した様子を見せたし、悟飯は悟飯で、自分達が
踏み込んではいけない、神の領域で交わされた会話なのだろうと判断し、
関与を避けたようだ。
 そんな二人の様子に、ピッコロは内心で胸を撫で下ろしたが、ほかなら
ぬ絶対者の下知を、黙殺することはできない。彼は極力無表情を装いな
がら、言葉少なに、何とも申し上げられませんが、と返辞した。その目線
が、束の間、傍らに立つ青年を掠め見る。

 「……今はただ、この者の願いどおり、事が進めばいいと思っておりま
  す。その為に、母星を離れて生まれ育ったこの身が、大界王神様の
  仰るような変質を遂げたとしても……致し方がない事かと」

 同行者達の手前もあり、ひどく回りくどい物言いになる。反って老神の
不興を招きはしないかと、内心でピッコロは気を揉んだが、彼はふうむと
相槌を打った後、鷹揚に頷いて見せただけだった。
 だが、そのやり取りは、少なからず絶対神の興を引くものだったらしい。
悟空と対峙した時よりは遥かに機嫌の直った様相で、彼は、まあせいぜ
い気張るんじゃなと、三人を送り出した。


 絶対神の気が変わらない内にと、辞去の挨拶もそこそこに、その場を
後にする。地球への瞬間移動は、せめて老神の視界から完全に引き下
がってから行うべきだというピッコロの提言により、三人は界王神界の豊
かな自然の中を、言葉少なに進んだ。
 と、その時―――何事かを考え込んでいるかのように、先行する二人
から一歩の距離を遅れて歩いていた青年が、思わしそうな口調で、父の
背中に呼びかけた。

 「……お父さん。四星球は家にあるから、一度戻る事になりますよね。
  ブルマさんからドラゴンレーダーも借りなきゃならないし、取りに戻る
  のは最後にしても問題ないんでしょうけど」
 「ん?……ああ、そうだな。時間もねぇし、先にレーダー借りて、手分け
  して回収して来た方がいいかもな。まあ家に寄るんはその途中でも
  いいけどよ。……それが、どうかしたか?」

 悟空にとって育ての父である孫悟飯翁が残した四星球は、翁の形見
のようなものだ。故に、神龍を呼び出して願い事を叶えたドラゴンボール
が石へと変わっても、一年経ってその所在をレーダーで探し出せるように
なると、悟空は四星球だけは回収して手元に残している。それは彼と関
わりを持つ者達の間では公然の事実であり、息子が今更、何故その件
に拘るのかと、彼は幾分訝しげな表情で愛息を顧みた。
 そんな父親に向かい、悟飯は、家には僕が行きます、と思いつめたよ
うな声音で申し出る。これには、それまで親子の会話に口を挟まなかっ
たピッコロも、違和感を覚えた。

 住み慣れた生家に顔を出すだけの事だ。四星球を家から持ち出すには
母親にも一声かけない訳にはいかないだろうが、彼女もまた、ドラゴンボー
ル絡みの騒動には慣れきっている。何のために使うのか、などと細かな
説明をしなくとも、「まぁた悟空さがなにかはっちゃけた事やってるだな?
他所様に迷惑だけはかけるんでねぇぞって、よぉく言っとくだよ?」程度の
苦言を聞かされて終わりだろう。そんな母親の気性をよく知る悟飯が、今
更その程度の事に尻込みするとも思えなかった。

 だが……悟飯を屈託させる要因は、まさにピッコロが対象から除外した、
その一点にこそ存在していたらしい。彼は、数瞬の沈黙の後、意を決した
ように、再びその口火を切った。

 「……何のためにドラゴンボールを使うのか…お母さんに、説明しないと」
 「悟飯?」
 「これは、僕のわがままからはじまった願いです。なのに、お父さんに言
  われるまで、僕は自分の我儘がどれほど家族を顧みないものなのか、
  考えもしませんでした。……今更過ぎるでしょうけど、せめて神龍を呼
  び出す前に、お母さんにも……」

 ああ、そういう事かと、ピッコロは青年の屈託を得心する。
 番という概念を持たないナメック星人の認識にはしっくりと当てはまらな
い部分もあったが、悟空とチチを例にして番の範例を考えてみれば、雌で
あるチチが悟飯の母親として、父親の悟空以上に保守的である事は歴然
だった。これまでの付き合いから鑑みても、彼女は悟飯に、あからさまな
強制はしないまでも、人並みの家庭を築いて人並みの幸せを手に入れて
ほしいと、願っているきらいがあった。
 少なくとも、悟飯が望む、己の生殖能力を糧に膨れ上がる破壊衝動を
抑え込もうという願いは、チチの抱く望みと対極に位置するものだろう。そ
んな自分の身勝手を詫びた上で、彼は母親を説得しようとしているのだと、
ピッコロにも解った。   

 だが―――息子の思いつめた言明に反し、悟空は、にべもなく一言、や
めておけと言い放っただけだった。

 「チチと話して、チチがおめぇに何言っても……おめぇはここまで決めた
  ことを、なかった事にはできねぇんだろ?……だったら、今はやめてお
  け。話すんなら、神龍に願いをかなえてもらってからだ」
 「お父さん、でもそれじゃあお母さん、何も知らないままで……」
 「知ってたからって、それで何かがマシになるのか?」

 躊躇いがちに言葉を繋ぐ青年の訴えを、いつにない強引な語調で男が
突き放す。そうして息子から二の句を奪ったうえで、彼は、自分こそが痛
みを堪えているかのような表情で、遣り切れなさそうに息をついた。

 「知ってておめぇを行かせるってことは、チチが、おめぇを説得しきれな
  かったって事だ。おめぇはきっと、チチが何言ってもおめぇの言い分を
  曲げねぇだろう。だったら、チチには、説得してもおめぇを止められねぇ
  でおめぇを行かせちまったっていう、痛ぇ思いが残るだけだ」

 続けられた言葉に、青年の双眸がハッと見開かれる。そんな愛息の顔
を覗き込むようにしながら、悟空は、だから今は何も言うな、と繰り返した。

 「ずりぃ言い方のようだけどよ……知らないままの方が、まだましだったっ
  て事もあるんだ。チチには、このゴタゴタが収まってから、オラから話す。
  そりゃああいつは荒れるだろうけど、もう事が終わっちまってりゃあ、最
  後は諦めるしかねぇもんな。その辺りは、オラが何とかするからよ」

 言い置いて、その場に俯いてしまった青年の肩を、景気づけのように二、
三度叩く。そうして、悟空はこの話は終わりだと言わんばかりに、引き寄せ
た息子の肩を抱き込みながら、その歩みを急き立てた。
 
 「腹を決めたんなら、もう余計なものをしょいこもうとするな。おめぇには、も
  う余計なこと考えてる時間はねぇだろ?―――ほら、しっかりつかまって
  ろ。……ピッコロ?もうそろそろいいんだろ?」


 悟空の言には、一理ある。確かに、説得を重ねても息子の決意を変えら
れなかった失意を味わわせるよりは、恨みを買ってでも事後承諾の形で
真相を伝えた方が、最終的には、チチが受ける痛手は軽減されるのかも
しれなかった。
 だが、それは悟空達、親側の事情だ。悟飯にしてみれば、例え自己満足
と言われても、我を通すことに対するせめてもの誠意は、示しておきたい
ところだろう。
 そこまで考えて―――ピッコロは、ふと、この男が自身の息子を庇護す
べき存在ではなく、一人の自立した存在として扱おうとしているのだという
事に気付いた。  

 悟飯にとって、どちらが救いとなるのかは解らない。だが、いまの悟飯を
そんな風に扱い、敢えて突き放すことができるのは、肉親であるこの男だ
けなのだろうとピッコロは思った。
 自分が同じように振る舞おうとしても、おそらく、実父である彼以上には、
自分は悟飯を、自立させてやれない。その差異は、この男にも父親として
いっぱしの心構えがあるのだという安堵の思いと……それ以上に、そん
な男の立ち位置にはどうしても及べない自らに対する、言いようのないも
どかしさをピッコロに覚えさせた。

 そんな事を思い巡らせていたためか、息子の体を引き寄せて、空いた手
を自分に伸ばそうとする男の所作に、ピッコロは、しばらく気づけなかった。
不審そうな二度目の呼ばわりにようやく視線を向け、そして、男が瞬間移
動の契機を伺っていたことに思い至る。 

 「……ああ、すまん。もう問題ないだろう」

 大界王神の面前を辞してから、もうそれなりの距離を歩いた。ここまで移
動しておけば、瞬間移動を行っても差障りはないだろう。
 それならと、もう一度差し出された掌の前に、己の腕を持ち上げる。手首
を掴まれたとピッコロが知覚した次の瞬間には、来訪者達の姿は、界王神
界から跡形もなく掻き消えていた。



 地上の体感時間に換算して、およそ三時間後―――一旦地球に帰還し
た三人は、地上の各地に散らばったドラゴンボールを順調に回収し、大界
王神の命に従って見届け役のデンデを加え、再び界王神界の地を踏んだ。


 突然同行者に加えられることになったデンデにも、再訪前に、ここに至る
経緯を一通り説明してある。先を急ぐという気の焦りもあり、それは必ずし
も克明なものであるとは言えなかったが、これまで、悟飯の様子を要所で
見聞きしてきたデンデには、それで全貌のおおよそを得心したようだった。
 悟飯が置かれている現状を思ってか、彼は気遣わしそうな表情を見せた
が、青年が既に十分な心積もりをしていることを察してか、説得めいた言
葉は一切口にしなかった。
 その上で、一時的にとはいえ神殿を離れ、神の領域まで同行することを
快諾してくれた旧友に、悟飯が深く頭を下げる。そんな悟飯に向かい、デ
ンデはこの一件についての言及を避けたようだった。
 その代わりであるかのように、地球人の規格に当てはめればまだ少年
の幼さの残る面差しをした年若い神が、試問試験、いい結果が出る事を
祈っていますと言葉を添える。悟飯は重ねて、頭を下げる事しかできなかっ
た。

 そんな二人のやり取りを、悟空とピッコロは、少し距離を置いた場所から
静観していた。
 デンデへの説明と懇請は自分が行うべきだと声を上げた青年の意向を
尊重し、一連の折衝は悟飯に任せている。それが、ここまで蚊帳の外に置
きながら、突然当事者の立場に巻き込んでしまった旧友に対する、青年な
りの謝意であり誠意であるのだろうと、ピッコロは思った。

 「……デンデ、悟飯。そろそろいいか」
 「なあ、ピッコロ……」

 平時とさして変わることなく、互いに折り目正しく頭を下げ合っている二人
の様子に、そろそろ頃合いか、と促しの声をかける。―――と、刹那。ピッ
コロと同じように息子達の様子を見遣っていた男が、おもむろに口を開いた。
 ピッコロの呼びかけに反応し、こちらに向かって踵を返した二人の耳には、
まるで独語するかのような悟空の声は届かなかったらしい。悟空も真っ直
ぐに顔を上げ、平時と変わらない表情を息子達へと向けたまま、ぼそりと言
葉を重ねた。

 「今更だけどよ……本当に、おめぇがいてくれて、良かったよ。……あり
  がとな」
 「孫?」
 「おめぇがいなかったら、悟飯はとっくに潰れてた。今頃、暴走しちまった
  あいつを、オラが力づくで止める羽目になっていたかもしれねぇ」

 神龍と戦う覚悟はできても、オラ、あいつを倒すことはどうしたって耐えら
れなかった―――言って、男はほんの一瞬、隣に立つピッコロ長身を仰ぎ
見た。

 「おめぇのお陰で、そんな事にならずにすんだ。オラには、あいつに何も
  してやれなかったのを、おめぇがここまで、あいつを支えてくれた。……
  ほんとに、ありがとな」
 「孫……」
 「おう。もう準備はいいか?―――デンデは、界王神のじっちゃん、平気
  か?あれで結構、気のいいじっちゃんだからよ、あんま気ぃつかう事ねぇ
  からな」

 最後の軽口は、ちょうど自分達の元にたどり着いた二人へと向けられた
ものだった。それが、先刻までの独語じみた男の言葉を、強引に打ち切る
契機となる。
 返事くらいさせたらどうだと、内心で多少の苛立ちを募らせたピッコロの
耳朶を……再び、男の低い呟きが掠めた。

 「殴っちまって、悪かったな」
 
 短く成されたその謝罪は、悟空の軽口によって再び賑やかになったその
場に居合わせた者の中で、おそらく、ピッコロにしか届かなかっただろう。 
 当の本人が素知らぬ顔を貫き、居合わせた青年達にも聞き咎められな
かったというなら、悟空が目論んだであろう通り、この会話は、ここで自分
が手打ちにするしかない。
 言うべき事だけ一方的に告げられて打ち切られた男の謝辞に、なんとも
形容しがたい蟠りが募る。だが、後になってこちらから水を向けたところで、
この男はもう二度と、同じ話題を繰り返そうとはしないだろう。
 身勝手な男だと思う。そして、この男のこういうところに、自分は昔からど
うしても叶わなかったのだと……ピッコロは、喉奥まで込み上げてきた反
駁の言葉を、苦い思いで飲み下すしかなかった。


  
 そして、再び訪れた、絶対神の住まう神の領域。

 既に全ての膳立ては整ったものとして、老神は苦言めいた事は口にしな
かった。久方ぶりに顔を合わせたデンデに向かい、事の次第は聞いておる
なと念押しのように声をかけただけで、弾かれた様に拝礼するデンデの姿
に納得したように、ならいい、と鷹揚に頷いて見せる。
 そして、彼は平時と変わらないのんびりとした語調で、こっちゃいつでも構
わんぞ、と言葉を続けた。

 「―――一度だけ、ここで神龍を呼び出すことを許す。そうしたら、マイナ
  スエネルギーが抜けきるまで、必ずドラゴンボールを浄化させるんじゃ
  ぞ。……ま、精々気張るんじゃな」


 絶対神の言葉に深く頭を下げ、界王神界の大地の上に、地球から運ん
できた七つの宝玉を並べ置く。そうして、悟飯はまず、見届け人である旧
友を見、次にここまで自分を引率してくれた父親を見、最後に、背後に佇
むピッコロの姿を仰ぎ見た。
 契機を伺うことも、実行を宣言することも、悟飯は一切しなかった。それ
でも、そうしてここまで同行した存在を順々に眺めやる事で、青年はそれ
を、自分に対する最後の後押しとしたのだろう。

 結局、同行者達と一言も言葉を交わすことなく、悟飯は一つ大きく息を
吐き、それまで佇んでいた場所から、慎重に一歩を踏み出した。そうして、
幾分ためらいがちな仕草で、両の腕をゆっくりと持ち上げ、天にかざす。
 五秒が過ぎ、十秒が過ぎ―――呼吸を繰り返し、神の領域を支配する
大気を深く体内に取り入れると、悟飯は徐に、その口角を押し開いた。
 そして、次の刹那―――
  
 「―――出でよ神龍!!そして願いを、叶えたまえ!!」

 これまで幾度となく、地上において用いられてきた、龍降ろしの呪言。
居合わせ者全ての耳に馴染んだ、呪法めいたその言葉が、界王神界を
流れる大気に溶けて、朗々と響き渡った。

 
 
 
                         TO BE CONTINUED...


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